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不死の少女は旅をする  作者: マリィ
3章 天を目指した少女達
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02.深き底にて竜は待つ









 ――――意識が海を漂う。


 単なる海ではない。ここは領域。人の心の深奥の、更に奥。人の内に在りながら、人ならざるモノ――――『奇跡』の座す場所。

 それ故、ここに人が入ることはない。ここは閉じられた領域であり『奇跡』の領域だ。如何に所有者だとしても、足を踏み入れることは許されていない。


 つまり、ここに彼の意識があることが明らかな異常。本来であれば有り得ぬことであり、起こり得ぬこと。だが実際に、彼はここに居る。


 となれば答えは一つ。『奇跡』が、彼をここに呼んだのだ。


 彼の『奇跡』――――『竜の腕(タンニーン)』が。


『――――――――』


 海の中を泳ぐ一匹の竜。

 しかし竜に形は無い。竜という概念が、領域を泳いでいる。


『待ッテイル』


 漂う意識へ竜は言葉を伝える。

 存在しない口を開き、存在しない喉を震わせて。


『――――待ッテイル』









※※※※※※※※※









 夜は終わり、陽はまた昇る。

 同時に前橋大介の意識も眠りから目覚めた。深い深い暗闇の底から浮上する意識が、暖かな温もりを感じ取り、柔らかく甘い匂いが鼻腔を擽る。


 重たい目蓋を持ち上げ、大介は目を開けた。焦点の合わない視界が次第に鮮明になり、室内の様子がはっきりと見えるようになる。


「ここは……?」


 見覚えのない部屋だった。白を基調として整えられた家具と、可愛らしい様々なぬいぐるみ。部屋自体は余り大きくはなく、雰囲気からして子供部屋のようだった。


「何で俺はこんな所に……」


 上半身を起こし、昨夜のことを思い出そうと記憶を漁る。すると断片的ではあるが、昨夜の出来事が脳裏に浮かび上がってくる。


 毎日繰り返していた通学路。

 いつも通りの帰り道。

 そこで出会った()()

 襲われた大介を助けた()()

 そして――――そして大介は―――― 


「…………あ」


 思い出す。昨夜の記憶を。

 少女を庇い、大介は傷を受けた。死は免れないであろう深い傷を。

 忘れられる訳がない。今でも鮮明に思い出せる。肉体を切り裂かれた痛み、流れる血の暖かさ、次第に冷たくなっていく自分――――寄り添ってくれた少女。


「ッ! そうだ! 彼女はどこに!」


 そこで大介は、今更のように気が付いた。甘い匂いがふわりと漂い、誘われるように視線を向ける。


「――――――――」


 少女は居た。目の前に。

 疲れて眠ってしまったのだろうか。少女はベッド横の椅子に座ったままベッドの上に突っ伏していた。余程深く寝入っているのか、起きる様子は一切無く、まるで幼子のような無邪気な寝顔を浮かべて小さく呼吸を繰り返す。


 大介は言葉を失い、ただ呆然と少女を見詰めた。

 彼女の可愛らしさとか、微かに感じる体温と重さだとか、色々と思う所は有るが、それでも紡ごうと思った言葉が出てこない。目の前の光景に意識を奪われる。


 そっと、大介は手を伸ばした。触れたいと思った訳ではない。ただ、余りにも現実離れした眼前の光景が本当に現実なのか、確かめたかった。


 しかし少女に手が触れる瞬間、


「ん…………」


 少女が身じろぎし、目を開ける。

 咄嗟のことに大介は完全に硬直した。……手を伸ばしたままの状態で。


「……………………」

「……………………」


 目が合う。

 こんな場面でありながら、綺麗な瞳だと大介は思った。


「…………何してるの?」

「……いや、その……はい」

「何してるの?」

「別に変なことをしようとした訳じゃなくて…………」

「何、してるの?」

「触ろうとしてました! すいません!」


 茶色の瞳に殺気を感じ、大介は直ぐに頭を下げた。少女は暫し無言で大介を見詰め、それから表情を緩める。殺気など感じない、穏やかな瞳だった、


「別に怒ってないよ。ただ目を覚ましたら私に手を伸ばす変態さんが居たから、ちょっとからかいたくなっただけ」


 くすくすと少女は笑う。その笑みから少女が本当に怒っていないことが分かり、大介はほっと胸を撫で下ろす。


「怖い冗談は止めてくれ。本気で焦ったんだぞ」

「それでいいの。ここで変に開き直られても困るし。普通に焦って、普通に謝る。それだけでいいの」


 少女はそう言うと椅子から立ち上がる。櫛で梳かした訳でもないのに彼女の茶髪はさらさらと背中に流れた。微かに鼻腔を擽る甘い香りはシャンプーの匂いだろうか。気恥ずかしさを感じ、大介は目を逸らす。


