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至高の劇毒  作者: 北極星
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 新月の夜は星明かりだけが頼りになる。深い闇に支配され、足音や気配を探れてもその姿を実際に見ることは難しい。だが、それはあくまでも屋外での話。屋内であれば灯火が一室に明かりをもたらし、心を安らげる。

「若様。真におめでとうございます。ささ、酒は無理でも茶にて祝杯を……」

「うむ。早よう私もお主と酒を飲めるようになりたいものよ」

 少年が無邪気に笑みを浮かべると頭を下げながら茶を淹れる者も自ずと笑顔になる。薄汚れた世界に生きる大人でもやはり子供のような存在は室内の明かり同様に心の安らぎとなるのだろう。

「さ、御一服」

「うむ。では頂こう」

 少年は素早く淹れられた茶の入っている碗を手に取る。

「如何でございましょう?」

「うむ……」

 味を確かめようとさらに碗を傾ける少年から視線を逸らすと、茶を淹れた者は仮面の裏に隠していた歪な笑みを露わにした。

 同時に茶碗が傾き、茶碗を持っていた少年の体が大きく揺れた。音を立てて倒れると苦しそうにもがいて相対していた者に小さな手を伸ばす。しかし、表情を変えずに立ち上がるとそのまま部屋を去ってしまった。少年は叫びたくても叫べずにただ苦しさから体をよじらせるだけ。そして、二度と起きあがれずに呆気なく口から血を流して息を引き取った。

「『お主と酒が飲めるようになりたい』……残念だが、こちらにはそのような願いなど露程も無いのだよ」

 男は廊下を悠然と歩き、すれ違う者達に笑みを浮かべて答える。そのまま自室に戻ると待機していた者に冷たい声で指示を下す。

「あれを片付けろ」

「はっ」

 待機していた者は静かに部屋を出て行った。入れ違いで毒を盛った男、宇喜多(うきた)直家(なおいえ)は悠然と座り込む。疲れたように大きく息を吐くと口元を三日月形にして低く笑い始めた。

多くの人を暗殺してきたが、今日ほど愉快な気分になった日は無い。

 先程、毒殺したのはかつて主と頭を下げていた浦上家(うらがみけ)久松(ひさまつ)(まる)。まだ十にも満たない子供だ。直家は久松丸と大叔父である浦上宗景(うらがみむねかげ)と対立していたが、以前に謀反を起こし、失敗したことがある。それが理由で宇喜多家は土台がしっかりしていなかった為、謀反を企てようにも何か大義名分が必要だった。

 そこで直家は久松丸に目を付け、浦上家の正当な当主として擁立し、浦上から圧迫を受けていた国人衆の支持を集めた。宗景を追い出した直家は戦略通り久松丸を擁立することに成功した。

 しかし、直家の目的は備前の大名になること。その野望に浦上家の存在は最も邪魔である。そこで居城の岡山城に招き、久松丸を殺し、浦上家をほぼ滅亡までに追い込んだ。

 今日、全ての戦略が上手くいき、宇喜多は晴れて一国の領主となったのである。これを喜ばずにはいられない。

「兄上、忠家でございます」

「入れ」

忠家は少し遠慮がちに入ってきた。直家は機嫌の良さをそのままに邪な感情を含んだ笑みのまま近くに寄って座るように手招く。

「これで備前は我らがもの。されど、良しとしない者も多くおろう。これよりはさらに働いてもらう」

「……はっ」

「どうした? 顔色が優れぬぞ」

 気のせいかもしれないが、忠家の体が少し震えているようにも見える。

「いえ……兄上の動きの速さに驚愕しているのでございます」

 顔を覗こうとした為か、忠家は大丈夫だと首を横に振りながら距離を取る。構わずに直家は顔を近付ける。蠟燭の明かりが暗いのか、顔色を読み取ることが出来ない。もう少しと思いさらに距離を詰めるが、向こうが身を引いて近過ぎると示してきたことで我に返った。

「驚く暇は無い。今は急ぐことが肝要。良いな?」

「は、はっ!」

 直家が目の笑っていない笑みを浮かべて言うと忠家は慌てて頭を垂れて部屋から出て行った。

「今少し話すべきことがあったが、まぁ良いか……」

 襖が閉められると直家は部屋中に響き渡るほどの溜め息を吐く。そのまま蝋燭を消して月明りで一杯やりたいと思ったが、今宵の月を思い出し、もう一度溜め息を吐いた。

「酒が不味くなりそうだ……」

 隙間風に蝋燭の火と杯に注いだ酒の面を揺れた。

「されど、祝わずにはおれぬ」

 直家は杯を高く掲げ、一気に飲み干した。

廊下を出た忠家は息づかい荒く、早足で移動していた。夜も深い為、時折すれ違う見張りの者以外誰もいない。

「逃げることしか能の無い弟。か……」

 宇喜多がここまで大きくなれたのは直家の知謀によるところが大きい。直家に代わって宇喜多軍の総大将を見事に務め上げるなど忠家も決して愚かではないが、兄弟が故にくっついてきただけと思っている為、どうしても己を卑下したくなるのだ。

直家の部屋が見えなくなってから心を落ち着かせるように深呼吸を繰り返すが、忠家の心は全く落ち着かず、動悸が全く収まらない。 

 忠家は何かに追い詰められているような切迫した気分でありつつ部屋が見えなくなったことによる安心感も生まれ、歩く速さも落ち着いて来た。懐に忍ばせている小刀を強く握り締めているところを見れば本心は誰にでも分かってしまうが、本能的なもので自身でも気付いていない。

 部屋に辿り着くまでは何事もなかった。襖に手をかけると一つ息を吐いて素早く中に入る。誰もいないことを確認すると緊張感から解放され、額から汗が出てきた。部屋の真ん中まで蛇行しながら辿り着くと倒れるようにうつぶせになる。敷かれていた布団が気疲れのたまっている忠家を睡眠へと誘った。

 

 天正三年、宇喜多は浦上家を滅ぼし、備前国の大名となった。


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