その2 影から見守る彼女のやり方
わけのわからない遭遇から明けて翌日。
昨夜はあまり眠れなかったため、通学用のバスから降りながら俺はあくびをかみ殺した。
「……ねむっ」
脳裏に浮かぶのは昨日の告白襲撃犯だ。
俺の好みをかたちにしたように可愛い子だった。顔を真っ赤にしているのなんか最高だった。
でもドキドキさせられたのはその可愛さ以上に、奇矯な言動の数々の方だった。
「しかし一体何者だったのか……」
「おや。だれかお探しかな?」
「とりあえずお前じゃないよ、新御堂」
「つれないねぇ、ボンド」
気の抜けた声に振り返ると、その長身によって俺に影を落とす男が肩をすくめてそう言った。
明るめの色をした髪を整髪料で遊ばせた、陽気な印象。柔和な面立ちは特徴こそないものの黙っていればそこそこ見れる感じで、なんというかプレーンな男前って顔だ。
名を新御堂怜史という、小学校から腐れ縁の友人だった。
ちなみにボンドとは『浦木工』で木工が名前に入ってるためについた俺のあだ名である。
「で、だれを探してたんだい?」
「背が低くて黒髪セミロング、顔可愛くて結構胸の大きい子」
「現実をよくご覧よ。そんな童貞の夢欲張りセットみたいな女子はどこにもいないよ。あ、今日帰りうちに寄る? その系統の煩悩映像作品なら貸すよ」
「要らないから。俺は現実で探してんの」
「またどうして、そんな実りのない苦行をはじめたんだい」
「……昨日俺、帰りにちょっと学校残ったろ?」
「そういえばお前、残ると言ったね」
「ああ。俺、手紙で体育館裏に呼び出されてさ。それでその……告白、されたんだよ」
「病院は向こうだよボンド」
「幻覚じゃねーよ! ……『疑わしい』って目でこっち見てんじゃねーよ!」
どんだけモテないと思ってんだ。まあモテたことなんてないけども。
俺の訴えが信じられないらしい新御堂は、難題に突き当たった刑事のように口許に手を当てると、考え込んでさらにつぶやく。
「そう言われても、にわかには信じがたいね……それで、なんだい? 文脈から察するにお前、その欲張りセットから告白を食らったと。そういうことが言いたいと?」
「そういうこと」
「罰ゲームじゃないのかい、それ」
「お前いちいち言うこと辛辣で失礼だな!」
「悪い悪い。でも予防線を張っておく方がイザというときに傷つかなくて済むんだよ」
「だから罰ゲーム前提で話すのやめてくんない?」
「ほう。お前がそんなに自分の顔に自信があったとは、長い付き合いなのに僕は全然気づかなかったよ」
「……なんかだんだん気分が沈んできた。お前に話すんじゃなかった」
俺がうなだれると、新御堂はてくてく歩きながらふむとうなずく。
「ま、幻覚でも罰ゲームでもないとして。お前なぜその子を探しているのさ。可愛かったならその場でOKしたんじゃないのかい?」
「そうしたかったけど、それがなぁ……好きです! でも恋人とかは無理! って告白されて、逃げられたんだ」
「どういう意味の『好き』なんだろうねそれは」
「なんか好きすぎて近づけない、って言ってた。肩に触っただけで絶叫されてもうこの制服洗えない、とも言ってた」
「……ボンド。その子、ヤバくないかい?」
「ヤバいかなぁ……でも可愛かったんだよ本当に」
目を閉じれば姿が浮かぶ。……あとその、見てしまった制服の隙間の胸とか谷間とか、真っ赤になっていた顔とかも浮かぶけどちょっとこれは朝から刺激が強いのでかぶりを振って追い出した。
まぶたの裏に描く、さらさらの黒髪。カーディガンにくるまれた華奢な身体。
この学校の生徒なのだから、探せば会えるはずなんだ。リボンの色は赤だったから、俺と同じ一年生のはずだし。
「はあ。どこにいるのかな」
目を開けた俺は、学校までつづくまっすぐな道を見やる。
…………って、あれ?
なんかいま。
まぶたの裏に浮かべてたのと同じ姿が横切ったような……?
