04.第零階梯
凍り付いた学舎を元に戻した後、三人は秋の案内で駅前の喫茶店へと赴いた。
秋が扉を開けて中に入る。入店を知らせるベルが鳴り響き、ウエイトレスが姿を見せた。レトロな店内には時間帯の割に意外にも客が誰一人として居なかった。
ウエイトレスの案内で三人は席に着く。秋の隣に蓮華が。二人の対面に白髪の女が座った。
直ぐさま秋はコーヒーを、蓮華は紅茶を注文する。白髪の女は何も注文しなかった。
暫しの沈黙が流れる中、一番最初に口を開いたのは蓮華だった。
「それで…………全て話してくれるの?」
「もちろんよ。そうね…………まずは力の説明をした方がいいかしら」
「何故? 私は知ってる」
「貴女の為じゃないわ。そこの彼の為よ。力について何も知らないんじゃ、これからの話は理解できないでしょうし。……という訳で」
女の視線が秋へと向けられる。急に話を振られた秋は体を強張らせた。緊張する秋の様子に女はクスクスと笑む。
「そんなに緊張しないでも大丈夫よ。危害を加えるつもりなんて更々ないから安心して」
嘘をついているように、秋は思えなかった。
言われるがまま肩の力を抜き、椅子に深く腰掛ける。秋の緊張が解れたのを見て、女は言葉を続けた。
「貴方は、あの力を何だと思った?」
笑顔を浮かべたまま、女は問う。
力…………それは先程、秋や蓮華が見せた力のことだろう。人が本来、持ち得ない力。そして、秋の窮地を救った力。それは紫髪の女の言葉を借りるならば、
「奇跡…………か?」
「そう。貴方の言う通り。あれは『奇跡』と呼ばれる力。人に与えられた、超常の力よ。貴方も、そこの彼女も同じ『奇跡』を有する者ってこと」
女の言葉に蓮華が頷き、言葉を継いだ。
「『奇跡』の力は絶大。特に『奇跡』を持たない者にとっては脅威となる。だから、『奇跡』を持たない者が『奇跡』を欲して所有者から奪うことが稀にある。私は、月宮くんがそこの人から『奇跡』を奪ったと聞いた」
「『奇跡』を奪う? 何のことだ。そもそも俺は『奇跡』の存在すら今始めて知ったんだぞ」
「うん。貴方と戦って、それは何となく分かった。貴方は『奇跡』を知らないって。だから…………どういうことなのか説明をしてほしい」
蓮華の目が女へと向けられる。
女は申し訳なさそうに、しかし毅然とした態度で言い放った。
「そこの彼の為よ」
「俺の?」
自身を指差す秋。女は頷く。
「事の発端は昨晩まで遡るわ。昨晩、私は血溜まりの中で倒れる貴方を見付けた。それは覚えているわね?」
「ああ。あの男に、俺は殺された」
無意識に喉に秋は手を当てる。
辛く、苦しく、痛かった。恐怖が体に刻まれている。
これまで平穏な人生を歩んでいた秋にとって、向けられた純粋な殺意は彼の心を縛り上げるのに充分だった。意識すれば、否が応でも震えてしまう。恐ろしいのだ。
「君は…………あの男のことを知っているのか?」
「ええ。でもその話は後にしましょう。…………貴方にも時間が必要でしょうし」
「なんだ、お見通しか」
「まあね」
時間が解決してくれるかどうかは分からないが、女の気遣いは秋にとって嬉しいものだった。
「お待たせしました」
タイミング良くウエイトレスの声が会話を遮った。注文したコーヒーと紅茶がテーブルへと並べられる。秋と蓮華は同時に口を付け、渇いていた喉を潤した。思った以上に苦かったのか、秋は渋い顔を浮かべる。
「続きは?」
カップを置き、蓮華が先を促した。
秋も興味深そうな視線を向ける。
「血溜まりの中で彼を見付けた私は、彼を助けることにしたわ。幸いなことに私の持っていた『奇跡』は、それが可能だった。…………『千の魔術を統べる者』。貴女も『奇跡』を持つ者なら、この名を知っている筈よ」
『千の魔術を統べる者』。その名を聞いた蓮華の表情が一変する。いつも無表情の彼女には珍しい、感情を露わにした表情だった。
「『千の魔術を統べる者』…………まさか零の一つがこの町に訪れるなんて…………」
「…………なあ。その『千の魔術を統べる者』って、そんなに凄い『奇跡』なのか?」
「凄い。世界で唯一無二の『奇跡』。第零階梯に属するレアの中のレア」
「…………すまん氷室。全く意味が分からないんだが」
蓮華の説明とも言えない言葉に秋は困惑した表情を浮かべる。蓮華は冷たい瞳を秋へ向け、詳しく説明を始めた。
「通常『奇跡』は同一のものが複数存在する。一種類が一つしかない訳じゃない。…………でも、例外が存在する」
「それが、さっきのか?」
「そう。『千の魔術を統べる者』は、世界に唯一の『奇跡』。現在の持ち主が死ぬまで、所有者はその人しか世界に存在しない。でも、そうした唯一無二の『奇跡』は他にもある。それらは全て第零階梯に属する」
「第零階梯?」
「『奇跡』を希少性で区分したもの。第零階梯は、唯一無二の『奇跡』だけが属する。それから第一階梯、第二階梯、第三階梯と、下に行くほど種類あたりの数が多くなる」
「因みに第三から第一は無数の『奇跡』が存在しているけど、第零は十種類しか存在してないわ。それだけ唯一無二の『奇跡』は希少なの」
「だから氷室はあんなに驚いたのか…………」
無数に存在する『奇跡』の中でも、一際希少な『奇跡』。それを持つ者が目の前に居るのだ。蓮華の驚きも仕方ないと、秋は納得した。
「ちょっと逸れたけど、話を戻しましょうか」
「ああ頼む。確か君がその『千の魔術を統べる者』で俺を助けようとした所からだっけか?」
「そうよ。私は『奇跡』で貴方を助けようとした。そして、見事に成功したわ。貴方は死の淵から脱したの」
「…………二度目になるけど、ありがとう。君が居なければ俺は死んでたよ」
「気にしないでいいのよ本当に。…………貴方に、余計な物を背負わせてしまったのだから」
「余計な物?」
首を傾げ、問い掛ける秋。その問いに答えたのは女ではなく、蓮華だった。
「…………『千の魔術を統べる者』」
「正解、よ。私は月宮秋を助けた。その代わり『奇跡』を失ったのよ。失われた『奇跡』は、貴方の物となった。だから、今の所有者は君なの。月宮秋くん」
女の青い瞳が秋を見る。それは普通の日常を生きていた青年が、非日常の世界へと足を踏み入れた瞬間だった。