14.繰り返される怪物殺し
「一体、貴方は何を考えているのかしら」
その問いは、余りにも突然投げ掛けられた。
既に日が落ち、常闇が支配する時間帯。
ネロは開けた公園で剣を振るっていた。
その手が、止まる。
激しさを増していた心臓が段々と落ち着きを取り戻し、汗が次第に冷え始める。
「これはまた随分と礼儀を知らない客だな」
「貴方を相手に、果たして礼儀が必要?」
「親しき仲にも礼儀あり、という言葉もあるが?」
「親しくなんてないもの。それに予想はしていたんじゃないかしら? 私が来ることを」
眩い月光の下に少女――――ベアトリーチェが姿を晒す。
麗しい美貌と、白髪青眼を合わせ、月光を浴びる姿は妖精の如く美しい。
だがネロは知っている。
美しい見た目とは裏腹に実際は醜い怪物であると。
不老不死。
人という生物を越えた、化け物。
(俺が、それを言えるのか)
滑稽だ。
ネロとて、常人に非ざる奇跡所有者。化け物と何ら変わらない。
所詮は同じ穴の貉。正義を名乗り剣を振るったとしても、それが決して変わらない真実だ。
だから当然、分かっていた。
ベアトリーチェが来ることも。
来る理由も。
「月宮秋の、ことだろう?」
薄らと笑みを浮かべて、ネロは青年の名を口にする。
さながら嘲笑うように、ベアトリーチェからは見えただろう。しかし表情一つ変えもせず、淡々と言葉を返す。
「正解。でも私が本当に訊きたいのはそれじゃない。分かるでしょ? 貴方なら」
「分かるさ。ただ、それを話すと思っているのか?」
「話さないなら結構。私も対応を変えるだけだわ」
月を背に、無数の術式が展開される。数えることすら馬鹿らしくなるそれらは全て、ベアトリーチェが即興で構築した魔術であり、素材だ。
「……本気か?」
「ええ。悪いけどストレス溜まってるの。発散するのに――――少し付き合って貰えるかしらッ!」
ベアトリーチェの指揮の下、術式が複雑に絡み合う。されども速度は神速。瞬く間に術式は一つの形を成し、彼女の内に秘めた怒りを体現するように、完成した術式は眩く光り輝いた。
「【海原】!」
叫びと共に、灼熱が荒れ狂う。
赤色の奔流が夜闇を切り裂き、世界を一変させる。
溶岩の怒涛が、有象無象を飲み込んだ。
「容赦なしか!」
ネロが即座に鎧を纏う。純白の騎士と化し、ネロは躊躇なく溶岩の海へと突撃した。
「ハッ!」
大上段からの振り下ろし。『破壊の暴君』ほどの破壊力は無いにせよ、鎧によって強化された斬撃は海を割るには充分過ぎた。
白銀の剣が海を割る。
通路のように道が生まれ、散らされた溶岩が火の粉を撒き散らす。間髪入れずにネロは踏み込み、ベアトリーチェは次なる魔術を放った。
「【聖槍】!」
通路と同じ大きさの術式が、神々しく輝いた。
雷を迸らせ、巨大な槍の先端が姿を見せる。
「穿て!」
弾丸の如く、槍が放たれた。
まるで地を駆ける星。放たれた槍は極太の雷を縦横無尽に振り撒き、神速で通路を穿つ。雷が大地を蹂躙し、溶岩を消し飛ばした。神の暴威が形を成してネロを襲う。
「ッ!」
立ち止まり、ネロは剣を構える。
向かう槍は力の塊だ。下手な技では容易く消し飛ばされるだろう。なればこそ力で、こちらも立ち向かうしかない。
構えは先と同じ大上段。
鎧の力を、最大限まで高める。
肉体の限界を遥かに超える。
渾身の力を込め、剣を振るう。
「オオオオオオオオオオオオ!」
穂先と刃が、衝突す。
雷が荒れ狂い、隕石の直撃にも匹敵する衝撃が騎士を襲った。堅固な鎧は弾け飛び、雷が肌を焼き焦がす。されどもネロは、槍を抑え込んでいた。
