12.壊れる願い
地を駆ける。
人の限界を遥かに越えた速度。『奇跡』の恩恵を存分に活かし、月宮秋は街中を走り続ける。異常とも言える速度に道行く人は皆、驚いた表情を秋へと向けた。
秋がドストエフスキー達を探してから既に一時間。太陽は地平線へと没し掛かっている。このままでは間もなく夜となるだろう。
夜になれば彼等が動き出す可能性も高くなるが、それは即ちベアトリーチェ達が戦いに赴くということ。そこで万が一にも彼女が敗北した場合、『騎士団』はどうする?
今回の協力体制は稀有な状況だ。二度も起こるとは限らない。むしろ可能性で言えば二度目は皆無と言ってもいいだろう。
つまるところ、秋に残されている時間はドストエフスキー達が動き出し、ベアトリーチェ達と相対するまで。それは明日かもしれないし、今日かもしれない。
(結局、時間が無いことに変わりはない)
額に浮かぶ汗を拭う。一時間走り回った体は、びっしょりと汗に濡れていた。その割に疲労が大したことないのは『奇跡』の恩恵だろう。でなければ今頃息も絶え絶えだ。
(まだ探していない所は多い。取り敢えず近場から一つ一つ潰して――――)
そう思い、一歩を踏み出そうとした瞬間、
「…………」
キース・アークライトの姿が、視界に映った。
「ッ――――!」
直ぐにキースの姿は路地裏へと消え去る。
秋は勢い良く地面を踏み込み、さながら弓から放たれた矢の如く、一気に駆けた。
路地裏は狭く薄暗いが、走り去るキースの姿ははっきりと見えた。秋は再び地面を踏み込み、同時に『奇跡』を発動させる。
「『千の魔術を統べる者』!」
術式が刹那に構築され、魔術と化す。
身体能力強化。
単純故に、効果は抜群だ。
「逃がすかッ―――!」
地を、蹴る。
先の疾走が矢ならば、今度は弾丸だった。
彼我の距離を一瞬にして詰め、秋は更に『奇跡』を発動する。
腕力強化。
握り締めた拳を、思い切り振り抜く。
だが、相手は歴戦の猛者。たかが拳の一撃程度、回避するのは造作も無い。
身を捻り、キースは巧みに攻撃を回避する。それだけでなく攻撃直後の隙を狙い、逆に拳を振るった。
カウンターの一撃が、秋の腹部へと突き刺さる。勢いもそのままに吹き飛ばされ、さながらボールの様に路地裏を転がった。
「ぐっ…………」
直ぐさま態勢を立て直し、追撃に備える。
だが予想とは裏腹に、キースは何もせず秋を見詰めていた。鋭い眼光が、秋を射抜く。
「よお『騎士団』の狗。随分と仕事熱心みたいじゃねぇか」
「ふざけるな。俺は狗に成り下がったつもりは無い。俺がここに居るのは俺の意思。『騎士団』の為じゃなく俺の為だ」
「へぇ、そうかよ。ま、俺には関係ないことだ。道化も過ぎれば滑稽だが、俺は嫌いじゃないんでね。それに――――」
空気が、変わる。
日常が、非日常へ。
殺意が肌を刺し、隠し切れぬ愉悦が時折垣間見えた。戦いを楽しむ、狂人の喜びが。
「――――戦いは、俺の楽しみだからな」
闇が集う。
さながら光に集う虫の如く。
光を喰らい、破壊の魔剣は姿を現した。
「『破壊の暴君』」
秋が構えるより先に、剣が振り下ろされた。
暴君は颶風を巻き起こし、路地裏を消し飛ばさんと牙を剥く。
「っ!」
思考より先に、肉体と本能が秋の体を突き動かした。
脚力を一瞬で強化し、ほぼ同時に後ろへ飛ぶ。
刹那、颶風が路地裏を消し飛ばした。
破壊され、崩れ、砂塵が舞う。
並んでいたビルは崩壊し、瓦礫の山と化した。道路は深々と抉られ、醜い傷口を晒している。周囲に飛び散った血痕は、巻き込まれた者の物だろうか。
「何だよ逃げ遅れが居たのか。ったく、ドストエフスキーも適当やりやがって」
漆黒の剣を肩に担ぎ、キースは路地裏から姿を現す。
無傷の秋を見ると嬉しそうに破顔した。
「おっ生きてたか。あんなそよ風で死んでたらどうしようかと思ってたからよ」
「悪いな。こっちも死にに来てる訳じゃない。お前を倒しに来てるんだ。そよ風程度じゃ死なない」
