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不死の少女は旅をする  作者: マリィ
1章 旅の始まり
23/77

22.そして彼の旅は始まった









 そして彼女の旅は、始まった。

 これはとある女の物語。

 いつか、残酷な真実として語られる御伽話。

 しかし物語としては余りにも醜悪で、


 ――――哀れな話だった。
















 もしもこれが、彼女の始まりだとしたら、どうして彼女は平気そうにしているのだろうか。


 まるで普通の少女のように笑い、他人を慮り、救おうとするのだろうか。


 秋には理解出来ない。月宮秋に、少女の思いは理解出来ない。


 けれどもきっと少女は孤独で、


 けれどもきっと少女は純真で、


 けれどもきっと少女は愚直だから、


 秋を助けようとした。

 本当は、自分の方が救われたいのに。

 それは、いつかの夕暮れ時。

 彼女と彼が共に道を歩んだ日の一部。


 悲しげな顔を彼女はしていた。

 世界を赤く染める夕暮れを前に、感傷にひたっていたのかしれない。


 理由はどうあれ、彼女は悲しげな顔をしていた。


 どうして、そんな顔をするのか。

 そこから先は彼女の領域。無遠慮に踏み込むべきではない。


 それでも彼は。

 彼女を見捨てることは出来なかった。


「なら俺が君を助ける」


 それは、問答の末に得た彼の願い。

 ただ、少女を救いたいと思った無力な男が描いた理想。
















 そして彼の旅は、始まった。

 これはとある男の物語。

 いつか、残酷な真実として語られる御伽話。

 しかし物語としては余りにも醜悪で、


 ――――哀れな話だった。









※※※※※※※※※









「秋」


 声が聞こえたような気がした。


「秋」


 再度、名を呼ばれる。何故か、とても懐かしい声だった。


 ゆっくりと目蓋を持ち上げ、月宮秋は覚醒する。暗闇だった視界に光が射し込み、思わず光から逃れる為に目を閉じそうになる。だが三回目の呼び声がそれを許さなかった。


「目を覚ましなさい、秋」


 凛々しい声音。視界の先に誰かが立っている。しかし何者かの姿は霧に包まれ、果たして誰が立っているのか秋は分からない。


「君は…………誰だ?」

「私の名前はへカーティア。『奇跡』の中に在るもの」


 問い掛けに、誰かは答えた。霧が晴れ、世界の全景と目の前に立っていた誰か――――へカーティアの姿が露わになる。


 彼女の姿は、凛々しい声音とは裏腹に年若い少女のものだった。紫色の髪が長く長く伸ばされ、アメジストの様な瞳は爛々と輝いている。凹凸のはっきりした肉体はゆったりとしたローブの上からでも分かり、整った美貌は最早神々しさすら感じられた。


 彼女は本だらけの世界の中央に立っていた。上下至る所を本が埋め尽くし、果てなく地平線まで伸びている世界は鏡写しの様にも思える。宙空に浮かび、穏やかな表情を浮かべたへカーティアの思考は一切読めない。何を考えているのか、秋には分からなかった。


 だが先程、彼女が口にした『奇跡』の中に在るもの、という言葉だけは分かった。彼女の名前と、彼が得た『奇跡』の名前は同一のものだ。彼女は、言うなれば『奇跡』そのものなのだろう。


「その認識で間違いないわね。あれは私だから」


 胸に手を当て、へカーティアは秋の思考を肯定する。


「心が読めるのか」

「私は貴方の『奇跡』だもの。読めるわ。正確には聞こえると言うべきだけど」

「そうか。なら、言葉にしなくても分かるよな。俺が思っていること」

「ええ勿論。私は知っているわ。貴方が、戦いに敗北したことも、浅ましい願望を抱いて夢破れたことも、その果てにヤケになって死を願っていることも」


 全て、知っているわ。

 まるで、全知全能の神の様に、へカーティアは秋の心の中を代弁した。秋は頷き、口を開く。


「なら話は終わりだ。君が何の目的で俺に接触してきたのか知らないが、俺はもう戦う気はない。どうせ死ぬんだ。さっさと俺を捨ててリーチェの下に帰れ。そうすれば彼女は戦える。彼女なら『奇跡』さえあれば負けない。分かったらこの変な場所からさっさと解放して――――」

