向かう先は
●2章
気づいたら国境を越えていたらしい。柔和な雰囲気の青年、ケヴィン・マヌスーンは溜息をついた。赤みが濃い茶髪に、同じ色の瞳。黒いコートに大きなリュック。腰にはナイフ。旅支度と軽く武装をした、どこにでもいそうな青年だった。
仲間と決めた目的地は、今来た道、スクリプス同盟国の領地だ。今から国境を越えて戻っても、道筋に宿はなかった。いくら獣人のケヴィンでも野宿はごめんだ。
「……ま、こっちのほうが興味あったし」
「啓示の情報を教えてもらう代わりに、手助けを指定されたのはスクリプス同盟国の反乱のほうだぞ」
ケヴィンの少し後ろを歩く金髪碧眼、見目麗しいエルフの男、ケンプが美しい顔をしかめて忌々しそうに呟いた。ケヴィンはそれを聞かなかったことにして、歩を速める。ケンプは小さい肩下げカバンしか持っていない。旅支度というには軽装すぎるほどだが、それを見咎める者は、いない。エルフという種族は、この国でも忌避されるものらしい。人知れずケヴィンは息を吐いた。
正直、ケヴィンは同盟国の内紛に興味がなかった。代わりにケヴィンの興味を強く引いたのは、神聖国ヴァリアーニ。
啓示、ケヴィンと同じ存在を神と崇める国。そして、元来存在する土地神を崇める国。二つの信仰が存在する国。
その矛盾はどこから生じたのか、人々はそれに疑問を抱いてないのか。人を神と崇めて疑問を抱かないのか。
わざと旅の仲間とはぐれたつもりだったが、目ざとく後をついてきたのは後ろで仏頂面をしているケンプだ。はぐれた二人は今頃、ケヴィンの独断に腹を立てている頃かも知れない。そういう二人だ。
ケンプと合流する前に、途中で旅支度をした親子連れと会った。道に迷いかけたケヴィンと都合よく会ったのは、五十代の母親と二十代の娘。母はフィリア、娘はシーラと名乗った。
土地勘もないケヴィンは幸いと、首都に向かうという二人に護衛を申し出た。傭兵として各地を巡っている、と得物を示して説明すれば、ケヴィンの元来の人好きする性質も手伝ってすぐに二人と打ち解けた。
特に娘のシーラのほうは一目でケヴィンを気に入ったらしく、あれこれと質問攻めにしてきた。
が、そのあとのケンプの登場がまずかったらしい。エルフというあまり人前にでない珍しい種族も相まって、─ケンプの愛想の悪さも手伝い─、シーラはヘソを曲げ、母のフィリアは不信感をあらわにした。
まずいと思ってケンプを無視して、何とか母子をとりなしたが肝が冷えた。いつもの笑顔を崩さぬまま、ケヴィンは内心ケンプに舌打ちをした。
「ケヴィンさんは、首都へはどのような用事で?」
機嫌を直したシーラがケヴィンに聞いてきた。
「歴史的建造物をみる旅をしています。ヴァリアーニの大聖堂はとても素晴らしいと塔下街で聞いたので、ぜひ見ておきたいと思って」
「まあ、私たちも塔下街からきたのですよ」
フィリアが愛想良く答える。
ケヴィンの言っていることは、あながち全て嘘というわけでもない。
此処に来るまでにも、歴史のある古い建物や街並みを幾つか目にしてきた。
啓示の塔、啓示騎士団の本拠地、塔下街の街並み。時には、樹齢1000年と謂われる樹木さえ。そそられるものばかりだった。歴史の浅いアーマニスクにはない、数百年と刻まれた歴史はそれだけで見応えがあるものだ。
「大聖堂に行ってお祈りは捧げないの?」
シーラがケヴィンの顔を覗き込んでくる。人好きする可愛らしい顔の女性だ。表情もころころ変わり、ケヴィンもシーラに悪い感情は持たなかった。
ケヴィンは一瞬、考えたふりをした。はぐらかせるものならと思うが、デリケートな問題だ。慎重に答えなければならない。信仰篤いヴァリアーニの領地で「神などいない」とは口が裂けても言えない。
黙っていたケヴィンに、シーラは首を傾げて眉を寄せた。行動がいちいち小動物のようだ。
「同盟国のように、竜信仰をしているの?」
「竜信仰?」
「ええ。同盟国の人は、啓示ではなく、古くからの土地神である竜を信仰しているらしいんです」
それだ。
内心叫びそうになるのをケヴィンは堪えた。ケヴィンが知りたいもうひとつの信仰だ。
「聞いたことがないですね。それはまだ根強く信じられているのですか?」
ケヴィンが興味を示したのが嬉しかったのか、シーラは続ける。話がすり替わったのは、丁度いい。
「ヴァリアーニでも、昔は土地神を信仰する地域があったそうです。今、啓示を否定している人たちは、そういう昔ながらの土地神を信仰する人が多いみたいですよ」
「神様はひとりで十分ですからね」
「ケヴィンさんもそう思います?」
ケヴィンが放った言葉の真意を額面通りに受け取り、何が嬉しいのか、シーラはケヴィンの手をとって握ってきた。笑いかけられれば、微笑み返す。ルーチンワークをこなしながら、ケヴィンの思考は土地神のことにいっていた。
「ああ、見えてきましたよ。あれが首都、ヴァリアーニです」
母フィリアがそう言って指差した先には、遠目からでもわかる大聖堂と呼ばれるに相応しい存在感を放つ巨大な建物が、都市の中心に建っていた。
「……すごい」
自然とケヴィンの口から溜息と共に漏れた。景色などでめったに感動しないケヴィンにとって、年月を重ねた建物と都市群は、まさに初めて見るものだった。
都市自体はまだ小粒くらいで、ケヴィンが両手で輪を作れば覆えてしまえるほどだが、大聖堂だけはくっきりはっきりと見えた。
「さ、あと少しよ」
「ヴァリアーニについたら、お別れなのね」
シーラが呟きながら俯いた。ケヴィンはそれに曖昧に笑って、空気となっていた後ろを歩くケンプを振り返った。
「ケンプ、もう少しだってさ」
ケンプから言葉はなく、仏頂面が頷いただけだった。
ケヴィンの興味は、もう目の前にある大聖堂のみ。