威勢良く言葉を吐き捨てながら、秋は辺りを見回す。先程まで大勢居た人々が、今はまるで深夜のように居なくなっていた。
(騒ぎで逃げた訳じゃない…………ドストエフスキーの『奇跡』か)
瓦礫に潰された死体を見る。キースの言葉通りなら彼等は運が悪かったとしか言えない。
『荊の庭園』。ドストエフスキーの『奇跡』について秋は詳しくを知らないが、恐らくは結界のような能力を持っているのだろう。人が全く居ないのもそれが原因だ。
(……どちらかと言えば、逃さない為の結界だろうがな)
それはつまり、キースはここで秋を殺そうとしているということ。隔離されたここでは助けも期待出来ない。
「――――ッ」
冷や汗が、背筋を流れる。
熱に浮かされた頭が急激に冷えた。
背後に迫る死を、はっきりと感じる。
(あの時と同じだ)
思い出す。
魔獣との、戦いを。
勝てる戦いではなかった。むしろ死ぬ確率の方が高かった。
けれども秋は生きている。
不可能とすら思えた勝利を、手にした。
(足掻いてやる)
無様でも、醜悪でも、それが秋の出来る唯一だから。
死の恐怖を押し殺し、秋は彼女の名を呼ぶ。
「『千の魔術を統べる者』」
『奇跡』は願いの果てに在るモノ。
故に秋の願いに、『奇跡』は応える。
「――――――――行くぞ」
術式が展開され、弾けた。
魔術は身体能力強化。
破壊の剣を前に、秋は躊躇なく地を蹴った。
「良いねぇ。俺は好きだぞ。お前みたいな馬鹿がよ!」
剣が、振るわれる。
暴君の一振りは、街を容易く塵へと回帰させる。
破壊の権化。
単純明快。故に、絶大な力。
対して秋は、
「なら安心しろ。俺にはこれしか出来ない」
更に、地を蹴った。
「――――」
キースは絶句する。
直撃すれば死ぬのだ。人体など簡単に破壊される。
なのに避けもせず突撃すると、誰が予想出来る。
「『千の魔術を統べる者』!」
再度、『奇跡』を呼ぶ。
術式は速やかに形を成す。
月宮秋の『千の魔術を統べる者』は、二つに分かたれた『奇跡』の片割れだ。それ故、使用出来る魔術には制限が有る。
秋の場合は攻撃的な魔術しか使用出来ない。故に必然、破壊をさらなる破壊で押し返す以外、選択肢などなかった。
魔力が術式を通し、意味ある神秘を構築する。
光が弾け、風が吹き荒れた。黒き風。破壊の風。キースと同じ颶風。
「はっ! 何かと思えば俺の真似か! だが『破壊の暴君』の風が、偽物に負けるかよ!」
キースの言葉は最もだ。
秋の風は、所詮キースの模倣。
偽物が本物に勝る道理は無い。
――――ここに居るのが、月宮秋でなければ。
ベアトリーチェの様に、秋には術式構築の才能は無い。だが秋には秋の得手が有る。
即ち――――膨大な魔力と出力。
ベアトリーチェが数十以上の術式を要する大魔術を、秋は単体かつ高出力で行使出来る。
つまるところ、
「――――へぇ」
風が、衝突する。
破壊と破壊の狂乱は、周囲一帯を尽く蹂躙し、果たして共に消滅した。
つまるところ、秋もまた、破壊の申し子。
キースに――――『破壊の暴君』に対抗出来る唯一の奇跡所有者。
「『千の魔術を統べる者』!」
疾走は全て、この瞬間の為。
破壊を、破壊を以て倒す。
展開された術式は僅か一つ。
それはかつて、魔獣と呼ばれた男を滅ぼした砲撃。
本来なら魔力増幅用の術式を必要とするそれを、秋という器の内部で無理矢理に魔力をオーバーフローさせることで補い、単体の術式で行使を可能とした一回限りの外法。
当然、反動は尋常ではなく、人の肉体など容易く崩壊する。
故に、身体能力の強化。
最初からそれこそが秋の目的。
キースは決して簡単に勝てる相手ではない。たとえ『破壊の暴君』の攻撃を相殺出来るとしても当然限界は有り、そうなれば燃費の悪い秋が勝てる道理は無い。
だからこその、一撃必殺。
最大の攻撃を以て、キースを倒す。
その為ならば苦痛など大したことはなかった。
「ッ――――!」
