23.心に空いた穴
フランチェスカ・ブライトは、空白を抱えている。
胸の奥。心臓の奥。或いは脳の奥。俗に心と呼ばれる所に空白は存在した。
「…………」
激戦の舞台から遠く離れたビルの屋上に、フランチェスカは居た。落下防止用の柵を椅子代わりにし、足を虚空に投げ出し、いつもと変わらぬ様子で街を睥睨する。
「流石キース・アークライト。『咎人眠る永遠の氷棺』相手でも優勢とはね」
フランチェスカの視線の先では、二人の奇跡使いが対峙していた。
キース・アークライトと氷室蓮華。共に有象無象の奇跡使いとは隔絶した実力を持つ怪物。
二人の戦いは天変地異を思わせるほど苛烈だった。
漆黒の破壊が吹き荒れ、風景を虚無の荒野へと変貌させる。対する氷の女王は鮮血を纏い、紅の氷鎖を用いて世界を凍結させる。衝突する破壊と氷結の余波が、フランチェスカの所まで届いてくる。
共に常識外れの実力者だからこそ成り立った極限の戦場。あそこに立っているどちらか一方が、もしも平凡な奇跡使いであったなら、間違いなく早期に決着していただろう。それだけ彼等の実力は突出している。
しかし如何に実力が常識外れとはいえ、彼我の差というものは存在している。この場に於いてはキースの方が蓮華を上回っていた。
当然だろうと、フランチェスカ思う。
確かに氷室蓮華は強い。『咎人眠る永遠の氷棺』という強力な『奇跡』と、恵まれた才能。そして特異な性質。これだけ要素が揃っていて弱い訳がない。
だが唯一、氷室蓮華には欠けているものがあった。
経験だ。
氷室蓮華の実力は全て『奇跡』と才能に寄っている。むしろそれだけでキースの様な猛者と相対していることを考えれば、如何に氷室蓮華という少女が規格外か分かるだろう。
それでもキースに及ばないのは単に経験が足りていないからだ。体の動かし方、『奇跡』の使い方、戦場の見方。才能だけではどうにもならない要素が戦場には多々有る。それらの積み重ねがキースと蓮華の差を作り出していた。
(このまま戦闘が進めば氷室蓮華は負けるでしょうね)
フランチェスカの目が細められ、戦場を見渡す。
迫り来る鎖の津波を前に、キースは魔剣を掲げた。
轟く破壊音。次いで咆哮。それだけで世界が壊れる。
暴君の真の姿。破壊に全てを傾倒した愚か者の末路。
されども力は本物だ。荒れ狂う暴力は氷室蓮華を追い詰める。
敗北。破壊の権化と化したキースに勝ち目は無い。
破壊の奔流が、蓮華を飲み込んだ。
(終わり、かしら)
あれだけの威力。まず生きてはいないだろう。仮に生きていたとしても戦闘続行は不可能だ。
暴君も自らの体を破壊し尽くしたのか、動きを止めて倒れ込む。だが死にはしないだろう。キースは『破壊の暴君』の所有者。扱いには長けている。暴君を解放しようと生き延びる術を持っているに違いない。
つまりは蓮華の敗北。彼女の戦闘不能で物語は幕を閉じる。
一部始終を見ていたフランチェスカは詰まらなそうに呟く。
「結局、合図は無かったわね」
期待していた。
もしかすれば、という期待が。
しかし結果は蓮華の敗北。
これにて閉幕だった。
「さて、どうしましょうか」
柵から立ち上がり、体を解す。
最早フランチェスカにはさっきまで激闘を繰り広げ、果てに敗北した少女のことなど興味が無かった。
フランチェスカ・ブライトは空白を抱えている。
彼女の心に広がる空白は、興味。誰かを思うという心だった。
彼女にとっての家族――――『ブライトの子供たち』以外、フランチェスカは基本的に興味が無い。例え目の前で家族以外の人間が死のうと、彼女は何ら気にせず歩を進める。――――人として致命的な欠陥と言えた。
とはいえ家族に対しては人並みの興味が有る。大切だと、思うことが出来る。空白を、埋めることが出来る。
要は彼女の抱える空白は、外的にしか埋めることが出来ないのだ。ネロを含めた家族達は、長い間フランチェスカと共に過ごした。それだけの時間を掛けて、彼女の空白を埋めた結果が、家族だけに向けられた興味だ。
フランチェスカは自分から興味を持つことはない。
他人が与えない限り、空白を埋めない限り、彼女は何にも興味を抱かない。
そこへ、氷室蓮華は現れた。
※※※※※※※※※
「こんばんは。良い夜ね」
月が頭上高くに昇った深夜。
氷室蓮華は、フランチェスカの前に現れた。
風に揺れる黒髪の長髪。
月光を受け、儚げに輝く白磁の肌。
夜の闇の如き黒曜石の眼。
