その11 放課後デート(難易度:上級)
バスに乗って、俺んちの最寄りバス停を通り過ぎてさらに行く。
最後尾の列で左右、お互い一番端に座るというまあ傍から見たら喧嘩してるとしか思えない状態だけれど、俺たちはこの距離感がデフォルトだ。
「どちらに向かっているのですか?」
「駅前。白野が普段乗ってるあの路線じゃない方の」
「ああ、あちらの」
納得したらしい白野はぽんと掌を打ち合わせていた。
そのうち目的地が近づき、ロータリーに入ったバスが速度を緩める。
白野に先に降りてもらって――距離が近づいたので喘がないようさっと口許を押さえていた――下車する。
やってきた駅前からの通りは大筋商店街と呼ばれる。太いアーケード街が二筋通っており、買い物したりぶらついたりするデートにはうってつけの場所だ。
……と、ユズにRUINで聞いた。
まあね。気の利いた普通のデートスポットなんて、女の子と親しくした経験の無い俺にはやっぱり思いつかなかったわけである。新御堂も俺と同類なので役に立たないし、俺もあいつもモテる友達とかいないし。
そんなわけで少なくとも女子で、感性が比較的近いであろうユズしか頼るあてがなかった。ありがとう賢妹よ。さすがだ。
なお返信には『今度の映画のとき二本立てね』と書いてあった。出費、かさみそう。
「とりあえず雑貨屋見たりとか、ぶらぶらしようかなーと」
ユズの『女子相手ならあまり外さないと思う小物雑貨屋教えとく。とにかくどこでもいいから目的地はつくっとかないと、ぶらつくのもダレるのよね』とのありがたい教えに従い、俺は地図アプリで出した店の名前を指さして白野に確認を取った。
ぴしりと居住まいを正した白野は「承知です」と言って登る山をあらためて目にしたひとのようなまなざしでアーケードを見上げていた。気合十分のようだった。
「私、寄り道について多少なり予習はしてまいりましたので。遅れは取りません!」
「お、そうなんだ」
「はい。いわく、『疲れたねちょっと休憩しない?』と男性に誘われたら断ってはいけないと」
「待ったどこでなにを読んでなにを学んだの?」
「友達にRUINでお尋ねしまして」
……白野もひとに知恵を求めてたか。
発想が同じで、似た者同士なんだなと親近感がわく。
「ただその文面はよく意図がつかめないところも多かったので、正直どう動いたものかと悩んでおりました」
「それどんな文面?」
「あ、はい。これです」
スマホの画面を俺に見えるように操作して白野は『くぎちゃん・しゅー・かなた』というグループの会話履歴を出す。見ていいのかなこれ。当人がさらしてるからいいか。
さて内容は、くぎちゃんとやらがひとりで発言しているが……。
『寄り道? ってかそれデートじゃない? なんにせよかなた動揺しすぎで草』
『「疲れたね休憩しない?」って誘われたら断っちゃメーよ』
『まあ休憩と言っても休憩にならないんですけどねwww』
『ま、困ったら訊いてね 【初デートだ……とりあえず≫5しよう】とかってスレ立てるから』
『あ、でもゴムはちゃんと用意しなさい あとヤバい男だったら言って 即潰すから』
…………。
……ふざけてるのか真面目なのかよくわからんご友人だな、くぎちゃん……。
「あんまり気にしなくていいと思う」
「左様ですか。なんだかいろいろ書いてくれたようなのですが、私では半分も意図が汲み取れなかったもので」
「まあ、一部でしか通じない言葉ばっかだから、コレ」
「方言みたいなものですか?」
「方言……方言、かなぁ……」
ネットにうといひととしゃべってる感じがしてきたぞ。というかこんなんで友達と会話は成り立っているのか白野。
案じている俺の横で白野は頬に片手をあてながらスマホを眺める。
「彼女、普段からこの調子なのでじつのところ発言の半分くらい聞き流しているんですよね」
「どうしよう会話成り立ってなさそうだった」
「大事なところは伝わっているのでいいのです。少なくとも私が困ったことはないので」
「おお、うん。その子、友達なんだよね?」
「ええ、お友達です」
真剣な顔と声だった。
ま、こういうぞんざいな対応が普通になってるのは、それはそれで親しい証拠か。俺と新御堂の関係みたいなもんだろう。それで納得することにしておいた。
