20.灰の中から蘇る
――――もしも、世界の終わりが訪れたならば眼前の様な光景になるのかもしれない。氷室蓮華は、自分が創り出した終末を冷めた目付きで眺めていた。
闇の中、氷の棺が月光に照らされる。荒唐無稽としか言いようのない巨大な氷で出来た棺だ。中で眠るのは先程まで対峙していた奇跡所有者――――ベラ。
彼女は実力を計り間違えた。氷室蓮華の実力を甘く見ていた。それは彼女が奪う側となったからだろう。ベラは自分の実力を過信していた。
結果、敗北した。不死鳥は死したのだ。
「…………」
膨れ上がった殺意は既に落ち着いている。今の彼女は普通の氷室蓮華だ。蓮華自身も自覚している。今の自分は、普通だと。
「さよなら」
棺に背を向け、蓮華は秋の下へと歩き出す。さながら死者に別れを告げ、未来に生きる生者の如く。
だが、この場に死者は居ない。否、正確には居た。蓮華の殺意に呑まれ、敗北した女が一人。
だが、彼女の『奇跡』は不死鳥の名を冠する。不死鳥とは灰の中から蘇る生物だ。彼女はかつて、全てを失くしてから再誕した。今も同じだ。敗北し、そして再誕する。
ピシッ。
「――――――――」
有り得ぬ音が、蓮華の耳に届いた。
歩みを止め、ゆっくりと後ろを振り向く。
異様な雰囲気と共に鎮座する巨大な氷の棺。破壊は不可能である筈のそれに、大きくヒビが走っていた。ヒビは瞬く間に棺全体に走り、そして決壊する。
氷が弾け飛び、棺の中央から炎の柱が昇った。柱は先から三叉に分かれ、端の二つが大きな翼となり、中央が巨大な鳥の顔を形作る。
「――――――――!」
不死鳥の、産声が轟いた。
「――――まだ、戦いは終わってない」
炎の中からベラが姿を見せる。彼女の視線は鋭く、まるで猛禽類の様に蓮華を睨み付けていた。
「嗚呼――――良い気分だよ。まるで生まれ変わったみたいだ」
ありとあらゆる全てを奪われ続けた女は世界を憎悪し、天から恵みを授かった。果たして女は奪う側と成り、いつか世界を焼き尽くす為に、天へ至ることを望んだ。世界から、全てを奪う為に。
女の背には広がるのは二翼一対の炎の翼。雄々しく翼を広げ、女は飛翔する。迸る火炎が夜の闇を切り裂き、氷が創り出した終末を嘲笑う如く溶かし尽くし、
「私はもう、奪う側なんだ。奪われる側じゃない。もう私から何も奪わせない。そう――――何一つだッ!」
かくして、ベラは咆哮す。
奪う側となった女は、ただ、奪われることを否定した。
もう、何も奪われたくないから。
「私は、世界を憎んでいるッ!」
炎が渦巻いた。無数に乱立する炎の柱。三叉に先を分かれさせ、不死鳥と化して業火は空を舞う。
「こんな世界さえなければ、私は産まれてこなかった! こんな世界さえなければ、私は何も奪われなかった!」
突撃する不死鳥はさながら爆撃機だ。縦横無尽に空を駆け、燃え盛る羽根を落として蓮華に次々と攻撃を加えていく。落下した羽根は炸裂し、周囲を焦土へと変化させる。
爆音の楽曲が奏でられ、尽きることのない爆撃に蓮華の表情が僅かに歪む。蓮華は氷を生成し、盾とすることでベラの攻撃を防いでいた。
とはいえ、如何に強固な防壁とて連続して攻撃を受ければ限界が必ず来る。氷室蓮華はベラの攻撃を防ぐ自信があったが、それはあくまでも彼女が最大の出力で一回限りの攻撃を行った場合の話だ。決して低くはない威力の攻撃を受け続ければ、間違いなくスタミナが尽きて崩壊する。
ベラは炎に包まれる蓮華を見ても尚、攻撃の手を休めない。自らの翼を羽ばたかせ、巻き起こした火炎の旋風を灼熱の大嵐へと成長させた。
「だからッ! 私が世界を焼き尽くしてやる。私が、世界から全てを奪ってやる。世界に味合わせるのさ。奪われることが、どれだけ苦痛なのか! お前が奪ってきたものが、如何に尊いかッ!」
宣戦布告と攻撃は同時だった。
大嵐が周囲の全てを焼き尽くしながら蓮華へと進行する。一つだけではない。優に十を越える数の嵐が一人の少女へと殺到する。
「っ…………!」
不死鳥の爆撃は嵐が来ようと止まることはない。むしろ苛烈さを増し、視界は吹き上がる炎しか見えず、絶えず響き渡る爆音に耳がおかしくなる。
