その12 放課後デート(解答編)
結局、ぶらぶら歩いてウインドウショッピングなんかしながら話す、ということもできなくて。
俺たちは商店街から一本入ったところにある、噴水を囲む小さな公園のようなスペースで、長いベンチの両端に腰を下ろしていた。
「……ううむ」
俺は膝に置いたカバンに肘をついてうめいた。
雑貨屋のあともなにかお店に入ろうかと思ったのだが、なかなかうまくいかなくて。
歩きながら話すのも難しいなら、もういっそ喫茶店にでも入って腰を落ち着けてしまえ、と思ったのだが。
「お客様二名様ですね? ではあちらの席で」と言ってお店のひとが示したのはまあ当然ながらテーブル席ではなく対面のボックス席だった。
白野が飛び上がらずに済む距離を保てるような席でなかったので、あきらめて出てきた次第である。
で、屋外で好きな距離が取れる、ここに落ち着いていた。
どこか寄れるお店がないかと歩き回ったためそれなりに疲れてしまったので「休憩しよう」と足を止めたわけだ。
「……申し訳ないです、私のせいで……」
どよんと沈んだ白野はカバンを抱えてうなだれている。
「そんなに気にしないでいいって、さっきじゃんけんで責任は俺にあるって決めたじゃん」
「そうは言いますが……近づくとひっくり返るなんて体質でさえなければ……こんなことには」
本気で落ち込んでいた。
たぶん、それだけ白野も楽しみにしてくれていたのだと思う。
……俺としてはその気持ちが伝わってきただけで十二分にうれしいのだけど。
でも、申し訳なく思う気持ちも理解できた。
だからなるべくやさしい声音を心がけて、かたわらに腰かける彼女に言う。
「いいんだよ。そんなこと承知の上で、俺は白野と一緒にいようと思ったんだからさ」
「んんう、浦木くん~……!」
感極まったのか喉の奥からしぼりあげるようなかすれ声を発して、白野は悶えて身をよじりぷるぷるしていた。
「でも次からはどこに行くのか、真剣に決めないとだな」
「本当に、お手数おかけします」
「いえいえ」
ひらひら片手を振って、俺は笑った。
ビルの谷間から差し込む夕日が、だんだん傾いて沈んでいく。
四月に入って少し日が長くなってきたなぁ、と思いながら俺が背もたれに体重をかけていると、「ぐぅ」とかすかに音が聞こえた。
横を見ると、白野がさっと顔を逸らす。
「……あれ、白野?」
「猫か犬でしょう」
「いやどこにも見当たらないって。わかりやすい嘘だなぁ。おなかすいた?」
「……恥ずかしながら」
「だいぶ歩き回ったもんな」
あせあせと朱に染めた頬に手をあてがって隠しながら、白野はあさっての方を向いていた。こういう恥じらいはそれはそれで普段の赤面とちがう良さがあるな……。
などと考えている俺も、小腹がすいた。さっき入るのを断念した喫茶店の入り口で、おいしそうなトーストだのホットサンドだのがいい匂いを漂わせていたのもかなり腹にキたのだ。
「腹減ったな。なんか食べたいね」
「残念ながら、私とくにいまなにも持っておりませんで。コンビニにでもまいりますか?」
「そうしよっか……って、あ」
肘を置いていたカバンの中でごそっと物がずれる感触があり、そこで俺は思い出す。
そうだ。そういや昼に残してる分があったっけ。
ちらりと白野の方を見やる。なぜいま見つめられたかわかっていない彼女は、そそくさと顔を背けて「まぶしいです」とつぶやいていた。なにその後光が差してるみたいな反応。まあいいや。
「そのさ、白野……すっかり忘れてたけど、じつは弁当ひとつ残ってるんだ」
「えっ、なぜもうひとつ」
「昼にきみが弁当持ってきてくれると思ってなかったからさ。自分のと合わせて二つ持ってきちゃったんだよ」
カバンのジッパーを開けて包みをぷらんと取り出す。おお、とつぶやきながら白野は食い入るように見つめていた。
