少しだけ未来のことを考えたらこうなった件
世界の人口が100億人に達したのを境に、安楽死と尊厳死が国連で概ね採択されようとしていた。世界に先駆けてこれらを採用していた欧州先進国をモデルに日本でも同様の法案が国会で採択され、試験的な運用が始まった。これらの判断をするのは裁判官が担うものとなった。家庭裁判所に自ら持ち込み、理由と医師の診断を元に判事が判断する。当初の見込みでは、いわゆる年老いたベビーブーマーたちへの救い、或いは国の福祉を減らすため、に法律が作られたが、それではあまりに露骨すぎるため、不治の病や永遠と続く痛みに苦しむ人が主に対象とされた。
この物語は、あまりに残酷なものである。ある平日の昼間である。夫婦が医師の診断を携え、県の家庭裁判所にやってきた。子供はまだ言葉も話せないだろう年齢で、場所が違えば家族でピクニックに行くような若い家族のそれががあった。家庭裁判所の受付は最初は離婚届が提出されるものと思っていた。この家族が県で最初の安楽死を求める人物たちであることは、申請書を求められた時にはじめて、驚きとともに理解した。
家庭裁判所の判事は戸惑った。確かに、医師はこの両名が不治の病であることに変わりはなかった。一見、健康的なこの二人は、数年後にはベットの上でしか生活ができないようになる。そして、現代医学の機器がなければ、その命をつなげることはできない。二人は法律の安楽死の基準を満たしていた。しかし、子供は違った。幼い子供は尊厳死が求められていた。尊厳死とは
人間の尊厳を守るためのものである。両親は我が子の子供としての尊厳を守るために、ある一つの家庭をこの世から消そうとしていた。
国の制定したこの制度はある産業を興していた。旅行業者が安楽死の前に豪華な旅行をするプランを立て、それが人気となっていた。先が完全に見えた今、人生最後の楽しみを味わい、宵越しの金を捨てる決意をした人たちの需要を得たのだ。支払いは残った家族が保険金で支払う構造になっていた。しばらく後に保険業者が仕組みを改定するが、あの若い家族は幸いにもその変更前に旅行に行くことに成功していた。保険の受取人は業者になっていた。
家族は楽しんだ。これまでにない体験や豪勢な食事、そして最高級のベッドで夜を明かしていた。このまま時間が止まればいいのに、と妻がこぼすと、旦那は微笑んだまま夕日に目を向け、子供を抱きかかえた。
その日は少しばかり雲が多かった。病院のベッドの上には家族がいた。両親はまぶたが腫れている。わかっていたことではあるが、人間の本能が寂しさを心の底から湧き上がらせていた。日の光が雲の隙間から見え始め、やがて点滴が全員の右腕に打たれた。医師の判断が宣言されたこの日、太陽はこの家族の影を作るだけだった。