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ねらたま  作者: 春日あきと
第2章「デート?」
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シーン6「パーティにて」

シーン6「パーティにて」



 吹き抜けになった玄関ホールの一階は、すでに大勢の人で賑わっていた。


 一階に近づくほど末広がりになっている大階段がある。


 階上から円は、テラスの手すりに身を潜ませて、そっと顔を半分出して覗いてみた。


 人数はざっと百人近いだろうか。


 それだけの人がいて、ホールのスペースにはまだまだ余裕があった。


 改めて、貴志の屋敷の広さを感じる。


 来賓は『セレブ棟』の学生たちのようだった。


 つまり、皆資産家の子女たちである。


 男はタキシードを優雅に着こなし、女はドレスで清楚に着飾っている。


 パーティは立食形式であるらしく、テーブルの上に出された料理を彼ら彼女らは、たまに思い出したようについっとつまむと、お上品に口に運んでいた。


 ……なるほど。これが社交界ってやつね。


 なんともきらびやかな世界だ。


 ふんふん、と感心して、円は顔を引っ込めた。


 陰に隠れて、ひひひと笑う。


 ……でも、今日の主役はわたしなのよ。


 ここまで案内してくれたサダメは、貴志のところへ円の用意ができたことを伝えに行っていた。会場からの合図があれば、円は姿を現すことになっている。


 その時の会場の反応が、いまから楽しみでしかたがない。


 なぜなら――


 純白のドレスに包まれた自分の格好を見下ろして、円は堪えきれずに、ニヤニヤした。


 円は――美少女である。


 そうなるように努力をしてきた。単純な外見だけの話ではない。


 ちょっとした仕草や癖でさえ、より美しくなるよう日々改善を重ね、磨き上げた。


 結果としての、あの大量のラブレターだ。


 そして貴志に見初められた。


 自分に足りないものがあったとすれば、それは資金だった。


 オシャレはとにかく金がかかる。


 幸い学校という空間では服装は制服に統一されていた。


 コーディネートの余地もなかったわけだ。


 なので、ちょっとした化粧の工夫で円の器量なら十分だった。


 ナンバーワンの座につくことができた。


 けれど……学校外、私服で勝負となると、どうなっていたかわからないところだ。


 服やアクセサリーの力は、おいそれと手が出せない円にとって、驚異だった。


 けれど、今。


 円に死角はない。


 完全無欠とはこのことだ。


「ふふっ、ふふふふふふ……!」


 笑いが止まらない!


 当初思っていた『手に入れたものに貴志はすぐ飽きてしまうのではないか』なんていう心配も、どこかに吹っ飛んだ。


 だって、今の円の姿を目にして虜にならない男がいるはずがないのだから。


 自信過剰かもしれない。けれどこれで駄目なら、もうどうやったって駄目だろう。だったらネガティブになってもしょうがない。


 ……そうよ! わたしは美しい。世界中の、誰よりも!


 今朝の事件から下火になっていた調子が戻ってきた。


 自分の思い通りにことが運ばれるという感触――


 自信に裏打ちされた全能感に、円は酔った。


 ぶるっと身震いする。


 ……さあ、貴志。惚れ直す準備は出来たかしら?


 出番はまだか、ともう一度会場をのぞき込む。


 ――と。


『なんだと!? どういう――』


 キィンとハウリングを伴って、その声は、ホールの各所に設置されていたスピーカーから、ホール中に響いたのだった。


『ああ、失礼。こちらで用意したマイクの電源を入れさせてもらいました。ついでなので皆さんにも聞いてもらいましょう。あとで説明する必要がなくて手っ取り早いですし』


『おまえ!』


「……貴、志?」


 呆然と円はつぶやいた。


 聞こえてきた彼の声には焦りが滲んでいた。


 尋常な事態ではない、と察するにはそれで十分だった。


 あの貴志が焦っている。


 いったいどうしたというのだろう?


