表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/7

命令

●1章

 夕食の後、諜報隊の者に黒髪黒目の短髪の男、アシエト・リービングスターは呼び出された。

 呼び出し先は塔下とうか騎士長ガストン・オムエース。ガストンは齢16歳で騎士長になったが、27歳のアシエトとは一回り違う。少年に顎で使われるのは、最初は慣れなかったが、ガストン元来の図々しさとアシエトの諦めの速さでどうにかなった。

 騎士長であるガストンがアシエトに個人的に頼み事をするのは、よくあることだ。が、それはアシエトの相棒、アータルも同じことだ。普通は二人一緒に呼び出される。

 アータルはアシエトの相棒で、騎兵隊の隊長を務めている。騎士になる前からの相棒。年の頃は20歳だが、恐らくアシエトより年上なはずだ。赤毛の長髪を揺らす美貌は、悔しいがアシエトよりずっと女の目に止まる。

 どちらか一人の時は、いつもと違う。

 ガストンの部屋へ向かう途中、相棒と合流することがないまま部屋の前に到着した時点で、アシエトは嫌な予感がぬぐえなかった。

 折悪く、アシエトはすでに酒を飲んでいた。程よく酒が回っている。一人で飲むのはよくあることだ。

 折角のいい気分を、恐らくこの後ガストンに最悪かそれに近い気分に突き落とされるのだ。アシエトのそういう勘だけは当たる。

 ノックもせずに、少し乱暴に部屋の扉を開ける。その姿を、ガストンは一瞥しただけですぐに手元の書類に視線を落とした。部屋の中央に置かれた机と椅子にガストンは堂々と座っていた。こういういい加減にいい加減なところは、お互い心得ている。アータルがいれば、体罰とともに咎めの言葉があるだろうが。

「座って」

 ガストンも慣れたもので、気にも留めない。

 ガストンの一挙一動を外さないようにとアシエトは横目に入れながら移動する。明るい茶髪に、太陽の瞳。少し団子っ鼻になっているのが特徴の少年。常にスカしたような視線を周囲に巻いており、本心は知れず。喜怒哀楽は察しにくいタイプだ。

 相変わらずの書類と、慣れない左手での書き物に格闘している姿は、もういつものガストンだった。

 座るもの、とアシエトは部屋を見回すが、それらしいものはない。とりあえず部屋の隅に置かれたベッドの近くに向かう。整えられたベッドに遠慮なく腰掛けると、ガストンはやっと顔を上げた。ハネの強い明茶髪がぴょんと揺れる。それだけ見れば可愛いものだ。

「行ってほしいところがある」

 行ってほしいところ。

 その行き先に心当たりがあった。アシエトは咄嗟にガストンから視線を外す。ベッド脇のサイドテーブルに置かれた書類を見る。書類に書かれたガストンのサインはガタガタに揺れていた。以前のサインと比べると別物だが、昼間見た時よりは形になっている。はっきりとした形になるまでに、そう時間はかからないだろう。

「……どこに」

 ガストンから視線を逸らしたまま、問いかけにもならない小さな呟きを漏らすアシエト。

 そうでもしなければ、ガストンの威圧感に気圧されて、いつもの調子で二つ返事で了承してしまいそうだった。己の従順な習性に吐き気がする。

 本当は? 当然だ、行きたくない。

 耳を塞いで聞きたくなかった。

 子供じみた行動をぐっと堪える。

 今後のガストンの進行予定は、決まっていた。

 スクリプス同盟国に赴き、レジスタンスの手助けをし現盟主を打ち倒す。

 そうでなければ、塔下街に帰還。

 そして、あと一つの予定。

 アシエトが最も聞きたくない場所。原点、原因。

「ヴァリアーニへ」

 ガストンの口から紡がれる単語。

 ぎり、とアシエトの心臓が軋む。フラッシュバックする記憶。

 吐き気を催す。記憶が、呼び起こすのを拒否する。トラウマ。


 半分のひと。

 思い出したくない記憶、見たくない景色。

 たすけて、と動く唇。

 黒い赤。濁った赤。濁った瞳。肉を叩く感触。


 アシエトの体に残っていた程よい気持ち良さは一瞬で醒めた。

「……ッ……」

 さっき食べたものが逆流してきそうになるのを、アシエトは飲み込む。堪える。今はいい、後で思う存分吐き出せば。

 アシエトは、ガストンが静かにこちらを眺めているのを感じていた。その太陽の瞳から感情を読み取ることは、アシエトにはできなかった。

 この少年が命令を下す時、人情というものを垣間見た瞬間はない。

「ヴァリアーニも人道に憚ることをしているようだ。数年前に一度噂が立ち消えたみたいだけど、最近また動きが怪しい」

 数年前に立ち消えた噂。ガストンの言う意味することは、つまり“お前の動きは調べてある”ということだ。アシエトも本名で動き回っているのも事実で、ヴァリアーニに突き出されたとして、アシエトに異議を唱える資格はない。

