05.重ならぬ思い
月宮家は静寂に満ちていた。
リビングでテーブルを囲む五人。
秋、ベアトリーチェ、蓮華、ネロ、フランチェスカ。
誰もが口を開かず、沈黙を続けている。
傍から見ればこれが話し合いの場だとは到底思えないだろう。それほどまでにこの場は静まり返っていた。
「…………それで」
埒が明かない。これでは時間の無駄だと判断し、ベアトリーチェが口を開く。四人の視線が彼女へと向けられる。
「いい加減に話してもらえるかしら。貴方達がここに来た理由を。こうして黙っていても時間の無駄だわ」
「それをお前が言うのかベアトリーチェ? 不死のお前が。だがそうだな……時間も丁度良い頃合いだ。そろそろ話すとしようか。まずは…………事の発端から話すとしよう」
そう言い、ネロは語り始める。今回の騒動の始まりを。
事の始まりは数ヶ月前のことだった。
とある一人の奇跡所有者の出現に起因する。
「そいつの名はドストエフスキー。元々は医者で小さな病院を営んでいた」
「その男と『奇跡』の接点は? 今の話だと『奇跡』とは何の関係もない普通の人間だけど」
「お前の言う通り接点は皆無だ。ドストエフスキーは確かに普通の人間で、『奇跡』なんて力とは無縁の人生を送っていた」
「つまり後天的に『奇跡』を手に入れたということね」
ベアトリーチェの言葉にネロは頷く。
「そうだ。奴は後天的に『奇跡』を手に入れた。そこまではいい。この世の中、後天的に『奇跡』を手に入れることは珍しいが、決して無い訳じゃない。ドストエフスキーの一件も同じこと。問題はここからだ」
「……何かあったのね?」
「ああ。奴は……ドストエフスキーは、手に入れた『奇跡』を使い現在分かっているだけでも数十人以上を殺害した。目的は一切不明。善良な医者だった男は、何故か『奇跡』を手に入れると同時に殺人鬼と化した訳だ」
まるでよくある事だとでも言うようなネロの言葉。
だが、それが『奇跡』の存在する世界なのだろう。アリオスのような存在が当然のように街を闊歩し、不運な一般人が犠牲となる。――――過去の秋のように。
だからネロやフランチェスカのような存在――――『騎士団』が居るのだろう。道すがら秋も彼等について説明は受けた。弱者を悪しき奇跡所有者から守る存在だと。
とはいえ問答無用でフランチェスカに襲い掛かられ、命の危機さえ感じた秋としては到底彼等が理想的な正義の味方には思えない。むしろベアトリーチェ達と同じ傲慢な保護者に秋は思えた。
そんな秋の心中など知らぬネロ達は、どんどん話を進めていく。
「数十人……元々そういった願望が心の中に有ったのかしら。それとも手に入れた『奇跡』の影響……?」
「恐らくは後者だろうな。奴が手に入れた『奇跡』は人の手に余るタイプの物だ」
「名前は?」
「『荊の庭園』。第一階梯に属する『奇跡』だ」
「『荊の庭園』……?」
初めて耳にする『奇跡』だ。とはいえ秋の『奇跡』に対する知識は余り深いとは言えない。ベアトリーチェや蓮華なら知っているかと思い、秋は視線を横へ向けるがどうやら二人も知らないようだった。
「知らないのも無理もない。第一階梯に属する『奇跡』は滅多に所有者が現れないからな。名前だけならまだしも能力まで知っているのはそうそう居ない」
「それで、その『奇跡』はどんな力を持っているのかしら? 名前なんかよりその方が重要よ」
「それのことなんだが……お、来たか」
突如、室内に響き渡る電子音。ネロは懐から携帯電話を取り出すと画面に目を向ける。そして何かを確認し、満足げに笑った。
「準備は上々だな」
「何をしているのかしら?」
「ベアトリーチェ。お前、件の『奇跡』の能力が知りたいと言ったな? なら教えてやる。直にな」
「直に……? ッ! まさか!」
「察しがいいな。そうだ。奴が現れた。今行けば直接ドストエフスキーと会うことが出来る。……まあ付いてくるかどうかはお前達の好きにするといいさ。よく考えてから決めるといい」
立ち上がり、ネロは秋達を気にもせず玄関へと歩いて行く。フランチェスカも興味は無いのか直ぐに彼の後を追って玄関へと向かった。
残された秋、ベアトリーチェ、蓮華の三人は、それぞれ顔を見合わせる。まず最初に口を開いたのはベアトリーチェだった。