紛れもなく、ベラの全力だった。何が彼女を刺激したのか蓮華には分からないが、猛火の如き攻撃がベラの心情を物語っている。
そして恐らくまだ、あと一つは何かを狙っていると蓮華の勘が告げていた。ベラは、氷室蓮華を軽視していない。ならば、この程度の攻撃で倒せるとは思っていない筈だからだ。
しかし、それでも蓮華はベラの書いたストーリー通りに動かざるを得ない。絶え間ない爆撃と、そして今正に眼前へと迫りつつある嵐が、それを強制する。
「…………」
氷の盾で爆撃を防ぎつつ、蓮華の思考は迫る脅威には最早、向けられていなかった。さながら地獄の只中の様な状況に在りながら、蓮華の思考は唯一の過去へと回帰する。
「■している」
この言葉の意味だけが、蓮華には分からなかった。
どれだけ考え、書物を漁ろうと、答えは得られない。氷室蓮華には、理解できない。
しかし、この言葉は『奇跡』と同じく、彼女を生に繋ぎ止める鎖であり絆だった。
死地に今、蓮華は居る。少しでも気を抜けば、次の瞬間には消し炭だ。
けれども恐怖は無かった。氷室蓮華は、死など考えていない。自分は死なないと、高を括っている訳ではない。ただ、死が彼女の未来に無いだけ。
死が、氷室蓮華の終わりではなかった。
彼女の終わりは、きっと彼女自身すら、理解していない。
氷の盾が砕かれる。飛び散る破片と一緒に、燃える羽根が降り注いだ。咄嗟に周囲を凍らせ、ドーム状の氷を形成する。
連続する爆発音と衝撃が氷のドームを揺らす。今の攻撃は何とか防ぐことが出来たが、次に来るのは今までの比ではない。荒れ狂う炎嵐は、全てを滅ぼす。
既に嵐は直ぐそこの距離まで迫っていた。だが蓮華は焦ることなく『奇跡』に力を込める。彼女は嵐を正面から凍らせようとしていた。
「甘い!」
ベラの声が響き、不死鳥達が更に激しく爆撃を開始した。蓮華が新たに生成した氷のドームすら、瞬く間に限界を迎える。
それでも蓮華は無表情で爆撃を防いだ。更に生成されたドームが蓮華を守る。しかし気を抜けば直ぐに壊される。最早、嵐に向ける余裕はない。
「――――――――」
黒い瞳に、眼前へと迫った炎が揺らめいた。
業火の嵐は、氷室蓮華を飲み込んだ。十以上の嵐はまるで獲物に群がる獣の如く蓮華を蹂躙する。幾つもの嵐が絡まり、唸りを上げ、破壊の限りを尽くす情景もまた、終末の具現だった。
――――それでも、氷室蓮華は止まらない。
終末を乗り越え、炎の中から姿を表した彼女の体は痛ましく傷だらけだった。艶かな黒髪は焼け焦げ、整った美貌は煤で汚れている。白雪の様な肌も至る所に火傷を負っていた。
「ッ! どうして動ける! それだけ火傷を負えば満足に動くことなんて出来ない筈だ!」
「私の痛みを凍らせた。もう私は痛みを感じない」
炎の嵐を凍らせることが不可能だと悟った蓮華は、まず自身を守る防壁を強化した。だが所詮は咄嗟に生成した物だ。嵐を受け止めるには至らない。
故に、蓮華は次いで自分自身を凍らせ、封印した。自分自身を棺に入れたのだ。それならば単純に強固な防壁を生成するより楽に済む。なにせ蓮華の『奇跡』は本来、人を凍らせることに特化しているのだから。
結果として氷室蓮華は生き残った。予想以上の火力に棺を破壊され、火傷を負ったが、痛覚を凍らせた。今の彼女には如何なる激痛も無力だ。
ベラが苛立たしげに舌打ちする。彼女は、これで終わらせるつもりだった。しかし蓮華が生き延びることも、予想はしていた。だから、更に策を仕込んだのだ。
ふわりと、羽根が舞う。これまで蓮華を苦しめていた不死鳥の羽根だ。赤く燃える様な造形をしたそれが幾つも空中を漂う。
蓮華は氷の防壁を直ぐさま展開し、爆発に備える。だがいつまで立とうと羽根は爆発しない。ただ数を増やし、空中を埋め尽くしていく。
「これは…………」
「結界だ。アナタが少しでも動けば羽根が反応して爆発する。威力は大したことないがな」
「…………」
視線だけを動かし、周囲を見渡す。至る所を埋め尽くす赤く輝く羽根は夜闇の中でもよく見えた。見渡す限り遥か先まで存在している。
これでは全てを凍らせることは不可能だろう。精々半分が良いところだ。ただでさえ消耗している現状では、半分すら怪しいかもしれない。
