24.天を翔ける白き流星
氷室蓮華の言葉を思い出し、フランチェスカは溜め息を吐く。
そして同時に、彼女に興味を抱いていた自分に驚愕した。
フランチェスカは空白を抱えている。他人に興味を持つことが出来ない空白を。
それは常ならば長い時間を掛けて埋められるものだった。彼女が家族に興味を抱いた時のように。
故に氷室蓮華に抱いた興味は、本来ならば有り得ぬことだった。空白を抱える彼女が、長い時間を要せずして興味を抱く。これはフランチェスカの人生の中で始めてのことだ。
しかし、 それも仕力ないと、フランチェスカは思う。氷室蓮華の言葉は、 それだけフランチェスカを惹きつけるものだった。
「フランチェスカ・ブライト、。貴女にはキース・ アークライトを殺す手伝いをしてほしい」
憎悪と憤怒、そして殺意を隠しもせずに氷室蓮華はその言葉を口にした。
「一ーー―」
さしものフランチェスカも言葉を失う、蓮華が此処に来た理由を彼女も考えてはいたが、流石に予想外すぎた。 暫く固まった後、やっとの思いで口を開く。
「それは、本気……?」
「本気でなければこんなこと言わない」
「確かにそうだけれど……」
理解出来ない。理解出来る筈も無い。
キースという仇を討つ為に力を貸してほしいという理屈は分かる。氷室蓮華も怪物だが、キースもまた怪物。確実に勝利する為には一人でも多くの戦力があった方が良いだろう。
だが、よりにもよってフランチェスカにそれを頼む思考回路が理解不能だった。蓮華からすれば、フランチェスカは秋を唆し戦場に送り込んだに張本人だ。 如何なる理由にせよ、その事実は変わらない。つまり蓮華からすれば憎い相手なのだ。
だというのに、彼女はフランチェスカに助力を願った。ベアトリーチェでもネロでもなく自分に。
ネロに頼まないのは理解出来る。彼は『騎士団』の人間。秋に関わってはいないににせよ、彼が傷付く事実を知っていた。そんな男に頼みたくはないだろう。
しかし彼女にはベアトリーチェが居る。 彼女は一見すると中庸にも思えるが、 本質は蓮華寄りだ。秋の仇を討つ手伝いをしてほしいと頼めば断りはしないだろう。
「そうよ、私よりべアトリーチェの方が……」
「彼女には、彼女の戦いがある。私の戦いに巻き込む訳にはいかない」
「……それはつまり、私なら巻き込んでもいいと?」
「そう。貴女には責任がある」
「責任? 何のことかしら」
「月宮秋を、唆した事実。それは、貴女と共に有る。貴女は贖いをしなければいけない。 彼を傷付けた原因として、責任を取らねばならない。だから私の願いは、願いであって願いではない。これは義務。フランチェスカ・ブライト。貴女が果たさねばならない義務」
真っ直ぐに、 正面からフランチェスカを蓮華は見据えた。
「――――――――成る程」
数十秒の沈黙の後、フランチェスカは口を開いた。同じく真正面から蓮華を見据え、言葉を続ける。
「貴女の理屈は分かったわ。つまりは貴女はこう言いたい訳ね。――――私の行動の正当性を、自ら示せ、と」
月宮秋の犠牲は、『賢者』の予言によるもの。それがネロ、フランチェスカ、ベアトリーチェ、蓮華の共通認識だ。彼の犠牲は最終的な勝利には必要不可欠だった、と。
では、果たしてそれは本当に真実なのか。
月宮秋の犠牲は必要不可欠なことだったのか?
