15.天の頂き
もしもの、話。
もしも運命が違えば、二人は本当に友となれていたのだろうか。
互いに笑みを交わし、他愛もない日常を過ごし、そして日々を生きることが出来たのだろうか。
例えそれが、意味の無い考えだとしても。
有り得もしない夢だとしても。
この思いは確かに本物で。
――――真実だった。
※※※※※※※※※
その時、果たして何が起きたのか。
理解出来たのは本人達を除いて誰一人として居なかっただろう。
「目覚めろ――――『あなたの隣に立つ者』」
望の呟きが、内なる『奇跡』を覚醒させる。
だがそれは『繋がる手、離れる絆』ではない。そもそも『繋がる手、離れる絆』は望の『奇跡』ではないからだ。望の有する真の『奇跡』。それこそが『あなたの隣に立つ者』。
「私は望む――――」
高らかに響く望の声。その全身は眩い光に包まれ、周囲の誰もが驚きと共に目を背けた。直視出来ぬほどの光は寒気がするほど神々しい。
「尊き天の御使いよ――――」
一言を紡ぐ度に望という存在が解けていく。望という形は失われ、新たな形となる為に。
それは望の死と同義でもあった。新たな形を得た時、そこに望は居ない。新しく紡がれたナニカが、そこには居るのだろう。
「その無垢なる翼で私を包み――――」
望が失われるに連れ、身を包む光も更に輝きを増す。
さながら地上に生まれた太陽。輝かしき天の代行者が、今ここに降臨する。
「どうか無限の愛を以て永遠なる祝福を――――」
最後の一句が、紡がれた。
望が消え去る刹那――――少女は喜びと悲しみが入り混じった表情を浮かべ、
「ごめんなさい」
末期の一言は、果たして誰に向けたものか。
唯一それを知る少女は涙と共に死を迎えた。最期に残った望の形――――魂が光に消える。
そして――――邪悪が残された。
「嗚呼――――遂に私の悲願が叶う。遂に私は天をこの手にすることが出来る!」
光の中から響く狂気の哄笑。
声音は望と全く同じながらも、明らかに雰囲気の違う何者かの存在に、ベアトリーチェは敏感に反応した。悪意という感情を、その笑い声から感じた故に。
「『隻腕』!」
嫌な予感がする。
単純明快な本能に従い、ベアトリーチェは魔術を放った。
大地が隆起し、大木の如き巨腕が姿を現す。『牢獄』に匹敵する硬度を有する拳の一振りが、光の中の何者かに向けられた。
「詰まらない攻撃ねぇ。『あなたの隣に立つ者』、破壊しなさい」
返事は無い。
しかし彼女は応えた。
光が弾ける。
輝きの中から姿を現したのは望――――否、『あなたの隣に立つ者』。だがその表情は能面の如き無表情。元々虚ろだった黒瞳は輝きを失い、ガラス玉のよう。一切の感情がそこからは感じられない。
「何者なの、貴女は」
「――――」
ベアトリーチェの問いに返されたのは、小さい掌。
掌は『隻腕』に向けられ、ただ一言。『あなたの隣に立つ者』の唇から言葉が紡がれる。
『■■■』
それは、世界の如何なる言語とも違った言葉だった。
異界の言葉。人間には決して理解出来ぬ天上の旋律。清らかな響きが世界に満たされ、意味を持つ。
蕾が花開くかのように、『あなたの隣に立つ者』の背に翼が広がった。
それが『奇跡』で形作られた物ではないと、その場に居る誰もが直ぐに気が付いた。両翼を広げた『あなたの隣に立つ者』から放たれる圧力が、明らかに『奇跡』の次元を越えていたからだ。
格が違う。立っている位階が違う。単純な強弱で推し量れる領域を既に超越していた。
『■■■』
異界言語。超越存在の宣告が、世界に意味を刻み付ける。
如何にベアトリーチェの構築した魔術とて防ぐ術は無い。
「なっ!?」
霧散する。
魔術の中でも攻防に優れた『隻腕』が、何も出来ずに。
『あなたの隣に立つ者』は触れてすらいない。ただ言葉を紡ぎ、意味を刻み込んだだけ。それだけで魔術が破壊された。
「嘘……」