となれば正面突破となるが――――恐らく、無理だ。
ベラまでの道をトンネル状に凍らせ、爆発を防ぎながら進むことは出来る。けれども周囲を漂う羽根は全てベラが支配している。その気になれば、全ての羽根を爆発させることも可能だろう。ベラの言う通り一つ一つの威力は大したことないかもしれないが、それがこれだけの数になれば話は別だ。
間違いなく、周囲を一切合切残さず焼失させる。それほどの火力となると防ぐことは絶望的だ。
そしてベラは爆発させることを狙っている。蓮華が動かずとも準備が整えば躊躇なく爆発させるだろう。『不死鳥の炎翼』を持つベラならば、炎から身を守るのは蓮華より容易い。
つまり――――詰んでいた。氷室蓮華は動けない。ベラはいつでも蓮華を殺せる。
「さあ、どうする氷室蓮華。『零』の力、見せてみろ。その上で、私はお前から全てを奪ってやる。お前を踏み台に、天の頂へ至ってみせる」
奪われることを拒否し、蓮華から全てを奪い、天に至る為にベラは炎の中から蘇った。今のベラは、これまでの彼女ではない。
再誕こそ、彼女の『奇跡』の真骨頂。それは命という限りある物を蘇らせる訳でない。『不死鳥の炎翼』は、これまでの自分を燃やし、新たな自分を再誕させる――――言うなれば精神の輪廻転生だ。
氷の中で、ベラは過去を想起した。それは彼女が『奇跡』を手に入れるまでの道程。今の彼女を形作る根源に他ならない。
人は、時の流れによって根源を喪失する。徐々に徐々に忘れていくのだ。自分という存在が、果たして何の為に在ったのか、を。
『不死鳥の炎翼』は、根源を再び思い起こさせる。それこそ再誕。根源を忘れ行く己を燃やし、再び根源を身に刻む。精神の輪廻転生。
根源を見失い、自身という存在がブレた者を救う『奇跡』こそ、『不死鳥の炎翼』だった。
故に、自身の根源――――奪うことを思い出したベラは、もう過去の彼女ではない。彼女は奪う為に、奪われたくない為に、油断など一切捨てて、氷室蓮華と対峙する。その果てに、現状を掴み取った。
蓮華は詰んでいる。どう足掻こうと、無駄なことでしかない。
――――――――――――――――――――――――だから、どうした?
「ッ…………正気かお前」
ベラが驚きの声を上げる。蓮華はあっけらかんと応える。
「私は正気。けれども私の正気は、貴女の正気なの?」
蓮華は明らかな前傾姿勢を取っていた。彼女はこの結界を、正面突破しようというのだ。
(何を考えている)
明らかに無謀としか言えないことを彼女は行おうとしている。一見すると追い詰められた状況でヤケになったようにも見えるが、ベラは違うと断定する。
氷室蓮華は、愚か者ではない。
何かしらの策があるからこそ、彼女は正面突破を選んだ。
ならば、全力で蓮華を叩き潰す。策を持って正面突破を狙うと言うのなら、こちらも容赦なく氷室蓮華を殺そう。
「…………来い」
翼を広げ、ベラは爆発の準備を整える。これだけの火力だ。ベラとて無傷では済まないだろう。それでも全力以外、選択肢は有り得ない。
「…………」
蓮華は無言だった。黒色の瞳が、ただ空に浮かぶベラだけを見据えている。
沈黙が、両者の間を支配した。
戦場から音が消え去る。
心臓の鼓動が、いつもより大きく聞こえた。
風が吹き、流された雲が月を覆い隠す。
一瞬の闇。
氷室蓮華は、地を蹴った。
「終わりだ…………氷室蓮華ッ!」
同時に、ベラが、全ての羽根を爆発させた。
――――世界が爆ぜる。大気を吹き飛ばしてしまいそうなほど、凄まじい爆発。炎と、熱と、音と、光。赤に次ぐ赤が周囲を染め上げる。翼で身を守ったベラですら、余りの火力に皮膚を焼かれ、苦悶の声を上げる。
熱と風は数十秒間、世界を蹂躙した。尋常ならざる破壊は一切合切が消滅した現状が物語っているだろう。最早、ここに命が芽吹くことはない。
炎が燻り、熱も冷めやらぬ中、ベラは翼を広げた。
眼前の光景を目にし、無意識に息を呑む。自ら生み出した破壊は、想像を遥かに越えた惨状を作り出していた。
「流石に…………吹き飛んだか」