元より月宮秋と氷室蓮華は『騎士団』に狙われていた。本命はドストエフスキー達にせよ、彼等の討伐も任務に含まれている。
要は単純なことだ。
『賢者』の予言を成就させる。
それを建前に月宮秋を殺そうとした。
ただ、それだけの話。
(……ここで氷室蓮華の頼みを断れば彼女は私達が月宮秋を排除する為に『賢者』の予言をでっち上げた、と判断するでしょうね。何せこのまま氷室蓮華が月宮秋の仇討ちに向かえば彼女はまず間違いなく敗北する。そうすれば喜ぶのは私達……氷室蓮華の筋書きと合致する)
だがここで手を貸せば氷室蓮華は生き残る。
キース・アークライトに勝利出来るだろう。
そうなれば秋の犠牲は必要不可欠なものだった、と証明出来る。
つまり蓮華の勝利を以って予言を成就させろと、彼女は言っているのだ。故に、この話をを断わることは勝利の否定。即ち予言の否定。
「っ…………」
フランチェスカの表情が歪む。
(……嵌められたわね。実際、彼女からすれば『賢者』の予言なんてどうでもいい筈。彼女はただ、勝つ為に。月宮秋の仇を討つ為だけに予言を都合良く利用しようとしているに過ぎない)
しかし拒否は出来ない。
彼女の言葉通り、これは義務だ。
『騎士団』としての。
「……分かったわ。 キース・アークライトの討伐にカを貸しましょう。それを以ってして、私達の正当性を証明する。それでいいでしょう?」
「私はただ選択肢を与えただけ。どうするかは貴女次第」
意趣返しのつもりなのだろう。 フランチェスカと似たような言葉を蓮華は返す。
苦笑を浮かべ、フランチェスカは目の前の少女を見詰めた。
(氷室蓮華…………単なる狂人かと思っていたけど、まさかここまで上手く丸め込まれるとはね。少し見誤っていたわ)
湧き上がる好奇心。彼女の策に乗せられ、手を貸すことになったというのに、フランチェスカの心は弾んでいた。これから蓮華がキースを相手にどう戦い、自分というカードをどの様に切るのか楽しみで仕方ない。
(期待していた……筈なのだけれどね)
眼前の惨状は、フランチェスカの期待を裏切るには充分過ぎるものだった。
何も、無い。『破壊の暴君』によって既躍された大地は、ありとあらゆる全てを破壊されていた。ただ殺風景な荒野が広がるのみ。そこに居たであろう人間の姿など一切見えやしない。
氷室道華は敗北した。
暴君の前に敗れ去った。
それが結末。
最早、幕は下りた。
しかし、フランチェスカは諦めきれない。
「貴女の憎悪は、そんなものだったの氷室蓮華。圧倒的な破腹の前に儚く散るような怒りだったの」
彼我の距離は遠く離れている。声など届く筈も無い。だが言葉にせずにはいられなかった。
「見せてみなさいよこの私に。貴女の足掻きを――――勝利を」
言葉は届かない。けれども思いならば、届くのではないか。
自分でも下らない感傷だとは理解している。 それでも、フランチェスカは蓮華の勝利を求めた。
果たして、その思いが通じたのかどうかは分からない。
だが現実として、荒野に蠢く二つの影があった。
「あれは…………!」
目を凝らす。フランチェスカの視力ならば、この距離だろうとはっきりと見える。
「――――そうよ。貴女は私に協力を求めた。 ならそんな所で負けていられない」
氷室蓮華が、荒野に居た。 全身を傷だらけにし、満身創夷と言える状態だが、彼女は生きて戦場に居た。
蓮華の前に、同じく傷だらけのキースが立つ。その手には漆黒の魔剣――――『破壊の暴君』。
魔剣が掲げられる。傷の深い蓮華では、あの至近距離からの破壊は逃れられない。
――――敗北。しかしこの二文字は、もうフランチェスカの脳裏には浮かばない。
