09.不死の旅路の一頁『名も無き騎士達』
煉瓦造りの道路が衝撃で吹き飛ぶ。
立ち並んだ家々は炎上する。
幾百年と存在し続けた景観が、瞬く間に瓦礫の山へと変貌していた。
「はぁ…………はぁ…………」
肩で息をし、ベアトリーチェはようやく足を止めた。ずっと走り続けていたからか、足は悲鳴を上げ、心臓は破裂しそうに思えるほど騒々しく鼓動している。五体も満足とは言えず、左腕が半ばから千切れていた。
「っ…………」
不老不死たるベアトリーチェの肉体は、治療などせずとも肉体を回復させることが可能だ。しかし消耗が激しい場合などは回復に時間が掛かる。
現状がまさしくそうだった。連戦に次ぐ連戦。しかも相手は手練が多く、不老不死の肉体でなければ軽く二桁は死んでいる。精神的にも肉体的にも疲労は限界だった。
「くっ……『千の魔術を統べる者』」
『奇跡』を使い、傷を癒やす。腕を再生させるまではいかないが、痛みを止め、少しばかり回復を早めることは可能だ。まだ『千の魔術を統べる者』の使い方に習熟していないベアトリーチェとしては、これが精一杯だった。
「見付けたぞ! こっちだ!」
「っ……しつこいわね!」
傷の治療を止め、直ぐに術式を構築する。相手を視認してから魔術を行使していては簡単に殺されると、二度の死を経て学んだからだ。
案の定、攻撃は直ぐに訪れた。男と女の二人組。構えた剣を左右から同時に振り抜く。
「壁よ!」
瞬間、ベアトリーチェは叫んだ。
展開された術式が強固な壁へと変化し、左右両方の攻撃を防ぐ。ベアトリーチェは流れるような動作で次の魔術を行使する。
「降り注げ!」
錆色の空が明滅した。
耳をつんざく轟音。
光の柱が乱立す。
――――雷。時として神の怒りと讃えられた自然災害。それがまるで雨のように大地へ降り注ぐ。
目立つ攻撃故に居場所がバレてしまうだろうが、威力は折り紙付きだ。直撃すれば消し炭と化すだろう。
しかし――――
「『貧民の盾』!」
男が腕を掲げ、『奇跡』の名を呼んだ。
掲げられた腕が輝きを放ち、小さな盾が出現する。
「盾――――?」
『千の魔術を統べる者』の雷撃は、盾程度で防げるような攻撃ではない。ましてや男が召喚した傷だらけでボロボロの盾では一秒とて保たないだろう。
だがベアトリーチェは失念していた。
男の召喚した盾が、普通の盾ではなく『奇跡』の産物だということを。
雷が男に直撃する。視界を染め上げる眩い輝きと、鼓膜を震わせる轟音。破壊力は申し分ない。もしかすれば消し炭すら残らなかったかもしれない――――そう、ベアトリーチェが思った瞬間、
「え…………?」
両足が、切り飛ばされた。
ぐらりと、体が崩れ落ちる。
地面に背を強く打ち付け、思考が呆ける。
「…………」
ゆっくりと、ベアトリーチェは足を見た。
地面に転がる二つの足を。
膝から先を無くした、自分の足を。
「っ……ああああああああああ!」
遅れて訪れた激痛に絶叫する。涙が悲鳴と共に溢れ出た。腕を千切られたとき以上の痛みが脳髄を駆け巡る。
「手間をかけさせてくれたな化け物。だが、それも終わりだ」
痛みに悶えるベアトリーチェを、盾を持っていた男が見下ろした。男に傷は無く、盾も雷撃を受ける前と何一つ変わっていない。恐らく『奇跡』の能力で防いだのだろう。
「ぐっ……!」
己の愚かさを呪う。普通に考えれば『奇跡』を出した時点で警戒すべきだった。自らの身に宿った代物と同じく、相手の力も超常の力なのだということを。
油断した結果がこれだ。両足を失った今、ベアトリーチェは満足に動くことは出来ない。――――この最高のチャンスを、男達が逃す筈が無かった。
「死ねよ化け物が!」
「かはっ…………」
男が剣を振り下ろす。鋭い直剣は吸い込まれるようにベアトリーチェの心臓を貫いた。冷たい刃の感触が、肉を切り裂く痛みによって掻き消される。だがその痛みすら、心臓を貫かれた苦しみの前には些細なことだった。
「死ね! 死ね! 死ね!」
何度も、何度も、何度も、剣が振り下ろされる。
