26.花園に少女は眠る。愛する者に言葉を遺して
「眼前の全てを破壊しろ――――『破壊の暴君』!」
キースの叫びが戦場に響き渡り、掲げた魔剣が歓喜に打ち震える。満たされぬ飢え。破壊衝動。何かを壊したいという願い。それらが暴君の全てだ。森羅万象の破壊者は、ただ壊すのみ。
そこに殺意は無い。そこに悪意は無い。そこに敵意は無い。
壊すこと。それこそが『破壊の暴君』。暴君とは即ち事象。破壊という事象の具現に他ならない。
事象は壊す対象を選り好みはしないし、敵とか味方の様な肩書も気にはしない。指向性を与えるのはあくまでも所有者。魔剣が望むのは遍く全ての破壊だけだ。
「――――ッらァ!」
出鱈目に、無茶苦茶に、『破壊の暴君』を振り回す。
魔剣の一振りは世界を壊す。単純な一振りで町を荒野に変えることさえ可能だ。それが振り回されれば、当然破壊の嵐は荒れ狂う。
黒い波。本質は違えど、目の前の光景はそう表現する他なかった。押し寄せる怒涛の破壊は計八。一つ一つが小さな町なら破壊することが可能なレベルだ。正面から防ぐのは愚行と呼べる。
そして蓮華は、愚行を実行する。
思考自体は単純明快。単に黒い波を前に逃げることは不可能だと判断した。ならば正面から立ち向かう他はない。
単純な考えだ。しかし実行することは単純ではない。迫り来る破壊に立ち向かうのだ。勇気も蛮勇も、この波の前では霞んでしまう。氷室蓮華の様に、ズレた者でなければ。
「『第一円』――――」
鎖が踊る。致死量に匹敵する血を用いて作り出された鎖の総数は優に数百を越えた。それら全て一本一本に蓮華は意識を張り巡らせ、精密に動作させる。
見る者が見れば、それが如何に狂気の沙汰が分かるだろう。数百の鎖を操るということは、即ち数百の手足を操るということ。本来両手足合わせて四本しかない人間には通常不可能な芸当。それを蓮華は難なく熟す。
彼女は『咎人眠る永遠の氷棺』の申し子。氷河に佇み、死者を棺に入れ、永遠の眠りへ誘う者。
「――――【氷華狂咲】」
死に行く者に、手向けの華を。
「ッ――――!」
波と蓮華の間に広がる鎖が、自ら砕け散る。
飛び散った鎖の破片は集結し、ある形を作り出す。
荒野に咲き誇る血氷の華。それも一輪や二輪ではない。数十……或いは数百か。数えることすら馬鹿らしい華が集う様は花畑の如く。見目麗しくも悍ましい光景だった。
「舞え――――」
蓮華の言の葉が花園に小波を起こす。
揺れる花々から花弁が舞い上がり、空中を踊り始める。
そこへ黒き暴虐が押し寄せた。破壊の津波は可憐な花園を消し飛ばさんと意気揚々と迫り来る。所詮は華。吹き飛ばされれば終わりだ。
だが破壊は、舞い踊る花吹雪に触れると同時に凍り付いた。破壊という事象そのものを。根幹から凍結させ、結果を封印し、存在を氷結させる。
迫る八つの波全てが、たかが花園一つ吹き飛ばすことも出来ずに凍り付いた。花園に変化は無く、優雅に花を踊らせ続ける。
――――【氷華狂咲】。
それはある種の完成形。
限りなき願いを以て我が身を天へと至らせる『天昇』とは真逆の性質。即ち、限りなき願いを以て地の底へと我が身を落す――――神には届かぬ卑小な人間が、それでも力を求めた末路。
故にこの術理に名は無い。
後にも先にもこの領域に辿り着くことが叶うのは氷室蓮華ただ一人だろう。
地獄の具現である『咎人眠る永遠の氷棺』に見初められた彼女だからこそ、今回の芸当は成立したのだから。
能力は絶対凍結。
何人たりとも彼女の花園を侵すことは叶わず。
何人たりとも彼女の花園を壊すことは叶わず。
それは絶対不可侵。
ある種の聖域であり、この世と隔絶した異界。
氷室蓮華が愛した者だけが、花園に足を踏み入れる権利を持つ。
「――――来るがいいキース・アークライト。これは私とお前の一騎打ち。お前が真に破壊の暴君なれば――――私の花園を、壊してみせろ」
勇ましく少女は吠える。数え切れない傷を負い、血を流そうとも未だ倒れず。揺るぎない意思で体を奮い立たせ、キースと対峙する。
「――――ッハハハハハハ! 嗚呼……やっぱりお前は最高だよ氷室蓮華。どうやら俺は何としてでもお前を殺さないといけないようだ……ッ!」
魔剣を構え、キースは荒野を疾駆する。
彼もまた満身創痍。されども歩みに淀みは無い。傷など些細なこと。重要なのは眼前の少女。彼女を破壊することこそキースが果たさねばならぬ義務。
なればこそ、破壊の進軍は止めどなく。
花園が道を塞ごうと関係は無い。
「『破壊の暴君』――――ッ!」
彼は暴君。破壊の極。
故に答えは一つだ。如何なる障壁、如何なる防御、如何なる結界とて破壊し蹂躙し、如何なる敵とて塵とする。氷の女王とて同じこと。決して道は違えない。
正面からキースは魔剣を叩き付ける。
巻き起こる破壊の咆哮は荒野を刳り花園へと衝突するが、絶対氷結の前には無力だ。瞬く間に凍り付き、砕け散る。
だがキースは何度も剣を振るう。その度に巻き起こる破壊が地形を変え、大気を震わせる。されども花園は堅牢。破壊の全てを凍結させ、不遜なる侵入者を拒む。