「ボンド、たしか黒髪セミロングの可愛いロリ巨乳と言っていたね」
「おいそんなこと言ってないぞ捏造するな」
意味合いはたしかにそんな感じだけど。そう思いながら新御堂を肘でこづくと、奴はじっと目を細めて周囲に視線を巡らしていた。
なんだか知らないが集中している様子だった。
「ロリ巨乳、いま僕の視界を横切ったような気がするのだけど……」
「え、マジで。俺も見た気がするんだけど」
「むむむ……」
うなり声をあげながら、新御堂はぎょろぎょろと眼球だけを左右に走らせた。正直はたで見ていて気持ち悪い動きだった。
だがそのサーチの甲斐あってか、ずびしと道の途中にあった自動販売機の影を指さす。
「そこだ!」
推理もので犯人はお前だ! と指さす探偵ばりにキメた新御堂。
まさかこれで見つかるわけが……と思ったが現実は俺の予想を上回る。
制服の影がちらりと揺れた。
学生カバンを構えて顔を隠しながら、ひとりの女子が現れる。
まちがいない、昨日の告白襲撃犯だ。……うん、首から下で判断しました。体型で。
「……まさか見つかるとは」
抱きしめたカバンの縁からひょこっと目だけのぞかせて、彼女は言う。
「可愛い子を追うときの僕の動体視力を舐めてもらっては困るね」
「気配は完全に消してたつもりなんですけど?」
「深淵をのぞくとき深淵もまたこちらをのぞいているのさ。気配を消せても視線は消せない」
「……なるほど、今後の参考にします」
「ねえこれなんの戦い?」
ゴゴゴ、と効果音が出そうな対峙を見せていた二人の会話に俺がつっこめば、「はふ」と息を漏らして彼女が動きを止める。
ぎくしゃくと腕がゆっくり下がり、あの綺麗な瞳がこちらをのぞいた。
ほんの一瞬。
目が合う。
それだけで心臓が跳ねるような心地がして、吸い込まれそうになった。
……やっぱり可愛い。それなのに恋人になれないと思うとつらい。
ずっと眺めていたいその顔は、ほどなくしてさっとカバンの影に隠れてしまった。無念。
「お、おおおはようございます、浦木くん!」
「……おはようございます」
震え声の挨拶に頭を下げて返せば、彼女は顔を隠したままでしゃべる。
「ほ、本日も、ご機嫌麗しゅう……元気そうで、なによりです!」
「うん。そっか」
「はぁぁぅ……学校に来るだけで浦木くんから挨拶をいただけるなんて。あっ、これがログインボーナスってやつですか?」
「その理屈でいくと俺ここに来るまでにもかなりボーナス配ってることになるんだけど」
「神運営ですね!」
「その理屈でいくと道行く人みんな神運営だよ」
「いえ、私にとっての神は浦木くんだけです」
「……うん。そっか。ありがとう」
「そんなお礼なんて! お礼を言うのはこっちの方です。今日も浦木くんが元気なので、私の世界は耀いてます」
「そ、そう……」
こんな可愛い子から持ち上げられるのだからうれしいといえばうれしいけど。まさか自分が神と呼ばれる日が来るとは思っていなかったので、どう受け止めればいいかわからない。
そんなことを思っていると、彼女はまたカバンの縁から顔を出し、新御堂の方を見据えた。
「うう。今回は御付きの方によって見つかっちゃいましたけど、浦木くんのお邪魔しないように今後はもっと陰に忍んで見守りますので」
「え、いやちょっと。そんな遠くからの見守りがんばらなくても。もっと近くに来てもらっても、っていうかもう少し話を」
「それじゃあっ!」
かかとでぐるっとターンして、慣性のままに走り出す。
ぐんぐん加速していく。とんでもなく速い。
通学路歩いてた奴らをごぼう抜きにして、遠くに見える校門を駆け抜けていった。
あとには、彼女の踏み込みから立ち上った土煙だけが残る。
またしても名前すら聞けなかった。
「……なぁ御付きの人。今後はもうちょい早く、向こうがこっちに気づくより早く見つけてくれる? 会話を引き延ばしたいんだ」
「だれが御付きの人だね。でも、まあ……お前が言っていたのもわかる気がするよ。たしかに外見はトップクラスだね。超可愛い」
「だろ?」
「中身のヤバさもトップクラスだけれど」
「……だな」
「とりあえず教室に行くとしようじゃないかい、神」
「やめてその呼び方」
なんだか朝から妙な展開になった。
でもこうして再会できたことで、昨日の告白が白昼夢じゃなかったとようやく確信できた。
この学校のどこかに彼女はいて――俺を見ているらしい。
どうにか見つけ出してもっと親しくなりたいな、と思った。