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不死の少女は旅をする  作者: マリィ
1章 旅の始まり
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10.朝の語らい









 次の日。今度は寝坊せず、いつも通りの時間に家を出て登校した秋を出迎えたのは、黒髪の美少女――――氷室蓮華だった。


「おはよう」


 何故か秋の席に座った状態で窓の外を眺めていた蓮華は、秋に気が付くと無表情で挨拶をした。秋は戸惑いながらも挨拶を返す。


「あ、ああ。おはよう」

「ん」


 こくこくと頷く蓮華。その間にも教室内はざわつき、二人の関係について色々な憶測が飛び交っていた。

 何せあの氷室蓮華が自ら声を掛けたのが昨日。しかも次の日にはこうして教室で秋を待ち、挨拶までしたのだ。注目を浴びない方が無理という話だろう。


 とはいえ生来ズレている蓮華と違い、秋は普通の高校生。注目を浴びるのは好きではなかった。秋は身をかがめ、席に座ったままの蓮華にこっそりと囁きかける。


「なんで君がここに居るんだ?」

「待ってたの」

「俺をか?」

「そう」


 こくこくと蓮華は肯定する。どうやら何かしらの用事が有るらしい。秋は面倒臭そうに周囲をチラリと見た後、溜め息をついてから声を発した。


「場所を変えるか」

「その方がいい。余り普通の人に聞かれていい話じゃない」


 唐突に席から立ち、蓮華は秋の耳元に唇を寄せて囁いた。甘い少女の香りが秋の鼻孔を擽り、耳元で感じる蓮華の吐息に思わず体が震える。


 恐らく、蓮華からすれば何気ない動作なのだろう。しかし類稀な美貌を持つ少女のそれはまるで、男を誘う遊女のように蠱惑的だった。


 確かに、これなら氷室蓮華の人気が衰えない訳だと、秋は内心納得する。


 大抵の人間は氷室蓮華の抱えるズレから、彼女に抱いていた幻想との乖離に悩み、自然と離れていく。だが日頃の彼女は確かに皆の思い描く理想像の氷室蓮華なのだろう。彼女のズレは接してみないと分からない。それに加えて美貌による魔性。これなら確かに多くの男は恋い焦がれるに違いない。


 とはいえ一定層、蓮華に興味を示さない者も居る。自身の性的嗜好と蓮華が合わない者。無表情無感情な蓮華に恐怖を抱く者。そして、元より氷室蓮華という個人に何ら興味が無い者。


(俺は三番目だった。…………でも)


 今の秋はどうだろうか。

 氷室蓮華と出会い、戦い、そして共通の秘密を持った今。


 氷室蓮華のことを、どう思っているのだろうか。


「――――」

「どうしたの?」

「っ!」


 顔を覗き込まれる。黒く透き通った瞳が秋を映した。

 綺麗な瞳だ。月並みだが、まるで宝石のようだと秋は思った。同時に、酷く恐ろしく思えた。


 黒色の瞳には、何も無い。光も闇も無く、虚無だけがそこにはある。

 無関心、無感情、無感動。

 氷室蓮華は、今、この時でさえ。


 何一つ、心に浮かび上がる感情は無かった。


 まるで凪いだ水面のように。平坦で、味気なく、変化が無い。


(…………やっぱり彼女はズレている)


 それが、彼女のズレなのだ。

 氷室蓮華の抱える欠陥だ。


 しかし、秋としては彼女のズレも含めて氷室蓮華だと認識した。氷室蓮華は、こういう少女なのだと、秋は思った。


 だから、彼女の無を覗いても尚、月宮秋は自然と蓮華に接することが出来た。


 ――――氷室蓮華に、情を抱きながらも。


「何でもない。ほら、ホームルームが始まる前に帰ってこないと、だろ」

「……うん」


 頷き、蓮華は先に歩き出した。その後を秋が追う。最後にクラスメイトの視線が二人を追った。


「…………」

「…………」


 蓮華と秋は無言だった。言葉を交わすことなく、蓮華の先導で廊下を進み、階段を降り、更に廊下を進み、秋はとある空き教室へと辿り着く。そこは校舎の隅、滅多に人の訪れない区画にポツンと存在していた。


