12.永遠の旅
放課後、秋はベアトリーチェと共に帰路についていた。
隣を歩く彼女の役目は護衛だ。『奇跡』は使えないが、ベアトリーチェには培ってきた経験がある。いざという時に秋を守ることくらいなら出来た。
とはいえ一番良いのは襲われないことだ。ベアトリーチェが言うには、アリオス達が秋の存在に気付くのは多少なりとも時間が掛かるらしく、今日明日で来ることはないらしいが、いずれ来ることに変わりはない。
そうなれば、ベアトリーチェは戦うのだろう。『奇跡』が使えなくとも立ち向かうのだろう。きっと、傷付くことも厭わずに。
「…………」
秋とベアトリーチェの付き合いは短い。それこそ昨日今日の関係だ。お互いに相手のことを知っている程度で、深い所までは知らない。
だとしても、秋はベアトリーチェに死んでほしくはなかった。傷付いてほしくなかった。
「なあリーチェ」
傲慢だと、分かっていながらも。
「ん? どうしたの?」
「…………戦わない方法ってのはないのか?」
「……随分、急な物言いね。内容も突拍子だわ。……答えとしては不可能、よ。彼等が改心することは有り得ないし、逃げることも出来ない。ここに留まる以上、いつかは戦うわ」
諦めなさいと、ベアトリーチェは言う。
秋は何も言わずに唇を噛んだ。戦いが避けられないことは秋だって分かっていた。分かっていても、問い掛けた。捨て切れない可能性を求めた。
ベアトリーチェに生きていてほしいから。
ただ、それだけだった。
「…………」
ベアトリーチェも当然理解している。戦えば『奇跡』の使えない自分では勝ち目が無いことを。
だが、死だけは訪れないと確信していた。ベアトリーチェは殺されないと。
それは驕りでも、余裕でもない。単なる事実だ。故にベアトリーチェが死ぬことはない。
秋の考えは杞憂だった。
笑顔を浮かべ、ベアトリーチェは秋へ語り掛ける。
「安心しなさい。私は死なないから。貴方が思っているようなことは起きないわ」
「どうして、そんなことが言い切れる! ……君は俺の恩人だ。死んでほしくないと思うのは……傲慢か?」
あの日、あの時、あの場所で、月宮秋は死ぬ運命だった。虫けらのように無意味に殺され、短い生を終える筈だった。
しかし、ベアトリーチェが月宮秋を助けた。そこに他意は無く、ベアトリーチェはただ助ける為に月宮秋に手を差し伸べた。
感謝してもし切れない。決して返せぬ大恩だ。
それなのにベアトリーチェは死ぬかもしれない。自分の為に命を失うかもしれない。
自分は助けられ、彼女は死ぬのか?
余りにも馬鹿げた話だ。断じて認めない。月宮秋が認めない。命を救われた者として、ベアトリーチェが命を失う不条理を認めない。
例えベアトリーチェが死なないと口にしようと、秋だけは否定する。認めてしまえば、もしもの時など来ないと甘く見積もってしまうから。
ここまで来ると最早、狂気の域だった。
「――――秋」
ベアトリーチェは真っ直ぐに秋を見詰める。青色の瞳が青年を射抜く。名前で呼ばれたことなど些細なことだった。
「私は、死なないわ」
変わらず彼女はそう言った。
有無を言わせぬ口調で、強く断言する。
そこには様々な感情が込められていた。憤怒、憎悪、悲観、後悔。込められた感情は様々で、秋を漸く理解する。
ベアトリーチェにとっての死とは、他人が慮ることが出来ない事柄なのだと。彼女は死なない。そう確信している。
「私は、死なないのよ」
悲しげにベアトリーチェは口にした。
何故と、秋に問いかけることは出来なかった。
そこから先は彼女の深奥だ。踏み込むならば、覚悟しなければならない。果たして彼女の抱えるモノは、秋に直視出来るだろうか、と。
無理だろう。不可能だろう。
月宮秋が直視出来るほど、ベアトリーチェの深奥は明るくなければ平和でもない。――――そこは常人が踏み込むべきではなかった。
「……無茶だけはしないでくれ。これだけは……頼む」
結局、秋はそれだけを口にした。
ベアトリーチェは無言で頷き、それ以上何も言いはしなかった。
※※※※※※※※
ベアトリーチェは一人、街を歩く。
秋を家まで贈り届け、ベアトリーチェは気晴らしに夜の街へと繰り出していた。死こそ恐れる必要が無いとはいえ、気を張り詰めているのは事実だ。少しでも安らぎが欲しかった。
(どこの街も変わらないわね)
とはいえ行き交う人も喧騒も、もう幾度となく目にしてきた。どれだけ時が経とうと、人の往来というのは変わらないものだと、内心ベアトリーチェは苦笑する。喧しく、邪魔で、孤独を感じる。
一人ぼっち。誰も隣には居ない。
変わらない。昔から、こうだった。
女は独り、街を歩く。
その時ふと、さっきまで隣を歩いていた青年の言葉が思い浮かぶ。
『死んでほしくない』
そんな言葉を掛けられたのは、果たしていつ振りだろうか。
もう何年も、聞いていなかった言葉のような気がする。
ベアトリーチェは死なない。これは比喩でも何でもなく、文字通り死なないのだ。彼女は生に縛られている。
故に人は彼女を"幽霊"と、呼ぶのだろう。
生にしがみつき、無様に生きる女。それは死を受け入れられずに現世を彷徨う幽霊と同じだ。
「ふふ」
笑ってしまう。
生きているのに幽霊と呼ばれる自分が、酷く滑稽に思えた。
死んでほしくない。彼の言葉がリフレインする。
きっと彼は、心の底からベアトリーチェの身を案じている。だから、生きている人間らしく死ぬなと言ったのだろう。
胸の内に、憎悪と憤怒の炎が燃え上がる。
生きること。それが、どれほどの苦痛か知らぬくせに。
死ぬこと。それが、どれだけ救いなのか知らぬくせに。
ああ――――なんて傲慢なのだろうか。
けれども、その葛藤は遥か昔に通った道だ。ベアトリーチェは胸中の炎を鎮火させる。
人には彼女は理解出来ない。幽霊に手を差し伸べる人間は居ない。
知っている。
長い時を、生きてきたから。
きっと彼女は、未来永劫を孤独に生き、そして誰からも忘れ去られ、それでも生き続けるのだろう。
終わりのない旅を、続けるのだろう。