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不死の少女は旅をする  作者: マリィ
2章 純白の魂
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07.誰よりも軽い命









 蓮華が立ち去った後、直ぐに『騎士団』と秋、ベアトリーチェはドストエフスキーの下へと向かった。道すがら蓮華が居ないことを『騎士団』に問われたが、ベアトリーチェがただ一言、帰ったとだけ伝えた。


「そうか。あの女は帰ったか」


 夜道を歩きながら、ネロは笑う。まるで彼女の離反を面白いとでも言いたげに。

 フランチェスカは何も言わなかった。氷室蓮華のことなど、どうでもいいのだろう。もしかすれば最初から眼中に無かったのかもしれない。


 むしろ一番感情を露わにしていたのは秋だった。

 ネロとフランチェスカを睨め付け、敵意を隠そうともしない。蓮華を殺そうとする敵を、秋は激しく警戒していた。もしも彼等が蓮華を殺しに向かおうとすれば、秋は本気で止めるだろう。


 本来であれば、止めさせるべきなのだろうと、ベアトリーチェは思う。相手は『騎士団』。こちらを殺すことなど簡単に出来る奴等だ。正面から喧嘩を売るものではない。


 しかし、敢えてベアトリーチェは止めなかった。


 ネロとフランチェスカ。性を共にブライト。


 思い浮かぶのは、とある男の顔。そして彼が作り上げた『ブライトの子供たち』。


 彼等の感性は『騎士団』という組織の理念とは少し違う。世間一般の感覚で言えば、まともな方ということだ。

 『騎士団』は巨大な組織。決して一枚岩ではない。誰も彼も話が通じない訳ではないのだ。でなければ今頃は秋と蓮華の死体が転がっていてもおかしくなかった。


 彼等が何を思い、どう事態を動かそうとしているのか。

 それを見極める必要がベアトリーチェにはあった。


「…………そろそろだな」


 黙考していたベアトリーチェの耳に、ネロの声が届く。


「ここは……」


 思考に沈んでいた意識を目の前に向ける。ネロ達の行き先。

 そこは、街の中心部から少しばかり離れた場所だった。住宅や店が立ち並んだ街並みは極々一般的であり、等間隔に設置された街灯が夜道を照らしている。辺り一体は恐ろしく静かで、とても危険な奇跡所有者が居るようには思えなかった。


「本当にここへ来るのかしら? そうは見えないけど」

「安心しろ。奴は絶対にここへやって来る。何せ()があるからな」

「餌?」


 それは一体何なのか。問おうとしたベアトリーチェの唇は、しかし言葉を紡ぐことはなかった。


「…………え?」


 間の抜けた秋の声が響く。ネロとフランチェスカは、まるで分かっていたように表情を引き締め、共に剣を構える。唯一ベアトリーチェだけが状況が理解出来ず、秋と『騎士団』へ視線を向けた。