「ここ」


 そう言い、蓮華は扉を開けた。勝手知ったる様子で中に入り、明かりを点ける。部屋の全景が露わになり、氷室蓮華が照らし出された。


 室内はさながら倉庫のようだった。本棚が適当に並び立ち、もう使う機会の無さそうな資料がそこかしこに置かれている。その所為か室内は埃っぽく、カーテンも閉めたままだからか陰鬱としていた。


「こっち」


 手招きされ、秋はようやく室内に足を踏み込んだ。後ろ手に扉を閉め、蓮華に言われるがまま鍵を掛ける。ガチャンと音を立て、部屋は閉ざされた。


 物珍しそうに室内を眺める秋を無視して、蓮華は部屋の奥へと進んでいく。秋も思い出したかのように蓮華の後に続いた。


 奥にはもう一つ、横の部屋と続く扉があった。

 扉を開け、二人は中に入る。

 室内は前の部屋とは打って変わって殺風景な部屋だった。一つだけのテーブルと、同じく一脚だけのパイプ椅子。それ以外、ここには何も無かった。


「氷室、ここは?」

「時折使わせてもらってる部屋。疲れた時はここに来たりする」


 つまり彼女のサボり部屋のようなものなのだろう。椅子とテーブルも恐らくは蓮華が持ち込んだ物だ。

 空き教室を私物のように使うことに抵抗が無い訳ではなかったが、まるで秘密基地を目にした時のようなワクワクとした感情に逆らうことは出来なかった。


「座って」


 テーブルに腰を下ろし、蓮華は目の前のパイプ椅子を目で示す。秋は言われた通りに腰を下ろした。ギィッと錆びたパイプ椅子は軋みを上げる。


「それで……どうしたんだ氷室? 朝から話があるなんて」


 秋は端的に要件を問うた。何せ、あの氷室蓮華が朝から話があると来ている。ならばそれは緊急性の高い要件の筈だ。


 しかし返ってきたのは予想を遥かに――――上回るものだった。


「……襲われたの」

「……え?」


 囁くような声音で、蓮華は恥ずかしげに言った。

 秋は突然告げられた一言に思わず呆気に取られる。

 だが蓮華は気にせず続けた。


「大変だった。熱くて、苦しくて…………」

「…………」


 秋の表情が険しくなる。蓮華の話は、どう聞いても性的なことを話しているようにしか聞こえない。いや、単に秋の想像力が貧困な所為でそれ以外の捉え方が出来ないだけだが。


 とはいえ秋は知っている。彼女は普通の人間にはどうしようもない力を持っていることを。その彼女を襲うことなど猛獣に抱き着くようなものだ。


 そして彼女は何より、そうした敵に容赦するほど甘い人間ではなかった。

 秋は頭痛のしてきた頭を押さえつつ、半ば呆れた声音で問い掛ける。


「なあ氷室」

「何?」

「襲われたって誰にだ?」

「奇跡所有者」

「やっぱりか…………」


 案の定。秋は遂に頭を抱えた。

 正確に言えば何となく予想はしていた。氷室蓮華はズレた少女だが、決して不真面目ではない。ましてや嘘つきでもない。


 その彼女が若干遠回りな表現だったが、襲われたと口にしたのだ。これが普通の人間なら蓮華は雑事と切り捨て特に何かを言ったりはしないだろう。


 だが、敢えて彼女は秋に伝えた。となれば答えは――――奇跡所有者になるだろう。


 可能性として有り得ない訳ではなかった。アリオスの狙いはベアトリーチェ――――正しくは『千の魔術を統べる者(へカーティア)』。第零階梯に属する、ありとあらゆる魔術を行使可能とする万能の力。


 相対するには余りにも危険な相手だ。本来の持ち主であるベアトリーチェは自身の『奇跡』を軽い口調で紹介していたが、それはあくまでも持ち主であるが故。敵からすれば、何をしでかすか分からないビックリ箱と同じだ。