しかしベアトリーチェは不死だ。例え心臓を何度串刺しにされようと死ぬことはない。ただ、死と同じ痛みと苦しみが彼女を襲うだけだ。
(…………誰か……助けて)
死に匹敵する激痛を前に、もう叫び声すら上げられなかった。ただ涙を流し、有り得ない救いを求めることしか出来ない。
殺されて、殺されて、殺される。
痛みと苦しみだけが、彼女の体に蓄積される。
もう何度心臓を貫かれただろうか。回復も追い付かない肉体は胸が抉れ、心臓は形を保っていなかった。だがそれでもベアトリーチェは死なない。不死の肉体は、彼女を生かし続ける。
だから男もまた、殺し続ける。
ベアトリーチェの手によって、男は何人も仲間を殺された。この化け物によって、多くの友を失った。
彼等も生きたかった筈だ。死んでいい訳が無かった。それが、何故、生を冒涜しているとしか思えない化け物に殺されなければならないのか。
弔いと、憎悪を込めて、剣を振るう。
肉が裂ける感触が心地良い。骨が砕ける音が堪らない。
死ね、と、ありったけの感情を叩き付ける。
男の殺意は、ベアトリーチェも感じていた。
(そう……ね。私は殺されて文句は言えない。貴方の仲間を……沢山…………殺したもの)
何人殺しただろうか。もう数は覚えていない。だが殺し続けてきたことは確かだ。
ベアトリーチェの両手は血に濡れている。染み込んだ赤色は、どれだけ洗おうともハッキリと分かった。
もう、いいのかもしれない。
これが、罰なのかもしれない。
ベアトリーチェの罪に対する裁き。
なら、目を閉じてもいいだろう。
諦めても、いいだろう。
――――そう、思ったのに。
(…………分かって……いるわよ)
目を閉じても、眠りはやって来ない。安らぎなど程遠い。
分かっていた。だってこれは、ベアトリーチェ自身が望んだこと。
生きたいと、願った少女の罪。
だから、死ぬことだけは、許されなかった。
『足掻きなさい。地獄の中で、苦しみ悶えながらね』
あの女の言葉を思い出す。そうだ、彼女も言っていた。
足掻けと。なら、足掻いてみせよう。
それだけが、ベアトリーチェに許された唯一の権利なのだから。
「――――『千の魔術を統べる者』」
「っ!」
掠れた声で、彼女の名を呼ぶ。
『それでいいわ。汚く醜く、そして無様に足掻きなさい』
彼女は、応えた。
カチリと、嵌まる。
嗚呼――――これは、本当に悪趣味だ。
「でも、最高ね」
一切の躊躇なく、ベアトリーチェは術式を起動させた。
――――爆破魔術。
なんてことはない単なる爆発を起こす魔術。
それを、自分を火種として爆破させた。
「――――ッ! 化け物め!」
肉体が、爆ぜる。
肉が、骨が、臓器が眼球が脳髄が、外側に吹き飛ばされる。
しかし、それを上回る猛火が周囲の風景を吹き飛ばした。
「がああああああ!」
男の全身を炎が舐める。至近距離かつ、広範囲の炎。『貧民の盾』では防げない。
「予想通りね」
炎に焼かれる男の横で、ベアトリーチェは肉体を再生させる。肉が集い、骨が生え、臓器が生まれる。やはり下手に部位を少しずつ失くすより、一気に全てを無くした方が再生は早かった。
「貴方の『奇跡』は防御型。でも範囲は極僅か。だから攻撃を防ぐにはピンポイントで行う必要がある。ならピンポイントで防げないような攻撃なら、どうかしらね?」
「ッ……!」
炎の中から男はベアトリーチェを睨め付ける。魔術の炎は普通の炎と違って簡単に消えやしない。男の肉体は間もなく灰となるだろう。
「……じゃあね」
別れの言葉を告げ、ベアトリーチェは男に背を向ける。
男はいずれ燃え尽き、現状では抵抗も不可能。となれば次は――――
「――――化け物め」
鬼の形相でこちらに剣を向ける女だけだ。
しかし先の雷撃、そして今の爆発で直ぐに追手はやって来るだろう。それまでに女を無力化し、この場を逃げ出さないといけない。
「悪いわね。……手加減は出来なそうよ」
「なら都合が良い。今、ここで、遠慮なくお前を殺せるッ!」
女が地を蹴る。速いが、捉えきれない程ではない速度。
