その10 恋人同士の料理バトル
そわそわしながら午前の授業を流し。
待ちわびていた、昼食の時間になった。
「……入学から一か月も経たないうちに友人に蔑ろにされるようになるとは、思ってもみなかったね」
今日も白野と昼食べる――っていうか今後はたぶんずっとそうなる、と告げたことで新御堂からはひどく冷たい視線を向けられた。なんだよ。
「べつに、蔑ろにしてるってわけじゃないぞ」
「でももう僕と昼を囲むことはないのだろう?」
「ないな」
「薄情者め」
「じゃあ新御堂、お前がもし恋人できたとして、恋人に昼ごはん一緒に食べたいねって言われたらどうすんだ?」
「お前を切り捨てて昼下がりの逢瀬を楽しむだろうね」
「ほらな」
「うん。僕らは異体同心だね」
ぱぁんとハイタッチした。長い付き合いだ、俺たちの心は通じ合っている。
新御堂は肩をすくめて首を振り振り、弁当を提げて歩き出した。
「そうとも、たまたまお前が先に抜けたにすぎない。いずれは僕も昼を一緒する可愛いステディができるはず。だからいまは、お前の門出を祝福するよ」
「俺の友達は心が広いなぁ」
「広大無辺さ。……でもねボンド」
「なんだ?」
「軽音部では、すでに所属してる女子は全員お付き合いの相手がいるそうなんだ」
悲し気に目を伏せて、新御堂はぼやく。
奴の歩みについていった俺は、なかなかに進展の早い軽音部の恋愛事情に問いを返した。
「え、そうなの。マジで全員? 一年生も?」
「うん。一緒に入部した、ほら前に話した佐倉の子。あの子なんか、もともと一コ上の彼氏を追ってここに来たらしくてね」
「……俺が言うのもなんだけど、展開早いな」
「しかも恐ろしいことに部内恋愛が多いそうでね」
「おお、あんまりよろしくなさそうな状況だなそれ」
「ああ、本当に。グループ解散の原因にならないといいのだけど」
「よせよ、口に出すと実現しそうだから。……で、そういやお前はどこで昼飯食べんの?」
「……軽音部の部室」
「ええ……」
「ほかに行き場もないのでね」
特別教室棟の部室へ向かう新御堂は、階段を降りる俺との別れ際に「お前は……幸せになるといい……」と言い残して去っていった。
いい奴すぎてだれか早く幸せにしてやってくれと俺は願った。
「まあそれはさておき、俺は俺で幸せになろう」
切り替えて、一階の食事スペースにやってくる。
俺は自販機の横を通り抜けて卓が並ぶこのスペースの端の方に陣取り、白野を待「お待たせしました!」たなかった。早いな来るの。
「浦木くんをお待たせするなど、申し訳なくなってしまうので。急いでやってまいりました」
「そこまで気ぃ遣わなくてもいいんだけどな……なんにせよ、それじゃ。一緒に食べよう」
「はい!」
毛先までしっかりと整えられた瑞々しい黒髪が、ひとつひとつの動作ごとに跳ねる。
しばたく瞳は光を照り返す泉のようで、ずっと見ていると心がしんどくなる。
制服の白セーラーは着崩すこともなくわりときっちりしているが、スカート丈は短めで、ハイソックスまで伸びる脚がまぶしい。
今日も今日とて、白野は可愛かった。
……ユズからもらった写真の中の白野とは、どうも重ならないな。
「? どうかされましたか?」
「や。なんでもないよ。それよりほら、弁当持ってきたから」
「こっこれが……浦木くんお手製のお弁当ですか……!」
「お口に合えばいいんだけど」
言いつつ俺は自分の席から三つ分あけた位置に、弁当を置いた。
白野は両手を合わせて口許に寄せ、拝み倒してから開いた。
一段目が白飯、二段目にチンジャオロースと冷凍シュウマイ、別の箱で水菜のサラダだ。
身を縮こまらせて震える白野は、小声で「しゃわせ……!」と微妙に呂律回ってない感じでつぶやいていた。そこまでよろこばれると今度は味に対してハードル上がってないか心配になるな。
ぱっと顔を上げた白野は弁当を掲げるように持ち、俺に謝意を述べた。
