17.氷炎乱舞
――――天地が揺れた。
刹那の時を経て、ぶつかり合う氷塊と業火。轟音が響き渡り、砕かれた氷塊が流星群の如く地へと降り注ぐ。
数えることすら馬鹿らしいほど膨大な氷の星。直撃すれば人の身では致命傷は免れないだろう。身体能力が『奇跡』によって向上している彼女達とて、それは例外ではない。
「面白いッ!」
炎の翼が大きく広がる。不死鳥の翼は雄々しく羽ばたき、羽根の様に火の粉を空に舞い散らせる。強烈過ぎる火力は距離を取っている蓮華にすら熱をす感じさせた。
広がる猛火の翼は止まらない。肥大化を続け、いつしか周囲を覆う。
「そらッ!」
さながら掌の如く、炎翼が星を包み込んだ。
星は寿命を迎え、炎の宇宙の中で息絶えて行く。一切の生命を許容しない世界は、蓮華を特別扱いなどしない。容赦なく、死を与える。
「凍れ」
かくして、女王は死すら凍結させた。表情一つ変えずに熟しているが、決して片手間に行える技ではない。今、ここに立つのが彼女でなければの話だが。
「流石だな」
火の粉を撒き散らし、ベラが地に降りる。彼女の表情は蓮華とは対照的に心の底からの笑み。彼女は戦いを楽しんでいた。
「さ、邪魔者も消えた。たっぷり楽しもう」
「…………攻撃の手が弱いから何か企んでるとは思ってた。まさか彼を行かせる為だとは思っていなかったけど」
「まさか、とは心外だな。私も一人の人間だ。自分の思考で生きている。彼の仲間をしている以上、ある程度の振りはしないといけないが、あくまでも私は私の意思で動いているよ」
「貴方の意思は、私と戦うことを望むと?」
「当然さ。アナタは強いからな」
「強い人と、貴方は戦いたいの?」
「正確に言えば少し違う。私は、私をより高めてくれそうな奴と戦いたいのさ」
ベラの瞳が蓮華を見詰める。空虚にも思える漆黒の瞳は、果たして何を見ているのか。
「アナタは『天昇』と呼ばれる現象を聞いたことがあるか?」
「『天昇』…………?」
「そうだ。私達は天から『奇跡』を授けられた。『奇跡』は言うなれば外付けのデバイスだ。存在こそ私達の中に位置しているが、結局は『奇跡』が持つ機能――――能力を私達という出力装置を通して出力しているに過ぎない」
『奇跡』は先天的にも後天的にも手に入る可能性が有る。これはベラの言う通り『奇跡』が与えられるものであり、人間からすれば外付けのデバイスだからだ。
外付けならば、後天的にも手に入れることが出来る。現に月宮秋は特殊なケースではあるが、後天的に『奇跡』を手に入れた。能力が複雑な分、使い熟すには長い年月が必要になるだろうが、それでも使えないことはない。
「『奇跡』は天からの贈り物。素晴らしい力だ。だが所詮は外部の力。正確に、能力の全てを私達が行使し出来ている訳ではない」
蓮華もベラも、自身の『奇跡』のスペックを全て引き出せてはいない。天から与えられた『奇跡』を、人が使い熟せる訳がないからだ。
「――――ッ。まさか」
そこで、蓮華は一つの可能性に辿り着く。『奇跡』は天の物。人ではフルスペックで使い熟せない。
ならば、人に合わせてチューンすれば、どうなるのか。天の『奇跡』を、人の『機能』に貶めれば、果たして。
「理解したか。『天昇』とは、天より与えられし『奇跡』を、私達の一部にさせる技術。『奇跡』を、私達の願いによって加工し、自分専用にチューンすることで唯一無二の、言うなれば専用の『奇跡』とする。これこそが『天昇』だ」
「…………やっていることは天の力を貶めているに過ぎない。けれども『天昇』と呼ぶのは、憧れ? それとも傲慢なの?」