「……それで、俺にどうしろと」

「事態の収拾」

「上級騎士に見つかった途端捕まるぞ」

「変装は得意でしょ? 手配されているのは、白髪に二刀流、全身、及び舌に紋章が刻まれた成人の男。……それに、今の顔なら一瞬見ただけじゃわからないよ」

 折よく顔に刻まれた傷に触れる。普通の回復魔法や薬草では治らないソレは、ガストンからの言わば呪いだった。

 アシエトの逃げ道などない。しかし。いつかは決着をつけに戻らなければ、とアシエトも考えていた。それが今、傷も塞がらない今この瞬間であるだけで。

(断ち切るべきだ。過去は)

 腹はくくった。震える手を握りしめて、ガストンを見据える。太陽の瞳が見つめ返してきた。

「わかった」

「後で僕も行くよ」

「……お前が直接?」

 驚いて聞き返す。ニヤっとガストンの悪い笑みが一瞬刻まれた。それは瞬きする間に消えて。

「友好を築くために」

 うやうやしく両手を掲げ、爽やかな笑顔を浮かべるガストンの姿は、知らない者が見れば敬虔な信者であると思っただろうが。残念ながらアシエトは知る者。

 その姿はさながら、敵地を粉々にするために赴く悪魔の姿だった。


 それに。スクリプス同盟国の準備で忙しいガストンのこと、わざわざヴァリアーニにも直接手を回すつもりなのだろうか。どちらかと言えば、大切な局面を迎えているのは同盟国のほうだ。

 一度に欲張りすぎでは、と一瞬アシエトの脳裏に過った。塔下街も、いつどちらの国に攻められるかわかったものではない。

 変装の得意な諜報隊の隊長も、さすがに年齢差のあるガストンの変装はできない。ガストンに影武者は存在しないのだ。

「お前がわざわざヴァリアーニに向かうほどのことか?」

「早く集中したいのはスクリプスのほうだから。後顧の憂いはなんとやら、でしょ?」

「……そうか。あんまり無茶すんなよ」

 ガストンから視線を外し、アシエトは窓の外へ視線を投げた。室内の空気とは裏腹に、遠くのほうから宴会の声が聞こえた。それに紛れて、ガストンでもアシエトのものでもない笑い声が聞こえた気がして、アシエトは部屋の中を見回す。

 ガストンとアシエト以外、人影はない。潜むような場所もなかった。もちろん、アシエトは気配も探ったがそれもなかった。

 それを受けたガストンが、書類を手に取りながら投げやりに言う。

「ヤウスさんだよ」

「………………」

 ガストンの影にヤウスあり。

 ヤウス・サンチェス。諜報隊隊長。変装の達人。気配を探れなくて当然だ。向こうはそれが仕事なのだから。年齢不詳という点では、アシエトの相棒、アータルといい勝負をしている。アシエトはほとんど会ったことはないが、油断ならない相手というのは印象に残っている。

「いいセリフを聞いてしまいましたねぇ」

 楽しそうな声が響く。

 アシエトは身を捩って顔だけ真っ赤に染めた。聞かれたくない、一番聞かれたくない人に聞かれた。

 諜報隊に秘密を握られることは、別段珍しいことではない。秘密を握られ、ガストンに報告され、給料を差し引かれることも珍しくない。失言が多いアシエトは、特に。

「……おお、おぉ……」

「ヤウスさん、それで勘弁してあげて。これから過酷な過去と向き合ってくるらしいから」

「はい」

 楽しそうなヤウスの声を背中に受けつつ、アシエトは逃げるようにガストンの部屋を後にした。

 これから旅支度をしなければならない。頭の痛いことは多くあるが、まずは目の前のことから片付けねばとアシエトは気持ちを切り替えた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