「一応、言っておくわ。今ここで、私達には二つの選択肢がある。彼等に付いて行くか、それとも立ち去るか。付いて行けば、まず間違いなく今回の件に巻き込まれる。ならばと立ち去れば……きっと彼等は殺しに来る。協力しない討伐対象者を生かしておく必要はないもの。だから一応、選択肢を二つ提示はしたけど…………結局選択肢は一つしかないわ」
生きるか、死ぬか。
単純明快な二択だ。内容が内容だけに答えも普通に考えて一択にしか思えないだろう。
ベアトリーチェも、秋や蓮華は定められた一択を――――つまり生きることを選ぶと予想していた。いや、むしろ確信と言えるだろう。
生きることは生物の本懐であり、簡単に捨てることは出来ない。自分自身のような不死ならいざ知らず、命が限られている彼等が死を選ぶ筈が無いと思っていた。
「私は、行かない」
蓮華の、この言葉を聞くまでは。
ベアトリーチェは凍り付いた表情で、それでも何とか口を動かし問い掛ける。
「……貴方、言ってる意味分かってるわよね?」
「分かってる。ここで立ち去れば私は『騎士団』に追われて殺される」
「なら、どうして……」
「…………彼等と組みたくない。それだけ」
淡々と、いつも通りの無表情で蓮華は応える。彼女の氷のように変化の乏しい表情からは、彼女が心の中で何を考えているのか、如何に長く人間を見てきたベアトリーチェでも分からない。
それは秋も同じなのか、彼も困惑した様子で蓮華へ疑問をぶつける。
「氷室、それでも戦うことは出来ないのか? このままだとお前は…………殺されるんだぞ」
「構わない」
冷徹な返答。秋も返す言葉が見付からず、悔しそうに口を閉じる。
「貴方、死にたいの?」
「死にたくはない。でも、死ぬことに恐怖は無い」
きっぱりと、蓮華は言い切る。
頑なに秋達の言葉を否定する彼女の心は、まるで永久に溶けない氷のようだ。冷たく、それでいて頑固でもある。彼女が一度戦わないと決めたのならば、きっと戦うことはないことを、短い付き合いながらも秋は知っていた。
「…………」
これ以上、言葉を重ねることは無駄だろう。彼女の心は他人の言葉では決して揺らがない。彼女自身が心を動かさない限り。
それに氷室蓮華も、ベアトリーチェからしてみれば単なる知り合いだ。悠久を生きる少女にとって、人とは背負うには余りにも重い。過渡な干渉は強い情を生み、将来的に自分を苦しめる。
だから、ベアトリーチェは蓮華を切り捨てられる。これまでも何度も捨ててきた。今回もそれと一緒だ。冷たいかもしれないが、そうしなければベアトリーチェは生きていけない。目に映る友を皆、背負うことは出来ない。
しかし、彼は、違った。有限を生きる者だから。命の尊さを分かっているからこそ、蓮華を止める。生きることを望み、少女の心を動かそうと必死になる。
「氷室。俺はお前に死んでほしくない。これは本心だ。俺は心の底からお前に生きていてほしいと願ってる。だから頼む……行かないでくれ」
「…………」
漆黒の瞳が秋を射抜く。彼女の視線から逃げもせず、秋も蓮華を見つめ返す。
果たして、彼女の心は変わるのか。氷の心は、氷解するのか。
「……月宮くん。私は、死ぬ気なんてない。確かに恐怖は無いいけど、死ぬことを良しとする気もない。私は生きる。それを忘れないで」
これ以上、何も伝えることはないとでも言いたげに蓮華は席を立つ。秋とベアトリーチェに背を向け、部屋から出ていこうとする。
「氷室」
蓮華の足が止まる。しかし振り返りはしない。
前を見たまま、秋の言葉に耳を傾ける。
「俺はお前を背負うと決めた。だから、もしもお前が殺されそうな時は絶対に助けに行くからな」
「…………」
「それだけだ。……またな氷室」
返事は無い。
蓮華は無言で歩き去る。
「……いいの?」
「ああ。何かあれば俺が助ける。……そう、決めたんだ」
「…………」
秋と蓮華。二人の間にどういった遣り取りが有り、今の至るのか、ベアトリーチェは知らない。秋が、蓮華が、何を思っているのかも。
だからベアトリーチェには、秋を信じることしか出来ない。
自分を救った彼の言葉を、今はただ。




