その1 友達ではないしお付き合い未満の関係
「突然呼び出してっ、ごめんなさいっ! 今日は……浦木くん、あなたに告白するためにっ、お手紙を出しましたっっ!」
ベタな展開がやってきた。
体育館裏で、やってきた!
下駄箱に入っていた手紙(差出人不明)で呼び出されるくだりからしてあまりにも基本に忠実すぎる。当然俺は期待半分、不安半分くらいの気持ちで、指定された時刻まで近くを掃除していた奴を手伝いながらいたずらだった場合の対応を考えていた。
まぁでも、とりあえず開口一番の発言からして、いたずらでも罠でもなかったらしい。
が。
妙なことが、一点。
「あなたのことがっ、好きですっっっ!」
さっきから語尾に「っ」って溜めがやたら多いことからお察しいただける気がするけど。
そう。
相手の少女は妙に……遠かった。
どれくらい遠いかというと、ちょうど体育館の端から端だ。俺が待っていた東の端からだと、相手の少女はいま現在夕焼けによって逆光の状態である。
俺がいろいろな戸惑いから動けずにいると、逆光の中の少女は告白をつづけた。
「――――けどごめんなさい、恋人とかは無理ですっっっっ!」
力強く。
拒絶の言葉を、つづけた。
…………はいぃ?
待てまて、待って。
なんで告白された直後にめちゃめちゃフられた感じになっちゃってるの、俺。
「えっと……あのー。きみ。俺のこと好き、なんだよねー?」
「すっ……すすす……っ、好きぃ……!」
建物の陰に隠れて、両サイドの髪をぎゅっと握りこみ身を縮めている。
ちょっと小動物的で可愛いと思ってしまった。逆光で顔見えないけど。
好意はバッチリ、と。なるほど。
「ふむ。でも付き合うとかは「無理ですっっっっっっ!」
食い気味に言うなよ悲しくなる!
ていうか意味わかんないんだけど、なんなの好きだけど付き合うとかはナシって!
「理由を聞かせてほしいんだけどさぁ……その前にちょっときみ、こっち来れないかー。遠いんだよ、話しづらいんだよー」
彼方の彼女に呼びかけると、ハっとした様子で固まり。ただでさえ姿があまり見えていないのにさらにこそこそと隠れてしまった。
「むっ……無理ですってばっ!」
「なんでだ!」
「むーりぃーっ!」
いやいやとかぶりを振る。
……なんだろこれ。やっぱりいたずらだったのかな?
不安が強まった俺はおそるおそる近づいていく。彼女はばたばたと慌てた様子だったが、ここはフェンスと体育館に三方向を囲まれており袋小路だ。
相手を追い詰めつつ、心情的にはこっちが追い詰められたような気分で俺は問いかけた。
「あのさぁ。どういう理由で無理、って言ったのか教えて、ほし……」
言いながら俺は、震える彼女の前に立ち。
問いただそうとして。
その。
なんというか。
……見惚れた。
俺よりだいぶ背の低い彼女は、ふわっとした質感の黒髪を肩甲骨あたりまで伸ばしており。
水面を思わせる潤んだ大きな瞳で、こわごわと俺の胸元を見上げていた。
うわ、めちゃくちゃ、可愛い……!
真っ白な肌が色づいている。頬が、とくに赤かった。
幼さ残る小さな顔は危ういところで均整の取れた美しさがあり、そんな彼女がぼおっとこちらを見つめている様には、ちょっと息が詰まった。俺は下に目を逸らす。
制服である白セーラーの上から灰色のカーディガンを羽織った身体は、華奢でなで肩。赤いリボンを襟の下で結んだ胸元は結構しっかり膨らみがあった。
スカートの裾も適度に短く好印象。紺のハイソックスまで伸びる脚は細すぎず太すぎず、健康的でえろい。
とか考えていかんいかんと視線を上げる。
するとまた本能的に胸元が目に入る。
顔は幼げ背も低めの可愛い系というのが相まってか、量感があるというか。目立つ。
そのまま再度視線を上げていくと、慌てて彼女が顔を背けるのがわかった。
「……あ、あの。あまりじーっと見られると、その……」
「ご、ごめん」
「いいえぇ……」
好みど真ん中の外見だったのでガン見してしまった。しかも完全に視線の向きがバレてた!
