05.追われる者
「俺が…………『千の魔術を統べる者』の所有者? 確かに俺が使ったのは……」
思い浮かぶのは、ついさっきの戦闘。秋は『奇跡』を使った。『奇跡』の名は――――『千の魔術を統べる者』。
「っ……!」
今更のように秋は身を震わせた。月宮秋が手に入れたのは『奇跡』の中でも最高峰と謳われる第零階梯の『奇跡』。それは、これまで普通の人生を生きてきた青年が背負うには、あまりにも重すぎる代物だった。
「まさか……そんな……」
「ごめんなさい。でも、これが現実なの。何故かは分からないけど、貴方を回復した時、私の中の『奇跡』が貴方に移った。だから貴方は『奇跡』を手に入れられた」
「そんなこと、有り得るの? 奪う訳でもなく『奇跡』が別の誰かに移るなんて」
「少なくとも私は聞いたことないわ。でも現に起きている。零は唯一無二の『奇跡』。他の『奇跡』と違って謎な部分も多いから、有り得たのかもしれない」
「結局、詳しいことは分からない、か」
「ええ。…………月宮秋くん。本当にごめんなさい。貴方を助けて、それで終わりの筈だったのに。そんな物まで背負わせて」
悲痛な面持ちで女は秋へと頭を下げた。その顔は、心の底から秋に『奇跡』を与えてしまったことを、後悔しているようだった。
彼女の言う通り、秋が手に入れた『奇跡』は手にあまる代物だ。当然、そのことに対して恐怖はある。だが自然と、秋は受け入れた。
『貴方は『奇跡』に選ばれた』
紫髪の女に言われた言葉がリフレインする。彼女の言葉が真実ならば、『奇跡』はあるべくして秋の手に来たのだろう。ならば目の前の少女に比はない。それに月宮秋は、命を救われた。
「いやいや気にしないでくれ。俺は、君に命を救われた。それに比べれば大したことはないよ」
そう言って秋は笑うが、女の顔は晴れない。
「貴女、追われているの?」
「ッ!」
核心をついたのは、蓮華の言葉だった。
伏せていた顔を勢い良く上げ、女は驚いた表情を浮かべる。
「どうして、分かったの?」
「希少な『奇跡』を持つ者は、その『奇跡』を狙われやすい。これまでは貴女が所有者だったから追われるのは貴女だった。でも所有者が月宮くんに移ったから、次から追われるのは月宮くんになる。だから、巻き込んでしまったと思ってるの?」
「…………まさか見抜かれるなんてね。正解よ。貴方の言う通り、私は追われてるわ」
「貴女が私に嘘をついた理由も分かった。『奇跡』を月宮くんに認識させるため。そうしないと、襲われた時に対応できないから。少なくとも使えれば抵抗は出来る」
「それも正解。…………マイペースな娘だと思っていたけど、案外鋭いのね」
「追っているのは、月宮くんを襲ったという男?」
「ええ」
驚きの表情を秋が浮かべる。
まさか女を追っていた男が、間違えて自分を殺すとは。しかも目的だった『奇跡』は今は秋の物となっている。運命の悪戯にしても出来すぎているとすら思えた。
「そいつは…………誰なんだ?」
「訊いても、いいの? 無理はしない方がいい」
「ああ。本音を言えば、あまり聞きたくないさ。でも知らないといけない。…………『奇跡』を持っているのは、俺だからな」
笑顔を浮かべるが、その表情はどこか無理をしていた。だが強がりだとしても、覚悟がなければ口には出せない。
強い人だと、女は思う。
一度殺され、それでも運良く生き残れた。しかし運命は彼に戦うことを求めた。彼の身に宿った『奇跡』が、その証左だ。普通の人間なら、恐怖から逃げ出そうとしても不思議はない。
だが、彼は前に進んだ。怖くとも、恐ろしくとも、前を向いた。前に進めるのは強いからだ。月宮秋は、きっと強い人なのだろう。
それは蓮華も思っていたのか、彼女の彼を見る瞳には強い関心が見て取れた。彼の強さに、何か心惹かれるものがあったのだろう。ポツリと、呟くように蓮華は思いを口にした。