白野はスマホをしまいこみながら、ふたたびアーケードを見上げて、俺へと視線を下げる。
「というわけで、くぎちゃんの進言は一応参考にしますので。……休憩したいときは、いつでもおっしゃってくださいね!」
「言わない言わない!」
「言わないのですか。ところでこの『休憩にならない休憩』という哲学的な言葉はいったいどういう意味なのでしょう?」
「深く訊かないでそこも流して!」
このご友人、いずれ会うことがあったらいくつか文句言ってやりたいな、と俺は心のリストにそっと記しておくのだった。
――それからやっとアーケードを歩き出す。
目的の雑貨屋は通りをしばらく歩いていった先だ。話しながら進んで、途中でもなにか白野の興味を引くところがあれば見て回ってもいい。
俺が少し先を歩き、白野が追ってくる。
横に並んだり手を繋いだりできないので、このフォーメーションが基本になりそうだ。
「浦木くんは普段からー、こういうところでお買い物されるのですかー?」
人込みの中でも聞こえるように、少し声を張った白野が言う。
「いやー、あんまりー。白野はー?」
「私もー、出かけて物を買うことはー、あんまりー。お友達とならー、来るのですがー」
「ああー、そうなんだー」
「はいー」
「俺もー、ユズとはたまーに出かけるけどー。正直女の子の買い物ってー、大変そうだと思うんだよなー」
目的地つくっとかないと、なんて言うわりにユズの買い物は目的地を忘れたように放浪することが多い。モールの中の全店全通路を一筆書きで回るタイムアタックでもしてんじゃないかと思ったことは一度や二度ではない。
「まあでもー。互いにそこまで買い物に入れ込まないならー。ゆるーく見て回る感じで行こうよー」
もしなんか白野が欲しそうにしてるものとかあったら、プレゼントとして買うのもいいかもしれない。……高くなければだけども。
「なんか気になるとこあったらさー、声かけてくれればいいからー。それなりに時間あるしー」
ね? と確認を取ろうと思って振り返る。
知らないおばさんと視線がぶつかってサッと目を逸らされた。あ、すいません。
というかなんか周囲から露骨に俺を避けようとしてる気配が……なんだ?
「って……あれ、白野ー……白野?」
右見て左見て。
あのきれいな黒髪を探したが、見当たらない。
あれ。
ひょっとしてこれまさか。
「白野!?」
い、いない!
開始早々にもうはぐれた! ということはさっきから俺ずっと独り言つぶやきながら歩いてたかたちか! そりゃ周りにも避けられるわ……。
アーケードの人込みでどこかへ流されてしまったのだろうか。あわてて立ち止まるが、制服の人間はちらほら見かけても白野はどこにも姿がない。向けられる視線は急に止まった俺に対する奇異の目だけで、白野の視線は感じられない。
「しまった、人込みで俺らが歩くとこうなるのか。……あーあ、ユズに『接触禁止』ってだけじゃなく近づいてもダメってこと伝えておけば別のデート先教えてもらえてたかなぁ……」
さすがの賢妹もこの事態は予測してなかっただろう。というか普通考えつきもしないか。
しかし弱った。この人込みの中ではぐれるとは想定してなかったぞ。
「おーい、しらの~……ダメだ返事がない」
呼びかけてもがやがやという雑踏に掻き消されてしまう。
スマホを出してRUINでメッセージを飛ばしてみるが、既読が付かない。いまスマホ触ってないんだろう。
ど、どうしよう。
店の名前は教えてあったし、メッセージだけ送って先に向かう方がいいか。
……にしてもはじめて一緒に出かけた日に数分もたずに見失うって、初っ端からとんでもないしくじりだ……。
自己嫌悪に陥りながらとぼとぼと歩く。足取りが重い。そうなると少しの距離でもやたら長く感じる。いやだなーもう。
そうしているうち。
不意に、横並びになって歩いてくるひとがいた。
もしや白野か、と期待してそっちを向くが、残念ながらぜんぜんちがった。
すらりと長身……俺と変わらないから一七〇あるか? それくらいのタッパあるお姉さんで、艶のある髪を肩口まで伸ばしている。
ショートのデニムジャケットとブラウスを合わせたカッコいい感じで、横顔からして美人であった。
「――すいません」
するとそのお姉さんがちらっと流し目でこっちを見て、話しかけてきた。
え?