「ありがとうございますありがとうございます! このような食事をいただけるなんて果報が身に余ります……! あ、それと、そのぅ」
「ん? どしたの」
「引き換えにお渡しするには、少々お粗末かとは存じますが……その、これ」
もじもじとしながら、白野は小脇に抱えていたトートバッグを身体の前に持ってきた。
中へ手を差し入れて、小さなランチボックスを取り出す。
「え。それは」
「よ、よろしければ。――私も、つくってまいりました!」
おずおずと、白野は俺に向かってランチボックスを突き出して。
まあ直接渡すのは当然無理なので、そばの卓に近づき、そっと置いて、そろそろと元の位置まで下がっていく。……なんか洋画で「武器を置け!」って言われて拳銃を置いた主役みたいな動きだった。
そんな感じで渡されるプロセスは珍妙極まるものだったけど、手作り弁当である。
恋人の。
恋人による、恋人のための手作り弁当である。
もうこれは勝ったとしか言えないのでは……? いやなにに勝ったのかはわからんけど。
とにかくいま、俺は勝ち組に入った。俺もボックスを掲げ持つようにして、白野に感謝を述べる。
「……ありがたく頂戴します」
「ふゃ、いえ、感謝のお言葉だなんてそんな! 身に余る光栄です」
白野はうれしそうに俺を見つめていた。
あんまりうれしそうなので、俺は自分用につくってきてしまった弁当をそっと後ろ手に隠した。こっちは放課後に小腹がすいてたら食べるとしよう……。
「じゃあ、開けていい?」
「どうぞ!」
さて献立は。
一段目のおかずはサトイモの煮転がし、鮭の照り焼き、ほうれん草のおひたし。二段目は炊き込みご飯で、きのこが多く入ってるやつだった。
……うーん、頼んだわけでもないのに俺の好物しか入ってなくてびっくりした。これも顔に出てたのだろうか。いやさすがにそれはないか……。
「白野、なんで俺が和食の方が好きだと」
「調べました!」
どこで調べたんだろう。まあいいか。にっこにこの満面の笑みでこっちを見ている白野を見たらわりとどうでもよくなってきた。
もともと俺は和食好きなんだけど、ユズの好み優先してつくってるからあんまりこういうの食べられないんだよな。鮭もひさびさで胸が躍る。鮭ってこの皮がうまいよなぁ、とか言ってもユズには「そんなの食べらんない」とか言われるからな。
「それじゃ、いただきます」
「どうぞ。お口に合いましたら、幸いです」
手を合わせた俺の横で、白野が緊張の面持ちで喉を鳴らすのが見えた。
さてまずは照り焼きから。
わくわくしながら手を合わせて箸を伸ばして、
ぱくりと口に運んで――
「…………、」
俺は黙った。
これは……これは……。
煮転がしもつまんで口に運ぶ。
……これ。
……うん……。
「お、お味はいかがでしょうか」
はらはらしながら俺の表情を見つめる白野が、震え声で言った。
「ダメそうなら、吐き出していただいても!」
「……んにゃ、べつにダメとかじゃないんだけど……」
口ごもる俺に、白野はかなりおびえた表情を浮かべた。
でもそんな彼女に対し、本音の『おいしい』とか『まずい』とか。お世辞の『おいしい』とか『よくできてる』とか、あるいは『なんとも言えない普通の味だ』とか。そういう意見が口から出てこない。
だって、これ。
この味付け。
俺が自分でやるのと、同じ味じゃん……?
「なんか、きみの個性を感じない味だ……」
「ああ、慣れた味の方が良いかと思いまして浦木くん風にお味付けをしましたので」
「どうやって俺のレシピを盗んだ!?」
「昨日いただいたお昼ごはんのお味付けから、使っている調味料の種類と量と傾向を推測しまして。合ってました?」
きょとんとしてあっけらかんと言う。
なんだそれは。
……まさか、まったく別の料理を食べさせたのに、根っこのとこで共通している俺の料理勘を感じ取ったとでもいうのか?
文武両道のみならずそんなとこまで万能なの……?