「強いね。月宮くんは」
「そんなことはないさ。今だって震えてるし、怖くて堪らない」
「それでも、強いよ。私と戦った時も、貴方は立ち向かい、足掻いた。死を経験したのに、必死に戦った。…………私には、無いよ。そんな強さ」
蓮華らしからぬ悲痛な面持ち。沈黙が三人の間を流れた。
「あ、ごめんなさい。空気を悪くしてしまって。話、続けて?」
「…………分かったわ」
女は蓮華の苦しみを追求しなかった。
彼女は理解しているのだ。人を超越した力――――『奇跡』を有する者は、不幸な人生を送ってきた者も居るということを。そしてそれは、殆どの者に該当するということも。
人の傷口に踏み込むことはしない。これは『奇跡』を持つ者達の間では、暗黙の了解として成り立っていた。
強力な力を持つ奇跡所有者の精神性は非常に重要だ。下手に踏み込めば、本人に良くも悪くも影響を及ぼし、如何なる被害を齎すか分かったものではない。
故に、女はそれ以上、蓮華の言葉を追求しなかった。
女は話題を切り換えるように咳払いし、秋と蓮華を見る。
「えっと……男の話ね。私を追ってこの極東の島国までやって来た男の名はアリオス。当然だけど『奇跡』を持っているわ」
「コレクター?」
「いいえ。コレクターではないわ。彼は『混血の魔獣』という『奇跡』を持っているの。この『奇跡』は『奇跡』を喰らうことで力を増す能力を持っている。彼が私を狙っているのは私の『奇跡』を喰らうため。そして更に強くなるためよ」
そう女が言葉を続けるが、秋は聞いていなかった。
自分を殺した憎き男の名を震える声音で呟く。
「アリ、オス…………」
自分を殺した、男の名。
あの夜、月宮秋は殺された。
虫けらのように殺された。
ただの間違いで、殺された。
これが許せるか?
こんな理不尽を受け入れられるか?
答えはノー。決して忘れぬようにと、秋は男の名を刻んだ。
「わざわざこの国まで追いかけて来るくらいだから、相当しつこいわ。きっと『千の魔術を統べる者』を喰らうまでこの街から出て行くことはしないわよ」
苦々しく女は言い放つ。どうやら余程しつこい男らしい。彼女の表情はありありとした憎悪が見えた。
「…………いずれ向こうは『千の魔術を統べる者』を見付ける。そうなると戦いは避けられない。……大丈夫、月宮くん?」
「戦う、か」
昨晩の光景が脳裏に浮かぶ。
アリオスの使役していた蛇に、秋は為す術なく殺された。再戦したとして、そして秋は彼の攻撃を防げるだろうか。
「心配しないで。元々は私が原因だし、『奇跡』も貴方に押し付けてしまったもの。その時が来たら私は全力で貴方をフォローするわ。絶対に勝たせてみせる」
「月宮くん、私も手伝う。貴方には襲い掛かってしまったし、その罪滅ぼしをさせてほしい」
少女二人が秋に視線を向ける。
力強い、言葉だった。
深々と秋は頭を下げる。
「ありがとう。でも、何か悪いな。巻き込んでしまったみたいで」
「巻き込んだのはこっち。月宮くんは気にしないでいい」
「そうよ。貴方には、本当に重い物を背負わせてしまったのだから。これくらいじゃ罪滅ぼしにならないわ」
「…………すまん」
また、秋は頭を下げる。
自分が悪い訳でもないのに二度も謝る彼の姿に二人は苦笑した。
「そういえば」
「どうしたの?」
「いや、そういや俺、君の名前を知らないなって」
「私も聞いてない」
秋と蓮華、二人の視線が女に向けられる。
女は申し訳なさそうに目を伏せた。
「そうね。ごめんなさい。そういえばまだ名乗っていなかったわ。…………私の名前はベアトリーチェ。気軽にリーチェと呼んで」
「ベアトリーチェ…………」
噛み締めるように、秋は名を呼ぶ。
これから先を共に歩む者の名を。
――――この日、月宮秋とベアトリーチェ、そして氷室蓮華は出会った。
運命の歯車が、静かに回り始める。
からから、からからと。




