06.残された騎士
巫瑞希は、奇跡所有者だ。
人の理解を越えた異能である『奇跡』をその身に宿し、醜悪な世界を生きている。彼女が『奇跡』を手にしてからまだ二年ほどしか経っていないが、味わった絶望は人生一回分以上。お釣りが貰えるレベルだろう。その辺を歩く誰かさんの百倍は血生臭い経験もしている。
だが同時に瑞希は学生でもあった。
絶望と死に彩られた『奇跡』の世界だけでなく、平和で平凡な日常もまた瑞希の居る世界。他の奇跡所有者はどうか知らないが、瑞希は日常を愛している。学生としての生活は、瑞希にとって掛け替えのない日々だった。
学生と奇跡所有者。極端とも言える二つの世界を瑞希は上手く分けている。交わることなく、それぞれの巫瑞希として両方を生きている。――――生きていた。
前橋大介。瑞希のクラスメート。学生である瑞希にとって、大介はその程度の存在だった。昨夜、異形に襲われる彼を助けるまでは。
偶然か、或いは必然か。彼は奇跡所有者だった。そして彼は『奇跡』の世界に足を踏み入れた。幸福からは遥かに程遠い世界に。
これで、彼も瑞希と同じだ。二つの世界を生きている。
奇跡所有者としての巫瑞希。
学生としての巫瑞希。
では、どちらも知っている彼と話す時の巫瑞希は、果たして何者なのか。奇跡所有者か、学生か。それとも――――そのどちらでもない瑞希なのかもしれない。
…………もしくは、その時の瑞希こそ本物なのだろうか。
巫瑞希という一人の少女。奇跡所有者でも学生でもない、何ら肩書を持たない単なる一個人。いつしか当たり前となっていた瑞希は、そこには居ない。居るのはどこにでも居る女の子だけ。
(……夢幻だね。私は、きっと上手く私を使い分けるに決まってる。本当の私なんて居ない)
奇跡所有者であり、学生でもある。
それでいい。巫瑞希という少女はそう定められている。
今更、夢など見る気にはなれない。
(私は、私。それだけ)
パチンと頬を叩き、瑞希はくだらない夢を捨てる。
そも、こんなことを考えている場合ではなかった。大介に用が有り、授業が終わると同時に教室を出ていった彼を探していたのだ。それがどうして何故か夢の話になっていた。
(ちゃんと探さないと駄目だね)
意識をはっきりと外に向け、大介を探す。教室からそう離れてはいないだろうという瑞希の予想は当たった。ここから直ぐの所に感じる『奇跡』の存在。そこに行けば彼が居るだろう。
「ん? 学校なのに『奇跡』の存在感?」
『奇跡』には独特の気配があり、同じく『奇跡』を宿す奇跡所有者ならば感知することが出来る。だがそれは『奇跡』を発現している時だけだ。通常時では感じられない。
つまり今、『奇跡』の気配を感じるということは大介が『奇跡』を発現させている、ということ。そしてここは学校だ。人目も多く、無闇に『奇跡』を発現させる理由は無い。
となれば自ずと答えは見えてくる。大介が、『奇跡』を発現せねばならない状況にあるということが。
(もしかして!)
異形の襲撃か。そう思い瑞希は駆け出そうとし、更にもう一つの『奇跡』を感じ取った。力強く確固たる存在を感じさせる『奇跡』の気配を、瑞希は知っている。
(どうして彼女が?)
彼女と大介の接点は無い。一応大介の存在こそ知らせてはあるが、彼女が自ら接点を持ちに行くとは予想外だった。
(でも彼女の所属を考えると会いに行くのも当然……かな。彼の存在……というか新しい奇跡所有者のことは気になるだろうし)
踏み出そうとしていた一歩を踏み留め、瑞希は普通に歩いて大介達の下へ向かう。彼女は少し独特な性格をしているが、流石に何も無いだろう。そう思ったが故のゆっくりとした歩み。
だからこそ、実際に到着して一触即発とでも言うべき二人を見て瑞希は笑顔を凍り付かせた。何が、どうなればこんな状況になるのか。
「巫! 丁度良い所に来た! 手を貸してくれ。こいつを捕まえる!」
『奇跡』を発現させ、灰色の少女を睨め付ける大介。当の少女は無言。口を閉ざし、事の動きを見守っている。
「え、どうして? なんでこうなるの?」
少女の登場だけでも予想外。ましてやこんなことになっていると誰が想像出来ると言うのか。瑞希ば思ったことをありのまま言葉にする。
「なんでこうなるって……そりゃこいつが攻撃してきたから」
「攻撃!? どういうことなの望!」
「望?」
突然出てきた名前に今度は大介が困惑する番だった。
名を呼ばれた少女――――望は視線を瑞希に向け、一言。
「色々」
※※※※※※※※※
「『騎士団』……ね」
「うん。無秩序とも言えるこの世界で唯一の秩序であり、最も所有者達から嫌悪されている組織……それが『騎士団』なの。簡単に言えば私達側の警察ってところね」
「で、それが」
「この人」
二人の視線に気が付き、少女――――望がベンチから立ち上がる。
「私は青木望。『騎士団』の騎士」
心なしか暗い表情で望は名乗った。
どうやら瑞希に怒られたことが相当に堪えたらしい。
「反省した?」