気まずい沈黙が落ちる。うわぁやらかした……。と、とにかくごまかそう。
俺は咳払いして視線をあさっての方に逃がしつつ、再び問う。
「ごほん……あーっと、きみさ。その、もっかい訊くけど。なんで恋人は無理、って……、」
俺の問いが途中で切れる。
なんでかって?
妙な音が聞こえたからだ。
どんな音かって?
正面から、
シュル、とリボンをほどくような音がした。
「え、ちょ、」
え?
ちょっと待て。これはまずいのでは。
「おいきみなにしてんのってうおわああああ! 服ぅぅ!!」
「ふぁい」
真っ赤な顔で真っ赤なリボンを口にくわえた彼女は、セーラーの前ボタンを外しはじめたところだった。
うわあ。
胸元。やっばい。
胸当ても外しているので、喉元から胸の谷間までがのぞいてしまっている。
もうそれはえろいというよりただただ生々しかった。見ているだけで温度を感じた。
こんなにも触りたくなるものが、この世にあるのか……。おそろしい。でもすごい。張りがある。大きい。手からこぼれそう。柔らかそう。
なにこれ。
なにこの状況。
……俺、誘われてるの? 付き合うとかはナシって言われたのに?
あ、もしかして……付き合わないで、身体だけの関係……?
っ、いや! いやいやっ、ダメだろそれっ! ちょっと抗いがたい提案だけどそういう行為はちゃんと好き合った相手でないとやっちゃダメだろ!
すんでのところで俺は我に返り、バっと顔を背けて叫んだ。
「ふふふ、服着ろ、服っ! なんてカッコしてんの! 痴女かよ! どういう意図か知らないけど、男の前で軽々しく肌をさらすなよ!」
「なっ、ち、痴女だなんて……ひどい! 軽々しくやったことじゃないですよ?!」
軽くなかった。肉体関係だけをお求めじゃなかった。
潤んでいた瞳はいまや涙目になり、視界の端であせあせとボタンを留め直しながら俺に語る。
「勇気を振り絞っての行動だったのに……そんな風に言われるの、心外です!」
「ええええ、いやそうは言うけど、そもそもなんで勇気出して脱ぐんだよ……」
「だって。……見られてるなぁー、と思ったので。浦木くんが見たいとお求めなら、脱ぐべきかと思いまして」
「うぐっ。た、たしかに、見てたことは認めるけど……唐突に脱いでもらっても困るよ」
「そ、そっか。そうなんですか。……ご気分を害しましたか、ひょっとして」
「いやそんなことはないんだけど。むしろうれし――いやちがうからそういう意味だけどそういう意味じゃないからボタン外さないで服装正して!」
言いつつ俺は、ずり落ちかけていた彼女のカーディガンをなおそうと肩に触れた。
途端。
「ふゃわぁああああああああああ!!」
「をぉぉぉおおおおおおおおおおお!?」
マジな感じで絶叫されたので俺もビビって叫ぶ。
二人して同時に後ろへ飛びのき、間合いを一メートルほど空けた。
彼女も俺も極度の緊張で瞬時に息があがり、ぜえはあと肩を上下させている。
なにこれ、バトル漫画のワンシーン?
「きゅ、急に触るなんて……!」
「ご、ごめん」
「あ、ああああっ! 肩が……肩がっ!」
俺が触れた左肩を押さえて、彼女はがくりと膝をついた。
いやだから、バトル漫画なの? 俺は軽く触れただけに見えて想像を絶する威力の一撃を放ったの?
心中ではそんな感じでツッコミの嵐だけど、しかし目の前で女の子が膝を屈している状況である。やっぱり心配になり、俺は近づいて中腰になった。
「あのさ、きみ大丈」「ッ寄らないでぇっっっっ!」
……。
…………。
………………ぐすっ。
めちゃくちゃ好みの可愛い女子にガチなトーンで拒絶されると心にクるな。
「……なんか死にたくなってきた。ちょっと練炭か縄買いにホームセンター行ってくる」
「ああ! 待って浦木くん! いやそのちがうの! 私っ、いま言ったのはこう、嫌悪からの言葉じゃないので!」
「嫌悪じゃない『寄らないで』ってなんなの……?」
「いやその。そこは説明、しますね。恋人とか無理な理由も含め、ちゃんとお話ししますから!」
「……うん、そうしてもらえるとありがたいけど……ところで、肩は本当に大丈夫? なんか古傷とか触ったようだったらごめん」
「や、傷とかではないんですけどー……。えっとね……いまのは浦木くんに、おさわりを賜るなんて望外な幸運に見舞われたから、失神しそうになったわけでありまして」
「……え」
「もうこの制服は洗えないですね……」
「え」
なに、それ。
アイドルと握手した手を洗わない的な奴?