 そんなビックリ箱を前に、アリオスが愚直に仕掛けるだろうか。彼の『奇跡』は、同種を喰らうほどに力を増す『奇跡』――――『混血の魔獣(キマイラ・イーター)』。『奇跡』を喰らい、力をつけようとするのは至極当然と言えた。


 しかし、そんな秋の予想は外れていた。アリオスが『奇跡』を喰らい、力をつけていることこそ真実だったが、氷室蓮華を襲ったのは件の魔獣ではない。


「月宮くん。私を襲ったのはアリオスじゃない」

「え? なら一体誰が?」

「ベラ。彼女は、そう名乗った」


 背に燃え盛る翼を羽ばたかせた、焦げ茶色の髪の女が蓮華の脳裏に浮かぶ。


 昨晩、蓮華が見逃した女だ。

 本音を言えば、殺すつもりだった。容赦なく、躊躇いなく。


 だが氷室蓮華は彼女を見逃した。己の内の激情すら凍結させて、蓮華はあの戦場から去ったのだ。


 理由は、当然ある。だが、それはまだ語るべきではない。少なくとも秋には今、話すべきではないだろう。そう、蓮華は判断した。


 代わりに蓮華は何故かホッとした表情を浮かべている秋に冷たい視線を突き刺した。人が死ぬかもしれない戦いをしてきたというのに何だその顔はと、視線で訴える。


「……そんな目で見ないでくれ。そも原因は氷室の思わせぶりな発言だからな!」

「思わせぶりな発言?」


 何故、月宮秋はそんな言葉を口にしたのか。

 蓮華は目を閉じ、暫し過去の発言を振り返る。……ああ、成る程。確かに“そう”取られても不思議はないかもしれない。

 だがしかし、


「……屑」

「直球過ぎる」


 辛辣に蓮華は言葉を投げ掛けた。

 当然だろう。秋の思考が、変態なのが悪いのだから。


「まあ“そっち”の方じゃなくて良かったよ」

「良くない屑」


 恐らく蓮華は自分の話が“そう”思われているとは思ってもいなかったのだろう。秋の発言に不服そうに呟いた。


「すまん。それで……大丈夫なのか?」


 一転して秋は真面目な顔付きで問い掛けた。

 蓮華とて今までの遣り取りが単なる“馴れ合い”だと理解している。理解した上で、蓮華は乗った。しかし話の流れは変わったのだ。


 これからは、真面目な話。

 お巫山戯の時間は終わりだ。


 蓮華はこくりと頷く。


「問題ない。相手も本気じゃなかった。傷も無い」

「そうか。なら良かった。実は傷だらけで痛みを我慢して学校に来た、なんて言われたらどうしようかと思ったんだが、杞憂だったみたいだ」


 心底安心したと、秋は表情を緩めた。

 蓮華はズレているが、決して感情が理解出来ない訳ではない。月宮秋が、心の底から自分を心配していることも確かに理解出来た。そして、それを嬉しく思う自分も確かに居た。


(……嬉しく思う?)


 何故、嬉しく思うのだろう。

 ふと、湧き上がった感情に蓮華は疑問を抱く。


(私が無傷だったことを、月宮くんが安心するのは、理解出来る。でも、それを嬉しいと感じるのは、どうして?)


 何故、何故、何故。

 嬉しいと、感じたのか。


(……分からない)


 答えは出なかった。

 まるで、アレと一緒のように。

 氷室蓮華には、理解出来ない。

 氷室蓮華には、分からない。


 だから、解することを止めた。


(些細なこと…………理解する必要は、ない)