ベアトリーチェも、こうも簡単に魔術を破壊されるとは思ってもみなかった。長い人生の中でも、ここまで圧倒的な敵とは相対したことがない。
「なら物量で! 来なさい『海原』!」
術式が光を放ち、地上を飲み込む灼熱の海を顕現させる。その質量は余りにも膨大。望の宣告とて消滅させることは不可能だ。
『■■■』
そう。ここに居るのが、『あなたの隣に立つ者』でなければ。
灼熱の波が、不可視の壁に阻まれる。
それはネロの『拒絶する光の聖域』に似ていた。だが『あなたの隣に立つ者』の拒絶ではなく遮断。ありとあらゆる干渉を無効化する絶対神聖領域。
「っ! 秋、手を貸して! アレは今直ぐにでも消滅させるべきよ!」
『海原』も『隻腕』も無効化された。にも関わらず敵の手の内は未だに謎。得体が知れないどころではない。明らかに異常な存在。今、ここで仕留めなければ後で何が起きるか想像も付かない。
「ああ分かってる。俺も魔術を――――」
「――――無駄なことをするものねぇ。『あなたの隣に立つ者』には絶対に勝てないというのに」
秋の言葉を遮り、嘲りの感情を隠さず、少女は嗤った。
邪悪な哄笑。これまで戦ってきたどの奇跡所有者とも違うと、秋は直感した。彼等とはまるで悪意が違う。
「誰ッ!」
「あら、私の顔を見忘れたのかしら? さっきまで見ていたと思うけれど?」
『あなたの隣に立つ者』の後方。翼で隠されていた背後から、彼女は姿を現した。
「な――――」
「もう、一人……?」
姿を現した少女もまた、望と瓜二つ。
だが浮かべる表情は余りにも邪悪。人を小馬鹿にし、嘲笑い、見下したものだ。
「どういうこと……最初から二人だっ……た?」
「馬鹿ねぇ。本当に馬鹿。私は、一人しか居なかった。最初からね。単に中身が代わっただけ。長生きしてるのにそんなことも気が付かないのかしら?」
「中身が代わった、だと? そういう『奇跡』ということか?」
「惜しいわね。でもまだまだ正解には遠い。ま、教えるつもりなんて無いけどねぇ。アハハハハハハハハ!」
手を叩き、嗤う。
嗤う。嗤う。嗤う。
そこには悪意だけが存在した。それ以外、彼女には無いかのように。
「あーーーー嗤ったわ。こんなに嗤うなんて久々。お腹痛くなってきちゃった」
一人で話し続ける少女を無視し、秋とベアトリーチェは視線を交わす。目の前の少女が何者か。それも気になる所ではあるが、『あなたの隣に立つ者』が沈黙し、少女も油断している今は攻める絶好の機会。刹那の交錯で互いの意思を確認し、秋とベアトリーチェは静かに魔術を構築する。
「さて、と。時間も惜しいし、さっさと片付けましょうか。私の最終目標に一歩前進とはいえ、目指す先はまだ遥か先。貴方達みたいなゴミにかかずらっている暇は無い」
少女の視線が殺意を帯びる。疾く死ね、と。
「殺しなさい『あなたの隣に立つ者』。生かす必要は無いわ」
『あなたの隣に立つ者』は応えない。
されども雄弁に言葉は紡がれる。
『■■■』
宣言と同時に虚空から出現する真白の大剣。『あなたの隣に立つ者』は身の丈を遥かに超えたそれを片手で軽々と持ち上げ、縦に振り抜く。
「リーチェ!」
「分かってる!」
秋の声より先に体が動いた。
ありったけの魔力を術式に込め、魔術を展開する。
「余り舐めるなよ小娘。私の――――私達の魔術を! 見せてあげるわ。拒絶でも遮断でもない守りの形を! 『水月』!」
『拒絶する光の聖域』は、外部の事象を拒絶することで絶対の防御を成している。
絶対神聖領域は、外部の事象を遮断することで絶対の防御を成している。
では、ベアトリーチェの『水鏡』は如何にして絶対の防御を成すのか。
答えは単純。
「水に映る月。即ち複製」
振り下ろされた大剣の前に巨大な鏡が出現する。
その鏡面に映る大剣が、まるで水面に拡がる波紋のように揺れた。
「相殺」
