21.捧げられた命。守られた命
――――後は、頼むわね。
昔の話だ。
ある女が居た。
強く、優しく、気高い女が。
――――ネロ。
彼女のことが、好きだった。
愛していた。
だが彼女は、もう居ない。
――――思えば私も貴方の事が。
それでも、忘れられない。
――――好きだった……かもしれないわ。
忘れることなど、出来やしない。
※※※※※※※※※
血飛沫が、頬を濡らす。
唖然とするネロの目の前で、白髪の少女――――ベアトリーチェは地に伏した。
「ベアトリーチェ!」
荊を切り裂き、ネロはベアトリーチェに駆け寄る。
彼女の肉体は荊によってズタズタ引き裂かれていたが、既に傷は治り始めていた。
裂けた肉が塞がる。
千切れた指が繋がる。
失われた血は体へ。ネロの頬に付いた血も彼女の体へ戻った。
「……これが、不死か」
あっという間にベアトリーチェの肉体は元の姿を取り戻していた。噂でしか聞いたことのなかった不死を目の当たりにし、ネロも言葉を失う。
一目で理解出来た。これは、明らかに違う。
『奇跡』など生温いものではない。まるで呪いだ。生から死へ続く人の営みの冒涜だ。本当に、この世に存在していいモノなのか?
恐れを抱くネロを他所に、ベアトリーチェは目を覚ました。ベアトリーチェはネロを見ると、弱々しく微笑む。
「無事で良かったわ」
「……感謝はしないぞ」
「別にいいわ。元から期待していなかったし」
「……何故、助けた?」
「別に。単なる気紛れよ」
そう言い、ベアトリーチェは起き上がる。
ネロに背を向け、ぽつりと呟く。
「さ、行くわよ」
術式を展開し、彼女はドストエフスキーへと突撃した。
荊が一人の少女へと殺到する。
そんな彼女の後ろ姿をずっと眺めていたネロは――――
「……彼女は、君に似ているな」
苦笑し、剣を構える。
見た目や性格は、彼女には全く似ていない。だが、その在り方は、どこか似ていた。それは彼女の弱さでもあり、強さでもあった。ネロはそんな彼女のことが、好きだった。
――――ネロ。
思い出せる。忘れはしない。彼女の姿、彼女の言葉、彼女声。全て覚えている。
「そうだな。俺は、君に後を託された。なら――――」
――――ネロは、強くなれる。
「こんな所で負けてはいられないな。そうだろう? ――――来い『騎士の聖鎧』!」
所有者の呼び声に『奇跡』は応じた。
力を最大限まで引き出し、白い燐光が吹き荒れる。
「ネロ!」
これまで荊を牽制していたのだろう。所々に傷を負ったベアトリーチェが、ネロの近くに寄る。
「後は、頼んだわよ?」
「――――ッ」
奇しくもそれは、彼女の言葉に似ていた。
「ああ」
あの時、返せなかった言葉。
ようやく、返すことが出来た。
最早、憂いは無い。
「さてと……待たせたなドストエフスキー。死んだふりはもういいだろう?」
「……いつから気付いていた?」
腹部を貫かれ、絶命した筈の男が、面を上げた。
顔色は悪いが、死人には思えない。ドストエフスキーは生きている。
「最初からさ。所有者が死ねば『奇跡』は消える。いくら『荊の庭園』でも、それは変えられない。死を偽装したければ『荊の庭園』を消すんだったな」
「それは無理だ。もう『荊の庭園』は、私の言うことなど聞かない」
弱々しくドストエフスキーは腹の傷に触れる。
「私の魂を喰らったのだ。穢れた魂を。『荊の庭園』の進化は止まらない。際限なく成長し、いずれ崩壊する」
「ならここで止めるだけだ」
「出来るか? 六百六十六の魂と、私の穢れた魂を喰らった『荊の庭園』を止められると?」
「そうだ。俺が勝つからな」
「笑わせる。口だけなら何とでも言えるものだ」