しかし均衡も長くは続かない。
次第に剣が槍に押され始める。歯を食いしばり、苦悶の表情を浮かべてネロは押し返そうとするが、如何せん力が余りに不足していた。
【聖槍】は、数百にも及ぶ術式を組み合わせて構築した大魔術。出力の勝る秋とて、この域の魔術を行使するには多少の時間を要するだろう。
それだけの大魔術を前に、力不足は致し方ないと言えた。それこそキースの『破壊の暴君』でもなければ突破など不可能だからだ。
「貴方はよく頑張ったわ。安心しなさい。殺しはしないから」
三度目の魔術を行使するべく、ベアトリーチェは術式を展開する。
これが発動すれば、ネロの勝利は潰える。敗北が、決定する。
「だから、言っただろう」
剣が、完全に吹き飛ばされる。槍は多少威勢を削がれたものの、充分な破壊力を伴い、ネロを穿たんとする。
けれどもネロは不敵に笑い、
「『騎士団』を舐めるなよ」
槍が、ネロを穿つ刹那、
「…………なる、ほどね」
鋭い刃が、ベアトリーチェの胸から突き出す。
剣先には赤く脈動する臓器――――心臓。
青い瞳から生気が消え失せる。
死体と成り果てたベアトリーチェは糸の切れた人形の如く崩れ落ちた。
同時に魔術が消滅する。ネロを穿たんとしていた槍も幻想と成り果てた。力を使い尽くし、ネロが地面に倒れ込む。
「ネロッ!」
慌てた様子でベアトリーチェを刺し殺した女――――フランチェスカが駆け寄った。ネロを抱き起こし、体の状態をチェックする。
幸い重症と呼べ怪我は無く、フランチェスカはほっと息を吐く。ネロの回復力なら直ぐに治るだろう。『騎士団』には専用に調合された治療薬もある。少なくとも死にはしない。
「良かった……」
一安心し、フランチェスカは優しくネロを横たわらせた。
穏やかな表情を引き締め、背後へ視線を向ける。
「……」
ゆらりと、白が揺れる。
刺し貫かれた胸の傷が瞬く間に塞がる。奪われた心臓が塵と化す。まるで最初から傷など存在しなかったかの様に、少女の肉体は変化する。
生者を冒涜する行為だと、直ぐにフランチェスカは気が付いた。多くの者が彼女を蔑み、忌避し、殺そうとする理由が、正しく目の前で繰り広げられている。
かつて『騎士団』の先人達は数多く、ベアトリーチェへと挑んだ。フランチェスカは彼等の行為が正しかったのだと得心する。
これは、存在してはいけないモノだ。
生者を嗤い、死者を蹴り、根底を覆す文字通りの化け物。
「…………ッ」
殺せない、という恐怖だけではない。
生き返る、という恐怖もまた、フランチェスカを縛る。
「怖い、かしら?」
蘇生を果たし、ベアトリーチェはゆっくりと体を起こした。
色を失っていた瞳が蒼玉の輝きを取り戻し、爛々と輝く。その姿は死ぬ前と何ら変わる所が無い。
「怖くないと言えば、嘘になるわね。でも平気よ。ネロが居るもの」
「そこで倒れてるけど?」
「近くに居るだけで充分。それだけで、私は戦えるわ」
剣を構えるフランチェスカ。
彼女の瞳は真っ直ぐに、ベアトリーチェを見詰めていた。
瞳の奥には紛れもなく恐怖がある。しかし剣に恐怖は無かった。フランチェスカは言葉通り、恐怖を感じながらも戦う覚悟があるのだろう。
「ならここで手を止める理由は無いわね」
術式を展開し、臨戦態勢に入る。
フランチェスカも剣を握る手に力を込めた。
「――――止めろ」
そこへ、低い声が割り込まれた。
共に動きを止め、声の主――――ネロの方を向く。
「止めろ、とは?」
「言葉通りの意味だ。もうこれ以上、戦う理由は無い」
