27.戦いの先に有ったもの
「ごめんなさい」
艷やかな黒髪を揺らし、立ち上がった氷室蓮華は勢い良く頭を下げた。
謝罪された側――――秋は呆然と問い掛ける。
「……何で?」
※※※※※※※※※
アリオス達との戦いから既に三日。
最早常連になりつつある喫茶店に秋達は集合していた。
戦闘の後、秋は気を失ったが、実は直ぐに目を覚ましていた。腕も傷も、ベアトリーチェのお陰で完治しており、体力も一晩眠るだけで元に戻った。
しかし蓮華は治療こそ終えたものの昏睡状態が続き、ベアトリーチェは戦後処理に忙殺されていた。こうして集合することも、あの一件後初めてだ。
そんなこんなで開催された茶会であるが、まさか開始早々に蓮華から謝罪されるなど思ってもみなかった。
何故、謝られているのか分からないと秋が首を傾げる。常に冷静かつ表情一つ動かさない蓮華の強い謝罪の言葉に、むしろ秋は冷や汗を流した。
(何かしたのか俺? いや待て待て。そんな記憶一切無いぞッ!)
何をしでかしたのか心当たりが無く、内心焦る秋を他所に蓮華は俯き、ぽつりぽつりと、自らの罪状を口にした。
「……本当は私がアリオスを倒す筈だった。でも私は気絶して貴方を助けに行けなかった。貴方が『奇跡』を使い熟せたから良かったけど、もしものことを考えると……私は……」
蓮華はずっと後悔していた。
本来ならば蓮華はベラを速やかに撃破し、アリオスも撃破する筈だった。しかし蓋を開けてみればベラは予想以上に粘り、蓮華も消耗の果てに気絶。アリオスはベアトリーチェと秋で倒した。
威勢の良いことを言いながら、蓮華は何も出来なかったのだ。秋は彼女を背負ってくれると言ってくれたのに、彼女は秋に何もしてやれない。
共に戦うことも、傷を癒やすことも、出来やしない。役立たずと、辛辣な言葉で罵られる覚悟すらしていた。それだけのことを、蓮華はしたのだから。
とはいえ秋にそんなつもりが有る訳もなく、頭を下げる蓮華の姿には、あたふたと慌てるしかない。周囲の非難するような視線もグサグサと突き刺さる。
針のむしろとはこのことだと思いながら、秋は何とか言葉を絞り出した。
「気にしなくていいから! 全ッ然気にしてないから! だから頭を上げてくれほら!」
「…………わかった」
秋の言葉を受け、渋々、蓮華は頭を上げた。どうやら相当に後悔しているらしく、表情もいつもの無表情ではなくどこか沈んでいる。
しかし秋としては気にしていないのが本音だった。
「結果論かもしれないけど、俺は生きてここに居る。死んでない。生きてるんだ。なら、それでいいじゃないか。蓮華も無事だったし。結構心配したんだからな?」
アリオスとの一戦後、蓮華を迎えに行った二人が見たのは無惨な少女の姿だった。
ありとあらゆる魔術を行使できる『千の魔術を統べる者』か、それこそ回復に特化した『奇跡』でなければ治療は不可能だっただろう。
結果的に傷は完治したが、二度と同じ目にあってほしくないと秋は思っていた。
傷を簡単に治すことができ、本人が傷を負うことを気にせずとも、負った傷は痛ましい。ましてや、それが美しい少女が負ったものなら尚更だ。
当の蓮華は傷よりも秋の助けになれなかったことの方を気にしているようだったが、秋としては自分の身を大切にしてほしいと、心の底から思った。
「無茶するのはこれっきりにしてくれよ?」
「頑張る」
「おう。その意気だ」
秋が頷くと、蓮華は微かに笑った。
滅多に見られない彼女の笑みは、華のように可憐なものだった。
「そこのお二人さん。イチャイチャするなら家にしなさい。ここは公共の場よ?」
と、そこへ声が掛けられる。
