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不死の少女は旅をする  作者: マリィ
2章 純白の魂
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08.愚者の邁進









 翌日、秋は強烈な眠気に苛まれていた。

 とはいえ、それも無理からぬことだろう。何せ昨夜は余りにも多くのことが有り過ぎた。いざ布団に入ったところで寝付ける訳も無い。


 結局長々と布団の中であれこれと考え込み、眠れたのは日が昇ってからの僅か一時間。これで昼間に眠くならない方が不思議というものだ。


「…………コーヒーでも飲むか」


 この強烈な眠気をコーヒー程度でどうにか出来るとは思えないが、それでも飲まないよりはマシだろう。気休め程度にはなるかもしれない。秋は突っ伏していた机から顔を上げ、立ち上がる。


 自販機は一階だ。そう大した距離でもない。


 ふらふらと覚束ない足取りで教室を出て、階段の方へと向かう。その途中、チラリと別のクラスを盗み見る。


 彼女は自らの席に座り、誰とも話すことなく食事をしていた。食べている物は単なるコッペパンだというのに、彼女が食べていると、まるで一枚の絵画のように思えてくる。


(氷室……)


 昼休み、蓮華は秋の教室へ来なかった。ここ最近は常に食事を共にしていたからか、今日も来るのが当たり前だとばかり思っていたが、流石に昨日の今日では来る訳が無い。


 だが放っておくことも出来ないだろう。確かに蓮華には、蓮華なりの思いがあって『騎士団』と強力することを拒んだ。その果てに『騎士団』に殺されようと、結局は蓮華の自己責任。彼女が選んだ道なのだから、当然のこと。


 しかし、秋はそれが許容出来ない。

 傲慢と言われようと、我儘と言われようと、例え本人がその結末を許容しようと、月宮秋は決して受け入れない。


 氷室蓮華に死んでほしくない。ただ、それだけの理由で。秋は人の思いを捻じ曲げ、自らの欲望を満たそうとしている。それは果たして、許されることなのだろうか?


 否。きっと、秋は許されない。でも蓮華は、生き続ける。


 それだけで、秋は良かった。それで、充分だった。


 憎んだことは確かにある。殺意を抱いたこともある。


 けれども秋は蓮華の手を取った。


 なら、嫌だと言われようと手を離すつもりは無い。


 大切な仲間だから、守ってみせる。


「…………」


 邂逅と決意は一瞬だった。

 秋は教室に背を向け、淡々と歩を進める。

 既にその思考は蓮華のことからベアトリーチェのことへと切り替わっていた。


 階段を降りる。昼休みだというのに人気は無く、冷たい空気が満ちている。

 一番下まで降り、自販機の前へ。珍しく今日は人が居なかった。缶コーヒーを購入し、近くのベンチに腰を下ろす。


 ベアトリーチェは昨日の一件の後、何も言わずに秋の前から姿を消した。理由は間違いなく苛立ちだろう。プライドの高いベアトリーチェが、あれだけ『騎士団』に虚仮にされたのだ。腸はさぞ煮えくり返っているに違いない。


 だが激怒していようとベアトリーチェは『騎士団』に手を出したりはしないだろう。そこに秋や蓮華の命が懸かっていようといなかろうと、変わらない。彼女はそこまで感情的な人間ではない。


 秋とベアトリーチェの付き合いは短く、浅い。しかし彼女の人となりは何となく秋は分かっている。だからこそ、これだけは断言出来た。


 だからベアトリーチェは、自分の道を違えることはないだろう。きっと彼女は自分の信じた道を、真っ直ぐ突き進むに違いない。


 では、月宮秋は?


 昨晩のことを思い出す。

 あの時、あの場所で、自分は何が出来た?

 出来ることは沢山有った筈だ。なのに、月宮秋は何を成せた?


 何一つ。何一つとして、月宮秋は出来なかった。

 ただベアトリーチェの死に恐怖し、震えていることしか出来なかった。


 弱い。余りにも弱い。

 果たしてそれで、月宮秋の願いは成就するのか。

 月宮秋は、ベアトリーチェを守りたいと願った筈ではないのか?

 何も出来ず、何も守れず、怯え震えていることしか出来ないのか?


