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不死の少女は旅をする  作者: マリィ
1章 旅の始まり
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18.傲慢の代償

社畜してました()









 階段を駆け上る。ここに来て、秋にも確かに感じられた。屋上に座す魔獣の気配。彼が持つ『奇跡』の存在感が、まだ遠くに居ると言うのにひしひしと伝わってくる。


 恐ろしくないと言えば嘘になる。怖くて怖くて堪らない。これから秋は時間稼ぎに臨む。蓮華は間違いなく直ぐに来てくれるだろう。だとしても、死ぬ可能性は身震いするほど高い。


 逃げることに集中すれば、多少な稼げるかもしれない。けれども一分、十分、三十分と、稼ぐ時間が伸びるほど、秋の死は加速度的に迫り来る。


(それでも、だ)


 それでも、秋の足は止まらない。死は、直ぐそこに居る。恐怖は今でも彼の体を縛り付けようとする。だとしても、止まらない。


 ここで足を止めて、逃げ出す事の方が彼は怖かった。彼女を救う可能性を放棄することの方が、彼からすれば恐ろしい。


 だから止まらない。階段を、上り続ける。


 氷室蓮華の言葉は、間違っていない。月宮秋は強い人間だ。前へ前へと、進むことの出来る人間だ。先に待つのが自分の死でも、彼は進む。死しても尚、誰かを救いたいから。


 屋上の扉を押し開け、秋は外に出る。廃ビルは周囲の建物と比べると頭一つ高いのか、街の風景がよく見渡せた。空は茜色に染まり、夕陽が今まさに沈もうとしている。遠くでは轟音を響かせて衝突する氷と炎が見えた。蓮華は、まだ来ない。


「来たか」


 声が掛けられる。秋が彼の声を聞いたのは一回だけだったが、直ぐに分かった。


「アリオス…………」


 男――――アリオスは、屋上の中央に佇んでいた。

 二度目の邂逅。一度、自分を殺した男が目の前に居る。その事実に秋は全身を震わせた。それが恐怖から来たものなのか、怒りから来たものなのかは分からなかった。


 アリオスは真っ直ぐに秋を見詰めて口を開いた。

 赤い瞳を爛々と輝かせて。


「久し振りと、言うべきか。これで会うのは二度目だな月宮秋。また会えて嬉しいものだ」

「そうかよ。俺は全く嬉しくないがな。出来ることなら二度と会いたくはなかった」


 震えを感じながらも、気丈に秋は言い返す。アリオスは心底楽しそうな笑みを浮かべ、背後から何かを放り投げた。


 真白の髪がふわりと揺れる。

 一瞬で何が投げられたのか秋は悟った。


「ッ!」


 急いで駆け寄り、放り投げられた彼女をキャッチする。初めて触れる彼女の体は柔らかく、そして驚くほど軽かった。


「リーチェ!」


 腕の中で横たわる彼女に声を掛け、体を揺するもベアトリーチェは目覚めない。見たところ怪我は無いが、明らかに消耗した様子だった。


「アリオス…………ッ!」

「少し遊んだだけだ。彼女は頑丈だったからな。丁度良い暇潰しになった」


 軽く、まるで些細なことだと言わんばかりの言葉。それだけで、ベアトリーチェが如何なる苦痛を受けてきたのか秋には想像がついた。


「…………ごめんな」


 アリオスには聞こえぬほど小さい声で、秋はベアトリーチェに謝る。眠り続ける彼女からの答えは当然ながら無い。


 立ち上がり、アリオスに秋は背を向ける。


「リーチェを安全な場所に連れて行く」

「ならば屋上の隅にでも置いておけ。ここから逃げることは許さない。安心しろ。もうその女に興味は無い。攻撃なんぞ仕掛けんよ」


 有無を言わせぬ言葉だった。ここで秋が下の階に降りようとすれば、確実にアリオスは攻撃を仕掛けてくる。ベアトリーチェの存在などお構いなしに。


「…………すまん。ここで待っててくれ」


 渋々ベアトリーチェを屋上のフェンスにもたれかかるようにして床に降ろす。瞳を閉じた彼女は精緻極まる人形の如く美しい。思わず見惚れそうになるのを理性で押し留め、秋はアリオスと対峙した。