「食べる? 当然、昼と同じ内容だけど」
「ぜ、ぜひ!」
即座に反応する白野。いいのかこれで、と思いながらも当人は満面の笑みなので包みを開く。
チンジャオロースが開封され、四月の暖かい空気の中で匂いが広がった。
白野が弁当を持ってきていたため使わなかった箸が一膳余っていたので、それも箸入れから取り出した。
「そんじゃ、はい」
「恐縮です」
二人の中間距離に箸を置くと、白野が手を伸ばして受け取る。
行儀よく膝の上にハンカチを敷いて、その上に載せた弁当箱に静かに手を合わせていた。
そろそろと箸をつけて、ピーマンと肉を口にした。
「んんっ。おいしいですね」
「でも昼も食べてたから飽きない?」
「いえそんな。……えーと、昼よりも味がしみてると申しますか」
「無理して感想言わんでも大丈夫だよ」
「あはは、無理はしていないのですが……伝えたいことは山ほどありますのに、なかなかうまくまとまりませんで。出てくるのは、おいしいってひと言だけです」
「いいよそれで。おいしいって言ってもらうだけで十分割に合う」
「そうですか?」
「うん」
ユズなんかもたまに「これおいしい」くらいは言ってくれるけど。やっぱり毎日のことだから慣れっこになってしまって、いまの白野みたいな新鮮な反応を見ることは少ない。
もぐもぐとおかずを口に入れては頬を緩めているのを見ると、大して手間かけてないとはいえ作り手としては冥利に尽きるというもんだ。
「うう、うう……本当はもっとこの世の語彙の限りを尽くして褒めたたえたいのですか……考えるほどなにも言葉が出てこなく」
「いやーそこまで言わせるようなもの入ってないんだけどな」
「入っておりますよ? ――浦木くんのお気持ちが。それが、なによりうれしいのです」
心底からうれしそう、おいしそうな顔で言う白野を見て。
俺は弁当に目を落とし。
急に、申し訳なくなってきた。
や、うん。
そりゃあ気持ちは込めた。込めたけども。
でも、百%ではなかったからなぁ。
なぜならうちの晩飯と兼用だったため、あくまでありものの食材で可能な最善、という料理だったからだ。
つまり、気持ちの上で全力ではない。
それなのにそうまでよろこんでもらうと、むしろ罪悪感が募る。白野はきっと、俺が全身全霊でこれをつくったと思っているのだろう……。
「白野、ごめん……」
「え、ええっ。な、なぜ謝罪なされるのですか? あっ? もしや、気持ちをお入れになっていらっしゃらない……?」
「いやそんなことはないそんなことはないんだけど! ……じつはその、冷蔵庫のありもので大して手間かけずつくったから、そこまでよろこんでもらうと申し訳なくて」
「へ……、」
「今度は食材からちゃんと選んで、作業も手間もかけて持てる全力出すから。気持ちも全霊で込める、ので。……今回はそこまでのものじゃなくて、ごめんね」
決意表明を述べると、白野はかちんと固まっていた。
やっぱ手抜き料理はダメだったな、と思いながら俺もがちがちに固まる。
しばし向き合って硬直状態がつづき。
白野が先に回復して、わなわなと震えた。
「……思い上がっておりました」
「な、なにが」
おそるおそる声をかけると、キッと顔を上げた白野が力強く言う。
「『これが浦木くんの全力だろう』と、私は分不相応にも自分ごときの尺度で測るという……浦木くんの実力を貶めるようなことをしてしまいました!」
「ええええ……そんなこと言われると『浦木が全力でくる』って思ってくれてた白野の信頼を俺が裏切った罪も浮き出てくるよね?」
「そんなことはありません! 私は『負担にならないもの』で、とお願いしたので浦木くんに非はないのです!」
「いやあるよ。『負担にならないもの』って言葉を自分が楽できるよう、都合よく解釈したわけだし」
「それならば私がどうとでも取れる言葉を使ったことが!」