「恐らく全てだろうさ。人は『奇跡』の存在を理解してから常に求め続けてきた。天へと至ることを。それは憧れでもあるし、傲慢でもある。結局は天を地に落とすことで、天へと至ったがな」
「なら、そこに至ることが」
「ああ。私の目的だ。『天昇』に至るには願いが必要になる。しかも普通の願いではなく、強い願いだ。故に私は戦いを求めるのさ。戦いの中で抱く願いほど、純粋で尊いものはないからな」
結局の所、彼女もアリオスと何ら変わらない。
戦場と好敵手を喰らうことで、さらなる高みへ至ろうとしている。自分の目的の為に他者を害することを厭わない存在なのだ。
「それで、アナタは何故戦う? 彼の為か? それとも自分の為か? 私も答えたんだ。アナタにも答えてもらう」
問われ、秋との遣り取りが脳裏に思い浮かぶ。
蓮華は、自分の為に戦おうとしていた。それが氷室蓮華という存在だったからだ。
しかし、今は違う。
今は、彼を助ける為に戦おうとしている。
自分の為ではない。誰かの為だ。
恐ろしい。もしも、自分の弱さが彼を殺してしたったらと思うと目を閉じて耳を塞ぎたくなる。
けれども、彼は言った。
『俺がお前を背負ってやる』
――――ああ、なら大丈夫だ。
氷室蓮華は、戦える。
ベラを、殺せる。
「言った筈。決着を着けるため、と」
「あの時の小競り合いのこと? だとすれば意味は無いぞ。あの夜は戦いですらなかった。所詮じゃれ合い。お巫山戯に勝者と敗者を決める必要は無い」
「勝者? 敗者? 何のこと?」
「は?」
決着を着けると、蓮華は言った。ならそれは勝敗のことではないのか?
――――ベラは知らない。氷室蓮華のズレを。彼女の抱える業を。
氷室蓮華はベラが気に食わない。
『奇跡』を天からの贈り物と呼び、天を賛辞し、『奇跡』を純粋無垢に愛している彼女が、蓮華には気に食わない。
その『奇跡』の所為で、彼女は全てを失ったのだから。
「私はただ――――貴方を殺したいだけ。それだけ。貴方の人生に、決着をつけてあげる」
「――――ッ!」
見詰める瞳は黒。底知れぬ闇。殺意など、生温い。
そこに在るのは理解し難きモノ。ベラが普通の人間である限り、決して理解出来ない氷室蓮華のズレ。
「ふん、笑わせるな! 殺れるものなら殺ってみろ。私はそれすら乗り越えて天に届いてみせる!」
ベラが吠える。蓮華は無表情に見詰める。
既に夜の帳は落ちている。だがしかし、翼が羽ばたく。それだけで、世界は昼となる。
「…………」
蓮華は無表情にベラを見詰める。
膨れ上がった殺意は未だ少女の瞳の中で渦巻いている。
素晴らしい力。恵まれた力。彼女は自身の力を信じている。きっと誇らしい筈だ。きっと自慢したい筈だ。声高々に。
それら全てが蓮華を苛つかせる。
氷室蓮華は『奇跡』を誇りに思ったことなどない。
彼女にとって『奇跡』とは唯一の絆。
彼女にとって『奇跡』とは憎悪の対象。
何故、私はこうなのに、お前は幸せなのだ。
自分勝手な憎悪。しかし氷室蓮華は止まらない。否、止まることを知らない。何故なら彼女はズレているから。人としての感性は、彼女に無い。
「■している」
だから分からない。
■が言った言葉が分からない。
分かろうとした。でも分からない。
理解できないのだから。
「いくぞッ!」
理解、できないのだから。
「凍れ」
途端、世界は氷河期へと変貌する。
辺り一面に出現したのは氷の棺桶。いつくもの棺桶が立ち並ぶ様はまるで棺桶の森。しかも見目麗しい氷の森だ。
蓮華は地を蹴る。彼女の『奇跡』は遠距離からでも攻撃が可能だ。しかし彼女は敢えて接近することを選んだ。
当然、ベラからすれば好機だ。立ち並ぶ氷の棺桶も彼女の火力からすれば問題ない。一切合切、纏めて焼却出来る。
「燃え――――尽きろッッ!」