「した」
こくこくと頷く望。必死に頭を振る様子は可愛らしいが、とても猛者の集まりである『騎士団』の一員には見えない。
「……私が『騎士団』には見えないって顔してる」
「え、いやそんなことは……」
「なら証明してあげる」
望は手頃な木の枝を拾い、構える。
「――――ッ!」
一筋の流星が、空を駆けた。神速で放たれた突きは、丁度大介の眼前数センチの所で停止する。望の突きが起こした風だろう。ふわりと、大介の髪が揺れた。
「ッ――――」
「どう? 証明になった?」
望は少しだけ表情を緩ませる。だが大介に言葉を返す余裕は無かった。
彼女の突きは、明らかに常軌を逸していた。到底人間がやってみせたとは思えぬ神業。先の戦いでもしも彼女がこれを使っていれば、絶対に大介は勝てなかっただろう。
「……ああ。文句なしに凄かった。悪いけど俺にはそれしか言えない。『騎士団』の証明と言われてもイマイチ意味が分からないし」
「え」
マジで?みたいな表情を浮かべる望。
その頭部に瑞希のチョップが落ちる。
「全く何してるの」
「あうっ」
「彼は『奇跡』について知ったばかり。『騎士団』も今説明したのに分かる訳ないでしょ?」
「……確かに」
納得する望。瑞希は大きく溜め息をつく。
「ごめんね前橋くん。『騎士団』は騎士という名が示す通り、団員全員が剣士なの。だから剣の技を披露することで『騎士団』ってことを証明出来ると思ったみたい。そんなことをせずとも望が『騎士団』ってことは分かっているのに」
「なんで分かるんだ? やっぱり今の剣技で?」
「違うよ。ただ目撃しただけ。望の相方が異形に殺される瞬間を」
『騎士団』は基本的二人一組で行動する。望も例外ではなく、この街にきた時は相方を連れていた。しかし、運が悪かった。
街に着いて早々に望達が出会ったのは異形。それも特に強力な個体だった。奮戦虚しく相方は殺され、望も瑞希に出会わなければ殺されていただろう。
「運が良かった。瑞希が居なければ今頃私は死体」
あっけらかんと言う望。まるで悲しみを感じさせない姿は、親しい者の死に慣れているからだろうか。彼女もまた、『奇跡』によって壊れてしまった一人なのだろう。
とはいえ今はそれよりも訊きたいことが大介には有った。
目の前の少女が『騎士団』の一員である、ということは理解した。では何故、
「前橋くんを襲ったのか」
「……巫」
「訊きたいんでしょ?」
「よく分かったな。まだ声も上げていなかったのに」
「そんな顔してた」
楽しそうに笑う瑞希に釣られ、大介を笑みを浮かべる。唯一望だけが無表情に二人の姿を見詰めていた。
「で、どういうことなの望。ちゃんと説明して」
「……瑞希が悪い」
「え?」
「瑞希は私のことを彼に説明しておくと言ってた。だから知っているとばかり思って来てみれば最初から警戒マックス。あまつさえ『奇跡』を向けてくる。だから、お仕置き」
「いや待て。その理屈でも俺が襲われた理由にはならなくないか。普通お仕置きするなら巫の方だろ!」
「私に『奇跡』を向けた罪は重い……」
「理不尽過ぎる!」
まさかそんなくだらない理由で片手を奪われるとは。大介はギロリとそもそもの原因を睨め付ける。が、原因はいつの間にか逃げ去っていた。どんどんと遠ざかる背中が見える。
「逃げるな!」
「そもそも昼休みになって直ぐに居なくなる君が悪いの! 私は悪くない!」
「なら逃げるな!」
「嫌!」
走り去る二人を望は微笑を浮かべて見詰める。
二人はまだ出会って一日。元々クラスメイトだったとはいえ昨日までは接点など何一つとしてなかった間柄。どちらにとっても単なるクラスメートでしかなかった。
その二人が僅か一日で仲が深まっている。明らかに異常な早さだ。奇跡所有者であれば尚のこと。いつ殺しに来るか分からぬ相手に気は許せない。
二人にはそれが無かった。まるで昔から仲の良かった友達のように笑い合っている。
それが、いつか、崩れる関係だとしても。
「…………」
大介に告げた言葉は全て真実。
彼と繋がった時、望は彼の中に宿る存在に気が付いた。
このままでは確実に大介は死に、竜が目覚める。
「……どうするんだろうね彼女は」
※※※※※※※※※
後悔した。
後悔して、後悔して、後悔して後悔して後悔して後悔して後悔して後悔して後悔して後悔して後悔して後悔して後悔して後悔して後悔して後悔して後悔して後悔して――――
それでも、止まれぬ自分を嫌悪する。
幸福な日々は過ぎ去った。
狂気と絶望だけが、延々と続いている。
それでも彼女は愛した。
愛することを、止めることは出来なかった。
傷付く日々を繰り返し、後悔に嘔吐し、涙を流そうとも。
それでも、彼女は、愛していた。
人はそれを狂気と呼ぶ。
狂っていると、誰もが口を揃えて言うだろう。
狂っていると、誰もが指を指して言うだろう。
然り。確かに彼女は狂っている。
しかし捧げられる思いは尊く、美しく、
――――これを、愛と呼ぶのだろう。