巨大な鏡――――『水月』が砕け散り、飛沫が『あなたの隣に立つ者』の持つ大剣と全く同一の物を形作った。
刃と刃が衝突し、鈍い音を響かせる。『あなたの隣に立つ者』は何度も大剣を振るうが、模造の大剣も全く同じ軌跡を描いて相殺する。
これこそベアトリーチェの絶対防御。
彼女が目指したのは複製による相殺だ。外部の事象と全くの同質の事象を衝突させることで両者を相殺。攻撃を無力化し、絶対の防御を成している。
そして生まれたこの隙を逃すほど秋も愚かではない。
「全力だ」
秋がベアトリーチェに勝る唯一。即ち強大な魔力出力。それを活かした秋固有の技である魔力の増幅砲撃。
膨大な魔力を一気に増幅術式へ流し込み、魔力を増幅。それを更に増幅するを繰り返し、破壊力の一点に特化した魔力の砲撃を可能とする。
かつてアリオスを消し飛ばした一撃だ。
その威力は、ベアトリーチェの『神槍』すら凌駕する。
「消し飛べッ!」
七連。
増幅に増幅を重ねた魔力の奔流が吹き荒れた。
世界を引き裂く紫の一閃。射線に存在した全てを消し飛ばし、『あなたの隣に立つ者』へと迫る。
だが――――
『■■■』
大剣が消失し、不可侵の領域が展開された。間を置かずして砲撃が衝突。紫の燐光が吹雪のように吹き荒れ、衝突の衝撃で大気が震える。
「無駄なのよ。私の天使は、絶対に越えられない! 絶対神聖領域――――ありとあらゆる干渉を遮断する!」
『あなたの隣に立つ者』の翼が純白の輝きを迸らせる。鮮烈な輝きに呼応し、絶対神聖領域は周囲の全てを遮断していく。
そして辿り着く――――世界の遮断へと。
『■■■■■』
『あなたの隣に立つ者』という存在が、世界を遮断する。
誰も届かぬ地平。虚無と漆黒に染められた空間には流石の砲撃も届かない。紫光の魔弾は闇に溶けた。しかし『あなたの隣に立つ者』は止まらない。
『■■■』
魔弾を飲み込んだ闇が溢れた。
溢れ出した闇は怒涛の勢いで秋へと迫る。
「ッ!」
回避しようにも魔力と体力を消耗し過ぎた。秋は糸の切れた人形のように地に崩れ、そのまま闇に飲まれる。
「秋――――ッ!」
「アハハハハハハハハハハハ! だから言ったのよ無駄だって! 『あなたの隣に立つ者』には誰も勝てない! 誰も届かない! さあ残るは貴女よベアトリーチェ。でも詰まらない魔術は願い下げ。究極の魔術と呼ばれる『七大姫』でも見せてみなさいよッ!」
「巫山戯るなッ! アレは禁忌の魔術! 絶対に使うもんですか!」
「ならお前も消えろ。騒々しいだけのゴミが」
『■■■』
一面の闇。
逃れる場所など、何処にも無い。
「許さないわよ――――お前だけは」
憎悪と憤怒を溢れさせ、ベアトリーチェも闇に飲まれる。
そして後に残されたのは――――
「さて、と」
「っ!」
少女の濁った眼が大介へと向けられた。
大介は恐怖で全身を震わせ、しかし拳を構える。
「震えているじゃない。無理はしない方がいいわ。どうせ直ぐ楽になる。だから耳を傾けて。私の言葉に」
ニコリと、少女は柔らかく微笑む。
彼女の真の性格を知らない者が見れば、これが少女の性格だと思うだろう。だが大介は先の戦いも全て目にした。今更少女の笑みには騙されない。
「俺だけ残して何のつもりだッ!」
「それだけ貴方が大切だからよ。貴方にはそれだけの価値がある」
「価値……?」
「私の『あなたの隣に立つ者』は至高の存在。どんな奇跡所有者でも、コレには勝てない。だからこそ、器が耐えられない。受け入れた存在の強大さに負けてしまう。だから貴方の『奇跡』が必要なの」
「……『竜の腕』を奪うつもりか」
「そうよ。どうせ貴方が持っていても役に立たない。なら少しでも有効活用出来る私が持っていた方がいいでしょう?」
望と同じ型で、レイピアを構える少女。相貌は瓜二つでありながら、その性格は全くの真逆だ。彼女はさしずめ悪意の塊。自分意外の全てを等しく見下し、嘲笑う邪悪な怪物だろう。
