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不死の少女は旅をする  作者: マリィ
1章 旅の始まり
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15.伸ばされた手









「…………それで、行くの?」


 女が去ってから数分後、蓮華は秋との待ち合わせ場所である喫茶店にやって来た。

 時間は約束通り。秋と女が話していた時間はほんの短い間だった。


 蓮華の問いに秋は頷く。行かない、という選択肢は彼の中に無かった。


「死ぬかもしれない」

「覚悟の上だ」


 即答だった。蓮華は予想していたのか驚いた様子もなく紅茶を一口飲む。


 助けたいと、強く思っている。

 ベアトリーチェに秋は救われた。なら今度は自分が彼女を助ける番だろう。


 しかし、氷室蓮華はそれを否定する。


「止めた方がいい」

「まだ、言うのか氷室。俺は――――」

「月宮くん。どうして私がベラを見逃したのか、分かる?」

「見逃した……?」


 そういえば、彼女はベラとの邂逅の結末を語ってはいなかった。

 てっきり秋は蓮華が逃げ出したものと思っていたが、本人が言うには違うらしい。どうやら蓮華が敢えて、ベラを生かした。


 では、それは何の為に?


「簡単。私達の関係をアリオス達に気付かせる為」

「ッ! ……氷室、それはどういうことだ。君は――――裏切るつもりなのか?」


 憎悪と、敵意と、困惑の込められた目が蓮華を見る。

 彼の激情も無理はない。蓮華のしたことはアリオス達にベアトリーチェの居場所をバラすようなものだ。


 蓮華とベアトリーチェが繋がっていることを知れば、敵は彼女の周りを探るだろう。そうなれば自然とベアトリーチェの存在は明らかになる。


 つまり、蓮華が居たから、ベアトリーチェは見付かった。

 アリオスに襲撃され、敗北し、連れ去られた。


「答えろ氷室。俺は”お前“を許せないかもしれない」

「それを決めるのは貴方。私はただ、話すだけ。ベラを逃した理由を」


 殺意すら感じられる視線をぶつけられながらも、蓮華は冷静に言葉を紡ぐ。月宮秋の反応は、予想通り過ぎた。今更恐怖などしない。


「ベラを逃したのは、誘うため。私とベアトリーチェの繋がりを知れば、間違いなく彼等は私の周囲を探る。そうすれば自然とベアトリーチェは見付かり、襲撃に来る。それが私の狙い」

「……まさか」


 敵はベアトリーチェに誘われ、襲撃に来る。

 まるで光に誘われる虫のように。


 後は――――虫を殺すだけ。


 こくりと、蓮華は頷いた。


「想像通り。それが、私の狙いだった」

「っ。なんでそんな危険なことを――――!」

「その方が手っ取り早いでしょ?」


 さも当然と言わんばかりに、蓮華は言った。

 致命的なズレ。氷室蓮華の抱える欠陥に、秋は初めて恐怖した。


「相手の出方を待つのもいい。こっちから調べて叩くのもいい。でも、面倒臭い。だから来てもらった」

「お前は…………悪いとか思っていないのか? リーチェは、お前の所為で……」

「別に興味無い」


 冷たい言葉だった。


 秋は言葉を失う。彼は信じていた。氷室蓮華は、仲間だと。一度敵対した間柄だが、彼女の協力したいという思いは本物だと、そう、思っていたのに。


「私は、私の味方。ベアトリーチェの味方じゃない。貴方の味方でもない」


 淡々と、蓮華は告げる。

 そも氷室蓮華が秋に協力したのは、彼女が間違えて秋を攻撃したからだ。ベアトリーチェの話に釣られ、危険性が高いと判断し、戦闘を仕掛けた秋に対する贖罪として、蓮華は戦いに参加した。