「奇妙な顔をしていらっしゃいますが、そんなに変な感じします?」
「他人の家の夕飯で実家の味が出てきた、って感じの気分かな……もっとこう、白野の好みでつくってもらってもいいんだよ?」
「私の好みだと……浦木くんのおつくりになる味です!」
「ああ、ですよねー」
俺がつくったなら焦げた目玉焼きとかでも感涙しながら食べてくれそう。いやそんなまずいもの食べさせやしないけど。
ともあれ、白野のお弁当はまずいわけではないので。
自分でつくってないのに自分の味付けがするおかずを、俺はもぐもぐと食べ進めた。こんな奇妙な経験をすることがあろうとは思いもよらなかったなぁ。
白野も「恐れ多い……」「どうして食べたらなくなってしまうのですか……?」「持ち帰りたい……」「冷凍庫で半永久保存を……」と苦悩にひたりながら食べていた。なんか俺の料理への強い執着心を感じたので、さっき隠した弁当をさらに影の方へ押し込んだ。
やがてどちらも食べ終えて、ごちそうさまと手を合わせる。
俺は食後のお茶をすする。
白野は満足そうに、片手でおなかをさすった。
「ふう…………浦木くんの一部が、いまここに……」
俺はお茶を吐いた。
「勘違いを招くような言い方はやめよう!」
「? 浦木くんの成分が入っていることは事実では」
「言い方ぁーっ! そりゃあ細胞レベルの話をはじめたらまちがっちゃいないのかもしれないけど言い方ぁっ!」
ざわつく周囲。
ちがうから。そういうアレなアレをしたわけじゃないから!
「白野、どうしてそう男と周囲を惑わすようなことを言うかな」
「も、申し訳ないです。私男の子のお友達がおりませんで、そのあたりの機微に疎く」
「女子校通いじゃそうなるかもしれんけど、そういう問題かなこれ……」
「というかお友達自体が少ないのですよね。二人しかおりません」
「唐突な暴露だぁ……俺も友達、多いわけじゃないけど」
「いつもいる、御付きの方は?」
御付きの? と一瞬考えて、ああ新御堂のことかと納得する。
お前、俺のカバン持ちかなにかだと思われてるようだぞ、と遠く軽音部の集いの中で孤独の身を嘆いているであろう悪友に念を送っておいた。だれがカバン持ちだい、と返してきそうな気がする。
「いつものあいつは、新御堂っていうんだ。小学校から腐れ縁でずっと一緒にいる友達。いまは部活はじめたから時間合わないこと多いけど、帰りにつるんで遊んだりもするよ」
「帰りに遊ぶ、ですか」
「寄り道とか経験ない?」
「佐倉はちょっと校則が厳しかったので、制服で帰りにどこか寄ってはいけなかったのです。もちろん校則を破っているひともいましたが私のお友達にはそういう方はおらず」
「真面目だったわけだ」
「いえ、校則は破らないのですがほかはいろいろ。障子とか窓とか」
「法を破ってない?」
ちょっぴりアクティブすぎるご友人をお持ちのようだった。
「でもそっか、帰りに寄り道とかしたことないんだ」
「そもそも、目的なく動くことも苦手なので」
「休日に六時間うちの周りうろうろ散歩するのは無目的行動に入らないのか……?」
「いつ出ていらっしゃるのか、と待ちつづける緊迫感を味わうのも目的のひとつです」
「やっぱ出待ちじゃん! というか冷静に考えて休日によくそんな過ごし方できるな!」
「そんなに変でしょうか……? 私はずっと充実感を胸に一日を送りましたが」
精神力と忍耐力がカンストしてないかこのひと。
愛が重い。……でもわりとそれがうれしいと感じている俺がいることは否定できない。自分の心境に自分で驚き。
「でも白野、もういまはいつでも連絡取れるんだからさ。今後は気軽にRUINなり電話なりで、会いたいとか言ってくれていいから」
「あ、会いた、だなんて、そんな高望みを言って許されるのですか……?」
「……そういう関係性、というか、立場じゃん。きみ」
気恥ずかしくなってぼそぼそと言うと、白野は瞳を潤ませてスマホを掲げ顔を隠した。
「どうしても会いたくなったときは、『いま下にいます!』とか送るかもしれません……!」
「それはメリーさんみたいでこわいからやめて。だったらもうインターホン押してほしい」