蓮華の瞳が、ほんの刹那、此方へ向けられる。黒眼と碧眼が交錯し、
「――――――――」
フランチェスカは迷わず虚空へと、己が身を投げ出した。
風が全身を駆け抜ける。重力に従い、真っ直ぐに地面へと落ちていく。
「行きましょう――――『飛翔せよ天の御使い』」
『奇跡』が、発動する。
同時に彼女の背中が弾けた。
真白の羽根が宙に舞う。
雄大に翼を広げる姿は天使と瓜二つ。
清廉なる天の御使いが、空を翔ける。
「――――」
フランチェスカの『飛翔せよ天の御使い』は空を翔ける『奇跡』だ。特異な能力も直接的な破壊力も皆無に等しいが、飛行能方を活かした立体的な攻撃手段と高速での移動能力を併せ持ち、特にスピードに関しては『騎士団』の中でもトップクラスを誇る。ここから蓮華の所まで一分と掛からないだろう。
しかし、それでは遅い。先に『破壊の暴君』が蓮華を壊す。彼女の肉体が跡形も無くなった戦場に、フランチェスカは姿を現す破目になるだろう。それに、そんな低速では蓮華の策が意味の無いものになる。
翼を動かし、体勢を整える。一呼吸置く暇も無く、フランテェスカはもう一つの『奇跡』を発動させた。
「『流星の煌めき』」
瞬間、肉体が悲鳴を上げた。限界を超えた行使に耐え切れず、脆い臓腑から崩壊が始まっていく。何度も何度も血が込み上げ、 その度に嚥下し、鉄に似た味に表情を歪めた。
――――『二重者』。 ネロ・ブライトと同じ、天に二物を与えられた者。本来ならば唯一の『奇跡』を二種類持つ特異存在。そして崩壊し、散り行く人間だ。
本音を言えば、使うつもりは無かった。人間の肉体では複数の『奇跡』に耐え切れない。自身を鍛え、『奇跡』を制御したとしても限界は必ず訪れる。肉体は崩壊し、フランチェスカ・ブライトは死ぬだろう。 そして当然、そんなことは御免だ。
けれども蓮華は、フランチェスカが二つの『奇跡』を使う前提で策を組み上げた。フランチェスカが死ぬ可能性を説明したにも関わらず、一切、容赦せずに。
人の命など、彼女は興味が無い。ここでフランチェスカが死んだとしても、眉一つ動かしはしないだろう。
フランチェスカも似たようなものだ。空白を抱えるが故に誰にも興味が無く、他人の命を簡単に切り捨ててきた。
同じなのだ。氷室蓮華とフランチェスカ・ブライトは。抱える欠陥は違うにせよ、思考は似通っている。
だから、なのだろうか。『騎士団』の人間でも、家族でもないのに、
「力になりたいって、思うのかしらね」
フランチェスカは、笑った。全身を引き裂くような激痛が襲い、刻一刻と崩壊していく中にも関わらず、楽しそうに、笑った。
「私も堕ちたものね。でも、そんな私も悪くないかしら」
翼を広げる。腕が裂ける。
風を感じる。骨が砕ける。
光を浴びる。血が溢れる。
それでもフランチェスカは笑い、
「――――――――」
空を、翔けた。
思考が、痛みが、感覚が、全て置き去りにされる。
ただ、 前へ。
止まることなく突き進む。
――――奇跡『流星の煌めき』。第三階梯。能力は加速。それだけの『奇跡』だ。
しかしそれ故に、『飛翔せよ天の御使い』との相性は抜群だった。
高速が更に加速される。 速度は増し、更に加速される。
加速し、 加速し、加速し、加速し、加速する。
都合、十四回。フランチェスカは加速した。
空を翔けるその姿は最早天使ではなく、一筋の流星。
尋常ならざる破壊力を秘めた、空から降る爆弾だった。
※※※※※※※※※
『破壊の暴君』を掲げた瞬間、感じたのは勝利の確信ではなく死の到来だった。
このまま此処に居れば、間違いなく死ぬ。予言めいた報せはキースが幾度も戦場で感じたものと同一だ。死を告げる感覚――――第六感。
