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其ノ三

 辰次郎の使いは、半造という小柄な若者だった。右眉の上にある大きな黒子が特徴的だ。

 お鈴は返された柘植の櫛を髪に挿すと、権蔵にだけ妖しく笑んで送り出した。


 夜道を先導されて四半時も歩くと、船着き場の番屋に招き入れられた。

 てっきり賭場に案内されると思っていた権蔵は、若い衆が数人花札に興じているだけの健全な室内に肩透かしを食らった。


「――親分、お連れしやした」


「おう」


 奥の間に通された権蔵は、一升瓶から湯飲みに手酌している大柄な男の前に腰を下ろした。


「わざわざすまねぇな。アンタが源さんかい」


「へぇ」


「ま、一杯やってくれ」


 四十代後半とおぼしき辰次郎は、エラの張った大きな顔でニカッと笑った。

 浅黒く日焼けした肌は、やや油焼けしたように額の辺りが光っている。

 差し出された湯飲みを受け取ると、辰次郎はなみなみと注いだ。


「いただきやす」


 短く言い置いて、権蔵は掌に余る大きめな湯飲みをグイっと一息に飲み干した。


「いい飲みっぷりだ」


 辰次郎は空いた湯飲みを再び満たし、一升瓶を置いた。一口付けて、権蔵も酒を置く。

 酒を馳走に来た訳ではない。そろそろ仕事の話が聞きたい。


「それで……年頃の『娘』がいるんですかい?」


 狙い目の土蔵があるのか――権蔵の問いに辰次郎は口元を歪めて首を振った。


「源さん、実はアンタに頼みたい仕事は『娘』のことじゃねぇんだ」


 チビリと湯飲みに分厚い唇を近づける。


「お鈴から聞いたかもしれねぇが、俺は賭場を仕切っている」


「……へぇ」


「それなりに儲けもあるんだが、それを預けて置く場所がなぁ……恥ずかしい話、安心できねぇんだ」


 少し話が見えてきた。権蔵は無言で頷いた。


「七、八寸くらいでいい。ちょっとばかしじゃ開かねぇ造りの錠前をこしらえてくれねぇか」


「開ける手順がややこしい方がいいんで?」


 権蔵の問いに辰次郎は、うーんと腕を組んでから、


「面倒なのは困るな。俺ァ、賢くねぇからなぁ!」


 ガハハと豪快に笑い飛ばした。


「それじゃあ――鍵穴がなかなか見つからないカラクリ錠ってのはどうです?」


「おう、そりゃあ面白れぇ!」


 辰次郎は膝を叩いて、ニヤリと黄色い歯を覗かせた。それから懐から胴巻きを取り出すと、黄金色の小判を十枚取り出した。


「これで――こしらえてもらえるかい?」


 材料代を差っ引いても充分な額だ。権蔵は頷いた。


「少し時間はかかりやすぜ」


「構わねぇが……年が変わるかい?」


「いえ……今年中には仕上げやしょう」


「よし、決まりだ」


 畳の上に置いた小判を、辰次郎はグイと権蔵の前に押し出した。


「……いただきやす」


 金子を掴んで、ちょいと頭を下げる。それを懐にしっかりと仕舞い込む。


「源さん、お鈴の宿にいるのかい?」


 思い出したように、辰次郎は一升瓶の首を握った。湯飲みの中身を空けるように仕草で促す。


「へぇ。ですが、仕事ができる鍛治場を探しやす」


 半分程飲み干して、一息付く。また溢れんばかりに辰次郎は注ぎ足した。


「それには及ばねぇ。アンタが落ち着いて仕事できるよう、馴染みの鍛治屋に話を付けてある。迷惑でなけりゃ、明日にでも半造に案内させるぜ」


「……そりゃあ有難てぇが、いいんで?」


「おうよ、もちろんだ!」


 辰次郎は親切面して豪快に笑ったが、権蔵は言葉通りに受けていなかった。自分が支度金だけ受け取ってトンズラしないよう、手の内に置いておこうという意図に違いない。


「――辰次郎親分」


「うん?」


「俺の腕前も確かめず、こんな大仕事を任せていいんですかい?」


 自分のペースで、ちみりと喉を湿らせる。辰次郎もまた、湯飲みを傾けていた。


「――お鈴がなぁ」


 ひた、と品定めでもするような明け透けな眼差しで、辰次郎は下品にニタリと笑う。


「アンタをベタ誉めしてるんだ。仕事の腕も間違いねぇってな」


 権蔵はドキリとした。

 お鈴はどこまで辰次郎に話しているのだろう。彼女が自分の手を職人の手だと言い当てたのは、明け方の布団の中での夜伽話だった。


「あれでも、アイツの目は確かだ。頼むぜ、源さん」


「……へぇ」


 平静を装って、湯飲みの残り酒を空ける。

 秘めた時間の寝物語は口外しないのが、女郎宿での暗黙の決まりだ。

 しかし――お鈴が辰次郎に通じている以上、秘密裡に情報を流している可能性は大いにある。権蔵が新しく開いた店を探していることも、彼女はバラしたのだろうか。


 ――今は、派手に動かねぇ方が良さそうだ。


 裏稼業の仕事師としての勘が、警戒を促している。

 権蔵は、素直に従うことにした。


 半造に送られて一度は女郎宿に戻った権蔵だったが、明けて翌日の夕刻には、辰次郎が寄越した迎えの篭に乗ってお鈴の元を離れたのだった。


-*-*-*-


 辰次郎が用意した鍛治場は、徳三郎とくさぶろうという白髪頭の爺さんが、独りで住んでいる寂れた工場こうばだった。