「リーチェ……」


 秋が指を指す。

 ベアトリーチェは彼の指し示す先――――己の腹部に目を向けた。


 そこを、何かが(・・・)貫いていた。


「あ…………」


 ようやく、ベアトリーチェが自身の異常を認識する。

 驚愕の表情を浮かべ、自分を刺し貫いた何かに触れようと震える手を伸ばし――――


 瞬間、彼女の体は引き裂かれた。


 肉片が舞い、臓器が飛び散り、少女の形は消失する。

 一つの命が簡単に失われ、残ったのはバラバラになったベアトリーチェだった(・・・・・・・・・・)()だけ。


「…………え?」


 呆けた顔で、秋が膝から崩れ落ちる。

 ベアトリーチェの肉片に手を伸ばし、掴み取る。赤い肉はまだ暖かく、彼女がついさっきまで生きていたのが確かに感じ取れた。


「どういう……ことだ……」


 俯き、肉片を掴んだまま、秋は震えた声音で問う。

 だが問われた本人――――ネロは秋の方を見もせず、ただ一言。


「説明は後だ。来るぞ」


 呟く。


 それとほぼ同時に、災厄は襲来した。


 天を、地を、視界全てを覆い尽くす荊の群れ。

 まるで触手のように蠢くそれらは自然と生理的な嫌悪感を抱かせる。赤黒い幹と棘は血に濡れているようでもあり、太く細長い姿は人間の腸を思わせた。


「これは……!」


 驚く秋を尻目に、荊の群れは蛇のように身をくねらせ次々と襲い掛かってくる。だが秋は突然の出来事に体が動かず、呆然で荊を見詰めていた。


「チッ」


 ネロは舌打ちし、秋の前に立つ。

 そして身を守るように荊と対峙する。


 しかし荊は、ネロ達に届きはしなかった。


「『聖域』」


 魔術が行使される。

 彼女以外には成し得ない、複合術式を用いた大規模魔術。


 純白の柱が秋達を取り囲むように並び立つ。柱の間には真白の壁が出現し、天井を精巧な白亜の屋根が覆った。


 一瞬にして創り上げられた建造物――――『聖域』。

 不可侵の領域は、外敵の侵入を許さない。


 荊が『聖域』に絡み付く――――が、直ぐに霧散した。次々と迫る荊も同様に『聖域』に触れると同時に塵と化して霧散していく。


 膨大な物量を誇っていた荊が、次第に数を減らしていく。だが『聖域』には傷一つなく、中の者達を守護し続けている。


「ベアトリーチェ……」


 秋は彼女の名を呼んだ。

 この魔術が行使出来るのは、世界で唯一。『千の魔術を統べる者(へカーティア)』の所有者であり複合魔術の使い手、ベアトリーチェだけだ。


「…………久し振りね。私が殺されるのも」


 彼女は――――ベアトリーチェは『聖域』の()に居た。いつもと変わらず白髪を風に揺らし、青眼を輝かせ、傷一つ存在しない肉体で。


 ――――不死。彼女が遠い昔に手に入れた、呪わしき力。

 ベアトリーチェが『幽霊』と呼ばれるのも全て、この力が原因だ。

 彼女の肉体は血を流さない。そして死なない。まるで、既に死んでいるかのように。


 とはいえここ数年、死んだことは一度も無かった。死にかけたことなら多々あるが、それでも確実な死は今回が久々だった。


「ま、いいわ。今更だもの(・・・・・)


 死は辛いが、何度も経験すれば慣れる。今更恐怖も何も無い。ベアトリーチェにとって死とは手段の一つであり、繰り返されるものなのだから。


 それよりも今意識するべきは、眼下の荊。そして荊を操る奇跡所有者。


「出て来なさい。……居るんでしょう?」


 返事は無い。だが彼は、姿を現した。


 荊の群れ。その深奥から。


 ドストエフスキー。『騎士団』に追われる咎人。


 彼はベアトリーチェの想像より遥かに若かった。ダークブラウンの髪と、青色の瞳。端正な顔立ちは生気に満ち溢れ、特に彼の若々しさを引き立てている。


「始めましてベアトリーチェ。既に私の名を知っているだろうが、一応名乗っておこう。私はドストエフスキー。君と同じ奇跡所有者。そして君を救う者だ」


 仰々しい動作でドストエフスキーは手を広げた。純粋な瞳でベアトリーチェを見詰める姿からは、とても数十人以上を殺害した殺人鬼には思えないが、染み付いた血の臭いは拭えない。ベアトリーチェは顔をしかめる。


「貴方……臭うわね」

「分かってしまいますか。流石にとても敏感だ」


 手を上げ、パチパチと拍手する。

 どこかふざけたようにも思えるドストエフスキーの態度にベアトリーチェは更に表情を歪めた。


「……それで殺人鬼が私に何の用かしら。少なくとも私は貴方に用なんて一つとして無いけど」

「無論、君の救済だよベアトリーチェ。永遠に生き続ける君を私は救いに来たのさ」

「たちの悪い冗談なら結構よ。私と一切関わりのない貴方が、どうして私を救うのかしら」

「冗談ではない。これは真実だ。私は救い手として君を救いに来た」

「なら何故、私を殺したのかしら? それとも貴方は私を(・・)殺してくれるとでも(・・・・・・・・・)言うの(・・・)」?