「どこに行くんだ?」

「コーヒーを淹れるの。と言ってもインスタントだけどね。飲む?」

「ああ。でも……」

「分かってる。これを飲んだら全部話す。昨日のことも、そしてこれから(・・・・)のことも」


 それ以上、少女は何も言わずにキッチンへ向う。

 これからのことと、少女は言った。つまり昨日の出来事はまだ続いている。あの夜、この目で見た光景を思い出し、今更のように大介は自分の腹部を見る。


 間違いなく致命傷だった筈の傷が、跡も無く消え失せている。如何なる魔法を使えば、こうまで綺麗に治療出来るのか。昨夜見た異形のことと言い、明らかに大介の理解を越えている。


 少女はその理解を越えた何か(・・)を知っている。これまで大介が生きてきた日常を、引っくり返すほどの何かを。果たしてそれが何なのか。興味と恐怖が、大介の心中を渦巻く。


「お待たせ。ブラックで大丈夫だったかな?」


 少女の言葉が、思考に耽っていた大介の意識を現実へと引き戻す。少女は両手にマグカップを持ち、ニコニコと笑っていた。


「大丈夫。ありがとう」


 コーヒーを受け取り、口を付ける。濃い苦味が口の中に広がった。心の落ち着く芳ばしい香りに、思わずほっと息をつく。


「――――」

「――――」


 暫しの沈黙が、二人の間を流れた。声を発することも、物音を立てることもせず、静かな時を過ごす。穏やかな一時は心地よく、このまま続くことを願ってしまいそうになる。


「…………そろそろ話をしましょうか」


 淹れてきたコーヒーを二、三度口にした後、少女は遂に沈黙を破った。大介は手に持っていたマグカップを机の上に置き、少女へ視線を向ける。


「まずは自己紹介。と言ってもクラスメイトだから知ってるとは思うけど」

「えーーーっと……あ、うん。ちゃんと覚えている……筈だ」

「筈!? まさか……クラスメイトを忘れるなんてことは……」

「すまん……」

「…………呆れて何も言えないよ」


 少女はこれみよがしに大きく溜め息をつく。忘れていた大介としては甘んじて受け入れるしかなく、肩身が狭そうに小さく縮こまった。


「私の名前は瑞希(みずき)(かんなぎ)瑞希(みずき)よ」

「巫瑞希……巫瑞希……よし、覚えたぞ。今度は忘れない」

「そうしてくれると嬉しいかな。じゃあ次は貴方の名前を教えて?」

「……忘れてるのか?」

「貴方と一緒にしないで! 私はちゃーんと覚えているもの。ただ、私も名乗ったし貴方も名乗るのが礼儀じゃない?」

「む……確かにそうだな。俺は前橋大介。知ってるとは思うけど君のクラスメイトだ。宜しくな」

「うん、宜しく」


 ニコニコと笑い、瑞希は頷く。

 だが直ぐに表情を引き締め、真っ直ぐに大介を見詰めた。


「じゃあそろそろ――――真面目な話をしましょうか」


 心臓が大きく跳ねる。

 そして同時に予感する。

 ここから先は、これまで大介が居た世界とは全く異なる世界の話。関わるということは、その世界に首を突っ込むということ。


「今なら引き返せるけど……どうするの?」

「俺は……」


 ここで彼女の話を聞けば、確実に大介は昨夜のいざこざに巻き込まれる。それだけでなく、今後も似たような出来事に巻き込まれるかもしれない。


 平穏な生活を望むのなら、ここで引き返すべきだ。

 一度でも進んでしまえば、後戻りは出来ない。


「…………俺は」


 危険だと、本能が訴える。これ以上、彼女達に関わるべきではないと。ここで縁を切り、単なるクラスメイトに戻るべきだと。


 それが正しいのかもしれない。前橋大介は普通の人間だ。普通の人間が、昨夜のような出来事に関わるなど自殺行為もいいところ。死体が一つ出来上がるだけではないのか。


 だとしても、大介は。


「俺は……話を聞くよ。あの夜、何があったのか。そして俺はどうして生きているのか。俺は知りたい」

「そう。なら私も、全てを話しましょう」


 ここから先は、世界が変わる。

 苦痛と絶望。後悔と苦悩。

 いつか必ず、それは訪れる。


(……願わくば)


 だから、瑞希は願う。


(幸せを)


 不幸を打ち消す幸福を。









※※※※※※※※※









 深層。


 不定形の竜は、空を見る。

 正確に言えば、ここに空は無い。だから竜が見ているのは表層と言えるだろう。


 そこでは大介が瑞希と言葉を交わしていた。


「俺は……話を聞くよ。あの夜、何があったのか。そして俺はどうして生きているのか。俺は知りたい」

「そう。なら私も、全てを話しましょう」


 彼は選んだ。

 『奇跡』に関わる道を。

 幸せが、何よりも遠い地獄路を。


 大介自身は自覚していないだろう。だが心に刻まれた言葉は確かに彼を突き動かした。


『待ッテイル』


 未だ形を持たぬ竜の言葉は、大介へと届いた。

 故に彼は足を踏み入れる。

 いつか竜の下へと至る為に。









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