業火の暴風が吹き荒れる。赤色の奔流は氷棺も、蓮華も飲み込んでゆく。ベラはここで勝負を決めるつもりでいた。
――――ッ。
感じるのは、恐怖。炎に飲まれた少女を思うと体が震える。あの、黒い瞳――――明らかに異なるモノを宿す瞳は、ベラの心に大きな爪痕を残した。
彼女は異質な存在だ。人とは思えぬ何かが瞳の奥には蠢いている。見た目は見目麗しき少女でも、ベラには化物にしか見えなかった。
けれども、恐怖は終わった。化物は炎に沈み、浄化された。『天昇』に至ることは叶わなかったが、機会はまた有る。焦る必要は一切無い。
思わず、ほっと息をつく。恐怖は去った。かなりの火力で放った一撃だ。間違いなく焼失した。何を企んでいたのか分からない氷棺の森もまとめてだ。
世界は炎に包まれている。ゆらゆらと揺れる灼熱の中、氷の棺が次第に溶けていくのが見えた。本来ならば一瞬で蒸発してもおかしくないが、『奇跡』で生み出された氷は特別ということだろう。
とはいえ時間が立てば『奇跡』の氷とて溶けて消える。ベラの炎は決して軟弱なものではない。何せ『奇跡』すら焼き尽くすと謳われたほどだ。
そうこうしている合間にも氷は溶け、棺の形が変形する。最早、棺とは呼べないだろう。歪な形をした箱にしか見えず、蓋も今まさに開きかけていた。
蓋が倒れるように開く。氷棺の中は空洞――――ではなかった。
「な――――――――――」
「――――――――凍れ」
女王の号令が響く。
呼応し、次々と蓋を開く氷の棺。中は空洞だが、強烈な冷気が迸る。危険だと、ベラの直感が痛いくらい訴えていた。
「ちっ!」
翼をはためかせ、一気に氷棺との距離を詰める。数は多いが、全力を出せば破壊するのに掛かる時間は数秒だ。広範囲の攻撃も織り交ぜれば、何かが来る前に止められる。
氷棺を覆っていた炎を吹き飛ばし、大きく翼を振るう。灼熱の一薙ぎは目の前の氷棺を一瞬で溶解させ、周囲の氷棺も砕け散る。
「遅い」
別の棺から氷の魔手が伸びた。炎の奔流に対抗するように氷の奔流がベラの下へ殺到する。
「しゃらくさいッ!」
火球が放たれ、迫る氷の尽くを破壊する。しかし奔流は止まらない。棺から留まることなく溢れ出し、周囲の生命を凍結させながら進行する。
氷室蓮華の『奇跡』は凍結と封印の二つの能力を併せ持つ。氷棺は、言うなれば具現化した彼女の『奇跡』だ。凍結と封印の両者を併せ持った棺は、収めるべき何かを求めて半自動的に氷の腕を伸ばす。
本来であれば凍結か封印か、どちらかに傾倒する。これまで蓮華は凍結の力を主に使用してきた。ベラの火力は確かに凄まじいが、蓮華からすれば軽く凍結出来るレベルだ。
故に、封印も織り交ぜられた棺の技は単なる凍結とは違い、ベラを次第に追い詰めていく。凍らせ、溶かされの戦いは既に終わりを告げていた。
伸びる氷の腕が大地を封印する。封じられた大地は彼女の領域。最早、ベラは干渉できない。
「ちっ!」
飛び立ち、高く高く飛翔する。だが氷の侵食は天すら侵していた。
氷の天蓋がベラの行く手を阻む。火力を最大限にまで高め、周囲を壊滅させるほどの威力で猛火を衝突させた。
だがしかし、天蓋には傷一つ付かない。猛火が氷に衝突した瞬間、本来ならばそれらが及ぼす筈だった絶大な破壊を、彼女は封印した。
「――――――――嘘だろ」
実力差は感じていた。だが、ここまでとは思っていなかった。
相手はどこまで、己のポテンシャルを隠しているのか。まるで深く暗い少女の瞳のように、彼女の実力は異質だった。
「終わり」
「ッ! しまった!」
絶望が、運命の岐路だった。
腕がベラを掴む。冷たい、とは感じなかった。
パキンと、音が響く。
氷の棺が閉ざされた。