「まさかと、思ったよ」


 アリオスの肉体が蠢いた。膨張するように肉が肥大化していく。


「まさかあの時、勘違いで殺した君が生き残り、あまつさえ『千の魔術を統べる者(へカーティア)』の新たなる所有者になっているとは」


 衣服が弾け飛び、黒い体毛が肥大化した肉体を覆っていく。人間の形をしていた相貌には巨大な牙が生え、獣のそれと化していた。


「だが、面白い。君の存在は面白い。正しく荒唐無稽だが、故に楽しませてくれると信じているよ」


 目の前に、もう人は居なかった。

 居るのは魔獣。獲物に飢えた怪物のみ。


「――――――――――――――――――――!」


 魔獣の咆哮が、轟いた。耳をつんざく轟音が秋の鼓膜を震わせ、体の自由を一時的に奪う。


 隙は、それで充分過ぎた。


「がはッ…………!?」


 血を吐き、秋は腹部に激痛を感じた。世界がスローモーションに見え、腹部に視線を向ければ、アリオスの豪腕が秋の腹部に深々と突き刺さっている。


「そうら――――――――ッ!」


 腹に腕を入れられたまま、アリオスに投げ飛ばされた。人のそれを遥かに超越した腕力で投げ飛ばされ、視界が右往左往し、次の瞬間にはフェンスに衝突した。


「あ…………ッ…………ああ」


 衝撃で腹部から血が溢れた。激痛は予想以上。月宮秋の甘い見積もりは儚く砕け散る。


 痛い。痛くて痛くて、堪らない。


「ほら、寝ている場合じゃないぞ」


 顔面を、思い切り蹴り飛ばされた。

 脳が揺れる。頭が吹き飛んだように秋は感じた。


 床に蹲り、血を吐き出し続ける腹部を手で抑えつつ秋はアリオスを見る。激痛で涙が滲み、鼻血が流れ、視界は明瞭ではないが、それでも迫り来る驚異が確かに見て取れた。


(何が、時間稼ぎだ)


 頭を掴まれ、そのまま持ち上げられる。人外の怪力で掴まれる頭はミシミシと悲鳴を上げ、想像を絶する痛みに自分の声とは思えぬ叫びが屋上に響いた。


「ほら、足掻け! 足掻いてみせろ!」


 段々と掴む力が増していく。このままいけば頭部が握り潰されるのは明らかだ。


 途轍もない激痛に意識を失いそうになる中、秋は『奇跡』を願う。自らに宿る力を使えば、この状況から脱することが出来るかもしれない。


(頼、む……どうか……)


 強く、強く願い、秋は術式を展開する。紫色の光がアリオスと秋の間に遮るように出現し、アリオスは歓喜の声を上げる。


「そうだ! 抵抗しろ! 藻掻け! 足掻け! もっと私を楽しませろ!」

「――――ッ。黙ってろ!」


 『奇跡』に願う。蓮華の時と同じだ。目の前の脅威を、排除してくれと、ただ願う。それが秋の知る『奇跡』の使い方。


「――――――――え?」


 だが『奇跡』は反応しなかった。術式だけが虚しく輝き続ける。

 アリオスはその様子を見て、明らかに失望の表情を浮かべた。爛々と輝いていた魔獣の眼光から光が消え失せる。


「どうした。まさか――――お前も『奇跡』が使えないのか」

「ッ!」

「そうか。…………面白い。『奇跡』も満足に使えぬくせに私の前に出て来るとは。その傲慢、お前ごと粉砕してやる」


 大きく腕を振り上げ、アリオスは秋を屋上の床に叩き付けた。秋が叩き付けられた床はいとも簡単に崩落した。全身がバラバラになった様な衝撃が秋の全身を駆け抜ける。

 数秒の浮遊感の後、強く下の階の床に体を打ち付け、腹部の傷が痛みを訴えた。


 『奇跡』が使えないことへの疑問や、時間稼ぎすら出来ない自分に感じる不甲斐なさ以上に、秋の頭の中は激痛に染められていた。これまでの人生で味わったことのない壮絶な苦痛。涙は止めどなく頬を伝い、呻きは途切れることなく洩れ出る。いっそのこと死んでしまいたいとすら思った。かつての月夜のように、安らかに眠ってしまいたいと。


 それが死の誘いだとは理解している。それでも求めることは止められない。秋は強い人間だが、所詮は人間なのだ。これまでの人生を平穏の中で過ごしてきた青年なのだ。死を懇願したくなるほどの苦痛を前に、我武者羅に突き進めるほど強くはない。恐怖の中で進む一歩と、苦痛の中で進む一歩は違うのだから。