「可能ならばそうしたいのところだ。死体の方が救いの際に苦しまなくて済むからね。だが君は噂通り不老不死。殺すことは叶わないらしい。……少しばかり痛いだろうが、安心し給え。直ぐに救われる。痛みも何も感じなくなる」


 目を爛々と輝かせ、ドストエフスキーはベアトリーチェを舐めるように見やる。その瞳は、余りにも純真無垢。彼は正気のまま、ベアトリーチェを救うと言葉にする。


「――――ふふっ」


 笑わせる。心の底から面白くて堪らない。


 救う? この私を? ベアトリーチェを?


「馬鹿にするのもいい加減にしなさい」


 救いなど、望んでいない。


 そもベアトリーチェは救われない。


 それが定めなのだ。


「――――『千の魔術を統べる者(へカーティア)』」


 少女の呼び声に、彼女は速やかに応えた。


 術式が展開される。一つや二つではない。十を越え、百を過ぎ、千を経て、万に至る。最早、どこを見渡してもベアトリーチェの術式が存在していた。


「喜びなさい。私が、全力で相手してあげるわ」


 術式が高速で組み合わさる。ある物は部品として、ある物は核として、時には棄て、時には戻し、無数の術式は一つの術式と化していく。


 ――――複合術式。ベアトリーチェのみが扱える、複数の術式を組み合わせ、新たな術式を組み上げる技術。これには並外れた繊細さと、そして天性の才能が必要だ。秋では恐らく一生を費やしても同じことは出来ないだろう。


 幾度の組成を経て、術式が形を成す。用いた術式の数は百以上。しかしかかった時間は十秒にも満たない。


「『海原』」


 術式が起動する。練り上げられた魔力が荒れ狂い、事象を捻じ曲げる。

 猛烈な熱を伴い現実へと出現したのは、魔術名とは裏腹に赤熱する溶岩の波。進行速度は遅いながらも、周囲を焼き尽くし、風景を瞬く間に変えてしまう辺り、最早災害としか言いようがない。

 

(相手の攻撃手段は荊。『奇跡』で作り出された物とはいえ、炎には弱い筈!)


 『奇跡』の産物とはいえ、所詮は植物。灼熱を前に形を保つことは不可能だろう。


 しかし、ドストエフスキーは不敵に笑う。青色の瞳が細められ、三日月のような笑みを浮かべた。


「頼むよ。キース」

「ああ。了解だ」


 ドストエフスキーの呼び掛けに、応える声。


 迫る波とドストエフスキーの間に、彼は現れた。

 短く切り揃えた黒髪。頬に刻まれた傷。獰猛な獣のような瞳。だが何より目を引くのは手に握られた長剣だろう。


 長さは約一メートル。幅広で肉厚の刃で、両刃を備えている。色は剣とは思えぬほど黒く、まるで闇を素材として生成したかのようだった。


「さて、と。ようやく出番だ『破壊の暴君(タイラント)』。存分に壊せッ!」


 男が長剣を軽く上段に構える。

 恐らくは振り下ろし。だが視界を埋め尽くす波を前に、剣で防ぐのは無謀としか言いようがない。


 しかしベアトリーチェは知っていた。

 『破壊の暴君(タイラント)』。あの剣の名を。

 あの剣ならば、彼女の魔術を断ち切ることなど容易だということを。


「――――ッ!」


 剣が、振り下ろされる。

 長剣を片手で振り下ろしたからか、その速度は遅い。


 だが、波は裂けた。

 男の一直線上を境として、両断される。

 しかもそれだけではない。大地は抉られ、遠くに居たベアトリーチェでさえも、余波で左腕を吹き飛ばされていた。


「ぐっ…………」


 ベアトリーチェは痛みに呻き声を上げる。青い瞳が猛烈な敵意を込めて男を睨め付けた。


 『破壊の暴君(タイラント)』。

 第二階梯に属する『奇跡』。能力は破壊。その一点のみ。

 ただ振るうだけで大地を砕き、大気を震わせ、人を肉片に変えてしまう、人が持つには余りにも過ぎた『奇跡』だ。


 かの剣がもたらす破壊は如何に『千の魔術を統べる者(へカーティア)』の防御魔術とはいえ簡単に防ぐことは出来ない。仮に『聖域』を用いたとしても完璧に防ぐことは不可能だろう。