 蓮華は思考から全てを排除した。

 今は、そんな下らないことを考える時間ではないから。


 それにホームルームの都合もある。だらだらとしている訳にはいかない。


 そのことは秋も分かっているのだろう。朗らかな笑みを消し、真剣な表情で秋は蓮華に問い掛けた。


「それで、ベラは何者なんだ?」

「奇跡所有者。そして……アリオスの仲間」

「っ。やっぱり、か」


 アリオス。秋を殺した男。

 予想はしていた。だが名を聞くだけで、全身から嫌な汗が吹き出た。手が無意識に震え、刻まれた恐怖が鎖のように秋を縛り上げる。


 しかし、秋は前に進むことを決意した。

 ここで震えていては、前に進むことなど出来やしない。夢のまた夢だ。


 拳を強く握り、ゆっくりと深呼吸する。

 何回か繰り返す内に震えは収まった。心配そうに蓮華が秋の顔を覗き込む。


「大丈夫…………?」

「ああ、大丈夫だ。悪いな」

「無理はしないで」

「分かってる。それで、アリオスの仲間って情報は本当なのか?」


 こくこくと蓮華は頷く。


「本当。彼女は言ってた。私達のことに首を突っ込むなって。それに『千の魔術を統べる(へカーティア)』にも反応した」

「確定……みたいだな」


 警告の目的は明らかに『千の魔術を統べる(へカーティア)』を狩る邪魔をさせない為だろう。『千の魔術を統べる(へカーティア)』の名に反応した所も踏まえると、蓮華に警告した女はアリオスの仲間というのは間違いない。


「でも、リーチェは特に何も言っていなかった筈だ。アリオスに仲間が居る、なんて重要なことなのに」

「……………………多分だけど、知らなかった」


 何故か大きく間を空けて、蓮華は口を開いた。秋は首を傾げるが、蓮華の表情から何を考えているのか読むことは出来なかった。


「知らなかったって、そんなまさか。リーチェは追われていたんだぞ?」

「直近で仲間になった可能性もある。それにベラが身を潜めていたかもしれない。考えれば、きっと他にも色々と出て来る。……月宮くん。彼女を、ベアトリーチェを――――」


 それ以上、言葉は続かなかった。

 否。続けることが出来なかった。


 きい、と、軋んだ音を立てて扉が開いたからだ。


「っ!」


 咄嗟に秋は身構える。だが蓮華は誰が訪れたのか分かっているのか、テーブルに腰掛けたまま扉の方を見ていた。


「……ベアトリーチェ」


 ぽつりと、蓮華は呟く。

 その声音には、明らかに何かしらの感情が込めれていた。しかし彼女の呟きは誰の耳にも入ることなく、虚空へと消えていった。


 扉が開く。

 果たして、そこには手前の部屋から射し込む陽光を背にして、白髪の女――――ベアトリーチェが立っていた。


「なんだリーチェか。驚かせるなよ……」


 ホッと息を吐く秋。しかし蓮華だけは訝しげにベアトリーチェを見ていた。


(鍵は掛けてた。なのに入ってこれた。……『奇跡』があれば、不可能ではない。でも彼女の『奇跡』は今は……月宮くんが持っている)


 『奇跡』を持たなければ普通の人間の筈。

 では、鍵が掛かった部屋に入れたのは何故か。


(鍵を持っている? でも、どうやって手に入れたの?)


 考えれば考えるほど不可解だ。

 そも蓮華はベアトリーチェを信用していない。


 希少な『奇跡』を持つが故に狙われた女。成る程、それは確かに被害者だろう。この世界では、そう珍しくもない話だ。


 しかし、彼女が持つ『奇跡』は格が違う。

 『千の魔術を統べる者(へカーティア)』。

 その名に恥じぬ、ありとあらゆる魔術を行使可能な力。


 それは、神の力にも等しい力だ。

 振るえば、何でも出来る。


 では、何故。


 何故、ベアトリーチェはアリオスに力を振るわなかった?


 何故、アリオスから逃げた?