ベアトリーチェは『千の魔術を統べる者』を呼び――――それより早く剣が閃き、ベアトリーチェの首へと迫った。
腕を使い、剣を肉に突き刺すことで攻撃を回避する。痛みに悲鳴を上げたくなりながらも、ベアトリーチェは魔術を構築。お返しとばかりに無数の剣が女を串刺しにせんと放たれた。
「『血と鉄』」
剣が女を貫く間際、彼女は『奇跡』を発現させた。
女の腕が裂ける。鮮血が溢れ出し、それが一瞬で鍛えられた直剣へと変化する。女は直ぐさま剣を握り、円を描くように振り回す。
迫っていた剣が全て弾かれる。しかしベアトリーチェは冷静に用意していたニ撃目を放った。
「落ちろ」
天が瞬き、刹那、光が落ちる。
雷撃。現在のベアトリーチェが出せる最高の破壊。
最早防御役を失った女では防げないだろうと見込んでの一撃だ。
『『血と鉄』――――【円】』
女は血を流す腕を上げ、円を描く。飛び散った血液が無数の剣へ変化し、まるで傘を形作るように重なり合った。
雷撃が剣の傘へと直撃する。大気が震え、衝撃が周囲の建物を薙ぎ倒した。
土煙が晴れる。女は、左腕を肩からもがれていた。剣の傘は至る所が崩壊し、一部は大きく欠けている。流石に雷撃を防ぐだけの防御力はないようだった。
「ッ…………」
腕の傷口から大量の血液が流れ出し、足下に血溜まりが作られる。負ったダメージは余りにも大きかった。今こうしている間も死が近付いて来ているのが分かる。
間もなく自分は死ぬだろう。そのことに恐怖は無かった。彼女が身を置いているのは『騎士団』。いつ死を迎えることになろうと覚悟は出来るている。
しかし、唯一、心残りがあるとすれば。
女の視線がベアトリーチェの背後――――未だに燃え盛る炎に向けられる。
炎は――――彼は、もう動いていなかった。それはつまり、そういうことだ。――――彼は死んだ。
彼との思い出が脳内を埋め尽くす。紆余曲折を経て組んだ男ではあったが、女は彼のことが嫌いではなかった。むしろ好いてさえいた。――――それだけが、唯一の心残りだった。
「――――『血と鉄』」
『奇跡』の名を呼ぶ。
女の嫌いな力。醜く、それでいて痛みと共にある『奇跡』。
今でも覚えている。彼が、この『奇跡』を見て真っ先に放った言葉を。
『俺がお前を守る。ならお前もそんな力を使わなくて済むだろう?』
それだけで、充分だった。
戦う理由も、死ぬ理由も。
ただ、それだけで。
血溜まりに手を差し込んだ。暖かい自分の命そのものから剣を鍛え上げる。
「――――【剣】」
赤い血液が、その色を変えた。
黒。光を吸い込む深淵の色へと。
手を引き抜く。まるで、沈む誰かを引き上げるように。
「さあ――――行くわよ」
女の手には、漆黒の剣が握られていた。奇しくもそれは、男の成れの果てと同じ色だった。
「…………ええ。来なさい」
正面に立ち、ベアトリーチェは悠然と構える。
恐らく彼女は出血の量から見ても確実に助からない。このまま戦いを続けようと、待っているのは死だけだ。
しかし死を前にしても、彼女は剣を構えた。ならベアトリーチェも、全力で応じるべきだろう。それがベアトリーチェから女へ向けた、せめてもの手向けだった。
「『血と鉄』!」
女が疾駆する。傷を負っているとは思えない速度。鍛えられた肉体を後先考えずフルに活用した結果だ。
同時に傷口から剣を作り出し射出する。出来は悪く、直撃したとしても傷は浅いだろうが、あくまでもこれは牽制用。本命は後だ。
「『千の魔術を統べる者』!」
ベアトリーチェの声に呼応し、空中に十数個の術式が展開される。内の一つが光を放ち、ベアトリーチェの周囲に壁を展開した。壁に阻まれ、飛来した剣は砕け散る。
『千の魔術を統べる者』の能力はありとあらゆる魔術の行使。汎用性に優れ、如何なる状況にも対処が可能だが、それ故に使い手に高い能力を求める。
その点で言えばベアトリーチェは使い手として申し分なかった。才能も有り、このまま研鑽を続ければ、『千の魔術を統べる者』を使い熟すことも可能だろう。
しかし、如何に才能があろうと『奇跡』を使うのは人間だ。当然、そこには対処可能な限界というものが存在している。