爆発後の世界は、正しく焦土だ。何一つ残っていない。あれだけの爆発を受けて流石にベラも負傷している。消耗も激し過ぎた。立っていることすら苦痛だ。
しかしベラは確かな勝利を感じていた。あれだけの爆発を受け、氷室蓮華が生きているとは思えない。氷を盾に防いだ可能性も有るが、だとしてもベラ以上に負傷している筈だ。
痛みを感じなくしているとはいえ、体は限界を迎えれば精神に関係なく機能を停止する。そうなれば、仕留めるのは今のベラにも可能だ。
とはいえ爆発で吹き飛んだ可能性の方が遥かに高い。氷室蓮華はベラ以上に消耗していた。満足に盾を生成出来ていたのかも怪しい。
「…………ふふっ」
思わず、笑ってしまう。勝利が、奪えたことが、ベラの体を歓喜に打ち震えさせる。彼女は、勝者となった。天に至ることは出来なかったが、充分だ。
「ふふ…………あはははははは!」
嬉しくて、嬉しくて、堪らない。これほど嬉しいのは『奇跡』を手に入れた時以来だ。
「私は奪ってみせた! お前から全て!」
ベラの叫びが焦土に響く。
「もう私は――――奪われる側じゃない!」
「それはどうかな?」
「え――――」
聞こえる筈の無い、声だった。
枝を伸ばす木のように、火傷だらけの腕がベラの首を捕まえる。腕の主は艶やかな黒髪を風に揺らす少女。彼女の名は――――
「――――氷室蓮華ッ! どうしてッ!」
「貴女の炎は封印した。私には、届いていない」
残酷に蓮華は告げる。ベラの全力は、無意味でしかなかった。
氷室蓮華の『奇跡』は封印――――正確に言えば、人を棺に入れ、封印することが真の能力だ。氷は、あくまでも棺であり、何かを閉じ込めるという本質は変わらない。ただ使い方が違うだけだ。
棺に入れる何かは、それこそ何でもいい。正しい使い方をすれば人だが、それこそ形有る物から、痛覚といった感覚まで。棺は入るモノを区別しない。
当然、ベラの炎すら棺は受け入れる。これまで何度も封印してきた。しかし、
「あれだけの規模と威力だ! 封印出来る筈が無い!」
「うん。全体を封印するのは不可能。だから、迫る炎だけを棺に入れた。傘と一緒。自分の身だけを守るようにすればいい。それにね。私の『奇跡』は、凍結じゃない。むしろこうすることが本来あるべき姿」
ベラの背後に出現する巨大な氷の棺。棺とは入れ物だ。用意された棺の中に、何かを入れる。人であれ、過去であれ、情念であれ、何かを。
それを蓮華は凍結の様に使っているのだ。彼女が行っているのは凍結ではなく、相手を中に入れるように棺を出現させているに過ぎない。
これまでの炎も同様に封じてきた。だが今回の炎は格が違う。それ故に、氷室蓮華は先に棺を用意した。自身の盾となるように四方八方へ。後は迫る炎だけを棺に入れればいい。
「なら何故、何故これまで使ってこなかった!」
「棺を事前に設置するのは分かりやすいから。自分で自分を曝け出す人は居ないよ?」
「っ…………」
蓮華の言葉は最もだ。戦いの中で、自分の手の内を曝け出すのは愚か者のすること。氷室蓮華は最初から全てを使って戦ってきた訳ではない。
ベラにも彼女の理屈は理解出来る。だからこそ腹立たしい。気付かなかった自分が、酷く愚か者に思えた。
「貴女は奪われたくないって、ずっと言ってた。でも本当は貴女が手から溢しているに過ぎない。奪われてほしくないなら、もっと良い入れ物を用意しないと」
「ッ――――! お前に何が分かる! そんな物、用意出来ればしているさ! それでも世界は理不尽だ! 理不尽に、身勝手に、無慈悲に私から全てを奪っていく!」
「違う。貴女は、奪われることを認めている。奪われたから、奪おうとしている。本当に奪われたくないのなら、どうして奪われてから文句を言うの?」
「あ――――」
蓮華の言葉が、ずぶりと、ベラの心に剣を突き刺す。
彼女はこれまでずっと奪われてきた。奪われて、奪われて、奪われてきたから、奪おうとした。世界から何もかもを。
けれども、けれども、どうして奪われることをベラは摂理と受け入れたのか。世界が残酷なのは当たり前だと、諦めたのか。
「負け犬。貴女は、それ」
足掻くことをしなかった。一度、奪われるのは仕方ない。なら次こそは奪われないようにするのが当然ではないのか?
