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其ノ十一

 半造に抱えられるように帰宅した権蔵は、敷かれた布団に横になることもなく、畳に崩れた。


 辰次郎親分の船場に戻らなくてはならない半造は、徳爺さんに一声掛けて、帰っていった。


 独りになった権蔵は、箪笥にもたれたまま、力なく呆けていた。

 何も考えられない。


 一昨夜、肌を合わせた愛しい女が灰と消えてしまった――など、信じられる筈もない。


 遠くから、明け烏の声が聞こえた。


『権蔵さん、夜が終わる』


 いつかのお香の囁きが聞こえた気がした。

 途端、まなこから、ぼろぼろと滴が溢れた。

 世界は明けて行くのに、権蔵だけが永遠に明けない闇夜に置き去りにされたようだ。


 権蔵は膝を抱えると、おいおいと声を上げて号泣した。


 新月など待たずとも、すぐに浚ってしまえば良かった。

 結局、添い遂げられない定めだったのか――。


『……きっと、こういう巡り合わせだったのだわ』


 腕枕で寄り添ったお香の静かな声が甦る。


 ――そんな訳がない。やっと出会えた、ようやく掴まえたのに。


「……信じられねぇっ」


 涙声が唸る。死に顔も拝めずに喪うなんて。

 そうだ、土蔵が燃えたとは言え、助け出されているかもしれない。嵯峨美屋のどこかで生き延びているのかも――。


「……源さん」


 スッ、と襖が開き、徳爺さんが入ってきた。酒焼けした赤ら顔だが、足取りはしっかりしている。珍しく酔いが抜けているらしい。


「半から聞いた。嵯峨美屋の土蔵を狙ってたんだってな」


 襖を後ろ手に閉め、徳爺さんは権蔵の隣に腰を下ろした。


「半の奴ァ、『よほどのお宝だったらしい』なんて抜かしてやがったが……」


 欄間から差し込む朝日に照らされた泣き顔を見つめて、声を落とす。


「女か」


 一瞬強張った表情が、答えだった。徳爺さんの口元が柔らかくなる。


「へへ……伊達に年食っちゃいねぇよ」


 ポンポンと肩を叩く。権蔵は袖口で顔を拭うが、壊れた瓶のような眼からは、涙は止まらなかった。


「……ざまぁねぇ……」


「気にしなさんな。事情は聞かねぇよ。だが、嵯峨美屋のぼんとは顔見知りだ。こんな爺でも、力になれるかもしれねぇ」


「徳三郎さん……」


 権蔵は、徳爺さんのシワだらけの手を握ると、頭を下げた。

 それから、幼なじみのお香のこと、めしいた彼女の身上を、夫婦を誓った逢瀬の日々を打ち明けた。


「……ひでぇ話だな」


 徳爺さんの声が固い。話ながらも小さく震える権蔵の背を撫でた。


「俺ァ、信じられねぇんで……アイツは『待ってる』って言ってたんでさぁ……」


 畳を濡らす滴の音が静寂を破る。

 襖の向こうから、長閑な雀のさえずりが聞こえていた。土中に潜る前の虫でも探しているのだろうか。


「そうさな、確かめねぇと収まらねぇなあ」


「……確かめる?」


 徳爺さんは思案顔で頷いた。


「半に言って、坊を賭場に誘い出しやしょう。その間に、嵯峨美屋に忍んで探しなせぇ」


 大店がどれだけの女中奉公を抱えているのか分からないが、少なくとも屋敷内に匿うとは考えにくい。

 とうの昔にお香は、世間的には『流行り病で亡くなった』ことになっているのだ。

 だとすれば、もし存命であるなら、彼女がいるのは離れか、もうひとつの土蔵の中だろう。


「ありがてぇ……ですが、徳三郎さん、どうして俺なんかのために」


 赤ら顔をニタリと歪め、徳爺さんは囁いた。