真白の髪がふわりと揺れ、青い瞳が特徴的な美少女は、苦笑いを浮かべて二人の横に立っていた。
「イチャイチャなんてしてない。いいから座ったらどうだ――――リーチェ」
「そうさせてもらうわ。あと今の二人は完全にカップルにしか見えなか――――」
「いいから座れ!」
はいはいと適当に返事しながらも素直に彼女――――ベアトリーチェは席に腰を下ろした。深く椅子に座り、背もたれに体を寄りかからせる。
「疲れているのか?」
「ええ。ちょっと色々あってね」
「…………この間の件に関してか?」
「まあ、そうね。後処理にちょっと手間取って」
そういう彼女の言葉には微かな苛立ちが含まれていた。らしくない表情に秋は心配そうに問い掛ける。
「どうした? 何かあったのか?」
「秋が気にする必要はないわ。これは私の問題だもの。それに解決もしてる。だから大丈夫よ。心遣いだけ受け取っておくわ」
「…………そうか。でも何かあれば言えよ?」
「ええ。そうさせてもらうわ。それより……折角集まったんだもの。もっと楽しい話をしましょう?」
微笑み、ベアトリーチェは明るく言う。
そも今回の集まりはアリオス達の話をする為ではない。単なる友人として、共に戦った仲間として、言葉を交わす為の集まりだ。
秋が頷く。蓮華は相変わらずの無表情だが、嫌ではないようだった。
ベアトリーチェは笑う。心の底から楽しいと思えるような、そんな笑顔を浮かべ、彼女は口を開いた。
※※※※※※※※※
結局、三人のお茶会は三時間ほど続いた。日も既に半ば地平線に沈み、空が赤く染まっている。
「じゃあな」
喫茶店の前で秋は蓮華に手を振った。
彼女の家は秋の家とは別方向に在る。
名残惜しく思いながらも蓮華はコクコクと頷いた。
「うん」
「体は大切にしろよ?」
「うん」
分かっているのか分かっていないのか。曖昧な返事をして、蓮華は帰路についた。茜色の道を行く少女の後ろ姿を暫く眺めた後、秋はポツリと呟く。
「行こうか」
「そうね」
そうして、二人は並んで歩き始めた。
「…………」
「…………」
無言が続く。秋とベアトリーチェは一言も発さず、無言で道を歩き続ける。沈黙が二人の間を支配していた。どちらとも声を発しようとしない、
「ねえ」
そんな中、先に沈黙を破ったのはベアトリーチェの方だった。
秋よりも先を進んでいた少女は立ち止まり、前を向いたまま言葉を続ける。
「あの時も、こんな夕暮れだったわね」
「……そうだな」
あの時、ベアトリーチェは悲しそうな表情を浮かべていた。
辛くて、苦しくて、しかし逃れられない悲しみ。きっと、それは秋に理解できるものではない。
だが、救いたいと思った。助けたいと思った。彼女を苦しめる全てから、目の前の女の子を守りたいと。
それが、月宮秋の願い。
『奇跡』を手に入れ、彼女に出会い、抱いた理想。
くるりと、ベアトリーチェが振り向く。真白の髪がフワリと舞った。
「嬉しかったよ、私。貴方が私を守ってくれるって言ってくれたこと」
少女は笑っていた。
華やかな、可愛らしい笑みを浮かべていた。
「ありがとう。秋」
その言葉だけで、充分だった。
もう何も要らないと、秋は思う。
月宮秋は物語の主人公でも、ヒーローでも、英雄でもない。万を救う力など持っている訳がなく、単なるちっぽけな存在でしかない。
それでも、主人公でもヒーローでも英雄でもないけれど、秋は確かに彼女を救えた。ベアトリーチェを救うことが、守ることが出来た。
月宮秋は、女の子を救った。
それで充分だった。
※※※※※※※※※
そして彼の旅は、始まった。
苦痛と、絶望に彩られた醜悪な旅路の幕が、
今、上がる。
これにて1章は終了です。
次回からは2章が始まります。