 違うと、否定したい。だが出来ない。秋は弱いから。


 だから、強くなりたい。強くならなければいけない。


 ベアトリーチェを、守る為に。

 そして蓮華も、守る為に。


 それが、月宮秋の願いの筈だから――――


『……気に食わないわね』

「ッ! その声は……」


 唐突に、声が聞こえた。

 その声だけは忘れもしない。『奇跡』の中に在るもの――――へカーティア。秋に『奇跡』を教え、願いに導いた、恐らく――――『奇跡』そのもの。


 だが彼女は魔獣との一件後、秋の呼び掛けに対して無反応だった。まさかまた会うことが出来るとは予想外と言える。しかし、それにしても――――


「気に食わないとは、どういう意味だへカーティア」

『言葉通りよ愚かな男。貴方はまた違えるつもりなのかしら。かつての……魔獣の時の様にね』

「お前は俺が間違ってると、そう言いたいのか?」

『ええ。正確には間違いそう、だけど』


 相変わらず人を苛立たせる奴だと、秋は思う。

 魔獣の時もこうして彼女に怒りを覚えた。秋を煽り、貶め、貶し、そして――――進むべき道を導いたのだ。


 それが彼女の手なのか、生来の性格によるものなのかは分からない。だが彼女が現れ、声を掛けてきたということは、秋は本当に間違いを犯そうとしているのではないのか。


 少なくとも秋は一度、彼女に救われた。

 信じる価値は有る。


「なあへカ――――」

「――――見つけたわ」


 へカーティアへ声を掛けようとした瞬間、どこかで聞いたことのある声が響く。

 誰かと思い声の聞こえた方に視線を向ければ、そこには金髪碧眼の女性が立ち、秋を見詰めていた。忘れられる筈もない女の顔を見て、秋は咄嗟に構える。


「ッ…………フランチェスカ・ブライト……!」


 女性――――フランチェスカは秋の浮かべる苦々しい表情に気が付いていないのか、いつも通りの表情で秋の近くに寄って来る。秋は構えたまま、警戒した様子で少しだけ彼女から距離を取った。


「どうして避けるの?」

「お前は俺の敵だろ! 警戒するのは当然だ!」

「でも今は協力関係にあるわ。なら敵じゃなくて味方よ」

「ぐっ……確かにそうだが……」


 フランチェスカの言うことは間違いではない。だが協力関係はそもお互いに納得して結ばれるものだ。今回のような脅迫で結んだものを協力関係とは呼べないし、秋は呼びたくなかった。


