04.『奇跡』の世界
関わるべきではなかった。
瑞希の話を聞き、真っ先に大介が思ったことがそれだ。単なる興味や生半可な覚悟で足を踏み入れるには、彼女の生きる世界は重く暗すぎる。まるで光すら飲み込むブラックホールのようだ。
(『奇跡』と呼ばれる力の存在……その力を持つ所有者達…………)
まるでファンタジー。これまで平穏な人生を歩んできた大介には到底信じられるような話ではない――――筈だった。
(俺は知っている。『奇跡』を。『奇跡』の生み出した異形を)
昨晩、大介を襲った人とも獣とも思えぬ異形のナニカ。
対峙した時の恐怖と威圧感。爪で引き裂かれた時の激痛。全て鮮明に覚えている。忘れることを許すまいと記憶に刻まれている。
あの異形こそ『奇跡』の存在証明。
異形の否定は即ち大介の感じた恐怖や激痛を否定するということ。
(アレは間違いなく本物だった。……夢なんかじゃない)
瑞希の話は全て真実。『奇跡』は存在し、『奇跡』を所有する者達が居る。
つまり昨晩の出来事――――異形の襲撃が意味することは単純明快。奇跡所有者が、人間を殺して回っている。
大介も被害者だった。幸運だったのは瑞希という奇跡所有者が、偶然にも大介が襲撃に遭った時に近くに居たということ。そして大介自身が奇跡所有者だったということ。
「貴方の『奇跡』は昨日発現した。私がこの目で確認したから間違いない。…………もう貴方は、貴方の思うがままに力を扱うことが出来る筈」
「俺が……『奇跡』を……?」
「うん。呼んでみて。きっと『奇跡』は応えてくれる」
「呼ぶって言われても……」
「何でもいいよ。来いとか出ろとか、とにかく『奇跡』を呼ぶことが大切だから」
「そうなのか? なら……」
少し気恥ずかしく思いながらも、大介は右腕を前に突き出し、瑞希に言われるがまま『奇跡』を呼ぶ。自身の奥に眠る『奇跡』へと、声が届くことを祈りながら。
「来い!」
大介の呼び声に『奇跡』が応える。
無形の竜は咆哮し、表層へと飛び立った。
それに呼応し、右腕が人の形を失くしていく。
まるで蛇のような鱗が次々と皮膚に生え、短かった爪は太く巨大な黒爪へ。腕そのものが燃え盛る炎の如き高熱の塊と化し、大介の脳に『奇跡』の情報が流れ込む。
――――『竜の腕』と。
「これが……俺の『奇跡』……」
「第四階梯『竜の腕』。階梯については覚えてる?」
「……ああ」
『奇跡』の希少度を示す指標が階梯だ。
階梯は全部で五段階。第零から第四まで存在し、数字が小さくなるほど数が少なく希少な『奇跡』となる。例外は第零であり、第零は唯一無二の『奇跡』……つまり世界に二つとない『奇跡』にのみ定められる。
「貴方の『奇跡』の階梯は第四階梯。最も数が多い分、『奇跡』についての情報も多い。『竜の腕』の能力は所有者の身体能力と自己治癒力の向上。そして竜の腕」
大介は変貌した右腕に視線を向ける。黒い鱗に覆われた歪な腕は、明らかに人のそれではない。脳に流れ込んできた知識や瑞希の言う通り、これは本物の竜の腕なのだろう。
「竜は古来から最強と称される怪物。例え腕だけでも竜の力は絶大なの。ただ無闇に使うものじゃないから、その辺は忘れないで」
「分かった。それで……これどうやって消すんだ?」
「あ、ごめん。消えろって思えば消えるよ」
「随分と簡単なんだな」
苦笑を浮かべつつ、心の中で『奇跡』に命じる。
――――消えろ。
そう思ったのとほぼ同時に腕が元に戻る。大介は何度か手の感覚を確かめるように掌の開閉を繰り返し、不思議そうに腕を見た。
「あれが『奇跡』……何か変な感覚だ」
「肉体そのものを変化させるタイプの『奇跡』は感覚が独特だから仕方ないよ。私の『奇跡』みたいなタイプだと違和感はあんまり無いんだけど」
