16.開戦の炎は凍り付く
「それじゃあ手筈通りに月宮くん」
夕刻間際。昼と夕の境が曖昧なあやふやとした時間帯。
ベラに指定された廃ビルへと歩を進めながら、秋と蓮華は最後の確認を行っていた。
「ああ。あの女――――ベラは氷室に任せる。アリオスは俺だ。ただ――――」
「――――時間稼ぎに徹する。月宮くんが時間を稼いでいる間に私がベラを倒す。そうすればアリオスを二人で追い詰められる」
「でも大丈夫なのか? ベラを一人でなんて。俺も手を貸した方が」
「大丈夫。むしろベラを二人で相手した時、アリオスが参戦してくる方が問題。ニ対ニだと私のフォローも追いつかなくなる」
きっぱりと言い切る蓮華に秋は苦々しげな表情を浮かべる。
「最初から氷室にフォローされる前提で戦うのも何だかな」
「仕方ない。貴方はまだ充分に『奇跡』が使える訳じゃないから。戦う、よりも時間稼ぎに集中した方が生き残れる。全力で逃げる相手を捕まえるのは難しいから」
「だとしてもなぁ…………」
蓮華はあくまでも冷静に現状を分析した上で、最適と思われる可能性を選んでるに過ぎない。となれば、そこに男のプライドなどといった異物が入り込む隙間など有る訳がない。
とはいえ蓮華任せにすることが気が引けるのは事実。秋は最初から最後までアリオス一人だけだが、彼女はベラとアリオスの二人を相手にしなければならないのだ。負担は秋の比ではない。
しかし彼女は涼しい表情で言い切る。
「月宮くん、私は大丈夫。絶対に、負けないから」
確実など、どこにもない。
それでも、蓮華は確信していた。
己の勝利を。自分達の勝利を。
「…………なら、信じてるから早く頼むぞ」
「うん。分かった」
彼女は信用している。秋がアリオスを相手に見事、時間を稼いでいると。だから、秋も蓮華の言葉を信用する。――――氷室蓮華は、負けない。
「…………そろそろ夕暮れだな」
いつしか空は赤く染まっていた。夜に喰われようとしている夕陽が末期の炎を放ち、世界を黄昏の中に焼失させる。
影が長く伸び、彼等の行く末を指し示す。町外れのここ一帯は人が滅多に訪れない。二人と二つの影だけが、この世界の唯一の住人だ。
彷徨い歩く幽霊の如く、住人は燃え盛る道を行く。さながら地獄への道中だろう。彼等の向かう先に待つ者を考えれば、あながち間違いでもないが。
かくして、辿り着く。地獄。終着点。呼び方は多々あれど、運命が決する場所ということに変わりはない。
町外れに佇む廃ビルは、赤く照らされて炎上していた。さながら噂話に語られる幽霊を滅する炎の如く、黄昏の光はビル全体を包み込んでいる。
果たして、彼女は立っていた。
ビルの正面。入り口を背にし、腕を組み、まるで門番のように立ち塞がるのは焦げ茶色の髪を持つ女――――ベラ。
「へぇ。逃げずによく来たな。それにしっかりと約束も守ってくれたみたいだし」
「誘わずとも私から貴方の所に出向いた。貴方とは決着を着けないといけない」
冷たく言い捨て、蓮華は『奇跡』を解放した。
黄昏の世界に咲き乱れる無数の氷。炎の世界から氷の世界へと瞬く間に様相を変化させる。
待つ必要など無い。二人は出会い、対峙した。それが全てだ。
「始めましょう」
氷界の女王が宣言す。
戦いの始まりを。
「面白い。乗ってやるよ」
ベラの背後に火の粉が集い、翼を形成していく。火の粉で形作られた翼は大きく羽ばたき、爆炎を上げて弾け飛んだ。
「さあ始まりだ。一つ大きな花火を上げようじゃないかッ!」
業火の翼が顕現した。
「月宮くん、行って」
翼が大きく、
「信じてるからな」
大きく、羽ばたく。
「うん」
蓮華は、笑った。
瞬間、灼熱の嵐が吹き荒れる。
黄昏を嘲笑う熱量が氷の世界を容易く滅亡へと追い込んだ。無数の氷は融解し、崩壊し、破片と飛沫が宙を舞う。
それだけではない。ありとあらゆる存在を焼却すべく、数えることすら馬鹿らしい火球が降り注ぐ。地形を変えることすら厭わない、火力任せの破壊の奇跡。
――――しかしそれすら、女王は凍結させる。
「凍れ」
彼女の言葉は宣告だった。
吹き荒れる灼熱が、飛び交う飛沫と氷片が、降り注ぐ火球が、全て、たった一言の宣言で、時を止める。
世界は氷の世界へと逆行した、
瞬間は、今しかない。
「――――――――ッ!」
地を蹴った。一歩一歩を踏み締め、加速度的に駆けて行く。
「行かせるかよ!」
ベラが妨害すべく火球を放とうとするが、
「彼の邪魔だけは――――」
聳え立つ氷の塔が、秋を守った。
「させない!」
氷と炎が衝突する。
振動する大気。響き渡る轟音。世界が一時的に炎でも氷でもない混沌とした様相へ移り変わる。
だが、足は止めなかった。
止めてしまえば、きっと辿り着けなくなる。そう、思ったから。
転がり込むようにしてビル内へと侵入する。埃と泥に塗れ、無茶な行動で全身が悲鳴を上げた。外へ視線を向ければ、氷の流星群と天を覆うほど巨大な炎翼が見えた。
「…………信じてるからな」
祈るような秋の呟きは、二人の戦いの音に掻き消される。間違いなく聞こえてはいない。それでも、秋には彼女の応えが聞こえたような気がした。
外の戦場に背を向け、秋は再び駆ける。
魔獣の狩場は、目の前に。