「なら証明してやる。俺の勝利を」
腰を低くし、剣先を相手に向ける。
荊が蠢き、ドストエフスキーの前に再び人型を形成した。所有者を守るつもりなのだろう。
「――――押し通る」
燐光が、吹き荒れた。
砲撃の如き踏み込み。大地は砕け、大気が震えた。
爆発的加速によってネロの体が白き矢と化す。迫り来る荊を薙ぎ倒し、人型と対峙する。
「切り裂けッ!」
ネロの斬撃が吸い込まれるように人型へ。
人型は束ねた荊を盾の様にして斬撃を防がんとする。
荊の硬度は鉄を遥かに凌駕している。唯一苦手としていた火炎もドストエフスキーの魂を喰らうことで克服した。如何にネロが鎧の力を引き出そうと斬られることなど最早有り得ない。
「邪魔だっ!」
剣と荊が衝突す。
燐光が爆発し、ネロの力が荊を上回る。
だが荊は斬れない。最早、力技でどうにかなる域を荊は越えている。
「無駄だ」
人型が拳を振るう。束ねられた荊が、ネロの腹部へ直撃した。吹き飛ばされ、鎧が砕け、剥き出しの肉が棘に抉られる。血が吹き出し、純白の鎧を赤く染め上げた。
「ッ――――!」
即座に鎧を修復。腹部の激痛を抑え込み、地を蹴る。狙いは――――ドストエフスキー。
人型も所詮は『奇跡』の産物。所有者が死ねば消滅する。だが『荊の庭園』が、それを忘れている筈も無い。
ネロの足下に荊が走る。荊は足を絡め取り、そのままネロを頭上高くへと持ち上げた。
「クソっ! 離せ!」
剣を振るうが荊は斬れない。荊はネロを軽々と振り回し、勢い良く地面へと叩き付けた。
「かはっ…………」
衝撃で肺から空気が零れる。
鎧は砕けずに済んだが、ダメージはネロへ届いている。腹部の傷も含め、激しい痛みが全身を駆け巡った。
「所詮は威勢だけか『騎士団』。無様だな」
ドストエフスキーが嘲笑する。
当初は危険と思っていた『騎士団』もこうして為す術無く荊に弄ばれている。上位の騎士ではないにせよ、ここまで弱いとは思っていなかった。
「もう少し歯応えがあると思ったんだがな」
「げホッ! そうかよ……そりゃあ期待外れで悪いな……」
叩き付けられた衝撃で内臓を痛めたのだろう。血を吐き、よろよろとネロは立ち上がる。しかし周囲を荊が取り囲んでいた。一歩でも動けばネロは再び荊に絡め取られるだろう。
「もう終わりだ。抵抗は止めておけ。苦しいだけだぞ」
「悪いな。『騎士団』の騎士は諦めが悪いんだ。例え死中だろうと足掻き続けるさ」
「そうか。なら私も容赦はしない」
荊が蠢く。人型がネロの対面へ出現し、指揮者の如く腕を掲げる。
「さらばだ」
人型の腕がネロを指し示す。
ありとあらゆる荊が、ネロへと突撃した。
「――――」
迫り来る死を見詰める。
思い出すのは過去の記憶。
余りにも不甲斐ない、腑抜けた自分の姿。
「……あの時のことを思うと、今でも腸が煮えくり返る」
恐怖を前に、怯える自分。
恐怖を前に、立ち塞がる彼女。
「俺は、弱かった。身も心も。強ければと、何度も思った。何度も自分を憎悪した。殺してしまいたいと思うほどに」
対峙する彼女の姿は美しかった。
まるで夢物語の英雄の様に輝かしく、尊い。
彼女の死が、自分を生かした。
その事実は変わらない。自分を憎悪し、彼女を悼んだ所で所詮は後の祭り。ネロの憎悪に意味は無く、彼女の捧げた命にこそ価値がある。
だから報いねばならない。
騎士として、人として、彼女に救われた男として。
「俺は――――」
尊き彼女の死に様を、穢すことだけは許されない。
「勝つよ。クレア」
宣言す。
「――――『拒絶する光の聖域』」
穏やかに、ネロは第二の『奇跡』を覚醒させた。




