01.彷徨う異形
月明かりをだけを頼りに暗闇の中を疾駆する。風を切り裂き、地を踏み締め、一切の減速をせず、むしろ加速し、走り続ける。
既に走り出してから十分以上。人並外れた速度で走り続ける秋の額には大粒の汗が幾つも浮かんでいた。しかし息は切れていない。奇跡所有者として人外の体力を有する彼にとって、単なる追い掛けっこが苦になる筈もない。
されども体力は無限に有る訳ではない。このまま続けていれば間違いなく力尽きる。だがそれは相手も同じこと。そう思うと同時に待ち望んだ言葉が風に乗り、秋へと届いた。
「降りるわ!」
俊敏な動作で秋の前に降り立つベアトリーチェ。彼女に傷がないことを一目見て確認し、秋は速度を一切落とさず急制動を掛ける。
同時に魔術を高速で構築する。繊細なベアトリーチの物と比較すると質も威力も低いが、それでも自分の力で術式を組み上げる。――――全ては強くなる為に。
そこへ夜の帳を切り裂き、奇声と共に異形が姿を現した。
言うなれば翼の生えた人間、だろうか。異形の姿は人に似ていた。継ぎ接ぎの肌と翼、四本の腕さえなければ人としか思えないだろう。
異形は白き翼を広げ、四本の腕を振りかざす。
追い詰められているからか、異形の動きには焦りが見えた。その所為か異形の攻撃は隙だらけだ。秋は軽く攻撃を回避し、事前に構築していた魔術を解き放つ。
「焼き尽くせ」
紫の光と共に灼熱の嵐が巻き起こる。至近距離から炎の渦に飲み込まれ、異形は断末魔の叫びを上げた。規模は小さいながらも尋常ならざる火力を有する魔術の炎によって瞬く間に異形は灰と化す。
「…………」
その過程を秋は見詰める。
目を逸らさず、黒色の瞳で見つめ続ける。
そして小さく、
「弱い」
呟いた。
それは異形に向けられた言葉だったのか、それとも――――
だが続く言葉は無かった。ここに近付く少女の存在に気が付いたから。
「お疲れ様。どうやら無事倒せたみたいね」
「ああ」
――――まるで天使のようだと、秋は思う。
夜の闇を払拭する真白の髪。清純な輝きを放つ青き瞳。均整の取れた体付きは、少女の若い外見には似付かわしくない色香を放っている。
ベアトリーチェ。またの名を『幽霊』。
数百年以上の時を生きる真の不老不死であり、唯一無二の『奇跡』――――『千の魔術を統べる者』を所有する奇跡所有者だ。
彼女と秋が出会ってから既に二ヶ月。
この二ヶ月は決して平穏とは言えない日々だった。魔獣アリオス、『騎士団』、救済者ドストエフスキー。いずれも強大な力を秘めた奇跡所有者達と戦い続ける日々だった。
そして数々の戦いを乗り越えて手に入れた平穏も長くは続かない。まるで戦うことを運命に定められているかのように秋とベアトリーチェは新たな敵と相対していた。
「異形…………か」
秋は灰と化した敵を見やる。人の形も獣の形も逸脱した、新たな生物とも言える謎の存在。どの個体も高い戦闘力を持ち、普通の人間は当然のこと、奇跡所有者ですら殺される可能性がある怪物だ。
それが今、町に蔓延っていた。
こうしている今もどこかでは誰かが異形に襲われているのだろう。奇跡所有者ならまだしも普通の人間では助かるのはまず不可能だ。
全部を救うことは出来ない。
救われる者と救えぬ者は存在する。
これは世界の理と言ってもいい。どれだけ藻掻き足掻いたとしても変わることのない真実。
秋達に出来ることは、こうして夜な夜な異形を狩り、少しでも被害者を減らすことくらいだ。
しかし、それも所詮は無駄な足掻き。
狩りを始めて一週間以上経つというのに異形は全く減っていない。それどころか数を増しているようにも思えた。
秋は灰を摘み、指の腹で擦り合わせる。
「明らかに生物の形を逸脱した怪物、か。……リーチェ、思い当たる節はあるか?」
「ないわ。少なくとも私は知らない。でも間違いないでしょうね」
「奇跡所有者。この異形は全て『奇跡』によって作り出された存在ってことか。まあ実際のところ、それ以外に可能性なんて無いけどな」
「そうね。でもそうなると謎なのは目的よ。所有者は何の為にこんなことをしているのかしら? アリオスやドストエフスキーのような目的にしては余りにも――――」
これまでも虐殺を行った奇跡所有者は数多く居る。そも秋達が対峙した奇跡所有者全員が、まさしくその類だった。
強くなる為に殺した魔獣。救う為に殺した救済者。確かに目的は違えど過程は共通している。だがそこには現状と決定的な違いがあった。
「――――無差別過ぎる。そう言いたいんだろ」
「ええ。アリオスは基本的に奇跡所有者を。ドストエフスキーは普通の人間を狙った。絶対ではないけど、基本的にその線引きは守っていたわ。でも今回の相手はそれが無い。ただ無差別に異形に殺しをさせてる」
それとも殺すことにこそ、意味があるのだろうか。だとすればそれはどんな意味なのか。そもここまでの虐殺が起きていて『騎士団』が動かないのは何故なのか。次から次へとベアトリーチェの脳内に疑問が浮かんでくる。
暫し考え込むが、当然答えなど出る訳がない。溜め息をつき、ベアトリーチェは町へ視線を向ける。
「今も誰かが死んでいる。……嫌な話ね」
「ああ。胸糞悪いよ」
「今日はもう少し狩りましょう。誰かの命が助かるように」
「……そうだな」
秋の脳裏に、黒髪の少女が思い浮かぶ。
彼女ならば現状に対して何と言っただろうか。
下らないと、言うだろうか。それとも無言だろうか。
(氷室……俺は……)
夜空に浮かぶ星を見上げ、秋は何度目か分からぬ誓いを立てる。
強くなる――――と。




