18.鮮血の鎖は砕け散る
先手を取ったのは、キースの方だった。
剣を握り締め、横薙ぎに払う。
単純極まりない技とすら呼べない攻撃。しかしそれだけで、破壊の剣である『破壊の暴君』は大気を震わせ、大地には深い傷を刻み付けた。されども剣撃の破壊力は留まる所を知らず、蓮華へと襲い掛かる。
「凍れ」
冷たい声音が、世界に響いた。
氷の巨壁が一瞬にして蓮華の目の前へと出現する。数メートルの厚さを備えた壁は盾となり、剣撃とぶつかり合うが、所詮は氷の塊。壁は簡単に砕け散り、無数の破片と化した。
剣撃が、迫る。
だが蓮華は冷静に『奇跡』を操る。『咎人眠る永遠の氷棺』の力の一つである封印の力を高め、剣撃を包み込むように氷棺を作り出した。
恵まれた才能と、壁を用いた威力の減衰。如何に『破壊の暴君』の一撃といえど、封印を逃れることは出来ない。
「凍れ」
破壊を凍らせ、間髪入れず蓮華はキースを凍て付かせる。
キースは地を蹴り、前に大きく跳躍した。
「『破壊の暴君』ッ!」
三度、剣を振るう。
風景が爆ぜた。ありとあらゆる全てが塵と化す。
「…………」
防御は不可能だろう。
そも『咎人眠る永遠の氷棺』と『破壊の暴君』の相性は最悪だ。『破壊の暴君』の破壊力は、如何に封印に長けた『咎人眠る永遠の氷棺』とて封じることが出来ない。先のように減衰させてやっとだ。
迫り来る三撃を防ぐには相当減衰させねばならないだろう。だが当然、そんな余裕は無い。迫る死を受け入れる以外に、蓮華に選択肢は無い。
――――だから、どうした?
諦めることは簡単だ。今すぐ戦うことを止めればいい。何もかもを投げ出して、無様に殺されればそれで終わる。
しかし、彼は逃げなかった。
月宮秋は、立ち向かった。
死を覚悟して、突き進んだのだ。
なればこそ、ここで蓮華が逃げる道理は無い。
死以外に選択肢が無いのなら、それでもいいだろう。
なら新たな選択肢を作るだけだ。
「私は彼と約束した。必ず勝つと」
破壊が迫る。
既に回避は不可能。
死を受け入れるのか、それとも――――
「『咎人眠る永遠の氷棺』――――解放なさい」
――――『咎人眠る永遠の氷棺』には、秘らされた力がある。
これまで『咎人眠る永遠の氷棺』の所有者は数多く居た。だが、誰一人として秘された力まで辿り着いた者は居ない。
何故なら、才能が足りなかったからだ。
『咎人眠る永遠の氷棺』という強大な力を扱うのには、余りにも力不足。秘された力など届く訳が無かった。
氷室蓮華という少女が、手にするまでは。
彼女の才能は、まさしく『咎人眠る永遠の氷棺』を扱う為に存在していた。否、彼女が扱う為に『咎人眠る永遠の氷棺』が存在していた、と言ってもいいだろう。
これまで誰一人として届かなかった力に、彼女は届いたのだから。
「…………この力は、本来使うべきではない」
大量の血液が、蓮華の背から吹き出した。
血は蓮華の体を伝い、地面に血の池を作り出す。
「『咎人眠る永遠の氷棺』の深淵は、決して人が辿り着いていけないから」
流れ出た血が、凍り付いた。
氷は侵食するかの如く蓮華の体を上っていく。
「それでも、私は解放しましょう。約束を果たす為。貴方を殺す為」
少女の全身を、赤い氷が覆った。
氷は鎖となり、蓮華の体を縛り付ける。
まるで、咎人の様に。
「――――『第一円』」
『咎人眠る永遠の氷棺』の秘された力、その一つ。
第一の封印術――――『第一円』。
所有者の血を媒体とした鎖は、無比の封印能力を持つ。如何に暴君のもたらす破壊が強大とて、『第一円』の前には無力だ。
「縛り付けろ――――!」
蓮華が縛られた手を振るう。
鎖は所有者の命令を速やかに実行した。
迫る破壊が、鎖に包み込まれる。形無き事象すら、『第一円』は封じる。
「壊れろ」
破壊を包んでいた鎖が、動きを止める。
鎖の塊と化した破壊は鎖と共に泡の様に弾け、消えた。
後には破壊の爪痕が残るだけ。
「次は…………お前だ」
間髪入れず、蓮華は鎖を繰る。
無数の血の鎖が、さながら津波の如くキースへ迫った。
視界を埋め尽くす鎖、鎖、鎖。逃げ場など存在せず、立ち向かう以外に選択肢は無い。
しかし鎖は普通の鎖ではなく、『咎人眠る永遠の氷棺』の作り出した鎖だ。生半可な攻撃では容易く絡め取られ、氷の中だろう。
さりとて破壊は無意味だ。先の一撃でそれは証明されている。破壊では、鎖は突破出来ない。
「だから、どうした」
破壊では鎖を壊せない?