 防げるとすれば防御に特化した『奇跡』、或いは最高位の防御魔術か。だが軽く破壊をもたらせる『破壊の暴君(タイラント)』と違い、ベアトリーチェは高度な魔術を使うのにある程度の時間を要する。それこそ秋と同程度の出力があれば即時の魔術行使が可能だろうが、ベアトリーチェにそこまでの出力は無い。


 つまり――――相性は最悪と言えた。


「ちと遠過ぎたか。流石に一回じゃ壊れねぇな。なら次は至近距離で行くぜ? ちゃんと防がないと直ぐに死んじまうぞッ!」

「っ!」


 長剣を構え、キースは突撃する。策も何もない単純な攻撃だが、『破壊の暴君(タイラント)』の存在がその単純な攻撃を脅威へと変えていた。


 ベアトリーチェも術式を構築する。至近距離での『破壊の暴君(タイラント)』を防ぐことは不可能。だが対処方が無い訳ではない。


(組むのなら『蝶々』――――いえ『蝶々』を使うには遅すぎる。ならここは――――)


 即座に脳内で現状に適した魔術をピックアップする。

 求められるのは『破壊の暴君(タイラント)』の攻撃を何とか出来るものであり、構築が容易なものだ。


 候補はある。ベアトリーチェは各種の魔術が構築出来る前段まで術式を展開しておき、迫るキースを見やる。


 防げたとしても次がある。その次のことまで考えて魔術を構築しなければならない。

 候補の中から更に次の手まで考慮し、ベアトリーチェは一つの魔術を選択する――――


「避けろベアトリーチェ」


 張り詰めていた思考に混じる一言のノイズ。

 呆けたベアトリーチェの声が響く。


「え……」


 『聖域』が、内側から切り裂かれた。

 切り裂いたのは赤髪黒眼の男――――ネロ。


「嘘……」


 『聖域』は内側の防御力は殆ど無いと言ってもいい。しかし剣で容易く切断されるほど脆くはない。


 それを。ネロは切り裂いた。

 恐らく『奇跡』の能力だろうが、だとしても恐ろしい。


(本当に今回は相性悪いのが多いわね!)


 内心愚痴る。キースだけでなくネロまで相性が悪いとは思ってもみなかった。


 と、そこでベアトリーチェの思考が停止する。


 そういえば、彼は先ほど何と言った?


 避けろと、言ったのではないのか?


