シーン1「わたしはツンデレじゃない」
第2章「デート?」
シーン1「わたしはツンデレじゃない」
鏡の前で円が服装をチェックしていると、ドンドンドン、と寮室のドアが叩かれた。
「桜枝さん! 起きてる!? ねぇ、大変よぉ!」
二段ベッドの上でルルの布団がもぞもぞと動くのを横目にドアへと向かう。ドアを開けると、ひっつめ髪の眼鏡女子が青い顔をして立っていた。
「ええと……寮長。おはようございます。どうしたんです? 血相変えて」
「い、いいいい、いま、いま、いまっ、り、りりりり寮の前にいぃいいっ」
「ちょ、落ち着いてください。まずは深呼吸です。はい、すー、はー」
「すー、はー」
「落ち着きました?」
「え、ええ……」
「それで寮長、なにが大変なんです?」
「それが――」
彼女の語った内容に、円は驚きの表情を浮かべてみせ、その仮面の下でニヤリと笑った。
「よぉ、待ちかねたぞ」
玄関を出たところに貴志がいた。腕組みして、門柱に背をあずけて立っている。
ぎらついたまなざしと数秒見つめ合い、さて……と、円は考える。
遅かれ早かれ、貴志が自分のところに来ることは予測していた。さすがに朝七時に寮の前に現われるとは思っていなかったけれど、これはむしろ嬉しい誤算である。確信があったとはいえ、貴志が円のことを『諦める』という可能性はあった。
ともあれ、こうして出向いてきた以上、貴志の目的は十中八九、円を口説き落とすことだろう。他の誰にできずとも自分にはそれができると思っているのだ。傲慢、と一言で片付けてしまうには、彼にとっては当たり前過ぎる結論……鳳凰院に手に入らぬものはない。
けれど……まだ。
まだまだ、落ちてなんかやるものか。
もっともっと、桜枝円という名をその胸に刻みつけるまで。
ちょっとだってなびいてやらない。
一息、円は口火を切る。
「そんなところにいると変質者と間違われますよ? というか邪魔です。みんな出られなくて困っているじゃないですか」
言って背後のガラス戸に目をやる。
出ようとしてびびって出られず、溜まりに溜まった寮生たちが人だかりを作って、こちらに好奇の視線を向けてきている。
「フン、オレの知ったことか。ここを通りたかったのなら、好きに通ればよかったのだ。あいつら、オレを猛獣かなにかと勘違いしているのではないか?」
「似たようなものでしょう? 自覚ないんです?」
円の皮肉に貴志はククッと喉を震わせた。
「自覚ならあるさ。オレは鳳凰院だからな」
「なるほど、確信犯ですか……」
円が目を細めると、貴志はまたフン、と鼻を鳴らした。
「挨拶はこのへんにしようか。桜枝円。オレがここに来た用件はわかっているだろうな?」
――来た。
「昨日の件でしたら、返事はしたと思いますけど」
冷たく告げる。
「そう、それ。その件だ」
けれど貴志の口調が予想したものと違い、弾んだものだったので円は戸惑った。
……あれ?
「あの、わたし断りましたよね?」
「ん、ああ、そうだな。フフ……まあ、そういうことにしておこうじゃないか。なあ」
「はい? いえ、そういうこともなにも……事実でしょう」
「なに、照れることはない。オレにはわかっている」
……な、なに?
なんともいえない不穏な気配を感じて円は後じさった。
貴志は両腕を左右に広げながら、円が下がったぶんだけ、近づいてくる。
「昨日あれからよく考えてな。考えて考えて、ふいに気づいたのだ。オレがフラれるわけがない、と」
…………。
「…………は?」
思わず素の声をあげてしまう。貴志は気障ったらしく前髪を払う仕草をした。
「いやはや、オレとしたことが当たり前すぎて失念していたぞ。となればだ。昨日からのおまえの態度はすべて照れ隠しということ……フフ、知っているぞ。ツンデレというのだろう?」
「う、え、えええ……?」
ずりずりと円は後ろに下がる。
とん、とガラス戸に背中が当たった。
もう下がれない。
――って。
いやいやいやいや。ちょっと待て。
おかしいから!
もうその思考経路は『鳳凰院だから』で済ませられないレベルだ。
勘違いもはなはだしい。いやある意味すごく核心をついていると言えなくもないのだけれど。なんか違う。ツンデレ? なにそれ。オカネニナルノ?
……ああ、もうっ。
「鳳凰院貴志!」
「なんだ?」
「あなたは間違っています。わたしはツ、ツンデレじゃありません。だから昨日の告白の返事もそのままの意味で受け取ってください。なんて言ったか覚えてます?」
「ごめんなさい。だったか?」
「ええ、そうです。その通りです。つまり返事はノーです。誤解のないようにはっきり言わせてもらいますけどね。わたしは、あなたを、フッたんですよっ」
「なにを言っている」
「え?」
「オレがフラれるわけがないだろう!」
「あなたこそなに言ってんですか!?」
「ふむ……やれやれ。ツンデレの言葉は難しいな」
「だーかーらー」
思わず地団駄を踏んでしまってから、はっ、と後ろを振り向いた。寮生たちの目に困惑が浮かんでいるのを見て取り、円はカッと頬が熱くなるのを感じた。
そんな目で見ないで。
……わたしは、ツンデレじゃ……ない!
キッ、と円は貴志をにらみつけた。
「わたしは、ツンデレじゃ、ない!」
唇をぶるぶる震わせながら言い切った。円は鞄を胸に抱えると、貴志を押し退けて走り出す。貴志が手を伸ばしてくるが、するりとかわして――。
逃げた。