「『血と鉄』――――【雨】」
狙うなら、そこしかない。
『奇跡』を駆動させ、女は血を空に振り撒いた。
血は無数の剣と化し、空中に浮遊する。
先の剣はこの時間を稼ぐ為だ。チャンスは一度しかないが、どうせ死ぬのだ。なら確実から程遠い運任せの攻撃も悪くない。
「行け――――ッ!」
血から鍛えられた剣が、空を駆ける。
数は大小合わせて百を越えている。決して楽に対処出来る数ではないが、ベアトリーチェと『千の魔術を統べる者』ならば対処するだろう。
案の定、彼女は展開した術氏の一つを使い、剣の群れを退けた。剣の破片が血に戻り、雨のように降り注ぐ。
単純明快な目くらまし。数秒ほどしか時間は稼げないが、それで充分だった。
地を大きく蹴る。加速からの加速。僅かな時間の中で、女はベアトリーチェの背後へ迫る。
手の中の剣を、強く握り締める。音と気配を極限まで消し、腕を振るった。
しかし――――
「残念、ね」
女の剣は、ベアトリーチェの肉体を確かに切り裂いた。だが可能は不老不死。通常の人間であれば死んでもおかしくない傷を受けようと、死ぬことはない。
元より女に勝ち目など無かった。不老不死のベアトリーチェを殺せる存在など世界に居ないのだ。女の復讐は、決して果たされない。
「…………許してと言うつもりはないわ。貴方の死も、また当然なのだから」
ベアトリーチェが指を鳴らす。空に展開されていた術式が強く光を放ち、雷鳴が耳に届く。
裁きは直ぐに落ちてくるだろう。避ける気力は疾うの昔に尽きている。だから女は、全身から力を抜いた。
天が啼き、光が落ち、
女は、喜びの笑みを浮かべた。
「『血と鉄』」
流れる血が、女の体を覆う。
鮮血の鎧。
これこそ、彼女の狙い。
雷撃が女を襲う。だが、鎧に阻まれた。
「ッ――――!」
ベアトリーチェは勘違いをしていた。女の『奇跡』は剣しか作ることが出来ないのだと。
だがそれは女の誘導。彼女は敢えて剣のみを作り続けることで『奇跡』の能力を誤認させた。――――全ては、この瞬間の為だけに。
確かに能力をフルに使えば生き残ることは出来たかもしれない。しかし、それでは意味が無い。ここで彼女が為すべきことは、生き残ることではなかった。
「『千の魔術を統べる者』!」
驚きながらも、ベアトリーチェはニ撃目を放つ。しかし、それより早く、
漆黒の剣が、ベアトリーチェの首を飛ばした。
同時に、雷撃が女を蹂躙する。
死へと意識が沈む中、女は笑う。
殺せないことは知っている。
私達の死に意味がないことも知っている。
だが、忘れるな。
私達は、ここに居た。
その証を残すことこそ、女の為すべきこと。
「『騎士団』を舐めるなよ、化け物」
そして彼女の人生は終わりを告げた。
不老不死の女に、一矢を報いて。
「……してやられたわね」
生首の状態から再生し、ベアトリーチェはポツリと呟く。
まさか首を飛ばされるとは思ってもいなかった。
防御役を失った彼女では、為す術なく死ぬのだろうと思っていたのだ。ところが蓋を開けてみればベアトリーチェは彼女に二回も殺された。結局、彼女の掌の上でしかなかったのだ。
「『騎士団』……」
彼等に抱く感情は殆どが憎悪だ。ベアトリーチェを化け物と呼び、幾度も殺しに来たことは忘れない。
しかしベアトリーチェは、何度殺されようとも彼等に恐怖を抱いたことは無かった。不死である彼女にとって、死とは過ぎ去る日々と何ら変わらないからだ。
だが今、ベアトリーチェは確かに恐怖を抱いた。
『騎士団』という存在に。
彼等の恐ろしい執念はいつか、不老不死である自分を殺すのではないのか。そう思ってしまう。
「ッ……」
逃げ出すように、その場から駆け出す。
恐怖もあったが、それ以上に追手が問題だ。先の戦いは余りにも目立つ戦い方をしてしまった。彼等は直ぐにやってくるだろう。
炎に沈む街を駆ける。
呼吸をするだけで肺が焼ける。
灰と火の粉が雨のように降り注ぐ。
「何を急いでいるんだい?」
かくして彼は、彼女の前へと現れた。