「まだまだァ!」
最早何度目かも分からぬ暴君の一撃。
当然、花園によって破壊は阻まれる。
凍結し、砕け散る。
そこまでは、これまでと同じだった。
そこから先は、これまでとは違った。
――――ごふっ。
蓮華がおびただしい量の血を吐き出す。
吐血は止まらず、溢れる血は地面に溜まっていく。
「あ…………」
消え行く意識を必死に繋ぎ止める。その間にも血はどんどん零れ落ち、共に生命も流出する。
キースの連続攻撃はこの為。【氷華狂咲】を敢えて発動させ、負荷を蓮華に掛ける。常ならば何ともない負荷も、満身創痍の今では訳が違う。
最早立つことすら出来ず花園に倒れ込む。
肉体が絶叫していた。これ以上先は不味いと、本能が警鐘を鳴らす。
ここが、真実の限界点。
氷室蓮華の戦いは、ここで終わりだ。
「何とも呆気ない最期だな」
蓮華が倒れたことで花園は機能を失った。
氷の花を踏み砕き、舞い踊る花弁を『破壊の暴君』で吹き飛ばし、キースは蓮華の正面に立つ。
「だがこれが、俺とお前の地力の差だ。今のお前じゃ俺には勝てない。それだけの話だ」
この戦いに終わりを告げる為、魔剣を振り上げる。
奇しくも先の時と全く同じ構図。
だが二度目は無い。氷室蓮華は、この刃に死す。
――――――――彼女が居なければ。
「――――『流星の煌めき』」
キィンと、甲高い金属音。
弾き飛ばされた刃が空を舞う。
「な――――に――――」
花園に降り立つ第三の影。
彼女もまた傷だらけ。立っているのが不思議なほど。
フランチェスカ・ブライト。神速の剣士。
彼女の一撃が、魔剣を弾き飛ばす。
今、キースの手に得物は無い。
「――――ッ!」
キースの脳裏に浮かんだのは、まずフランチェスカの奇襲が彼女達の策かどうかということ。緻密な連携の下に今の状況が存在するのならば、次に来るのは氷室蓮華だ。
しかし当の少女も呆けた顔を浮かべていた。
現状が理解出来ぬと、表情が物語っている。
つまりこれは彼女達の策ではない。フランチェスカの独断。彼女の足掻き。ならば付け入る隙がある。まだキース・アークライトは詰みではない。
「二度は、無いわ」
ゾッとするほど冷たい声音。
神速と謳われるフランチェスカの速度。如何にキースが歴戦の猛者とて反応するにも限界がある。疲労を重ねた今では第六感も万能ではない。
「呆けていないで立ち上がりなさい――――蓮華ッ!」
翼は羽ばたき、白き羽根が宙を舞う。
知覚した時には既に遅い。フランチェスカの斬撃はキースの片腕を切り飛ばしていた。
「ッ――――」
所有者の手を離れた『破壊の暴君』が地面に転がる。直ぐに『奇跡』を解除し、再び自分の手元に喚び出そうとするが、
「ッ! どうしてこない『破壊の暴君』!」
当の『奇跡』に反応は無い。
だが、それもその筈。
ここに居るのは誰よりも凍結と封印に長けた氷の女王。
そしてここは壊れつつあるとはいえ、未だ花園だ。
「お前の『奇跡』は封じた。もう『破壊の暴君』は使えない」
女王の宣告。奇跡所有者の戦いに於いてそれは死刑宣告にも等しい。
見れば弾き飛ばされた魔剣は幾重にも鎖に巻かれた状態で氷に覆われていた。『咎人眠る永遠の氷棺』の能力である凍結が、『破壊の暴君』そのものを凍てつかせたのだ。
キースは凍り付いた剣に手を伸ばすが、何も起きる筈が無い。凍結と封印に長けた『咎人眠る永遠の氷棺』を『奇跡』無しで打ち破ることは不可能だ。
そのことを、キースもようやく理解した。伸ばしていた手を下ろし、肩から力を抜く。そして満足そうな笑みを浮かべ、キースは告げた。
「お前の勝ちだ氷室蓮華」
勝負は決した。
蓮華は無言で鎖を操る。
絡み付いた『咎人眠る永遠の氷棺』がキースを凍結させる。『奇跡』を封じられ、花園に包まれた現状では足掻く術は無い。
瞬く間に氷がキースを覆い尽くす。数秒と掛らず棺の蓋は閉じられた。
「……壊れろ」
そして、終わりの言葉が告げられた。
棺が粉々に砕け散る。
中で眠りに就いた死者も同様に。
これでキース・アークライトは、完全に消滅した。
蓮華とキースの戦いの決着だった。
「――――」
蓮華の全身から力が抜ける。
かろうじて保っていた意識が、奈落の底へ落ちていくのが自分でも理解出来た。
言葉にせずとも分かる。
これが、死なのだと。
余りにも無理をし過ぎた。度重なる『第一円』の使用と【氷華狂咲】。途中で死ななかったのが不思議でならない。我ながら運が良いと、蓮華は苦笑する。
死ぬことに恐怖は無かった。あるのは絶対的な安らぎと安心感。陽だまりの様な暖かさがそこには有った。
瞳を閉じる。
死に抗う気力など、最早蓮華に残されていない。彼女に出来るのは死を受け入れ、眠りに就くことだけ。
心残りは、たくさん有る。
それでも、終わりを受け入れるしかなかった。だからせめて一言だけ。この言葉だけでも遺したい。
「……ありがとう」
最期の言葉は、誰にも届かない。
それでも蓮華は微笑み、
奈落の底へと、彼女の意識は落ちていった。