破壊すら鎖は封印する?
「笑わせるなよ氷室蓮華。たかが零が――――俺の破壊を防げる訳がねぇだろッ!」
咆哮し、高らかにキースは剣を掲げる。
「さあ壊すぞ『破壊の暴君』。目の前の全てを――――あの女を!」
漆黒の剣が、歓喜に打ち震える。
「起きろ暴君。――――壊し尽くせ」
鎖は――――『第一円』は強力な能力だ。
形無き事象すら縛り付け、封印する。『咎人眠る永遠の氷棺』の持つ封印の力を最大限に発揮した形と言えるだろう。
破壊すら、鎖の前には無力だった。
では、暴君は鎖を壊せないのか?
答えは否。
ありとあらゆる全てを壊してこその破壊。
それこそ――――暴君。
「ッ!」
破壊は、一瞬でもたらされた。
怒涛の鎖が砕け散る。
全てが、粉々となる。
「何が――――」
鎖の破片が舞う中、彼は居た。
黒き影を纏い、全身に傷を負い、周囲の全てを壊し尽くして。
「あれが…………暴君……?」
暴君が、咆哮す。
「――――――――――――!」
壊れる。
壊れる。
壊れる。
大地が鎖が世界が、壊れる。
暴君の一声は、それだけの破壊力を持っていた。
最早、キースの人格は存在しない。
『破壊の暴君』の解放とは即ち暴君の解放だ。内に秘めたる力全て解放し、暴君と化す禁忌の技。だが極致の破壊力は、如何に暴君といえど制御は不可能だ。溢れ出す力は暴君の肉体と精神を壊し、果てには自壊するだろう。
しかし暴君は止まらない。我が身の破壊すら享受する。
故に、暴君。
「――――!」
無造作に剣が振るわれた。荒れ狂う破壊が地面を吹き飛ばし、大量の土砂が豪雨の様に降り注ぐ。
蓮華は鎖を束ね、身を守るべく傘を作り出した。土砂は傘に阻まれ、蓮華の身を傷付けるには至らない――――が、彼の姿を隠すには充分過ぎた。
「ガァァァァァ!!」
「ッ!」
土砂の雨中、影が落ちる。
力任せの一撃が、傘に叩き付けられた。
闇が、炸裂した。
傘は刹那も保たずに消滅し、それでも止まらぬ破壊の奔流が蓮華を襲う。
「『咎人眠る永遠の氷棺』」
氷の棺が乱立し、破壊を阻む。
だが、暴君の破壊は程度が違う。棺は次々と破壊され、盾の役割すら果たせない。
「縛れ」
しかし蓮華は冷静に鎖を繰る。
棺は時間稼ぎ。僅か数秒でも稼いでくれればそれでよかった。
少女に纏わり付いていた鎖がのたうつ。
赤い鎖が、破壊を包み込まんと邁進した。
砕け、砕け、砕け、それでも鎖は止まらない。
無駄な足掻きだ。その程度で暴君のもたらす破壊を止められる訳が無かった。
破壊が、迫る。
鎖によって勢いこそ衰えてはいるものの、破壊力に変化は無い。直撃すれば蓮華を消し飛ばすことなど造作も無いだろう。
「っ…………」
蓮華の額を汗が伝う。
『第一円』は蓮華の血を媒体としている故、その消耗は通常時の比ではない。ましてや連続での使用など初めてのことだ。
(長くは保たない……)
既に鎖も所々崩壊しつつある。このままでは破壊を留めることも不可能となるだろう。
(……でもその前に『アレ』が来れば……もしくは……)
強く奥歯を噛み締め、蓮華は鎖に血を行き渡らせる。
気を抜けば一瞬で、蓮華など塵一つ残らず消え去るだろう。だがそれはこのままでも同じことだ。この状況を変えるには『アレ』の到着を待つしかない。
だから粘り続けている。
必死に意識を繋ぎ止め、鎖を繋いでいる。
だが暴君が、待つ筈も無かった。
「――――――――!」
咆哮。跳躍。
剣を大上段に構え、暴君は全力で、振り下ろした。
大気を破壊し、黒き鉄槌が落ちる。
先の破壊すら凌駕する一撃が、蓮華へ迫った。
(ッ…………!)
蓮華の表情が初めて変わる。
無表情から驚きへ。
そして少女の姿は、破壊の奔流へと飲み込まれた。