「戦う理由が無い? 嘘言わないで。私はまだ――――」
「話してやるよ」
「ッ!」
「話してやる。俺達の知る全て。俺達が、何を考えているのか。ありとあらゆる全て、な」
「それは……どういう風の吹き回しかしら?」
疑いの目をネロへと向ける。だが今の話を疑うな、と言う方が無理な話だろう。
これまで頑なに話そうとしなかった『騎士団』の知る全て。それを唐突に話す、と言うのだから。何か裏があると思うのが当然だ。
しかしネロは首を振る。
「別に裏なんてないさ。そろそろ良い頃合だからな。黙っている意味も無い」
「良い頃合……? それはどういう……」
「六十六人」
「え?」
「ここ三日間で消えた人間の総数だ。彼等は間違いなくドストエフスキーに罪を喰われただろう。奴の『奇跡』は生きた『奇跡』だ。人を――――罪を喰らい成長する」
「ッ――――」
六十六人。その数自体は大したことはない。かつてベアトリーチェはそれを遥かに越えた死を目にしたこともある。
悍ましいのは、成長する、ということ。本来『奇跡』は成長しない。力が増すのはあくまでも所有者の成長であり、『奇跡』そのものに変化は無い。
かの『奇跡』は、それを根底から覆す。所有者の成長を無視し、喰らえば喰らうだけ力を増していく。
確かに力は手に入るだろう。だが肥大化する『奇跡』に当然の如く所有者は飲み込まれる。『奇跡』からすれば所有者すら餌、ということ。
「醜悪ね……!」
ベアトリーチェは吐き捨てる。これまで幾度の地獄を見てきた少女からしても、生きた『奇跡』―――『荊の庭園』は醜悪だった。
そして同時にネロが口にした頃合の意味を悟る。
『荊の庭園』は、既に六十六人を喰らった。だがドストエフスキーは『騎士団』に追われるほど人を殺してきた男だ。果たして、彼が喰らったのは何人なのか? 疑問に答えるようにネロが口を開く。
「奴が喰い殺した正確な数は実際分かっていない。だが、成長するには充分な数を喰らった筈だ。仕掛けてくるならそろそろの筈だろうよ」
「……待ちなさい。貴方は『奇跡』が成長するまで彼を放置していたと言うの?」
「そうだ。それが『賢者』の言葉だからな」
「ッ! ……そう。そういうことね」
『賢者』の名を聞き、ベアトリーチェは得心する。『騎士団』の頭脳である、アレの言葉は絶対だ。従う以外、彼等に選択肢は無い。
とはいえ、無辜の人々を犠牲としても平然としていられる辺り流石は『騎士団』と言うべきだろう。彼等は大の為に小を躊躇なく切り捨てる。今回も同じことなのだろう。
「俺達は待つだけでいい。後は向こうから勝手にやってくる。そこを叩けば全て終わりだ」
「勝機があるの?」
「だからお前を引き入れたのさ。俺達でも勝てなくはないが、苦戦するのは目に見えている。だから――――」
「私の力を欲した訳ね」
「そういうことだ」
言いながらネロは起き上がる。フランチェスカが駆け寄り、心配そうに体を支えた。
「あの男は恐らく直ぐに来る。準備を忘れるなよベアトリーチェ」
そう言い残し、二人は歩き去る。
闇に消え行く二人の背を見詰めながら、ベアトリーチェはぽつりと呟く。
「また、戦い。私は……いつまで戦えばいいのかしらね?」
応えは無い。
ベアトリーチェも、求めてはいなかった。
疾うの昔に分かりきっていたことだからだ。
戦いは、続く。
それはベアトリーチェが不死である以上、逃れることは出来ない真実。
ああ――――でも、
「いつか――――戦いが終わる日も、来るのかしら」
叶わぬ願いだとしても、言葉にするくらいはいいだろう。