「お前は……何なんだ」
「そんなに気になるかしら? そうねぇ……貴方になら教えてあげてもいいわ。ただし――――」
少女の姿が掻き消える。
次の瞬間、彼女は大介の目の前へと迫っていた。
「貴方の『奇跡』を、私にくれたらね」
一筋の流星。或いは闇を切り裂く銀の一閃か。
回避を許さない刹那の突きが超至近距離で放たれる。咄嗟に『竜の腕』で防ごうとするが、二人の距離は余りに近過ぎた。防御よりも先にレイピアが大介の右肩を抉る。
「ぐっ!」
「良い反応ね。さあ構えなさい。もっと私が遊んであげるわ!」
『あなたの隣に立つ者』を使うまでもない。少女はそう言うかのように、嬉々として自ら剣を振るう。神速の歩法と突きを繰り広げる姿は、どう見ても望にしか見えなかった。
「ほらほら躱さないと傷ばかり増えていくわよ!」
敢えて手加減しているのは、戦闘経験の少ない大介にも分かった。彼女は大介を傷付けることを楽しんでいるのだと。
「クソッ!」
「そんな攻撃が当たるとでも?」
やぶれかぶれの攻撃も軽やかに回避され、返しの強烈な刺突が腹を突き破る。激痛に悲鳴を上げることも出来ず、大介は血を吐いた。その間も少女の攻めは止まらない。
腕、胴体、足。頭部を除いたありとあらゆる所にレイピアが突き刺された。戦いに慣れていない大介では少女の攻撃を防ぐことが出来ない。だが『竜の腕』のもたらす強靭な生命力が、大介に倒れることを良しとしなかった。
「素晴らしい生命力ね。ここまでやっても生きているなんて」
「――――」
果たして何度、刺突を受けただろうか。
果たして何度、血を流しただろうか。
いつしか大介も少女も全身を赤く染めていた。しかし大介は全て自分の血であるのに対し、少女のは返り血だ。未だ一撃たりとも大介の拳は少女に届いていない。
「さて、と。いい加減貴方を虐めるのも飽きてきたし――――終わらせましょうか」
少女が掌を突き出す。
その手が何を意味しているのか、大介には直ぐに理解出来た。
何故なら彼は、あの『奇跡』を知っているのだから。
「『繋がる手、離れる絆』」
『奇跡』の解放。
そして二人は繋がる。
「貴方の『奇跡』、私に頂戴?」
傷だらけの大介に回避は出来ない。
ただ迫り来る手を受け入れ、
「ま、貴方は死ぬでしょうけど」
そして二人は離れた。
『奇跡』の喪失に痛みは伴わない。
だが『奇跡』は所有者の命と繋がっている。
故に『奇跡』が失われた時、人は死ぬ。
「――――」
大介は自分の腕を見た。
もうそこに、『竜の腕』は無い。
「アハッ――アハハハハハハハハハハハハハハハハ! 遂に! 遂に手に入れた! この『奇跡』さえあれば、私の天使は永遠となれる!」
歓喜の声を上げ、少女は奪い取った『竜の腕』を『あなたの隣に立つ者』へと与える。黒い鱗の形をした『竜の腕』が『あなたの隣に立つ者』へと吸い込まれた。
「見せなさい」
『あなたの隣に立つ者』が腕を突き出す。
白く細い腕が、瞬く間に鱗に覆われた。その色は大介が使っていた時とは異なる深い夜の闇のように光無き黒。
「素晴らしい――――」
震える手を伸ばし、少女は『あなたの隣に立つ者』の腕に触れる。硬質な鱗の感触に満足そうに頷き、新たな来訪者へと視線を向けた。
「随分と遅かったじゃない。――――瑞希」
視線の先に居るのは、巫瑞希。
彼女は目を見開き、惨劇の現場を見詰めた。
そして直ぐに、ここで何が起きたのかを悟る
絶望と、憤怒。そして嘆きと悲しみ。
様々な感情が入り混じった表情を浮かべ、瑞希は絶叫す。
「望ィィィィィィィィィィィィィィッ!」
悲痛な叫びが心地良い。
絶望に染まった表情など思わず絶頂してしまいそうになる。
嗚呼――――今、自分は最高に最低な笑みを浮かべているのだろう。
少女――――セラは、嗤った。