「秋。月宮秋。私の持ち主。我が主よ。最後まで話を聞かずに思い込みで話すのは余り得策ではないわよ。貴方が、英雄になれると思い込んだようにね」


 馬鹿にする様にへカーティアは言った。秋が苛立たしげにへカーティアを強く睨め付ける。注意されたことより、自分の愚かさを引き合いに出したことの方が秋の怒りに触れた。


 当然、怒る権利など秋には無い。へカーティアは当然のことを言っているに過ぎない。馬鹿にされるのも仕方ないだろう。真実、秋は英雄を夢想し、結果として無様に負けたのだから。


「馬鹿にするつもりは無いわ。ただ私は貴方と話しに来たのだから」

「人を苛立たせる話をする為か?」

「いいえ。私はね、貴方を選んだ。今まさに死を迎えようとしている貴方を。それはね秋。貴方がとても面白そうだったから。でも、今の貴方な詰まらない。私に溺れようとしている」

「何を言ってる。俺はお前に溺れるつもりなんて――――」

「『奇跡』が使えなかったでしょう。あれは、私が使えなくしたのよ」

「ッ!」


 予想外の言葉に、思わず殴り掛かりそうだった。目の前の女が、使用を禁じたからこそ秋は嬲られた。苦痛を味わい、屈辱を味わい、死すら懇願するほどまで追い詰められた。全て、目の前の女が齎した結果だ。


 しかし、へカーティアはさも当然と口を開く。


「だって貴方は私を理解していないんだもの」

「どういう意味だッ!」

「そうね。言い方を変えましょう。貴方は、私を理解しようとしていない。貴方は、与えられた道具を使うだけの猿と同じなのよ」


 侮辱の言葉は深々と秋の心に突き刺さる。怒りで視界が赤く染まった。それでも手を出さなかったのは残った理性が彼を抑えたからだ。最早、殺意すら込められた視線を気にもせずにへカーティアは言葉を続ける。


「貴方は私を何だと思っているのかしら? 私は『奇跡』。そう、奇跡なのよ。貴方、意味分かるかしら?」

「意味、だと?」

「ええ意味よ。奇跡とは、与えられるもの。でもそれは何もしない者に与えられる訳ではない。願い、思い、祈りを捧げた果てに与えられる尊い力こそ奇跡なの」


 へカーティアは歌う様に言葉を紡ぐ。


「私も変わらない。強く願い、思うからこそ私は『奇跡』としての権能を振るう。貴方、願った? 当たり前の機能として『奇跡』を使おうとしなかった?」


 問われ、秋は何も言えない。彼女の言う通り、秋は『奇跡』を機能として力を振るおうとした。自らの持つ能力として行使しようとした。だが、それは間違いだ。


「もっと願いなさい。その果てに『奇跡』は力を貸すわ」

「嘘を言うな! お前は言ったな。俺が英雄に成りたいと願ったって。そうだ。俺は英雄みたいに成りたいと思った。非日常の世界で、まるで主人公みたいに成りたかった! そう、願った筈だ!」


 普通に生きてきた青年は、力を手に入れた。

 特別な力を。だから、成りたいと思った。英雄みたいな輝かしい存在に。主人公のような尊い存在に。


 しかし願いは叶わない。当然だと、へカーティアは嘆息する。


「英雄に成りたい。主人公に成りたい。そう。それが、貴方の本当の願いなの?」

「…………え?」


 英雄に成りたい。

 主人公のように成りたい。

 特別な存在に成りたい。


 それは全て秋の願いだ。それは間違いない。


 では、果たして。


 それは全て秋の真実なのだろうか。


 秋が求める願いは、本当に、そんなものなのか?


「本当に叶えたいと思う願いは、当人の奥深くに眠っている。彼女は、死にたくないと願った。それが彼女の深層だった。では貴方は? 貴方の心は何を望む? 月宮秋は、何と願っている?」

「俺、は…………」


 月宮秋は、何を求めている?


 彼の心の奥は、何を願う?