 相手の声には聞き覚えがない。


 テラスから身を乗り出すようにして円は素早く階下に視線を走らせた。


 誰もこちらに注意を払っていない。


 来客たちの目線を辿ると、すぐに見つけることができた。


 ホールの一角が、そこだけ輪になっていた。


 輪のなかでは、2人の男が向き合っている。


 1人は貴志だ。


 距離があって表情までは見えないけれど、他のパーティー参加者のタキシードとは明らかに異なる、所々に金ピカの装飾がされた衣装を身に纏っているので、間違いようがない。


 そして、もう1人。


 貴志と違い、こちらは普通のタキシードを着ている。


 ぱっと見、マイクは持っていない。


 小型のマイクを服のどこかに仕込んでいるのかもしれない。


 定規を背中に入れたように姿勢が良く、髪をオールバックにして、四角いフレームの眼鏡をかけている。


 変温動物……爬虫類じみた冷たい印象を持つ男だった。


 眼鏡のブリッジを中指でくいっと押し上げる動作が堂に入っている。


『では改めて、さっきの言葉を繰り返しましょうか。今度はちゃんと理解してくれると嬉しいですね』


『……フン』


『強がったところで意味はないですよ? これはもう決まったことです――お静かに』


 階下のざわめきがぴたりと止んだ。


 静寂。


 けれど、マイクが拾ったノイズがスピーカーからずっと吐き出されていた。


 ザーザーザー、と。


 落ち着かない。


 不快だ。


 嫌な予感がする。


 気づくと、テラスの手すりをつかむ手のひらに、円は汗をかいていた。


『……さっさと言えばいいだろう』


『では遠慮なく』


 コホン、と眼鏡の男はわざとらしい咳払いをした。


 そして――


 円にとって、聞き捨てならない台詞を口にした。


『あなた、鳳凰院貴志は、本日、今この時をもって、鳳凰院家から絶縁されました』


「――え」


 あ然と、掠れた吐息が唇の間からこぼれた。


 え、えっと……つまり?


「え」


 どういうこと?


「え、え?」


 絶縁。


 貴志が?


「え……」


 だから、えー、つまり?


 つまり、だから、だから……


「なによ……なんなのよ! それ!」


 理解が追いつく前に円は飛び出していた。


 ばっと広がるスカートを腰の横で力一杯握りしめながら、三段飛ばしで階段を駆けおりる。


 最後十五段くらいまで来て、大きく跳んだ。


 着地の衝撃は毛足の長い絨毯でも殺しきれなかったようで、ポッキリとヒールが折れる。


 転びそうになるのを勢いに任せて持ち直して、


「どきなさい……!」


 なにごとかと振り向いて、円を見た瞬間に男女の違いなくぽわぁ~んと至福の表情に変わっていく者たちを、ときに突き飛ばしながら進む。


 最終的には人垣に体をねじ込んで、強引に輪のなかへとまろび出た。


 乱れた髪が汗を吸って頬にべったりと張り付く。


 口の中に入った一房をぺっと吐き出す。


「……マドカ?」


 つかつかと歩み寄って円は貴志の胸ぐらをつかみ上げた。


「ぐぇ。な、なにをする! は、離せ!」


「黙れ」


 うなるように言った。


「な……っ」


「いいからわたしの質問に答えなさい」


 ぐいっと下から顔を近づける。


「ぐげ」


「ねぇ、どういうことかしら」


 がくがくと揺さぶる。


「が」


「絶縁てさ。なに? あなた、絶縁されたの? ねぇ、それって、つまり、どういうことかな? ちゃんと説明してくれない? だってわたしの認識ではね、それってあなた鳳凰院じゃなくなるってことでしょ? てことは、なに? 相続権とかもなくなるわけでしょ? つまり金持ちじゃなくなるってわけでしょ? だって絶縁だもの。そうよね? え、違う? 違うんならいいの。うん。違うんなら……わたしの早とちりならそう言って。お願いよ。早く言ってよ。ていうか言いなさい。言え」


「――――」


「ねぇ……あれ? どうして黙ってるのよ。早くなにか言ったらどうなの? ねぇ。ねぇったら」


「えー、お取り込み中のところ恐縮なのですが」


 あン?