「巫の『奇跡』はどんな『奇跡』なんだ?」
何となく興味が湧き、大介は問い掛ける。だが瑞希は頭を振った。
「見せてもいいけど今は私の『奇跡』より重要な『奇跡』があるでしょ?」
「重要な『奇跡』……? でも俺の知ってる『奇跡』は自分の『奇跡』と巫の『奇跡』。後は……」
「忘れたの? 貴方を襲った奴が持っている『奇跡』。それが何か分からないと私達は負ける」
はっきりと、少女は敗北を口にした。
「……嘘だろ? だって巫は昨日……」
「アレが『奇跡』の本領だと思ったの? だとしたら今すぐ考えを改めて。『奇跡』はそんな生半可な物じゃない。ましてや昨日の『奇跡』は明らかに格が違う」
「格が違う? どうしてそんなことが分かるんだ?」
「私は昨日だけじゃなく、その前にも何度かあの異形に遭遇している。その内の一体は、私の半身を持っていった」
「え…………」
今度こそ、嘘だろとは言えなかった。
瑞希の雰囲気、そして真剣な眼差しが彼女の言葉が真実であると物語っている。――――巫瑞希は、異形に半身を奪われている、と。
それが意味することは一つ。異形の中には、巫瑞希ですら死を覚悟せねばならないほどの存在が居るということ。それこそ、少女が敗北を仄めかした理由。
「あの時は運良く仲間に助けてもらえたけど、結局異形は取り逃がした。今も尚、そいつは街を徘徊している。もしも次に会った時、果たして勝てるかどうか」
瑞希ですら勝てるかどうか分からぬほどの敵。当然『奇跡』を手に入れて間もない大介では相手にすらならないだろう。昨夜と同じく簡単に殺されるのが目に見えている。
「少しでも勝率を上げる為に相手の『奇跡』の情報が必要なの。どんな『奇跡』なのか。能力は何か。制限は、弱点は何か。手にはいるだけの情報を手に入れて対策を練る。そこまでして勝率は五分かな」
「……どうしてだ」
「ん?」
「死ぬかもしれないんだぞ! なのにどうして……そんな平然としていられるんだ!」
大介には理解出来なかった。
自らの死を語りながらも、笑みを浮かべる少女の姿が。
死は不可逆の事象だ。死ねば終わり。その先は無い。だから人は死を恐れ忌避する。
けれども少女に恐れは無い。死を受け入れ、仕方ないと割り切った笑みを浮かべている。
それがどうしようもなく大介を苛立たせる。
「…………一つだけ教えてあげるね」
だが瑞希は表情一つ変えず、常と変わらぬ口調で真実を口にする。
「『奇跡』に関わるということは、こういうことなの。でも……君はまだ正常。その感覚を大切にしてね。絶対に私みたいになっちゃ駄目よ?」
朗らかに嗤う。
彼女の存在は一つの結末だ。『奇跡』という力が人生を歪めた結果、巫瑞希という少女は壊れてしまった。だから、切に切に願うのだ。
どうか、君はそのままで居てほしい、と。
それは、余りにも尊い願いだった。
しかし大介に頷くことは出来ない。
理解してしまった。自分の末路が、少女と同じだということが。彼女ですら逃れることの出来なかった絶望。それから逃れることなど、それこそまさに奇跡と呼べるだろう。
「……ごめんね。ちょっと嫌な話だった」
申し訳なさそうに瑞希は目を伏せる。
空になったマグカップを手に取ると逃げるように席を立った。
「おかわり、入れてくるね」
返事を待たずして瑞希はキッチンへ向かってしまう。残された大介は小さく溜め息を零した。
「…………俺はどうしたらいいんだ」
返ってくる言葉は無い。
これは彼の問題であり、彼の道。
『奇跡』という醜悪極まる世界で前橋大介という存在は、果たしてどうするのか。
今はまだ、答えには至らず。