 分からない。

 怒りと困惑が脳内で掻き混ぜられている。

 秋の願いは、一体なんなのか。


「…………これを見なさい」


 へカーティアが手を振り、手元に一冊の本を出現させる。本は一人でに開き、何を書かれていない白紙のページを秋へ見せた。


 怪訝そうに秋が見ていると、白紙のページに少しずつ何かが表示されていく。白紙だったページは瞬く間に映像が投影されたスクリーンとなっていた。


「――――リーチェ」


 拳を強く、秋は握る。紙上のスクリーンに投影されていたのは、ベアトリーチェがアリオスと戦っている姿だった。


 しかし、目の前の光景は戦いと呼ぶには一方的過ぎた。アリオスの攻撃をベアトリーチェは防御するが、容易く破壊されて吹き飛ばされる。血も流さず、怪我も負わない少女は痛みに顔を歪めながらも立ち上がり、再びアリオスに立ち向かう。


「彼女は、貴方の為に戦っている。貴方を守る為に」

「…………」

「彼女は死ねない。彼女自身が、そう願ったから。でも痛みは残留する。彼女は今もなお、激痛に苛まれている。貴方の抱える痛みなんて比じゃない」


 それでも、ベアトリーチェは立っていた。

 足掻いていた。藻掻いていた。嗚咽を漏らし、悲鳴を上げて、それでも、立っている。魔獣と対峙し、立ち向かっていた。


 全ては、秋の為に。


「それでも、あの娘は立つのよ。死にたくないから。貴方を守りたいから」


 ベアトリーチェが何を抱えて生きてきたのか、秋は知らない。だが、今の彼女なら知っている。知って、しまった。彼女と言葉を交わしたことは数えるほどしかないけれど、確かに秋は思ったのだ。