 それだけ、だ。

 氷室蓮華は最初から、自分の為に戦っている。


「私は、私の為に在る」

「…………なら、何で俺が行くのを止める。どうでもいいんだろ俺のことなんて」

「それは困る。私は贖罪をしないといけない。その為には貴方が居ないといけない。だから、止める。行ったら絶対に死ぬから。そしたら、私は私を許せない」


 蓮華の言葉に感情は込められていない。

 だから理解してしまう。


 彼女の言葉は、真実で。


 結局、自分のことしか考えていないのだと。


「……屑だよお前は」


 いつの日か、彼女に言われた言葉を秋は返す。

 蓮華を見詰める瞳には侮蔑の念が見て取れた。


(ああ、まただ)


 また、この目だ。


 氷室蓮華に幻想を抱き、そして勝手に失望した目だ。


 誰も彼もが、同じ目を蓮華に向ける。

 勝手に人に幻想を抱いておきながら、お前は違うと吐き捨てる。


 誰も、彼女のズレを受け入れられない。


 誰も、氷室蓮華を受け入れない。


 それが何故か、悲しく思えた。


「もういいよ」


 秋が立ち上がった。

 バン、と千円札をテーブルに叩き付け、蓮華に背を向ける。


「お前には頼らない」


 そう吐き捨て、秋は喫茶店から出て行った。

 残された少女は紅茶を飲み干し、秋が置いていった千円札を手にレジへと向かう。


 その表情には怒りも悲しみも含めた、あらゆる感情が無かった。月宮秋に詰られたことも、自分の下から去ったことも、全て、くだらない。


 無駄な時間を使ってしまった。

 会計を手早く済ませ、蓮華は歩を向けた。

 アリオス達の待つ廃ビルへと。









※※※※※※※※









 頭の中がぐちゃぐちゃだった。

 何故、どうして、何の為に、君は。幾多の疑問が浮かんでは、シャボン玉のように弾けて消えていく。まともな思考など出来る訳もない。掻き混ぜられたスープのような思考で、秋は道を歩く。


 信じていた。信じていたのだ。

 氷室蓮華。彼女のことを。

 始まりは最悪だったかもしれない。けれども彼女のことが秋は好きだった。

 確かに普通とはズレていて、無表情で、何を考えているのか分からないけど、自分の為に傷付くことも厭わない彼女のことを、秋は本当に信頼していたのだ。


 しかし、裏切られた。否、裏切ったという思いすら蓮華にはないだろう。彼女は最初から、自分の為に在る。彼女の真意を理解出来なかった秋が悪い。


「…………ッ!」


 込み上げてくる怒りに身を任せ、思い切り壁を殴り付ける。コンクリートの壁に皮膚が擦れ、衝撃に骨が傷んだ。


 どうして。どうして。どうして。どうして。


 何度も、何度も、壁を殴り付ける。

 血が流れることなど、どうでもいい。


 ひたすらに殴り続け、壁は血に染まった。殴り続けた拳は見るも無残な有様になっている。


「どうしてだよッ!」


 どうして、氷室蓮華は自分の為に在るのか。

 どうして、そんな生き方を辛いと思わないのか。

 どうして――――悲しそうな表情を浮かべたのか。


「っ――――ぁ――――」


 蓮華が居なければ、ベアトリーチェが連れ去られることはなかっただろう。彼女がベラを見逃したから、今のような状況に陥っている。


 あの女は自分のことしか考えていない奴だ。秋を助けるのも、結局は彼女自身が許されたいから。その為に秋に死なれては困るから、蓮華は秋を止める。


 ……吐き気がした。

 口を抑え、秋は蹲る。目からは涙がいくつも溢れ落ちた。


 信じて、いたのだ。

 心の底から、彼女のことを。


 なのに、裏切った。

 なのに、悲しそうな表情を浮かべた。


 どうして。どうして。どうして。どうして。


 どうして氷室蓮華は、裏切ったのか。


 悲しそうな表情を浮かべながら、自分の為に在ろうとしたのか。


 氷室蓮華は、何故。


『強いね。月宮くんは』


 ――――――――いつの日だっただろうか。彼女は、そう、口にした。


 あの時は、気にも留めない言葉だった。

 単なる彼女の呟きだと。


 だが、あの言葉は自分を弱いと思っていなければ出ないものではないのか?