「ワシにも好いた女がいた時分があらぁ……それに、あんたには旨い酒を随分飲ませてもらったんでな」


 権蔵は徳爺さんの手をしっかりと握り直し、頭を下げた。再度畳を濡らしたが、涙の色は違っていた。


-*-*-*-


 午後になって半造が様子を見に来た。

 衝撃と興奮が引いた権蔵は、ぐっすり高いびきをかいていた。


 徳爺さんが饅頭の残りを囲炉裏で炙って頬張りながら、若者を策略に巻き込んだ。


「……てな訳でな、源さんがどうしてもお宝の所在を確かめに入るってぇんで、嵯峨美屋の坊を連れ出して貰いてぇんだよ」


 半造にお香の話は伏せた。この男自身には気のいい所もあるが、なにぶん辰次郎親分が背後にいる。嵯峨美屋の息子を動かすなら、損得勘定を絡めた方が得策だろう。


「昨夜の様子だと、よほどのお宝なんだろうな。爺さん、何か聞いたかい?」


 程好く焦げ目の付いた饅頭を拾い上げると、串から外して半造に渡す。


「あぁ……何でも黄金の茶器がよ、長持一杯に入ってたってぇ話だ」


「へぇ! 黄金ですかい?」


 半造は目を丸くした。


「シッ! 声がでけぇよ」


 大袈裟に口に指を立てて、徳爺さんがたしなめる。思わず、若者は肩をすくめて声を潜めた。


「それにしても、源さんはどこでそんなネタを仕入れたんでやすかね?」


「……へへ、そいつは『蛇の道』ってぇもんよ」


 そう言えば――手にした饅頭をかじりながら、半造はいつか源に買い物に付き合わされた時のことを思い出していた。

 嵯峨美屋の前で足を止めたのは、源だった。景気なんかを色々聞かれたが、あれは噂話の確認か――狙い定めた現場の下見だったのかもしれない。


「黄金の茶器が長持一杯、か……一度、拝んでみてえもんだ」


 熱せられた餡を口中でハフハフ冷ましながら、想像に感嘆する。


「ちげぇねぇ」


 徳爺さんがしみじみと同意して、珍しく茶なんかすすった。


「それじゃ、親分に話して、今夜早速、嵯峨美屋を引っ張り出しやしょう」


「ああ。ワシも顔出すでな、いつもの盆でいいか?」


 『盆』とは賭場を指す隠語だ。頷きかけた半造は、ちょっと考えて首を振った。


「いや、常盆じゃねぇから変わるかもしれねぇ。俺が呼びに来やすぜ」


「すまねぇな」


 饅頭を飲み込むと、半造は辰次郎の船場に取って返した。


 あの傾きかけた嵯峨美屋が、そんなお宝を隠していたとは。

 いつもカモられながら、それでも博打に興じてきたのは、いざと言う時の虎の子を隠していたからなのか。

 半造の報告を聞いた辰次郎親分は、しばらく腕組みしていたが、やおらニヤリと唇を歪めると


「面白れぇ」


 低く呟いて、七兵衛達を呼び、臨時の盆を敷くように指示を出した。


「半造! おめぇは、源を見張れ」


「へぃっ!」


「お宝話が本当なら――嵯峨美屋め、なめたマネしやがって! 徹底的にむしってやらぁ!」


 『雷の辰』の異名の如く、辰次郎は猛々しく怒号を轟かせた。

 子分達は皆、久々に縮み上がって、蜘蛛の子のように各々の持ち場に散っていった。


-*-*-*-


 更けて戌の刻(夜八時頃)。半造と定吉が連れ立って現れ、定吉だけが徳爺さんを賭場に送って行った。


「昨夜は、世話かけやした」


 黒に近い紺色の着物姿の半造に、深い焦げ茶の着物をまとった権蔵が頭を下げた。

 二人は徳爺さんの家を出て、夜鷹蕎麦の屋台に並んで腰かけている。

 嵯峨美屋の息子が出掛ける頃合いを見計らって、深夜に忍び込む予定だ。それまで、腹ごしらえの蕎麦をやっつけに来た。


「源さん、爺さんに言った話――本当なんですかい?」