 彼女の『奇跡』を以てすれば、たかが魔獣など軽く屠れるというのに。


(何かある)


 それが何なのかは分からない。

 だが、恐らくは碌でもないことだと、蓮華は思った。


「ごめんなさい。驚かせちゃった?」


 朗らかな笑みを浮かべて、ベアトリーチェは口を開いた。

 長く伸ばされた穢れを知らぬ純白の髪。透き通った宝石を思わせる蒼玉の瞳。彼女は、今日も変わらず美しい。笑みを浮かべるベアトリーチェに秋も一瞬だけ意識を奪われた。


 しかし、


「何の用?」


 漆黒が純白を穿つ。

 蓮華が冷たくベアトリーチェへと問い掛けた。


「貴女に用は無いわ氷室蓮華。私は月宮くんに用があって来たの」

「それは何?」


 間髪入れずに問いを続ける。

 ベアトリーチェは変わらず笑みを浮かべたまま答えた。


「彼がちゃんと登校出来たかどうかを確認しに来たのよ。そしたら見当たらないからここまで探しに来たの」

「朝、送らなかったの?」

「今朝はどうしても外せない用事があったの。それにアリオスも一日二日で私や月宮くんを見付けることは出来ないわ」

「……そう」


 最後に短く呟き、蓮華は話を終わらせた。

 これ以上、話すことはないと言わんばかりに口を閉ざす。

 秋は蓮華の様子に首を傾げた。ベアトリーチェは変わらず笑顔を浮かべるが、ふと、蒼い瞳が秋へと向けられる。


「それで何の話をしていたの?」

「えーっと……そうだ丁度良いな。リーチェに訊きたいことがあったんだよ」

「訊きたいこと? それってさっきまでの話に関係してるの?」

「ああ。リーチェはアリオスに仲間が居るって知ってたか?」

「…………初耳ね。ちょっと詳しく教えて」


 ベアトリーチェの表情が真剣なものへと変化する。どうやら蓮華の予想通り、彼女はベラの存在を知らないようだった。


 秋も蓮華から聞いた内容を自身の内で整理しながらベアトリーチェに説明していく。


 昨日の夜、蓮華が襲われたこと。

 『私達の邪魔をするな』と言われたこと。

 『千の魔術を統べる者(へカーティア)』の名に反応したこと。


 当事者ではない秋の口からの説明だったが、蓮華は特に口出しはしなかった。無言を貫き、秋の説明に耳を傾ける。


 結局、最後まで蓮華は聞くだけだった。

 説明を聞き終えたベアトリーチェは、何かを考え込むように眼を瞑り、そのままの状態で問い掛ける。


「……それは本当かしら?」


 誰に問うたのか、ベアトリーチェは言わなかった。

 しかし口にせずとも分かっている。蓮華は淡々と問いに答えた。


「本当。そも嘘をつく理由が無い」

「それもそうね。それで、どんな外見をしてたの? 有する『奇跡』は何かしら?」

「焦げ茶色の髪に『不死鳥の炎翼(フェニックス)』という『奇跡』を持ってた。…………知ってるの?」


 ベアトリーチェは暫し考え込むと、


「『『不死鳥の炎翼(フェニックス)』………ベラ…………心当たりがあるわ」


 そう、口にした。


「本当か?」

「ええ。会ったことはないけど、話だけなら聞いたことがあるわ。不死鳥のベラって名と共にね。何でも典型的な奇跡所有者らしいわ」

「らしい?」


 ええ、とベアトリーチェが首肯する。


「あくまでも噂なのよ。ベラは第一階梯の『奇跡』である『不死鳥の炎翼』を持っているから、名前はよく聞くけど…………本人に会った訳じゃないから、彼女がどういう人物なのかは分からないの」

「……多分、間違ってない。彼女は…………『奇跡』を誇っていた」


 何かを思い出す様に蓮華は瞳を閉じる。


 目を閉じた少女は恐ろしく美しい。人形に命を吹き込んだと言われても秋はきっと信じるだろう。蓮華の美貌はそれだけ完成されていた。


「成る程。それは“典型的”ね」

「どういうことだ?」

「中には居るのよ。『奇跡』を特別な力だと勘違いして驕る人間が、ね。…………『奇跡』なんて、素晴らしい力でも何でもないのに」


 ぞわりと、秋は毛が逆立つのを感じた。

 たった今、ベアトリーチェが見せた壮絶な憎悪と憤怒。それはまるで、何十年と積み重ねていたかのように重たく、濁っていた。最早、汚泥のようでもあった。


 『奇跡』の存在を快く思っていないのだと、秋は察する。考えてみれば当然の話だろう。人が持つには明らかに異常過ぎる力――――それを持つ者が、果たして人間と扱われるのか?