「ご家族が出て『どなた?』と訊かれてしまったらなんと言えばいいのです?」
「そりゃ……恋人です、と」
回答例を示すと白野は腕を枕に卓へ突っ伏し足をばたばたさせはじめた。
「私がそのようなことを自称してもきっと信じてはもらえません!」
「まあユズは信じない気がするな……」
「ですよね! 私ごときでは!」
「『私ごとき』ってなんだ。むしろ逆だろ」
「? ではどういう?」
「……っか、可愛いから……信じてもらえないと思う」
「――っ、」
「こんなひとが俺の恋人になんかならないだろ的な、ね」
冗談めかしてみたものの、本心なので声が震えつつ言った。
……心の中で言うのとちがって当人に向かって『可愛い』って告げるのすごい消耗するな。
けど俺以上に白野の消耗がすごそうだった。ばたばたも止まっている。また気絶したのではなかろうか。
「し、白野ー?」
「…………はっ。す、すいません少々意識が遠のいておりました! あの、そのっ。き、急に、かわ……いい、とか言われますと、その。困ります!」
「わ、わかった。やめとく」
「はあぁ。心臓に悪かったです……」
大きな胸をなでおろす白野。名前呼びにつづき『可愛い』もNGワードか……だんだん使えない言葉が増えていく。禁句の領域かよ。
といったところで昼休憩も終わりに近づいていたらしく、そこで予鈴が鳴った。うわ、楽しい時間はなんとやらだなぁ……。
「む、無念です。もうお別れのお時間……」
「しゃーないな。じゃあ、その。白野、またあとで」
「あ、はいっ! それでは放課後の帰り道に――」
と言いかけたところで、白野は「あ」の口でなにか思いついたように動きを止める。
けれどぶんぶん、かぶりを振って思いつきを追い払ってしまったようだった。どしたの。
「なんか言いたいことでもあった?」
「や、いいえ。そこまで、大事なことでは」
「そこまでってことは多少は大事なんじゃ」
「やーそんな! 多少も大事ではないというか、とくに取り立ててお話することでも、ないんですが」
「ですが?」
突っ込んで訊くと、白野は離れた席に腰かけたままに、身体だけこっちに向き直った。
膝を揃えて小さく身を縮こまらせた姿勢で、おなかの前に組んだ手と手と指先を、しきりにむすんだり開いたりしながら足下を見ている。
ちらと視線だけ上げて、白野はぼやいた。
「……放課後、なのですが」
「うん」
「帰りに……浦木くんと一緒に寄り道、できたらなと思いまして」
「ほ、ほう」
意外な提案だった。経験がないから気になったのか。
はて寄り道、寄り道か。
思えば高校入ってからはまだ一度もやってないな。新御堂とも時間合わなくてあんま帰りはかぶらないし。ましてや女子と帰りに寄り道なんてのは、俺も経験ない。はじめてのことだ。
……おや。
というかこれ、放課後デートでは?
「う、うーん、寄り道……寄り道」
なんてことを意識したら途端に考え込んでしまう。
形式ときっかけはどうあれ、初デートになるかもしれないのである。
責任と期待が重く感じられて、数瞬フリーズした。
すると白野があわあわしはじめた。
「す、すみません急にこのようなことを申してしまい……浦木くんにも放課後に御予定などありますでしょうに、分を弁えず差し出がましいまねをいたしました」
「いやいやいや。拒否ろうとしてこういう反応したわけじゃないから早合点しない」
「ではお引き受けくださるのですか?!」
「むしろ断る理由無いっていうか俺からお願いするって。悩んでたのは、どこ行こうかなってことだよ。どこ行きたい?」
「どこまででも……」
「せめて範囲指定して」
「いえもうどこでも。場所は問いません、秘境であろうと魔鏡であろうと受けて立ちます」
なんか果たし状を送ったみたいな反応をされてしまった。
ともあれ、あまり遅くなってもいけないだろうし行けるところは絞られる。
「んー、じゃあ帰りまでに考えとくから。そのつもりでよろしく」
「はい! こ、心の準備をしておきます……!」
そんな構えなくても、と笑う俺。
でも真剣にどこへ行くか考えだすとなかなかまとまらなくて、俺は上の空のまま午後の授業を過ごした。
帰ったら今日の授業、復習しとこう……。