呆気に取られた俺を後目に、はあはあと息を荒げて身をよじる彼女は己の身体を掻き抱いてなおもこちらに熱っぽい視線を向けていた。
「はあぁぁ。こうして直にお声を頂くことだけでもかなりキてるっていうのに、その上こんな至近距離まで近づかれておさわりまで賜っては……あ、これがファンサってやつですか? 高まる! あああ! もう! 耐えられない!」
とうとう真っ赤な顔を両手で押さえ、きゃあきゃあ言ってごろんごろんと転がりはじめた。
俺は。
どう受け止めればいいかわからないこの過剰な好意に、フリーズした。
やがて。
ひとしきり転がって悶えを発散したらしい彼女は、やっとこさ立ち上がると(足はがくがくだった)はーはー言いながら真っ赤な顔のままで俺に言う。
「そ、そんなわけで……ああ、その……浦木くん、私はあなたが、好きです。好きだから、求められるコトがあるならなんでもしてあげたいんです」
「う、うん」
「でも――尊すぎて、近づけないんですよね」
「うん……?」
聞き返す俺。
はぁ……と惚けたようなため息を漏らしながらもじもじとしている彼女は、呼吸が浅く荒い。
俺の喉元あたりを見つめて、生唾を飲んだ。
「私、浦木くんのことが好きで好きで、尊くて尊くてたまらなくって。でも……近づきすぎると、うぐっ」
口許を押さえて、ますます呼吸が荒くなる。
「おい大丈夫か」
「ご、ごめん、なさいっ……同じ空間で、同じ空気を吸っていると思うと、んぅっ、ふふぅ……緊張して、呼吸がしづらく……なるんですよね」
大きな胸を上下させて、なかば喘ぐような声を出しはじめた。
やたら煽情的なんだけどもう少し声に配慮してもらえないだろうか。今度は俺の方が生唾を飲んだ。
「……あ、ということはやたら登場したとき距離取ってたのも」
「うん……近すぎるとっ、こうなっちゃうわけですから……」
「…………、」
「触れられたら、ぅんっ、失神しそうに、なりますから……」
「……………………、」
「だから恋人とかは、無理なんですけど。それでもっ……! この、気持ちを! どうしても伝えずには、いられなくてっ! 今日はお呼び出し、しましたっ! ――好きです、大好きです、この世のなによりも浦木くんが好きですっっ!」
はぁぁ、と大きく息を吐き、額の汗をぬぐう。
なにやらやりきった感あふれる表情の彼女は胸の前で「よしっ」と拳を握りしめた。可愛い。
いやぁ、可愛いよ。
本当に可愛いよ?
可愛いんだけど。
………………………………こんなひどいことって、ある?
なんで可愛いのきみ。
いっそ可愛くないか、あるいはいたずらの方がよかったよ。
これだけ好意があるって伝えてきて。
なんなら据え膳状態にしておいて。
ここにきて全力で膳を下げるって、そんなのありか……!?
「あー、すっきりしましたっ」
真っ赤なままだけれど晴れやかな顔で彼女は言う。
こっちはモヤモヤというかむらむらというかそういう情動がえらいことになってるんですが、一切お気づきではない様子。
「今後は私、浦木くんがお困りの際は陰からいろいろとがんばるので。どうぞよろしくお願いしますねっ!」
え、この据え膳まだつづくの?
困惑と混乱がつづく俺は言葉が出てこなくて、そうこうしている間にもやるべきことはやった、という顔の彼女は離れていく。
「浦木くんが生きている。それだけでこの世界って、こんなにもすばらしいんですね」
命と世界への賛歌をうたいながら、彼女はぺこりと一礼すると俺の前から去っていった。
この場へ差しこんでいた夕焼けの光が、徐々に校舎に断たれて消えていく。
薄暗くなってきた体育館裏に残って、俺はしばらくそのままだった。
入学して間もなく。
四月十日の月曜日。
高校一年にして人生初の告白(受ける側)タイムは、いつの間にやら終わっていた。
「……あのー。名前すら、聞いてないんだけどー……」
言いつつ振り返っても、可愛い可愛いあの変人は当然、いなかった。