05.死より恐ろしき結末
求めて。
求めて、求めて、求めて求めて求めて求めて求めて求めて求めて求めて求めて求めて求めて求めて求めて求めて求めて求めて求めて求めて求めて――――
未だ、天には届かず。
あの日見た輝きには遠く及ばず。
「違う」
故に試行錯誤する。故に繰り返す。
延々と廻り続ける輪廻の如く作り、壊し、試し、作り、壊し、試し――――終わらぬ日々をただ只管に繰り返し続ける。
人はそれを狂気と呼ぶ。
狂っていると、誰もが口を揃えて言うだろう。
狂っていると、誰もが指を指して言うだろう。
然り。確かに彼女は狂っている。
しかし目的を違えたことは一度足りとも無い。
彼女はただ、自らの人生の答えに向かって進み続けているだけのこと。
それは、夢と形容することも出来るだろう。
だが夢と呼ぶには余りにも醜悪で、
「見付けた」
人の道を外れ過ぎていた。
※※※※※※※※※
「……『奇跡』か」
澄み切った青空を見上げ、大介は心中を吐き出す。
たった一言だけではあったが、そこには色々な感情が込められていた。
一番大きいのは後悔だ。『奇跡』という存在は、大介が思った以上に醜悪過ぎた。血生臭いとも言えるだろう。当然のように人が死に、誰かが傷付く。今、こうしている間にも。
次は自分かもしれない。そう思うと、どうしようもなく恐ろしい。詳しく知ってしまった今だからこそ、恐怖はより強い。まだ、何も知らずに殺されていた方が幸せだったかもしれない。
そしてもう一つ、後悔に並ぶほど大きい感情が存在していた。
それが何なのか、実のところ大介自身にも分かっていなかった。
ただ何が原因なのかは分かる。
巫瑞希の悲壮な決意。死をも厭わぬ精神。――――常と変わらぬ笑顔。
彼女は一つの結末だ。『奇跡』という存在に歪められた哀れな少女。
死が日常的な奇跡所有者としては、あの姿が当たり前なのだろう。死を受け入れた――――否、死に諦めた姿こそ。
「ふざけんなよ」
その姿を真正面から大介は否定する。
死とは一度限りの事象だ。不可逆の理であり、訪れた死を覆すことは出来ない。しかし、だからこそ人は生に足掻くのだ。生きようと必死になるのだ。
瑞希の姿からは、それが感じられなかった。もたらされる死を粛々と受け入れ、生きる為に本気で足掻こうとしてない。果たして如何なる絶望を味わえば、あそこまで壊れてしまえるのか。
「俺は死ぬ気なんかない」
死ねば終わり。先は無い。
大介はどうしようもなく普通の人間だ。『奇跡』を手に入れたとしても変わらない。そう簡単に死を身近に受け入れることなど出来ない。
だから、苛立つ。まるで正反対の位置に居る少女のことが気に食わない。
「……馬鹿女」
胸中の感情が何か、今分かった。
大介はずっと苛立っていたのだ。死を嗤った少女に対して。
「――――それは、誰のこと」
「ッ!」
突然かけられた声に、大介は飛び跳ねるように起き上がる。視界が青空から見慣れた学校へと切り替わり、同時に一人の少女が目の前に居ることに気が付いた。
「――――」
儚げな少女だった。小柄で細く華奢な体に虚ろな黒瞳。色素の薄い黒髪は半ば灰色と化し、短く肩口で切り揃えられている。存在感そのものが希薄で、しっかりと姿を見ていなければ今にも消えてしまいそうだ。
「ッ!」
寝転がっていたベンチから立ち上がり、直ぐさま『奇跡』を呼び出す。言葉にせずとも『竜の腕』が大介に告げていた。
目の前の少女は、『奇跡』を持っていると。
「お前は、何者だ」
「……それが『竜の腕』」
「何?」
「少し見させてもらう」
少女がゆらりと左手を大介に向ける。何か仕掛ける気かと大介は身構え、直ぐに自分の判断が誤りだったことに気が付いた。
「『繋がる手、離れる絆』」
少女の手と、大介の手が繋がる。
まるで引き合う磁石のように二人は結び付き、絡み合う蔦のように融合した。
「な――――!」