「とりあえず離してあげないとしゃべれないと思いますよ?」


「え……あ」


 腕の力を緩める。


 ぐったりと力の抜けた貴志がその場に崩れ落ちた。


 さーっと頭に登っていた血の気が退いていく。


 脳裏を瞬時に、優、吹き矢、という単語がよぎる……いっそ気を失いたい。


 けれど、今回は大丈夫なようだった。


 周囲を見回しても小さなメイドの姿は見えない。


 代わりに目に飛びこんできたのは、自分をぐるりと取り囲んで熱い視線を向けてくる学生たちの姿である。


 立ち尽くす円の前で、眼鏡の男が身をかがめて、貴志の口元に手をやった。


「やれやれ。息はしているようですね」


 と、彼は片膝をついたまま顔をあげてこちらを見て、


「なるほど。あなたが今回の催しの主賓、というわけですか。これは大変申し訳ないことをしました。この通りです」


 うやうやしく整髪料で整えられた頭を下げてくる。


 円が反応に困っている間に彼はすっくと立ち上がった。


 くいっと眼鏡の位置を直してみせる。


「それにしても、あなたも間の悪い人だ。ん、いや……違いますね。むしろ無駄に夢を見ないで済んで、幸運だったじゃないですか?」


 ふっと笑われて円はぴくりと頬を強ばらせた。


「……ど、どういう意味ですか」


「どういうもなにも……そのままの意味ですが? どうせあなたも鳳凰院の資産が目当てだったのでしょう? 違いますか?」


「……」


 下唇をきゅっと噛む。


「ああ、べつにあなたを責める気はないのですよ。同じような人はそれこそ掃いて捨てるほどいますし。それに……なるほど。あなたは美しい」


 男の腕が伸びてきて、顔の前にかかる髪に触れた。


 柔らかい手つきでそっと払ってくる。


「これだけ美しければ兄が引っかかったのも頷けるというものです。まったく、この人もいい加減、懲りていたと思うのですけどね」


 男は眼鏡の奥の目を床に倒れている貴志に向けた。


「え……ア、ニ? え、兄?」


「ええまあ。あまり認めたくない事実ですが」


「……って、ちょっと待って! 彼に兄弟がいるなんて、そんな話、聞いたこと……」


 ええ、と彼はうなずいた。


「それはそうでしょう。今まで秘密にされてましたから」


 私は隠し子ですからね――耳元で囁かれる。


 円は目を見開いた。


「じゃ、じゃあ」


「ええ。あなたの思っている通りですよ。今日はそれを宣言しに来たのです。政財界の大物に連なる方々の集まったこの場は、じつに好都合な舞台ですから。お膳立てには感謝しますよ?」


 すっと彼は円から離れる。


「ま、待って」


 とっさに伸ばした手で円は彼の上着の裾を捕まえた。


「……なるほど。ずいぶんと切り替えの早い人のようだ。ですが、残念ですね。私は惑わされません」


 つかんだ手をぱしっと払いのけられる。


 ……あ。


 今、フラれた? わたし。


 認識した瞬間、比喩ではなく目の前が真っ白になった。


 ふらり、と彼に背を向ける。


「……どいて」


 輪が割れた。開いた道を通り、徐々に早足になってホールの出口に向かう。


 ヒールが折れて歩きづらいったらない。


 ブッ、という音が背後から聞こえた。切られていたマイクの電源が入ったらしい。


『さて、少々予定は狂いましたが、皆さん、先ほど言ったとおりです。鳳凰院貴志は絶縁されました。この男にはもはやなんの価値もない。そしてこれからは、この私が鳳凰院の正統後継者を名乗らせていただきます。いいですか? よく覚えておいてください。あなたたちの頂点に立つことになる、私の名は――』


 バタン、と後ろ手に扉を閉じる。


「……怜一郎、ね」


 上等よ。


 つぶやいた円の声は暗い廊下の先に吸い込まれた。


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