17.交錯する死の運命
『賢者』。
その名を知る者は、余りに少ない。
『賢者』を抱える『騎士団』内部とて、その名を知る者は殆ど居ないだろう。ましてや外部の者となると、余程『騎士団』と関わりがなければ、名を小耳に挟むことすら不可能な筈だ。
その最早伝説の存在とでも言うべき『賢者』を、何故ベアトリーチェが知っていたのか。疑問はあれど、彼女は確かに『賢者』の存在を知っており、その力も知っていた。
予知能力。
文字通り未来のことを予知する異能だ。
当の『賢者』を知らぬ蓮華からしたら眉唾物の能力でしかない。恐らく『奇跡』の力なのだろうが、果たして信用に値する力なのか、それが気掛かりだった。
「『賢者』の予知は、信用出来るの?」
蓮華の問いにベアトリーチェは、
「ええ」
迷いなく、頷いた。
それが嘘偽りでないことは、蓮華にも理解出来た。
ベアトリーチェは心の底から『賢者』を信用している。それが分かったからこそ、蓮華も予知を信じることにした。
彼等が――――ドストエフスキー達が仕掛けてくる未来を。
そして、予知は現実の物となった。
天を覆う荊のドーム。
降り注ぐ血の雨。
醜悪極まりない光景を目の前に、蓮華は隣の少女を見やる。
ベアトリーチェは『奇跡』を発動し、術式を展開していた。
彼女が組み上げているのは転移用の術式だ。予知が成就した今、こちらも事に移す必要が有る。その為の準備は既に終えている。
「完成っと。じゃあ蓮華、私は行くわ」
「了解」
ベアトリーチェは立ち上がり、展開した術式の下へと歩いて行く。しかしふと足を止め、
「勝ちなさいよ」
振り向かず、そう告げた。
蓮華が何か応える前に、ベアトリーチェは紫色の光と共に転移する。赤色の世界に、紫の燐光が舞った。消え行く光を眺めながら、蓮華は呟く。
「知れたこと。私は勝つわ。ベアトリーチェ」
そう言い、蓮華は後ろを振り向く。
一体いつから居たのか。そこには若い男が立っていた。男――――キースは歪んだ笑みを浮かべ、蓮華を見やる。
「誰が、誰に勝つんだ」
「私が、貴方に」
真っ直ぐキースを見詰め、蓮華は言葉を返す。自分の勝利を、蓮華は一切疑っていなかった。
「へえ。俺の顔を見るやいなや襲い掛かってくるかと思ったが、案外平気そうだな。どうした腑抜けたか?」
「そう、見える?」
「いいや。お前の顔は飢えた獣のそれだ。……殺したくて殺したくて堪らないんだろう?」
「愚問」
パチンと、蓮華は指を鳴らす。
彼女の命に従い、『奇跡』が動く。
極寒の冷気が集い、瞬く間に蓮華の周囲が凍り付いた。だが勢いは衰えず、生命の存在を決して許容しない骸の大地は蓮華を中心に世界を変えて行く。
血の雨すらも凍て付かせ、氷の女王は黒色の眼をキースに向けた。底無しの瞳が宿すのは強烈なまでの殺意。
「お前は、絶対に殺す。例え刺し違えてでも、殺してみせる」
問う必要など無かった。
ここに居るのが蓮華であり、対峙しているのがキースである以上、他の結末は存在しない。共に生き残ることもなければ、蓮華だけ死ぬこともない。
キースの死は、既に確定している。
それは運命であり、変えることは到底不可能だ。
しかし――――
「殺せねぇよ」
死の運命を、キースは嗤った。――――瞬間、氷の世界が、音を立てて破壊された。まるで硝子のように、脆く崩れ去る。
いつの間にか、キースの手には漆黒の剣が握られていた。
遠目にも強烈な圧を感じさせる剣の名は――――『破壊の暴君』。
「俺が、お前を壊す」
運命が死を定めたと言うのなら、運命を破壊しよう。
目の前の女が死を運ぶと言うのなら、女を破壊しよう。
彼は破壊の具現。
壊すことしか能のない、生粋の破壊者。
これまでも、幾度の死を破壊してきた。
今回も、変わらない。
故に蓮華は、キースを殺せない。
「…………」
「…………」
二人の視線が交錯する。
隠し切れぬ殺意が。
喜びにも似た破壊欲が。
――――交わり合う。
果たしてそれが、開戦の合図となった。