 怪物。鬼子。忌み仔。

 人と思えぬ存在は、常にそう呼ばれる。排斥される。

 彼女もまた、そうした悲劇の中に居たのだろう。それはこれまでの人生を平穏の中で過ごしてきた秋には理解出来ぬことでもあった。


 だからこそ、何も言わなかった。

 幸せだった自分の言葉など、彼女に掛けるべきではないから。


 静寂が場に満ちる。

 秋も、ベアトリーチェも、蓮華も、誰一人として口を開かない。


「…………ごめんなさい。少し、熱くなりすぎたわ」


 静寂を破ったのはベアトリーチェだった。

 彼女は伏し目がちに呟く。


「本当に、ごめんなさい」

「…………気にしないで」

「え……?」


 意外にも、声を上げたのは蓮華だった。

 蓮華はどこか同情するような視線をベアトリーチェに向ける。それだけで、ベアトリーチェには理解出来た。彼女も、そう、なのだと。


 『奇跡』を持つ者の大半は、碌でもない過去を持つ。今を笑って過ごしている者も一皮剥けばトラウマの塊だ。


 氷室蓮華も、そうだった。

 だから、同情してしまった。

 それが、傷の舐め合いだとしても。


「……そう。なら尚更、この話は終わりにすべきね。時間も限られているし」

「あ、そうだな。そろそろホームルームだ」


 時計を見ればホームルームまで十分を切っていた。これ以上、この話題に時間を割く訳にはいかない。


「話を元に戻しましょう。ベラは『不死鳥の炎翼(フェニックス)』を持つ典型的な奇跡所有者ってことは分かった。なら次は彼女の目的と、その実力よ。……何か知ってる?」

「…………分からない。昨日の彼女は明らかに手を抜いていた。だから、全力がどれほどか私には分からない。目的も何も語ろうとはしなかった」

「…………そう。なら仕方ないわ。けれども油断は出来ないわね。貴女を相手に手を抜けたのだから」


 手を抜いていたということは、まだ余力があるということ。少なくとも、ベラは氷室蓮華を前にして手を抜けるとだけの余力がある。


 氷室蓮華は決して弱くない。

 昨日の秋と蓮華の戦いを見て、ベアトリーチェはとあることに気が付いていた。もしも仮に、それが勘違いでなければ、氷室蓮華は最悪にも等しい実力者ということになる。


 だとすれば、ベラも侮っていい相手ではない。そも『不死鳥の炎翼(フェニックス)』は戦闘に向いた『奇跡』だ。ベアトリーチェや氷室蓮華ならまだしも月宮秋には些か荷が重い。


(戦わせるつもりはない。でも……最悪も想定しとかないといけない)


 ベアトリーチェは、彼に『奇跡』を押し付けた。

 それが偶然だったとしても、彼は手に入れてしまった。宿してしまった。彼女が、選んでしまった。


 『奇跡』を持つ者の殆どは碌でもない過去を持つ。これは後天的に『奇跡』を手に入れた者にも当て嵌まる。異常な力が日常を破壊するのだろう。


 彼には、そうなってほしくない。

 せめて、平穏な日々を生きてほしい。


(……私には出来なかったから)


 ベアトリーチェは秋を見る。

 黒い瞳に美貌の少女が映り込んだ。


「でも、安心して月宮くん。私が、貴方を守る」

「…………」

「そう、改めて約束するわ」


 宣告に似た響きだった。

 秋は珍しく、何も言わない。

 蓮華も静かに二人の遣り取りを眺めている。


(守る、か)


 心の中で、秋は彼女の言葉を反芻させた。

 “何かが”違うと、彼の心が訴え掛ける。


 答えは、まだ、見付からない。









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