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結局、ログナとガルシエはその後、会話らしい会話は一度もすることなく、ウェストバルテ邸外に着いたのは大分薄暗くなってきた頃だった。
大きなお屋敷だ。自分が今までいた教会よりも遥かに大きい。ログナは呆気にとられて、目の前の建物を眺めていた。これが、一個人が持つ家なのか。
「少年、何をしている」
庭先で馬車から降りて、ぼうと突っ立っているログナにガルシエは声をかけ、中に入りなさいと促した。
言われて、我に戻ったログナは彼の後を追う。
屋敷に入ると、その中は華美な装飾や調度品に彩られていて、まるでここだけ別世界のように思えて、頭が痛くなった。外が薄暗かったから、目が強い光に慣れていなかったのだろう。周囲がきらきらと輝いて、とても眩しい。たまらず、ログナは目を瞑った。
「おかえりなさい、お父様」
そんな声が聞こえてくる。鈴を転がすような可憐な声だ。まだ幼い。おそらく、少女だろう。
「ああ、今帰ったよ。ただいま、アリシア」
ガルシエは優し気な口調でその声の主の名を呼んだ。会話から、ガルシエの娘だと分かる。ログナはまだ視界が眩んでいた。
「あら、その方はどなた? お客様かしら」
「ああ、この少年はだね……」
ガルシエは後ろにいたログナを前へ出す。
その頃になって、ようやく目が光に慣れ始めた。ログナは目をこすりながら、前を見る。
そこには──口に手を当てて上品に驚く一人の少女がいた。少しつり上がった気の強そうな目。宝石のようなブルーの瞳を好奇の色に輝かせている。
「わあ、凄いわ、お父様」
彼女の髪は、太陽のように赤みがかった金色。それが照明の光に反射して、輝いたように見えて再びログナの目を眩ませる。
ふんわりとしたドレスを身にまとった、まるで人形のような愛らしい容姿の少女。歳はログナと大して変わらないだろう。
喜びが含まれた声音で彼女は言う。
「この子、まるでスヴェン様みたい!」
誰だ、それは。そうログナは思ったが、しかし、その名前はどこかで聞いたことがあるような気もする。どこであっただろうか。ふと、自身の記憶を遡ろうとすると、
「あっ」
またしても、目の前の少女が驚きの声を上げた。そして次に、ログナに近寄って、彼の胸の辺りを指差す。
「……それって、もしかして……」
彼女の視線は、ログナが抱えている本にあった。
「やっぱりそうだわ! あなたもその本が好きなの?」
騎士が活躍する物語が書かれた本。それに彼女は強い興味を示していた。そこで、ログナは思い出す。
ああ、そうだった。スヴェン──それは、この本に登場する騎士の名前だ。ログナは一度読んではいたが、他にも多くの物語を読んでいて記憶の中に埋もれてしまっていた。そのため、内容はガルシエに説明出来たが、登場人物の名前までは詳しく覚えてはいなかったのだ。
確か、この本は教会に寄付されたものだ。寄付といっても半ば処分を任されたようなものだったが、そんなことは今はどうでもいい。この本は最近、巷で大変人気があり、大勢の人々が目を通しているものらしい。サーシェラが言っていたが、女性の読者には登場人物である騎士に好意を抱いている者もいるとか。ログナには少々理解の難しい世界であった。
スヴェンという名の騎士。物語の中では、彼は風変わりな容姿をしているといった描写があり、それにログナは、どこか親近感が湧いたと記憶している。確か、彼もログナと同じ色の髪と瞳をしていて──
「お父様、この子は、どういう方なの? まるで、物語の中の騎士様みたいだわ」
「そうだな、お前も、もう十歳になる。そろそろ、お前に従者をつけてもいいと思ってな」
見れば、不愛想であった男が、頬を緩めて猫なで声を発していた。
不気味である。そこに、貴族や騎士といった威厳は一欠片も感じない。剣の鬼とさえ謳われたウェストバルテの家の今代当主の顔は見事なまでに、娘の前で弛みきっていた。
思わず、絶句する。
愛娘を溺愛する、親馬鹿の父親がそこにいた。
ここまで来れば、嫌でも分かってしまう。ログナの役目。それは──
「今日から、この少年は、お前の騎士だよ」
──ハリボテの英雄。
目の前の少女が好むような、見掛け倒しの騎士を演じる。
つまりはそういうことだった。