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ウェストバルテといえば、この国で知らぬ者はいない。
──六百年近い歴史を誇るフォルセスカ王国に代々仕える忠臣にして武の名門。そして、ログナが暮らす教会が建つこの地を治める貴族の名でもある。
ウェストバルテ家は、過去に多くの名立たる武人を輩出している。現在、当主を務める目の前の男──ガルシエ・ウェストバルテ、今は現役を退いてはいるが、彼も若き頃は王国騎士として名を馳せていた。その剣技は冴えわたり、見る者を圧倒したという。
その男が、ログナを騎士にするのだといった。
「……そんなの、おかしいです」
サーシェラは、息を詰まらせた。教会の人間の中でログナと最も長く時間を共にした彼女だからこそ、思うのだ。
「この子は、心優しい子です。剣なんて振り回せるような子ではありません」
サーシェラが言ったことは正しい。確かに、ログナは体を動かすのを得意とはしていなかった。他の子供達が、外で木の枝を振り回して騎士の真似事のような遊びをしていても、彼はそれを遠巻きから眺めることはあったが、しかし決してそこにまざろうとはしなかった。単にログナが他の子供達と折り合いが悪かったということもあっただろう。だが、彼は一度としてその光景を羨ましそうに眺めたことはない。
それに、ログナの体格も決して良いと言えるものではない。同年代の子供と比べても彼の身長は、平均をやや下回り、体重も軽めだ。
正直、体が大きくて騎士に向いていそうな子供は、他にいくらでもいる。なのに、なぜログナなのか。彼は、体を動かすより頭を働かせる方が得意なのに。
「シスター、あなたにこの子の道を決める権利はない。身寄りのない不幸な子供が、今、新たな可能性に向けて巣立とうとしているのだ。背中を押すこと、それが君の務めではないかね? 勿論、私は強制はしない。決めるのはこの子だ」
そう言葉を強くしてガルシエは言うが、彼の声音は彼女を威圧していた。
「先ほど彼女とは、君をこちらで引き受けたいという話をしていた。どうだね、少年。君は騎士になる気はないか」
そして、ログナに強制はしないと言っても、言外に強要はしている。
彼は貴族。この地の領主である。
……もしも、断ればどうなるか。
不正を働いた聖職者の時のように、果たして目の前のこの男は証拠を残すような愚を犯すだろうか。そこまで甘い男では決してないだろう。つまり、すべては彼の指先一つ。抗う術はなく、端から選択肢は一つだけ。
「……さようなら、シスター・サーシェラ。今までお世話になりました。それと、ありがとうございます──」
──こんな自分を見放さずにいてくれて。
だからこそ、ログナは彼と共に教会を去ることにしたのだった。
ガルシエに「ついていけばいいのか」と訊いた時点でログナの意思はすでに決まっていたのだから。
母のため、幼い少年は騎士になる決意をしたのだった。