月下、少女の存在は余りにも際立っていた。
一目見れば魅力され、虜となってしまいそうなほどに。
しかし今、ここに居るのはフランチェスカ・ブライトだ。空白を抱える彼女には少女の美しさなど何の影響も及ぼさない。
常と変わらず、フランチェスカは蓮華と相対していた。
「…………」
「何か言ったらどうかしら」
フランチェスカの挨拶を無視し、無言を貫く少女へ更に言葉を投げ掛ける。されども少女は口を開かず、ただじっとフランチェスカを見詰めていた。
「何も用が無いなら消えなさい。それとも用があるのなら今直ぐに――――」
「――――貴女が」
そこで、蓮華は重い口を開いた。
白い喉を震わせて、言葉を紡ぐ。
「貴女が、月宮くんを唆したというのは、本当?」
「…………ああ」
成る程。そういうことか。フランチェスカは得心する。
「つまり貴女は月宮秋が傷付いた原因が私にあると、そう言いたい訳ね」
蓮華は何も言わない。否定も肯定もせず、ただじっとフランチェスカを見詰めるのみ。
「確かに私は彼に選択肢を与えたわ。でもそれは必要なことだからそうした。……『賢者』のことは聞いているのでしょう?」
『騎士団』が抱える予言者――――『賢者』の存在はトップシークレットだ。『騎士団』の中でもその存在を知るのは団長と『円卓』、そして限られた団員のみだろう。それほどまでに徹底して秘されてきた名を、フランチェスカは簡単に口にした。
当然、考えなしの行動ではない。『賢者』の存在は確かに秘中の秘だが、『騎士団』外部にも存在を知っている者が幾人か存在する。その中の一人――――不老不死の怪物、ベアトリーチェがこの町には居た。
今回の件には『賢者』の予言が関わっていることをベアトリーチェは知っている。月宮秋の行動が予言の成就には必要だった、ということも。
間違いなく蓮華はベアトリーチェから話を聞いている筈だ。それでも納得がいかなかったから、彼女は此処に来た。そう、フランチェスカは判断した。
であれば同じことを繰り返すだけだ。『賢者』の存在を知っているのなら話は早い。月宮秋の犠牲は必要不可欠なものだったと、言葉を尽くすのみ。納得出来る出来ない、の話ではない。所詮それは蓮華の心の問題。フランチェスカには関係が無い。
ただ繰り返す。必要な犠牲だった、と。結局、真実はそれしかないのだから。そう思い口を開こうとし、
「私は、貴女が憎い」
叩きつけられた強烈な殺意に、開きかけていた口を噤んだ。
「貴女達の理屈は分かる。 『賢者』の予言を成就させるには、月宮くんの犠牲が必要だった、ということも理解出来る。――――それでも、憎悪を抱かずにはいられない。 貴女達さえ居なければ、彼は傷付くことなどなかったのだから」
向けられる殺意が、凍える冷気へと変化する。蓮華の『奇跡』――――『咎人眠る永遠の氷棺』が少女の憎悪に呼応していた。冷気の余波が、床をゆっくりと凍らせていく。
(これは言葉を尽くしても駄目かもしれないわね。邪魔をされるくらいならここで……)
蓮華に見えぬよう剣の柄に手を添える。 蓮華が少しでも攻撃を仕掛ければ、躊躇無く刃を振るうつもりだ。相手が『零』の所有者だとしても負ける気は一切無い。
「一ーでも」
唐突に、殺意が霧散した。同時に冷気も消滅し、凍結が停止する。
「……でも?」
突然の出来事に警戒しつつも、フランチェスカは剣から手を離し、言葉の続きを促す。
「彼を直接傷付けたのは貴女達ではない。それもまた、理解している」
確かに秋が傷付く原因を作ったのはフランチェスカ達『騎土団』だ。しかし秋を実際に傷付けたのは彼らではなくキース・アークライトという一人の男に他ならない。 蓮華も、その事実は理解している。
「私は彼を傷付けた存在を許さない。 絶対に、何があろうと殺すと彼に誓った」
先ほど見せたものとは比べ物にならない殺意を蓮華は惨ませる。その余りの殺意に無意識にフランチェスカは剣を掴んでいた。
「なら何故、私の所に」
当然の疑間を投げ付ける。 月宮秋の顛末は、 既に少女の中で決着が着いているという。ならば、どうしてフランチェスカの下を訪れたのか。 彼女の目的がフランチェスカの糾弾で無
いとすれば、何故。
「キース・アークライトを殺す。それが私の目的。その為なら手段は選ばない」
「つまり?」
「フランチェスカ・ブライト。 貴女にはキース・アークライトを殺す手伝いをしてほしい」