 では何から? ネロの斬撃か? いや既に『聖域』は切り裂かれている。なら何が――――


「チェスカ」


 瞬間、ベアトリーチェは全力でその場を飛び抜いた。

 それは長年の経験故の勘。ベアトリーチェ自身も何故飛び退いたのか分かっていないだろう。

 だが、その選択は正しかった。


 さながら流星か。或いは彗星だろうか。

 光が瞬き、刹那、切り裂かれた『聖域』内部から何かが高速で射出された。


 ――――疾走する。一筋の光の線と化し、彼女は敵へと突撃す。


 速度は遅いが、むしろ制御しやすい。これなら外すことは無いと、フランチェスカは確信する。


「ッ!」


 キースが迫る光に気が付くが、既に遅い。彼女は眼前へと迫っていた。


「『荊の庭園(ガーデン)』」


 剣を振るう。だが、渾身の刃は無数の荊によって防がれた。一撃で数十近くを薙ぎ倒すも、荊は無尽蔵に湧いてくる。


「くっ!」


 フランチェスカは直ぐに周囲に群がる荊を切り裂き、距離を取るべく後ろに下がる。


「逃がすかよ!」


 前面の荊が、消し飛ばされる。『破壊の暴君(タイラント)』を構えたキースが、フランチェスカを睨め付けていた。


 キースは剣を構え、振り下ろす。彼我の距離は十メートルはあるが、『破壊の暴君(タイラント)』の破壊力を以てすれば致命傷、ないしは重傷を負わせることが出来るだろう。


 ――――フランチェスカが、一人だったなら。


 『騎士団』は、基本的に二人一組で行動する。彼等にとって相方は自らの半身であり、守るべき存在であり、決して失ってはならない存在だ。


 だから、フランチェスカは確信していた。

 彼が、助けに来てくれると。


 『破壊の暴君(タイラント)』から放たれた破壊が、大地と荊を纏めて吹き飛ばす。そして威力は一切減衰せずにフランチェスカへと到達し、


「やらせるかよ」


 純白の鎧を身に纏ったネロが、フランチェスカの前に飛び出る。『破壊の暴君(タイラント)』の一撃は一直線にネロへと向かい、その全身を包み込んだ。


 しかし――――


「こんなもんか?」


 『騎士の聖鎧(パラディン)』は、ネロは、傷一つ無い。『破壊の暴君(タイラント)』の破壊など、まるで意味が無いと言うように。


「…………へぇ」


 無傷のネロを見て、キースが笑みを深くする。


 これまで『破壊の暴君(タイラント)』の破壊を防いだ者は複数人居たが、無傷で防いだ者は目の前の男だけだ。他は重傷、良くて軽傷だった。


「面白えじゃねぇか!」


 歓喜に胸が打ち震える。

 そうだ。求めていたのはこれだ。キースが欲していたのはこれなのだ。


 強者との戦い。それこそ、キースの願い。

 そして眼前の男は、紛れもない強者。


「嗚呼――――最高だ」


 そして、キースの思考は獣と化す。


 ただ目の前の強者を殺す為だけに地を蹴る。


 だが、もう一人の男はそれを許さなかった。


「止めておけキース。私達の目的はそこではない(・・・・・・)筈だよ」


 冷静な、と言うよりかは、冷たい声音が響く。キースが足を止め、殺意を隠しもせずにドストエフスキーへ向けた。


「何故止める」


 声の主であるドストエフスキーは、にこやかに言葉を続けた。


「今回は引き上げよう。また機会はやってくる。それに今は分が悪いと思わないか? ベアトリーチェに『騎士団』、未知の男も居る。流石にこれだけの敵を一度に相手したくはない」

「…………」

「どうかなキース? それでも君は、引き上げないのかい?」


 あくまでも穏やかに、ドストエフスキーはキースに声を掛ける。だがそこに込められているのは首肯以外を認めないという絶対の圧だ。


 キースは渋々といった表情で『奇跡』を消す。どうやら仲間割れをしてまでネロ達と戦う気は無いようだった。


「そういうことだ。悪いがここは引き上げさせてもらうよ」

「好きにするといいさ。どうせお前らの目的はこっちに居る。いつでも来るといい」


 挑発的な言葉。ドストエフスキーは笑みを深め、無言でその場を後にした。キースはいつの間に姿を消したのか既に居なくなっている。


「…………ふぅ」


 周囲を見渡し、ドストエフスキー達が居ないことを確認してからベアトリーチェは緊張を解いた。張り詰めていた意識がゆっくりと落ち着いていく。


「リーチェ!」


 そこへ秋が駆け寄ってくる。笑顔でベアトリーチェは声を掛けようとし――――


「な!」


 秋に強く抱き締められ、顔を真っ赤に染めた。


「な、何を!」


 突然のことにベアトリーチェは身を強張らせるが、直ぐに弛緩する。秋の心底安心した表情を見て、彼が今までどんな思いだったのか理解してしまったから。


「良かった…………」


 安堵の言葉は、余りにも重い言葉だった。


 ベアトリーチェは不死だ。何があろうと、呪われたこの身では死ぬことは叶わない。ベアトリーチェにとっての死は、生と同じく実感の薄いものだった。


 いつからだろう。自分の死に頓着せず、命を軽く扱い、周囲の人間の心を顧みないようになったのは。死という他人からすれば絶対の事象を、手段として用いるようになったのは。