 とはいえそれを口にして反抗の意志あり、と捉えられても困るのはこちらだ。現状、素直に聞くしかない。


 秋も昨日『騎士団』について説明は受けた。奇跡所有者を討伐する奇跡所有者。しかし時として行き過ぎた正義を執行し、時には悪となる組織だと。


 彼等に逆らうことが得策でないことは分かっている。秋は様々な感情を嚥下し、心を落ち着けてから再び口を開いた。


「それで何の用だ。しかも俺の学校にまで来て何がしたい」

「そんなにピリピリしないでよ。ま、無理もないけど」

「そう思っているのなら、今すぐ回れ右をしてくれ」

「悪いわね。そうはいかないの。私は貴方に用があって此処に来たんだもの」

「用だと?」


 ベアトリーチェではなく秋に用とは、果たして何なのか。とはいえ『騎士団』の…………それもフランチェスカの用だ。碌でもないことのような気がしないでもなかった。


「そうよ。貴方にお願いがあるの」

「お願いだと…………?」

「ええ。でも大したことじゃないわ。ただ私は案内してほしいの。この街を」

「……は?」









※※※※※※※※※









 時は経ち放課後。

 校門を出て来た秋を迎えたのは金髪碧眼の美女、フランチェスカだった。彼女は外出用の恰好なのか、いつもと違うカジュアルな服装で秋に手を振っている。


 大きく溜め息をつき、小走りに近付くと秋は不機嫌さを隠しもせずフランチェスカへ話し掛ける。


「……なんで此処に居るんだ」

「え? むしろどこで待ち合わせしようと思ってたの?」

「そういうことじゃない! お前、自分がどんだけ目立つか分かってるのか?」

「そうかしら?」


 別に普通よとフランチェスカは呑気に言うが、実際のところかなり目立っていた。というか金髪碧眼の美女という時点で目立たない訳が無い。


「でも目立ったところで問題ないでしょ?」

「あるから言ってるんだよ!」


 何が悪いのか分からないとでも言うように、フランチェスカは首を傾げる。秋は大きく溜め息をつくと、フランチェスカの手を握り、そそくさと歩き始めた。


 それから暫く歩を進め、学校から少し離れたところで手を離す。秋はフランチェスカの方へ向き直り、口を開く。


「なあフランチェスカ。俺達は狙われてるんだぞ。それなのに目立つことをしてどうする?」

「例えドストエフスキー達に見付かったとしても、別に私は困らないわ。むしろ都合が良いかもしれないわね」


 確かに彼等の討伐を目的としている『騎士団』としてはその方が都合がいいだろう。だがそもそも今回の件に巻き込まれた側の秋としては堪ったものではない。


「…………本当に疫病神だな」


 ベアトリーチェが言っていたことを思い出す。

 その時は言い過ぎではと思ったが、彼女は長い生の中で幾度となく『騎士団』と対峙したと言っていた。その度に今の秋と同じような目に遭っていては確かに疫病神とも言いたくなるだろう。


「確かに疫病神かもね」

「げっ」


 聞こえていたのか、フランチェスカがジトっとした目を秋へと向ける。しかし直ぐに表情を緩めると、困ったような笑みを浮かべた。


「ま、仕方ないわ。私達は確かに疫病神みたいなことをしてるもの」

「……自覚はあるんだな」

「一応ね。でも私達は一人の人間である前に『騎士団』なの。例え誰かが苦しむことになろうと、私達は守るべき者を守るわ。それが『騎士団』だもの」

「それで……例えそれで、人が死ぬとしてもか?」

「ええ」


 一切の迷いなく、フランチェスカは頷いた。

 誰かを救う為に、誰も傷付かない。確かにそれは理想だろう。

 だが、結局は理想でしかない。何かを失わずして何かを得ることなど、出来やしないのだ。


 秋とて、そのことを知らない訳ではない。


 だとしても、認める訳にはいかなかった。


「だから……俺達も殺すのか」

「…………」

「お前達が守りたい者を守る為に、氷室を殺すのか」

「……そうね。そうなるのかもしれない。でも貴方が足掻けば彼女は救われるわ。そうね……例えばベアトリーチェに代わって彼等を討伐するとか、ね。そうしたら彼女を貴方が(・・・)守れるわ」

「…………!」


 思い掛けない言葉に、秋の心臓が大きく跳ね上がる。


 元々秋と蓮華の命は彼等を――ドストエフスキーとキースを討伐に協力する、という条件で担保されていた。二人が討伐された暁には晴れて自由の身となる、という条件付きでだ。


 そして重要なのは、この条件に討伐者の縛りはないということ。昨日はベアトリーチェを中心として話が進んでいた為に気が付かなかったが、討伐するのは別に秋でも構わないのだ。


 二人を討伐すれば、蓮華は救われる。

 秋は、願いを果たすことが出来る。

 フランチェスカの言葉は天啓にも等しかった。


「そうか、その手が…………悪い。ちょっと用事を思い出した。街の案内は出来そうにない」


 返事を待たずに走り出そうとする秋へ、フランチェスカは常と変わらぬ口調で忠告する。――――彼が聞き入れる訳がないと知りながら。


「正気かしら? …………死ぬわよ?」

「覚悟はしてるさ」

「…………そう。なら精々死なないように頑張りなさい」

「簡単に死ぬつもりはないさ」


 そう言い、秋は走り出した。

 段々と遠くなっていく背を見詰めながら、フランチェスカはぽつりと呟く。


「じゃあね」


 それは、余りにも短い別れの言葉。


 月宮秋は恐らく――いや間違いなく彼等に戦いを挑むだろう。だがそうなれば、いくら『千の魔術を統べる者(へカーティア)』の持ち主だろうと勝つことは出来ない。つまり――――死ぬ。


 けれども、それがネロの指示だった。

 秋を誘い、彼等にけしかけさせること。

 それが果たされた今、フランチェスカにはこの場に残る意味は無い。街の案内など秋を誘う為の方便に過ぎなかった。


「…………さ、帰ろう」


 フランチェスカは秋が走り去った方とは逆に向けて歩き出す。その表情は至って普通で、たった今、他人を死に送ったとは思えなかった。









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