何度もキースの命を救った第六感に対し、キースの体は迅速に動いた。思考など二の次とし、まずは生き残ることに全てを注ぎ込む。
剣を振るう手を止め、その場を離れる。
防御、反撃は共に未知の攻撃には通じない。ただ回避することこそ、生存する唯一の道。
結果としてキースの判断は正しかった。
「残念」
死が、墜ちる。
轟音。そして衝撃。空を翔ける流星が、我が身を以って地上を滅却する。都合十四回にも及ぶ加速がもたらす破壊は荒野を容易く消し飛ばす。
「――――ッ!」
砂塵と暴風に飲み込まれ、キースの視界は一切先が見えない。『破壊の暴君』を掲げ、視界を確保するべく全力で振るう。
流星の巻き起こした暴風を遥かに上回る風が砂塵を晴らす。クリアになった視界に映るのは地面に穿たれた巨大なクレーター。先の流星落下の産物だ。しかし肝心の流星が何処にも居ない。
「奴は何処へ――――」
周囲を見渡す。
視界に映るのは見渡す限りの荒野。荒れ果てた大地には誰一人として存在していない。
――――ここで一つ、話をしよう。
神速と、フランチェスカの速度は讃えられる。
最早、人には捉えきれぬ領域だと。
では『飛翔せよ天の御使い』と『流星の煌めき』。この二つの『奇跡』を組み合わせた時、最もフランチェスカが得意とする攻撃は何か。
超長距離からのアウトレンジ攻撃?
神速を活かした高速剣技?
速度で相手を翻弄?
否。
「氷室蓮華!」
フランチェスカの呼び声に蓮華は答えない。
だが彼女は己の役目を果たすべく鎖を操る。
「準備は出来たわ」
「そう。なら――――行くわ」
「ええ」
蓮華を掴み、空に飛び立つ。
フランチェスカが得意とするのは、協撃。
誰かと共に放つ攻撃こそ、彼女が最も得意とする領域だった。
「『流星の煌めき』!」
『奇跡』の発現に呼応し、フランチェスカの肉体から鮮血が溢れ出る。激痛が絶え間なく痛覚を刺激し、気を緩めれば直ぐにでも気を失ってしまいそうだ。
「フランチェスカ・ブライト」
冷たく、凍える声音が響く。
情など一切感じさせない氷の女王が、フランチェスカを見ていた。
美しかった白貌には見る影が無い。フランチェスカの物か、それとも蓮華自身の物か分からぬ血で赤く染まり、顔色もすこぶる悪い。半ば死人のようにも思えた。
しかし、眼は。
黒の眼は、何にも染まらず、常と変わらない。
ただ、冷徹に冷酷に冷静に、フランチェスカを見詰める。
蓮華も彼女の肉体が悲鳴を上げていることに気付いている。
それでも彼女は容赦なく、戦うことを求めた。
心臓が鼓動を止めるその時まで。
戦え、と。
「…………そうね」
今も尚、激痛は全身を苛んでいる。少しでも気を抜けば狂ってしまいそうだ。時間が経つごとにフランチェスカ・ブライトという存在そのものが壊れていくのが分かる。
それでも。
心臓は、動いている。
なら十分。
「『飛翔せよ天の御使い』、『流星の煌めき』!」
全身全霊を、注ぎ込んだ。
同時に肉体が完全に崩壊する。
それでも止まらぬ激痛は魂すら犯す。
存在そのものを揺さぶる痛み。
フランチェスカ・ブライトが、壊れる。
「舐めるな――――私を――――フランチェスカ・ブライトをッ! 私は――――此処に居るッ!」
それを、フランチェスカは強靭な意志で拒絶した。
崩壊がギリギリの所で停止する。
フランチェスカ・ブライトが形を取り戻す。
だが彼女の役目は終わりではない。
「行きなさい蓮華。――――勝ちなさい」
手に抱えていた少女を、解放する。
蓮華は最後にフランチェスカを一瞥し、
「当然」
短く、答えた。