「いやそれなら俺がそう言わせるような会話にしたことが!」
「いやいや!」
「いやいやいや!」
「……なんかこの流れつい先ほどもしたような」
「……俺もいま思った」
「「……えー」」
ヒートアップから急に沈静化を果たし、互いに気の抜けた声を漏らして。
それがハモったのが、妙に俺のツボに入った。
「……っふ、ごめん、言い合いしてたのに、……くっく、ちょっと、笑えてきた」
「い、いえ……私も、っふふ、なんか、ツボに」
お互い様らしかった。
どちらともなく口許と腹を押さえて互いに顔を背け、肩を震わせてふすふす笑う。
なんともしょうもない意地の張り合い。
そんなことで互いに盛り上がっただけなのに、めちゃくちゃ笑えた。
ひとしきり笑って、あー、と息継ぎのように背伸びする動作も二人してかぶったので、またしばらく笑った。
そうして落ち着いてから、顔を見合わせた。
白野はすぐ、そそくさっと目を背けてしまったけど。でも顔は向き合ってくれてた。
俺は彼女に言う。
「どこも店とか行けなかったけど、普通に面白かったな今日」
「普通に、ですか。……っ、」
言いつつはにかんだ白野の表情が、ちょっとだけこわばる。
目線の先を探ると、大学生だろうか。俺たちよりもちょっと大人びた風貌のカップルが、仲良く歩いていた。
肩をすり合わせるように、身を寄せ合って。
つないだ手と手の先では、指を絡め合って。
楽しそうに、歩いていた。
……言わんとしていること、思っていることは、すぐにわかった。
「普通だよ」
俺は少し力を込めて、言った。白野が瞳を流して、こちらに視線を向かせる。
『――本当に普通のお付き合いなの?』
そのとき、ユズの問いかけが頭をよぎった。
あのときは「普通、じゃないか?」と俺も考え込んでしまったけど、いまは悩まず言えそうだ。
「普通の、楽しいデートだったよ。俺たちはこの距離感が普通だし、それでいいんだ。ほかならぬ俺たちがそれでいい、って決めたんだから」
「浦木くん……」
白野は、うるっ、と瞳を潤ませた。本当に感激屋だなこのひと。
えぐえぐと嗚咽を漏らしながら白野は腕で口を押さえていたが、少しすると喉から出そうになる声を押し込めるように残りの弁当をぱくぱくと食べていった。
箸遣いは丁寧なのにおそろしい速度で食べ終えた白野は、「ごちそうさまです」と箱をこちらとの中間距離に置いた。俺は「おそまつさまです、次期待してて」と受け取る。
俺たちはこれでいい。
これがいい。
そう確認できたってことだけでも、今日はいい一日だったな、と俺は思った。
「…………はっ!」
「どしたの白野」
「そ、そういえば、うらきさ、いま、で、で、デー、ト、って」
「言ったけど。というか昼からずっとそのつもりで俺計画してたんだけど」
「よ、寄り道では、なかったのですか?」
「うん。というか友達からのRUINでもデート? って訊かれてたじゃん白野。内容は気にしなくていいとは言ったけど俺とくに否定はしてないよ」
「な、な、なんと……デート、これが、今日が、デート。二人だけでお出かけする、一大イベントだったなんて……!」
まっすぐにこっちを見つめながら緩く掲げた両手で空をつかみ、白野はかたかた震えはじめた。
あ、これひょっとしてまずいとこ踏んだパターンか。名前を連呼したときと、同じ感じがする。
白野は顔を真っ赤にして、つづいて真っ青になった。おい血のめぐりがおかしいぞ。
「あ、あとでレポ、書きませんと……」
それが最後の言葉だった。
ぱたんと横に倒れ、白野は自分のカバンを枕に気絶した。
「……んー。やっぱ初デートは初デートで、もっかい企画した方がいいかな」
思いながら俺は横で眠る白野の顔に目を落とし、可愛いな、と思って。
……いまならいろいろできるのでは? と邪な念が沸いてくるのを振り払いながら、今日の一日を思い返して、しばしにやにやしていた。