 しかし、魔獣に人間の都合など関係はない。彼は暴力の具現だ。思うがままに力を振るい、思うがままに獲物を喰らう。人間の勇気を嘲笑い、死と苦痛を押し付ける。


 悶える秋の目の前にアリオスが降り立つ。暴力は止まらない。魔獣とは、そういう存在のだから。


 秋を蹴り飛ばし、次いで剛腕を叩き込む。ベアトリーチェの防御すら突破した破壊力だ。何の防御も持たない生身の人間が直撃すれば、簡単に肉体を壊せる。


 ここで秋が生き延びたのは、彼が『奇跡』の持ち主だからに過ぎない。『奇跡』を得た恩恵に強化された肉体だからこそ、耐えて切れている。けれどもそれは苦痛が長引くことも意味している。『奇跡』の存在に彼もまた振り回されていた。


 魔獣の拳が顔を打つ。頭蓋がひび割れ、意識が飛んだ。

 魔獣の脚が腹を蹴る。剥き出しの内臓を蹴られ、想像を絶した苦痛と不快感に秋は吐瀉物を撒き散らした。


 殴り、蹴られる。骨は折れ、肉は裂ける。圧倒的な暴力だった。


 何度目かも分からぬ拳の一撃を受ける。最早、痛いという感覚すら朧気に感じてくる。ここまで暴力を受けているのに意識を失うことを許さない『奇跡』が恨めしかった。


 どうして、ここに来たのだろう。ふと、そんなことを思う。


 ここに来たのはベアトリーチェを助ける為だ。彼女の為に、彼はここに来た。


 当然の如く恐怖はあった。だとしても、秋は前に進んだ。それは蓮華の言う通り、秋が強い人間だからだ。恐怖を前にしても進むことができたから、秋は一歩を踏み出した。無謀な挑戦を蛮勇と窘められ、仲間も手に入れて、敵と相対した。


 ――――それで、果たして勝てると思っていたのか?


 月宮秋は、人間だ。どこにでも居るただの青年だ。

 しかし特異な力を手に入れ、闘争に足を踏み入れ、まるで、自分が特別な人間にでもなった様に感じた。それは、愚かな考えだった。


 結局、秋は無意識の内にのぼせていたのだ。死の淵から生還し、特別な力を手に入れ、見目麗しい少女たちと知り合った。目の前には敵が居て、自分たちを狙っている。さらに少女が一人、捕らわれた。


 ここで彼女を救えば、彼は英雄だ。物語の主人公のように、輝くことができる。これまでの人生を、普通の人間として過ごしてきたからこそ、英雄に強い憧憬の念を抱いた。自分は特別な存在になれると、心が沸き立った。


 この思いは誰もが思い描くものだろう。

 特別な力と特別な出会い。まるで絵空事のように手に入れた特異性。


 だから、現実に敗北したのだ。何も出来ず、無様に地面に這い蹲っている。人として、醜く激痛に泣いている。


 空想の中の秋は華麗だった。アリオスを打ち倒し、ベアトリーチェを救い出す。さながら主人公のように、空想の中では立っていた。


 そんな下らない夢を見ていた。


「ッ……………………」


 涙が溢れる。自分の弱さ、不甲斐なさ、どれもが秋の心に突き刺さった。これまで受けた痛みより、遥かに痛かった。這い蹲っている自分が惨めに思えた。


 だが、これが現実だ。どれだけ強い力を手に入れようと、仲間を得ようと、月宮秋は弱い。ちっぽけで、何も出来ない人間だ。


 心が折れたような気がした。何一つ、秋には出来ない。足掻いたところで、無駄なのだから。


「どうした? こんなものなのか君は?」


 倒れ伏す秋をアリオスが見下ろす。魔獣の眼には期待の色が浮かんでいた。ここまで秋が追い詰められているというのに、アリオスは足掻くことを望んでいる。


 しかし秋に抵抗する気力など、もう無かった。ありとあらゆる全てがどうでもよく思えてくる。命を懸けてまで救いたいと思っていたベアトリーチェのことさえ、最早眼中に無かった。


 ただ、死にたいと。楽になりたいと、そう思う。


「詰まらんな。もっと楽しませてくれると思っていたんだが」


 何かを言い返す気力も無い。ただただ、秋は無力だった。


「まあいい」


 そしてまた、暴力の嵐が吹く。

 月宮秋は、死を待っていた。









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