『私には、無いよ』


 蓮華の言葉が蘇る。

 ああ、そうか。彼女は、きっと―――――


「ッ…………!」


 気が付けば秋は地を蹴り、駆け出していた。

 果たして、これが正しいのかどうか秋には分からない。だが、歩みを止める理由にはならない。


 息を切らしながら喫茶店の扉を開ける。中は相変わらず多くの客で賑わっていた。

 見渡すが蓮華の姿は無い。秋は直ぐに喫茶店を飛び出し、約束の場所――――廃ビルの方へと走る。


 彼女は元々一人で戦うつもりだった。秋が出て行った後、単身で廃ビルに向かっていても不思議はない。


 蓮華は目立つ。直ぐに見付かるに違いないと秋は思っていたが、予想とは裏腹に廃ビルへ続く道のどこにも蓮華の姿は無い。


 それでも、走る。走り続ける。

 いつしか昼を過ぎ、約束の夕刻が迫っていた。

 汗を流し、獣なように喘ぎながらも秋は止まらない。走り、走り、走り、蓮華を探す。


 だが、見付からない。

 蓮華の姿はどこにも無かった。


「はぁ……はぁ……」


 人家の無い路地裏で秋は立ち止まる。酸素を求めて呼吸を繰り返し、疲れた体を癒やすために壁に寄り掛かった。


 どこを探しても蓮華は居ない。

 まるで姿を消してしまったかのように。


 嫌な想像が秋の脳裏に浮かんだ。

 彼女もまた、アリオス達に敗北したのではないのか。結果、捕まった。もしくは…………殺された。


「ふっ……ざけんなッ!」


 認めない。認められない。

 認めてしまえば、秋はきっと自分を責める。

 巫山戯るな。巫山戯るな。あの女が自分の為に在るというのなら、秋もまた自分勝手にさせてもらう。そうでなければ割に合わない。


「ぐっ…………」


 血の滲む手を握り締め、秋は立ち上がる。

 休んでいる暇は無い。蓮華は、どこかに居る筈だ。まだ生きている。そう信じ、秋は路地裏から表通りに飛び出そうとし、


「私を探しているの?」


 背後から、探し求めていた人物の声が聞こえた。

 勢い良く後ろを振り返る。路地裏の奥に佇む彼女の姿が目に入った。


「氷室…………」


 喫茶店で会った時と何ら変わらぬ格好で、彼女はそこに居た。さっきまでの出来事など、忘れてしまったかのように。


「何の用?」


 穏やかに、彼女は問い掛けた。

 蓮華は、自分の為に在る。秋との諍いなど、所詮は雑事。彼女からすれば、どうでもいいことだ。


 それでも、秋は言いたいことがあった。

 自分の言葉が、声が、届かぬとしても。


「手を貸せ氷室蓮華。俺の為に」


 傲慢に、秋は告げた。


「言われずとも私は贖罪の為に戦う。それでは駄目なの?」

「ああ駄目だ。お前は、俺の為に戦え」

「それは、どうし――――」

「弱いんだろ、お前?」


 蓮華の言葉を遮り、秋は問う。蓮華は何も言わない。ただこれまで以上に冷たい瞳で秋を見ていた。


「お前はずっと言ってたな。俺は強くて、自分は弱い。それは正しいよ。お前は、自分の為に在ることしか出来ないんだろ?」


 蓮華が目を見開く。

 告げられた言葉は、真実だった。


 氷室蓮華は弱い。それは単なる実力の話ではなく、精神的な話だ。


 誰かの為に、蓮華は足掻けない。だってそれは、誰かを背負うことだから。誰かを抱えることだから。弱い蓮華には、出来やしない。


 けれども。


「俺なら背負える。お前が言ったんだ。強い、と」


 月宮秋ならば、背負えた。

 彼は強い人間だ。そして、傲慢な人間だ。誰かを抱えることなど苦ではない。


 故に、彼は蓮華に要求する。


「俺の為に、戦え。俺がお前を背負ってやる」