 鍛治場は、一から掃除が必要だったし、炉にはもう何年も火が入っていないことが、権蔵の目には明らかだ。


「辰の字に聞いてらぁ。どこでも好きに使っとくれ」


 かつては腕のいい職人だったに違いない徳爺さんは、今では酒と博打で生きていた。

 篭を降りた権蔵をつまらなそうに一瞥し、挨拶もそこそこに、縁側で一升瓶からチビチビと酒をすすっている。

 恐らく、辰次郎から権蔵の預かり賃として渡された酒なのだろう。

 震える手で、縁の欠けた安茶碗に移しては、旨そうに舐めている。


「へぇ。しばらく厄介になりやす」


 変に活気ある鍛治場より気兼ねなく、仕事に集中出来そうだ。

 権蔵は空き部屋の一つを片付けたが、渇いた埃っぽさがどうも鼻に付いた。


 ――これじゃあ、河原のお堂暮らしと変わんねぇなぁ。


 苦笑いして、この夜は諦めることにする。

 明日、辰次郎親分に話を通して、畳替えを頼むとしよう。

 錠前の材料の鉄や工具も入り用だ。当分、錠前造りに掛かりきりになるだろう。


 女の肌のない夜は寂しいが、しばらく節操を保つとするか。


 夜虫のリーという呼び合いを聞きながら、自分の腕枕で横になる。開け放した障子の向こうの薄闇に沈む庭を眺めていたが、月の姿を拝む前に眠りに落ちた。


-*-*-*-


「馬鹿野郎! ちゃんと片付けておけって言ったろうが!」


 辰次郎の子分の男達が三人、徳爺さんの家に来たのは、翌日の昼過ぎのことだ。


 権蔵が畳替えを頼みに行こうか、と考えながら井戸水で顔を洗っていると、母屋から怒鳴り声が飛んできた。


「……何事ですかい?」


 手拭いで顔や手を拭きながら庭を回ると、二十代半ばくらいの男達が一斉に振り向いて頭を下げた。


「すいやせん、源さん」


「親分に、きちんと片付けておくように言いつかっていたんですが……」


「この爺さん、支度金を全部飲んじまって」


 いかつい男達が眉尻を下げて口々に言い訳をした。


 ははぁ、事情が飲み込めた。

 辰次郎に取って権蔵は客人だ。紹介した家の内外を片付けておくための支度金を、親分はしっかり渡してあったのだろう。それを徳爺さんは酒に代え、全部飲んでしまった訳だ。


「親分の顔に泥塗りやがって!」


 男達の一人は半造だった。彼は土間で尻餅を付いている徳爺さんの背中を足蹴にした。


「まぁ、待ってくだせぇ。徳三郎さんから見りゃあ、俺は居候だ。どこの馬の骨とも知れねぇモンに、大切な工場を使わせてくれる。いわば俺には恩人ってもんだ」


 徳爺さんを囲む男達に近づき、権蔵は頭を垂れた。


「だが、この有り様じゃあ仕事になんねぇ。すまねぇが、畳だけでも替えてもらえやせんか?」


「おいおい、止めてくれよ、源さん!」


 茶色い縞模様の着物姿の背の高い男が慌てる。

 残りの二人も動揺している。そりゃそうだ。客人に頭を下げられたとあっては、親分の立つ瀬がない。


 権蔵はその後の展開を見越していた。


 そして案の定、子分達が家の内外を片付け始めた。

 七兵衛しちべえと名乗った長身の男は、三人の子分の中では兄貴分らしく、他の二人を顎で使っていた。

 掃除の間、権蔵は家から閉め出された。客人に手伝わせてはいけないという配慮だろう。

 仕方ないので工具を買いに出歩いた。日が暮れるのを待って、風呂敷包を手に戻ってみると――。


「源さん、お待たせしやした。まずはサッパリしておくんなさい」


 改めて招き入れられた徳爺さんの家は、畳だけでなく、障子も新調されていた。

 工場の埃も綺麗に取り除かれ、風呂まで用意する気の回しようだ。


「有難てぇが……一番風呂は徳三郎さんにやってくれ」


「いや、ワシは……」


 縁側で呆けていた徳爺さんは、突然名を呼ばれて恐縮した。しかし、権蔵が頑として道理を譲らなかったので、結局周囲が折れて収拾がついた。

 爺さんの鼻歌が漏れ聞こえてくる。下手くそな木曽節を耳にしながら、権蔵は工場の使い勝手を確認する。


 ――これなら、図面さえ出来れば、すぐに作業に入れるだろう。


 錠前造りからは、少なくとも五年は離れている。カラクリ錠ともなれば、数える程しか携わっていない。

 当分、充実した日々を送ることになりそうだ。


 開け放した土間に、夜風が草いきれを運んできた。雑草の抜かれた庭は殺風景で風情がない。それでもどこに潜んでいるのか虫の音は、前日に続いて盛況に奏でられている。


 徳爺さんに続いて入った風呂から上がると、母屋から笑い声が聞こえてきた。

 障子を外した欄間から垂らしたよしず越しに、徳爺さんと子分達の姿がある。彼らは花札に興じていた。


「――あっ、源さんも入りやすか」


 権蔵に気づいた子分の一人、小太りの定吉さだきちが大袈裟に手を振った。


「いや、俺は見てますわ」


 よしずをくぐり、新品の井草の匂いがする畳の上に胡座をかいた。前の晩とは雲泥の差だ。


「源さん、この勝負が終わったら、蕎麦でも食いに行きましょうや」


 パチン、と捨て札を鳴らして七兵衛が猪鹿蝶をこしらえる。

 勝ちを確信した得意顔に、権蔵は頷いた。




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