なんだ、急に。
「は、はい」
「きみ、いまおひとりですか?」
「へ、あー、一応。はい」
「そう……どこか行く途中?」
「や、まあテキトーにぶらぶらする予定だった、んですけど」
「そう」
涼やかな声音だった。
でもなんだ。急になんだこれは。
……まさかナンパ? いやまさかそんなまさか。
そんな風に頭の中で否定の言葉を浮かべていると……なんとそのお姉さんは、つつつと肩を寄せるように近づいてきた。
「えっいやちょっなんですか!」
「……行く場所ないし、ひとりなんでしょ?」
正面からはこちらに向かず横顔のままだが、ちらちらと視線だけは俺の方に寄こしつつ彼女は静かに言った。
えっ本当にナンパ? 学生服の男子相手に? うそ!?
「次の角で左曲がって」
「いやそのそんな、俺、困ります本当に」
「いいから」
「よくないです!」
周りに配慮した上で出せるなるべく強めの声で言うと、さすがにひるんだみたいだった。けれど謎の押しの強さを発揮して、お姉さんはまた距離を詰めてくる。
「いいから。合わせて」
「合わせてって、なにを」
「いやだってきみ。……尾けられてるから」
「……え?」
「ひとり、のはずなんでしょう?」
それはいまはぐれたからひとり、って意味だったんだけど。
「尾けられ……ってだれ、どこから」
「気づいてるとバレないようにしてね。右斜め後ろに、十メートルくらいのところ」
素早い目配せでお姉さんが言うので、俺はちょうど左手の方に近づいてきたショーウインドウのガラス窓を見た。黒いカーテンが室内にかかっているので、うまいこと周囲の風景が反射して映る。
言われた位置を探すと……。
「……あ、すいませんお姉さん。アレ俺の連れです」
「え? あーなんだそうなのね?」
立ち止まって振り返ると、道行くひとの影を次々に踏むような動きで身を隠しつつ。こちらとつかず離れずの距離を取る白野がいた。
俺の視線にはっと気づいてコソコソと定食屋の看板の影に隠れ、ややあって「あっ、こんなことしなくていいのか」と気づいたような顔をした。
俺はお姉さんに「本当すいませんお気遣いいただいて」とぺこぺこ頭を下げた。お姉さんはからっとした笑みを浮かべて「なにもなくてよかった」と言いながら去っていった。善意の結晶みたいなひとだ。世の中捨てたもんじゃないなと俺は思った。
「で、白野……なんでそんな動きを」
トコトコと近づいてったところ、わたわたしてから白野は観念したようにうなだれた。
「申し訳ないです……私、人波に押されまして。浦木くんと近づきすぎてしまい」
「ああ、そういうこと」
たぶん近づきすぎて悶える羽目になったんだろう。立っていられなくなってしゃがんで悶えてるタイミングで、俺が振り返ってたというオチか。
「……悶えが回復してから追いつこうとしたのですが、また人波に流されて、く、くっついてしまいそうだったので……距離を測っているうち、ついこれまでのクセが出まして」
俺から見つからない、俺に近づきすぎない位置取りで移動していく白野のクセがどう見ても不審者ムーブに映った、と。こういう次第らしかった。
定食屋の看板を挟んで向かい合う俺たちは、互いになんとも言えず肩を落とした。
「やっぱりこういう人込み多いところだとそもそも連れ立って歩くだけで難しいんだなぁ」
「すいません……」
「いやそんな謝らなくても。こっちこそこんなことになるなんて予想できてなくて、ごめん」
「そんな! 浦木くんにはなんの落ち度もありません!」
「いや責任は俺にあるよ」
「いやいや私にありますよ」
「いやいやいや」
「いやいやいやいや」
責任の奪い合いがしばらくつづいて、最終的にじゃんけんで決めることになった。
五回にわたるあいこの末、責任は俺のものになった。というわけでごめんなさい。
――そして一緒に歩いていくのは人込みの中では難しいということで、互いに別行動で目的地に向かったわけだが。
雑貨屋は個人経営のちいさなお店かつ非常に混雑していたため、二人で入ることはできそうもなかった。
「…………」
「……べ、べつのところに向かいましょう、か」
「……なんかごめん。本当ごめん」
白野は悪くない。ユズも悪くない。
悪いのは、見通しが甘かった俺である。