 ズズッと熱い蕎麦をすすり、半造は上目遣いで隣の男を見た。


「ええ」


「まだ――あすこにあると思いやすか?」


「それを確かめに来たんですぜ」


 権蔵は短く答えて蕎麦をすする。夜鷹蕎麦の親父は、客達の会話に加わるような野暮はしないが、目と耳はある。警戒するに越したことはない。


「言っときやすが、今夜は確かめるだけですぜ」


「へぇ……合点で」


 不穏な会話だ。権蔵は親父に蒲鉾を二枚頼み、半造と一枚ずつつついた。


 蕎麦屋で時間を潰した二人は、亥の刻まで待って屋台を出ると、掘り沿いの裏道をゆっくり歩いた。


 やがて、嵯峨美屋の裏に着いた。闇夜の中、辺りを伺って、権蔵はスルリと塀を乗り越えた。

 慣れた動きに半造はハッとする。一回り近く年上と思っていた権蔵は、意外に身のこなしが軽い。

 塀の向こうから手招きの合図に促され、慌てて自分も塀を越えた。


「付いてくるなら、集中してくだせぇ」


 鋭く諭され、半造は頭を下げた。

 権蔵は構わずに、崩れた土蔵の跡に向かう。白かった壁は炎にすすけ、水を被り、醜く汚れている。

 神仏にすがるつもりはないが、思わず手を合わせた。


 何かの験担ぎか――その姿を不思議に思った半造だが、問わずに瓦礫の山を眺めた。

 金は溶けるが燃え尽きない。もし探しても見つからなければ、まさかこの下を掘り出すなんて言い出しやしまいか。


 そんな心配の間に、権蔵はすでに歩き出していた。裏庭の草木に身を隠しながらぐるりと回る。そこには立派な土蔵が立っていた。

 権蔵は無言で懐から開錠道具を取り出して、動かしていたが、程無く小さな音を立てて錠前が外れた。


 見事なもんだ。思わず感嘆が漏れる。

 権蔵はチラと半造を見遣り、頷いた。彼に続いて土蔵に入る。扉を閉じた暗闇の中で、チカッと火花が見えた。

 瞬きしていると、小さな蝋燭がボゥと灯り、辺りの様子が見えてきた。


「すまねぇが、勝手に動き回らないでくだせぇよ」


 早口でピシャリと釘を刺す。光源の無い半造は、従うしかない。ぼんやりとした仄かな光と権蔵が、床の長持を避けて、器用に蔵の中を歩き回っている。時折、灯りが上下しているのは、長持の中を調べているに違いない。


 待つ身が感じる時間は長い。四半時も立ち尽くしていた半造が、しびれを切らし掛けた時、


「ここには、ありやせん」


 落胆した権蔵の声が奥から聞こえた。


「それから……」


 灯りと共に移動してきた権蔵は、一層声を低くした。


「この蔵の中の茶器や焼き物は、偽物ですぜ」


「……贋作ってことで?」


 若者の背にじわりと嫌な汗が浮かぶ。

 権蔵の眉間のシワが深くなった。


「いや、箱は立派だが、中身は二束三文のクズばかりだ。ここの息子が、博打の元手にしたのか、借金に充てたのか……どのみち金子に変えたんでしょうな」


 半造は青くなった。


「親分は、この蔵の中身を担保あてに金を貸してるんですぜ」


「目当てのお宝の形跡もない。あるとすれば、人目に付かない離れだ」


「行きやしょう、源さん」


 権蔵は頷いた。手元の蝋燭を吹き消すと、二人は土蔵を出た。外していた錠前を元通りにはめると、屋敷の離れに向かった。


 月の遅い闇夜。裏庭の草木がサワサワと小さく揺れている。

 大変なことになった。もし黄金のお宝が見つからなければ、辰次郎親分のことだ――嵯峨美屋を殺しかねない。

 自分の不安が滲み出たようなさざめきを横目に捉えながら、半造は焦っていた。




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