「――――離れろ」
言葉に『奇跡』が力を与える。
さながら拒絶。異質な存在を排除するかの如く大介の手が少女から、今度は反発する磁石のように突き放され、千切れる。
「――――――――!」
血管と肉がブチブチと音を立てて千切れ、皮も腕の皮膚を毟り取るようにして離れる。これまで感じたことのない激痛に大介は声にならぬ悲鳴を上げた。
「こんなもの、か」
血を流し苦しむ大介を見て少女は満足そうに笑う。だが手を持っていかれた大介としては当然笑ってなどいられない。明らかな敵意が込められた目を少女へ向けた。
「お前……よくもやってくれたな!」
地を踏み砕き、少女へ飛び掛かる。『奇跡』を得たことによる身体能力の向上、そして『竜の腕』による強化によって大介の疾駆は熟練の戦士と同等の速度と化していた。
明らかに少女には反応出来ない速度。大介はいとも簡単に少女の懐へと入り込み、一切の躊躇なく『竜の腕』を振り抜く。
「……『繋がる手、離れる絆』」
だがそれ以上に、少女の『奇跡』は速い。
差し出された小さな手が大介の胸に触れ、沈むようにして体の中へ。皮、肉、血管、骨、全てを突き抜け、彼女はそれを掴んだ。
「動かないで」
「ッ……」
握られたのは心臓。
鼓動を続けるそれを、少女は優しく手に包む。
彼女がその気なら今直ぐにでも心臓を握り潰すことが出来る。そうしないのは、あくまでも少女の目的が大介の殺害ではない為。だが少しでも大介が攻撃を仕掛ければ、少女は一切容赦しない。
文字通り大介の命は少女の掌の上だ。従う以外、彼に選択肢は無かった。
心臓を握られている恐怖からか、青ざめた表情で大介は『竜の腕』を解除する。腕が元に戻ったことを確認してから、少女も『奇跡』を解除した。
手が体から離れ、心臓が解放される。
「…………ッ」
荒く呼吸を繰り返す。
心臓を握られる経験など、当然ながら産まれて初めてのこと。感じた不快感は筆舌にし難く、込み上げてくる吐き気を堪えるのが精一杯で千切られた手の痛みなど気にもならない。
しかもそれだけではない。はっきりと感じた死の感覚。それも昨夜のように唐突に襲来したものではなく、戦いの中で感じた死は大介が思っていた以上に恐ろしい。
死という終わりが、当たり前のように存在していた。
今、目の前に居る少女が本気で大介を殺しに来ていれば、まず間違いなく死んでいた。何も出来ず、心臓を握り潰されていたに違いない。
(瑞希は、こんな世界に居ながら笑っていたのかよ……!)
少女の立っていた世界の異常さを、今更ながら理解する。
大介の認識は余りにも甘すぎた。『奇跡』という異能がもたらす絶望は、まさしく容赦が無い。瑞希の言葉通り、死など日常茶飯事なのだろう。
「大丈夫?」
「……これが大丈夫そうに見えるのか?」
大介の顔色は悪く、普通の状態でないことは明らかだ。にも関わらず少女は平然と問い掛ける。まるで、大介の顔色が見えていないかのように。
「……一応大丈夫だ。お前に取られた手以外はな」
未だに血を流し続ける手首を少女に突き付ける。痛みは多少引いたが、それでもかなりの激痛だ。目の前に少女が居なければ地面を転げ回っていただろう。
「貴方なら勝手に治る。その程度、傷の内にも入らない」
「治る? この傷が?」
「うん」
そんな馬鹿な、と言おうとし、大介はふと右腕に目を向けた。それは何となく、程度のこと。大した意味は無い行動の――――筈だった。
「ッ! 『竜の腕』!?」
大介は『奇跡』を呼んでいない。だが確かに『竜の腕』は顕現していた。黒爪黒鱗の腕は、見間違えようがない。
「どうして勝手に『奇跡』が……」
『奇跡』は所有者に呼ばれない限り基本的に姿を見せることはない。あくまでも『奇跡』とは外付けの機能。生き物ではないからだ。中には例外も存在するが、『竜の腕』は違う。単なる機能であり、自ら顕現することはない。