 誰かの死は辛いことだと、長い時を生き、多くの者を看取ってきたベアトリーチェには分かっていた筈なのに。なのに自分は、自分の死を他人に押し付けるのか。


「…………」


 そっと、ベアトリーチェは秋を抱き締め返す。

 死は悲しい。死は辛い。例え不死だとしても、そのことを忘れてはいけない。


 優しく秋の頭を撫でる。胸中に暖かい感情が込み上げてきた。


「ごめんなさい。でも、もう大丈夫よ。私は、生きているわ」

「……もう、止めてくれ。俺は…………見たくない」

「……………………そう、ね」


 約束は、しなかった。いや、出来なかった。

 ベアトリーチェにとって不死の力は忌むべきものであり、戦いを便利に進めるものでもある。使わないに越したことはないが、使う機会は必ず来る

 だから、告げられない。

 また私は死にますなど、言える訳が無かった。


「……」

「……」


 二人の間に沈黙が満ちる。互いに何も言わず、身を寄せ合うだけ。


「さて、と。これで分かったか?」


 その沈黙を破ったのは、秋でもベアトリーチェでもなく、ネロだった。


「何のこと……?」

「奴の力さ。教えてやると言っただろ?」

「確かに言ったわね。でもまさか殺されるなんて思ってなかったわ」


 恐らく――いや確実にネロ達はドストエフスキーが攻撃を仕掛けてくることを予想していた。その上でベアトリーチェをこの場に連れ出し、戦わせたのだ。


「何故、こんな事を?」

「ベアトリーチェ。お前は単独で奴等に勝てるか? ドストエフスキーとキース・アークライト。二人の奇跡所有者を前に、大きく力を失ったお前が」

「ッ!」


 勝てる、とは言えなかった。

 これが力を失う前なら、勝てると断言しただろう。

 しかし力を失った今、ベアトリーチェは弱い。間違いなくあの二人を同時に相手しては勝てない。


「勝てないだろうよ。勝てる訳がないからな。……俺達と手を組めベアトリーチェ。これは頼んでいる訳じゃない。その辺、お前なら分かるだろう?」

「……成る程。『ブライトの子供達』だから少し期待していたけど、貴方達も『騎士団』ということね。……外道共め」

「悪いな。俺は確かに『ブライト』だ。だがそれと同時に『騎士団』なんだよ」


 忌々しそうにベアトリーチェはネロを睨み付ける。ネロは笑みを深め、秋へと視線を向けた。


「忘れるなよベアトリーチェ。お前が協力を拒み、敗北しようと構わんが、お前には仲間が居る」

「…………本当に最低ね。最初から選択肢なんて与えるつもりは無かったってこと」


 ネロの言葉は要するに脅迫だ。

 秋と蓮華を殺されたくなければ、手を貸せ。


 その為にネロとフランチェスカは秋と蓮華に攻撃を仕掛けたのだ。あれはベアトリーチェを誘き寄せるパフォーマンスであると同時に、殺害を躊躇わないという意思表示。


「…………」


 『騎士団』が動くとは予想していた。だというのにここまで上手く立ち回られ、手を貸すことを強制されるとは。


「安心しろ。氷室蓮華も手は出さない。……お前の態度次第だがな」

「…………」

「ま、今日はもう夜遅い。詳しい話はまた明日にしようか」


 ポンと、ネロが去り際にベアトリーチェの肩を叩く。

 秋には聞こえぬよう耳元に口を寄せ、


「あまり俺達を舐めるなよ化け物」


 侮蔑と殺意、そして嘲笑が込められた言葉だった。


「じゃあな」


 再び肩を叩き、ネロはフランチェスカを連れてこの場を立ち去った。ベアトリーチェは顔を伏せ、何も言わない。


 しかし秋は、声を掛けることは出来なかった。


「――――――――」


 彼女の瞳に、殺意が煌々と揺らめいていたが故に。









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