 胸に渦巻く、この感情を抱いたのだ。


「俺は――――」


 これが正解かどうかなんて分からない。だが湧き上がる思いは彼の口を動かさせる。




 それは、問答の末に得た彼の願い。

 ただ少女を救いたいと思った無力な男が描いた理想。


 そして彼の旅は、始まった。

 これはとある男の物語。

 いつか、残酷な真実として語られる御伽話。

 しかし物語としては余りにも醜悪で、


 ――――――――尊い話だった。




「助けたいんだ。彼女を。きっと、それが俺の願いだ」


 助けられたから、じゃない。いや、きっとそれも有るのだろう。けれども、それだけじゃない。


 彼女を助けると、決めた。

 それこそ、月宮秋が成すべきこと。

 悲しげな表情を浮かべる彼女の姿を見た時、彼は誓ったのだ。


 単純な理由かもしれない。一笑に付す様な話かもしれない。だとしても、秋が彼女の言葉を聞いて、助けたいと胸に抱いたのは間違いではない筈だ。求めるに値する願いの筈だ。


 英雄に成ることよりも。

 主人公に成ることよりも。

 特別な存在に成ることよりも。


 月宮秋に相応しい願いの筈だ。


「リーチェを、助けたい」


 言葉にすると、思いは確かに認識出来た。秋の深層で眠っていた思いが、引っ張られる様にして表面化したのだ。


「いい願いね。貴方らしいわ」


 へカーティアが言う。彼女は満足げな笑みを浮かべていた。


「なら、そう強く願いなさい。私は――――『奇跡』は必ず応えるわ」

「…………お前はどうして」

「いずれ分かる時が来る。きっと、ね。今はただ、願いなさい。あの娘が……ベアトリーチェが待っているわ」


 手を振り、へカーティアは秋の背後に扉を出現させた。きっと扉の向こうでベアトリーチェは今も戦っているのだろう。


 秋はへカーティアに背を向け、ドアノブを握る。


「…………」


 目を閉じ、深呼吸する。秋は一度敗北した。完膚なきにまで叩きのめされ、心は一度折れた。死すら求めるほどに。


 だが、へカーティアは戦うことを求めている。彼の足掻きを、願いを心待ちにしている。そしてベアトリーチェは、彼の為に戦っている。


 ならば、逃げることは出来なかった。

 英雄に成れなくても、主人公みたいに輝けなくとも、彼女を助けられるのであれば、きっとそれは、幸せなことだから。


 ドアノブを回し、扉を開ける。

 振り向きはしない。ただただ前を見て、秋は一歩を踏み出し――――


 眼前に、白い少女の姿を見た。


「え?」


 少女――――ベアトリーチェが秋へと衝突する。突然のことに秋もベアトリーチェも共に背後の壁際まで吹き飛ばされた。


 ベアトリーチェを庇うように秋は自ら壁に打ち付けられる。骨が軋み、口から血が零れそうになるが、胸元のベアトリーチェに掛からないように嚥下した。鉄の味を感じつつ、秋はこれまで自分を守ろうとしてくれていた少女へと問い掛ける。


「っ……大丈夫か……リーチェ」

「あ…………き…………?」


 ベアトリーチェは弱々しく彼の名を呼ぶ。

 顔色は凄まじく悪く、死人のようだった。血を流している訳でも、傷を負っている訳でもないが、痛みそのものが彼女の体に燻っているのが分かる。本来であれば立っていることすら辛い筈だ。しかしそれでも、彼女は今の今まで戦っていた。秋を守るために。


「リーチェ……ありがとな。でも、もう大丈夫だ」

「秋……何を……?」

「君のことを、俺が守ってみせる。ちっぽけで、英雄にも、主人公にも成れないかもしれないけど、それくらいは成してみせる」


 ベアトリーチェの体を抱き締め、秋は囁いた。少女の体は病的なほど細く、白百合のように儚く折れてしまいそうだ。秋は優しく、優しく抱き締める。


「だから……ありがとう。ちょっと待っててくれ。俺が、アイツを倒す」


 少女の体を横たわらせる。ベアトリーチェは不安げに、何かを訴えるように秋をサファイアの瞳で見詰めていた。


 向けられる視線に気付きながらも、秋は何も言わず立ち上がり、アリオスを見る。漆黒の魔獣は手を出すこともせず、二人の遣り取りを眺めていた。


「攻撃して来ないんだな」

「それは無粋というものだ。獲物が他の獲物と絆を結び、強大な敵に抗う。そこには足掻きが有る。人間は、誰かの為に戦う方が強いからな。私の手で態々楽しみは潰さない」

「そうか。なら良かった。俺はお前に勝てそうだ」

「何……?」

「俺は、リーチェの為に戦うからさ。生き足掻くつもりはない。ただ、守る。それだけでいいんだ」


 そう告げて、秋は目を閉じた。

 傷は――――相当深いが、動けないことはない。『奇跡』を得て、彼の体は頑丈になった。きっと多少の無茶は何とかなる筈だ。


(――――聞こえているんだろ、へカーティア)


『ええ、聞こえているわ』


(願いに『奇跡』は応えると、お前は言ったな?)


『その通りよ』


(なら、応えてくよ。俺の願いを叶える為に)


『なら見せなさい。貴方の願いを』


 彼女を守りたいと、彼は思った。

 思い浮かぶのだ。彼女の悲しそうな、辛そうな顔が。

 どうして、彼女があんな表情を浮かべたのか、秋には分からない。

 それでも、彼女にそんな表情をしてほしくなかった。

 だから、秋は――――月宮秋は――――ここに誓おう。彼女を守ると。だから、その為の力を。

 秋は弱く、ちっぽけな存在だから、頼ることしか出来ないから。――――力を、寄越せ。『奇跡』と言うのなら、見せてみろ。


「見せてみろへカーティア。俺は守りたい。彼女を。だから――――力を寄越せ。応えてみせろ――――へカーティアァァァァァァァァ!」


 魂の叫びは願いだった。


 心から溢れた月宮秋の真実。


 果たしてへカーティアは笑う。


 理想を現実に。

 空想を現実に。

 妄想を現実に。


 願いを、現実に。


『貴方の願い、聞き届けたわ。さあ、存分に振るいなさい。私の力を』




 そして彼の旅は、始まった。

 これはとある男の物語。

 いつか、残酷な真実として語られる御伽話。

 しかし物語としては余りにも醜悪で、


 ――――哀れな話だった。








 

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