体内で荒れ狂う魔力を、術式へと注ぎ込む。
だが既に肉体は悲鳴を上げ、崩壊を始めていた。如何に肉体を強化しようと長くは保たない。
骨が軋む。心臓の脈動は加速し、万力で締め上げたかのような頭痛が秋を苛んだ。込み上げてくる血を嚥下し、鉄の味に顔をしかめる。
時間にして数秒にも満たない間で、秋の肉体は半ば壊れかけていた。肉体を強化していなければ、まず間違いなく秋の命はここで燃え尽きていただろう。
しかし術式は完成した。
月宮秋の扱える最高の魔術。
破壊の光が、放たれる。
「吹き飛ばせ――――ッ!」
術式が、砕けた。
内部の魔力に耐え切れずの自己崩壊。それだけの魔力が収束し、
世界に、光が満ちた。
光あれ。さながら神の如く、世界を支配する紫の閃光。
眩い光は、果たして侮るなかれ。込められた魔力は如何なる守りすら砕き、敵を根底から消滅させるだろう。
必殺の一撃。
破壊の極。
だが、
「まさかこの俺と力比べかッ! いいだろう。お前みたいな馬鹿は久々だ! 『破壊の暴君』の真髄を見せてやる――――!」
キースは大上段に『破壊の暴君』を構える。漆黒の刃は紫の光の中でも禍々しく、鈍い輝きを放っていた。
「『破壊の暴君』! 俺が許す。お前の全力を見せろッ!」
『破壊の暴君』が、応えるように大きく震えた。
瞬間、
「壊せ」
剣が、振り下ろされる。
ただ、それだけ。
それだけで。
紫の閃光は、破壊された。
「な――――――――」
破壊の奔流を破壊するという荒唐無稽。
余りにも予想外の出来事に、秋の思考が呆ける。
渾身の魔術だった。これ以上の魔術はないと、断言出来るほどに。
しかし、破壊された。
『破壊の暴君』に。
だが、それもその筈だ。暴君は、本来ならば人の手に負える『奇跡』ではない。破壊の力を縦横無尽に振り撒き、所有者すら破壊する。
キースは自分が破壊されないように『破壊の暴君』に大きく制限をかけていた。それを解除した今、暴君の一振りは大量破壊兵器と同等かそれ以上だろう。秋の渾身の魔術とて、『破壊の暴君』の前には児戯にも等しい。
だが代償はある。一瞬とて暴君を解放したのだ。キースの肉体は、当然の如く破壊された。しかしキースは苦痛すらも歓喜と変え、笑う。
「ハハハハハハハッ! 嗚呼――――楽しいなァ。壊され、絶望する奴を見るのは。楽しくて仕方ないよなァ」
笑いながら、キースは剣を振るう。
本来の力を解放された暴君は喜びに刃を震わせ、只管に周囲を蹂躙する。さながら暴風。否、破壊という現象の具現。黒き奔流は、有象無象を塵へと還す。
「ッ!」
回避しようとするが、敵近くに踏み込んでいたことが仇となった。破壊の猛攻は瞬く間に秋の逃げ場を奪う。咄嗟に転移魔術を構築するが――――間に合わない。
極度の疲労と、肉体の酷使。不死たるベアトリーチェならいざ知らず、単なる人間である秋の体は、既に限界を迎えていた。
それでも転移魔術から破壊を相殺する為の攻撃魔術へ、咄嗟に術式を変更したのは、足掻くという秋の思いの表れか。何にせよ、この選択が秋の命を救うこととなった。
破壊の奔流が、秋を飲み込んだ。
遅れながら発動した魔術は多少破壊を相殺したが、全力を出した暴君を止められるほどではない。小人の抵抗と言わんばかりに、圧倒的な力で以て消し飛ばされる。
「『破壊の暴君』!」
更に、もう一撃。
キースの意思か、それとも暴君の意思か。
どちらにせよ破壊の黒条は更に秋を襲う。
「――――」
壊れゆく。
破壊とは、傷を負わせることではない。
壊す、のだ。形あるモノを無へと。形を消失させるとも言える。
傷など所詮は副産物。有を無へと変化させる力こそ、破壊の真骨頂。
薄れ行く意識の中、秋は必死に自己を保つ。
腕が消し飛び、足が無くなり、肉体の殆どを失おうとも、生きることを諦めない。
(リーチェ…………蓮華…………)
救いたかった。
けれども現実は無慈悲に、秋の最後の意識すら消し飛ばした。