不可解な『奇跡』の挙動。大介は疑問符を浮かべながらも『奇跡』をいつも通り消そうとし――――疑問の答えを目の当たりにした。
「――――これ、は」
「それが『竜の腕』の力。強大な竜の前には些細な傷は無いも同然。そんな掠り傷、直ぐに消えて無くなる」
燃え盛る熱が左手から湧き上がる。熱は盛り上がる肉へと変化し、瞬く間に手の形を構築していく。蠢く肉は悍ましく不気味だが、大介に嫌悪感は一切無かった。目の前の光景が、まるで当然だと言うかのようにすんなりと受け入れている。
「俺は……人間じゃなくなったのか……?」
絶望した表情を浮かべ、救いを求めるように問う。
その問いに答えたのは、大介を見詰める少女だった。
「うん」
「――――ッ!」
「『竜の腕』は数ある『奇跡』の中でも弱小と蔑まれる『奇跡』。何故なら竜の模倣でしかないから。けれども貴方の『竜の腕』は他とは違う。それには本物の竜が宿っている」
「竜……だと?」
「うん。貴方は『奇跡』を介して竜をその身に宿した。人間の脆弱な肉体では、竜の力には抗えない。――――いつの日か、貴方は竜となる」
――――『待ッテイル』。
聞こえる筈のない声が大介の鼓膜を震わせた。
外からではなく内から響く声。それが少女の言葉を裏付ける。――――大介の中には竜が居る、と。
「――――」
背筋が凍った。
『奇跡』の世界は醜悪だ。絶望に満ち、死が溢れている。悲劇など有り触れ、大した価値を持たない。
だがこの結末は、余りにも惨たらしい。
人としての形を失い、怪物と成り果てる結末を、どうして死よりも良いなどと言えようか。まだ人として死ねる方が余程良いだろう。
「…………この、腕が」
竜の宿る腕、『竜の腕』。
この『奇跡』が大介の命を救ったのは間違いない。竜の再生力が無ければ大介は昨夜に受けた傷は死んでいる。この場で手が元に戻ることもなかっただろう。
しかし、代償が重過ぎる。
人ではなくなることを、どうして許容出来ようか。
このまま竜に成り果てるくらいならいっそのこと――――
「腕を壊したい?」
驚きはしなかった。
少女であれば、きっとこう言うだろうと何となく大介には分かっていたからだ。
「壊せる……のか?」
「私なら可能。私の『奇跡』――――『繋がる手、離れる絆』なら貴方の『竜の腕』を切り離すことが出来る。そうすれば貴方は竜から解放される」
用意していた台本を読み上げるかのように綴られる言葉。
定められた結末を回避し、貴方は救われる――――少女の言葉は甘美な響きで大介を誘惑する。…………もしも大介が何も知らずに奇跡所有者になっていたならば、ここで彼は少女の言葉に同意していただろう。
「……悪いな。俺は、このままでいい」
暗い表情で、だがはっきりとした言葉で、大介は少女の誘いを断った。少女の無機質だった表情が、僅かにだが驚愕に変化する。
「…………それは、どうして?」
少女の疑問は当然だ。これまで普通の人生を歩んできた大介にとって、『奇跡』のもたらす結末は到底許容出来るものではない。ましてや巻き込まれるようにして『奇跡』の世界に足を踏み入れた彼からすれば、『奇跡』という異物を消すことが出来るのであれば、それに越したことはない筈だった。
「お前の言葉は甘過ぎる。まるで俺の為に用意したみたいにな」
『奇跡』を手にした大介の前に現れた、『奇跡』を消し去ることが可能な奇跡所有者。それは、余りにも出来過ぎた話ではないのか。都合が良すぎる、とも言えるだろう。
それに、
「どこの誰かも分からないお前を信用する気は無い」
色々と疑問は有る。
だがそれ以上に、少女の存在こそが最も不審だった。
未だに名すら名乗らぬ少女に身を委ねるほど大介も愚かではない。
「…………」
大介の言葉に少女は沈黙。肯定も否定もせず、少女は静かに黙する。
「あ、居た」
二人の沈黙を破ったのは、この場には似合わぬ明るい声だった。