「あ…………ああ…………」
責任を世界に擦り付けていただけだ。自分の弱さに気付かぬ振りをして、ただただ世界に憎悪を向け続けた。理不尽に、私から奪うな、と。
足掻き藻掻けぬ負け犬。それがベラだった。
「っ……ううっ…………」
涙が溢れる。自分という存在が情けなくて、呼吸しているだけで苦しくて、ポロポロと涙が止まらない。胸が締め付けられる様に痛い。痛くて痛くて堪らない。
奪う側に成れたなど、戯言でしかなかった。最初から最後までベラは奪われる側だ。それを彼女も認めている。
「ちっぽけだね、貴女は」
蓮華の言葉は心を刳り、更に涙が頬を伝う。
「もう、終わりにしようか」
首が強く締められる。呼吸が苦しくなり、掠れた声がベラの喉から漏れた。
棺からパキパキと音を立てて氷の腕が伸びる。掴まれれば、終わりだ。
(――――嫌、だ)
酸素を求めて喘ぎながら、ベラは思う。確かに彼女の言う通り自分は負け犬で足掻くことをしなかった人間なのかもしれない。
なら、今、足掻いてみせる。死にたくない。生きていたい。――――奪われたくない。ただ、ただただ、強く、強く、強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く、そう、思った。
「無駄。貴女の『奇跡』は、もう凍らせた」
そして、また、奪われた。
「嘘、だ」
「使ってみれば?」
言われ、発動しようとするが『奇跡』は応えない。かつて彼女の危機を救った翼は、もう羽ばたかない。
「――――嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! 止めろ! 私から奪うな! 奪わないでくれ! お願いだ! お願いしますお願いしますお願いしますお願いします! 奪わないで――――!」
パリンと、何かが割れた。それはきっと、ベラの心だった。
涙を溢れさせ、懇願する。みっともなくとも、ベラは奪われたくなかった。
「凍れ」
無慈悲な宣告が、響いた。
氷の腕がベラを掴む。棺に押し込められ、蓋が閉まる。
ベラの手が伸ばされた。
涙を流し、助けてと、懇願する。
「さよなら」
パリンと、棺が割れた。中に居る彼女もまた、粉々になって消えた。
ベラは、命を奪われた。
「さ…………行かないと」
ベラから全てを奪った少女は、まるでベラのことなど最初から居なかった様に砕け散った氷の破片に背を向ける。
しかし、彼女はとっくの昔に限界を迎えていた。
ばたりと、力無く少女は倒れる。
(あ……れ……)
体が動かない。痛くないのに動かない。
(どうして…………)
蓮華は気が付いていなかった。
彼女の肉体が限界を迎えていることに。
(行かな…………くちゃ……月宮くんが…………待ってる)
必死に蓮華は手足を動かそうとする。ここで蓮華が動けなければ、秋はアリオスに勝てない。間違いなく殺される。残酷に、無残に。
それだけはごめんだった。蓮華は、秋を助けると言った。そして秋は、蓮華の手を引いてくれると言った。
(私は…………)
貴方の言葉を信じている。
月宮秋なら、きっと蓮華の疑問の答えを教えてくれる。
(あ…………)
手が、伸びた。
縋るように。乞うように。
だが伸ばされた手は何も掴めず、力無く地に落ちた。
じわりじわりと蓮華の体から血が溢れ出す。
同時に蓮華の意識も薄れていく。視界が黒く染まり、思考することが出来なくなる。
(つき…………み………………………………や…………く)
意識を失う瞬間まで、氷室蓮華は月宮秋を案じていた。