「――――貴方は」


 これまで無言だった蓮華が口を開く。

 黒色が、秋を射抜く。


「本当に私を背負えるの?」


 期待も、歓喜も、憎悪も、ありとあらゆる感情が無い声音。

 全てを凍結させて、蓮華は問う。


 お前に氷室蓮華が背負えるのか、と。


「さあな。でも背負ってやる。それだけは確かだ」


 背負えるのかどうか、秋には分からない。

 だって秋は、蓮華のことを詳しく知らないのだ。背負えるかどうかなんて分かりようがない。


 でも、背負うことは出来る。彼女のことを。


「もしも、途中で潰れたら?」

「そしたらまた背負うさ。何度だって、俺はお前を背負ってやる」


 そう言い、秋は笑う。

 彼の言葉は支離滅裂だ。傲慢で、横暴で、子供の我儘にも似ている。言うなれば醜悪で、絵空事だ。


 しかし、どうしてだろうか。


 その絵空事を、信じたいと、蓮華は思った。

 夢物語だとしても、叶わぬ願いなのかもしれないけれど、それでも、伸ばした手を掴んでくれる人が居るのはきっと幸せで、きっと悲しくないから。


 でも、素直に口にするのは恥ずかしくて。


「私は私の為に、貴方に背負われることにする。……それでもいいの?」

「好きにしろ」

「私は、貴方を傷付けた。それでもいいの?」

「許せないさ。でも、それとこれとは別だ。だって、そうだろう?」


 秋の手が、蓮華の頬に触れる。

 穏やかな笑顔を浮かべて、彼は囁いた。


「お前は、こんなに悲しそうな表情を浮かべているんだから」

「あ…………」


 ずっと、悲しかった。

 目の前で、人が死ぬ。誰かが死んていく。

 助けたい。でも出来ない。


 蓮華には、背負えない。

 弱い彼女が抱えられるのは、己しかなかった。


 自分の為に在り続けるのは、他人を捨て続けることに他ならない。それは、悲しいことではないのか。


 氷室蓮華はズレている。致命的に間違えている。


 彼女の欠陥は、悲しみを放棄した。誰かを捨てる悲しみを捨て去った。


 でも、きっと、ずっと、感じていたのだ。


 知覚できなかっただけで、ずっと、ずっと。


 悲しかったのだ。


「わか……らない。私には、分からない」

「いいさ。それがお前だ」


 受け入れる。彼女の狂気を。

 その先が地獄だとしても、秋は傲慢に許容する。


「貴方は……最低」

「酷いな。それはお互い様だろう。お前だって似たようなもんだ」


 二人の関係は歪だ。狂っているとも言える。

 だとしても、二人は確かに繋がっていた。


「さ、行くか」


 頬から手を離し、蓮華に差し出す。

 蓮華は手と秋の顔を何度か見比べた後、おずおずと自分の手を差し出した。優しく握り締め、手を引く。


 秋はまだ蓮華を許した訳ではない。一度燃え盛った憎悪は簡単には消えない。

 だがそれでも、辛そうな表情を浮かべる彼女を捨て置くことは出来なかった。彼女は狂っている。しかし、それが彼女の正常なのだ。蓮華からすれば、こちらこそ狂っている。


 その乖離に苦しみ、果てとして辿り着いたのが自分自身の為に在ることだとすれば、それは哀れではないのか。


 少なくとも秋は、手を伸ばした。

 それが正解なのか、それとも間違いなのか、秋には分からない。


 ただ、嫌なのだ。

 悲しげな表情を見ることが。

 だから、手を伸ばす。手を掴む。手を引く。


 たとえ愚かな行為だとしても。


 それが、月宮秋という存在だった。









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