シーン4「まどか、笑い転げる」
シーン4「まどか、笑い転げる」
「彼ってさ、ひょっとして女に興味がないんじゃないの?」
言葉にすると、それはいかにもあり得そうなことに思えた。
貴志にあてがわれたという部屋――
革張りのソファの上だ。
うんうん、とあごに手を当てて、円は頷く。
「ていうか、そうに違いないわ。じゃないとあの態度に説明つかないもの。ねぇ貴志、兄弟なんでしょ。なにか知らないの?」
向かいに座る貴志を見る。
貴志は首を傾げてきた。
「さあな。兄弟……といっても、腹違いだ。そもそも、オレがあいつの存在を知ったのだって、昨日が初めてだしな」
「は? え、そうなの?」
「ああ。だが間違いはないらしい。あいつは父の子だ」
「ふぅん……そ。まあ、でも、今はあの男のことを考えててもしょうがないわね……」
円は気持ちを切り替えた。
「――じゃあ貴志、さっそく始めましょうか」
「始める? なにをだ?」
立ち上がった円を貴志はぼけーと見上げてきた。
ひくっと頬が動く。
「なにをだ? じゃ、ない! なんでわたしがここに来たと思ってるのよ……?」
円は眉間を押さえた。
いけない、よく揉んでおかないと皺になってしまう。
「昨日言ったでしょ、勉強よベンキョー。勉強するの」
「おお、そう言えばそんなことを言っていたな――で、何故だ?」
「だ・か・らぁー」
盛大にため息をつく。
昨日のメランコリックでちょっと殊勝な感じはいったいどこに行ったのか、一夜明けて、すっかり元通りの貴志だった……
さらに馬鹿が進行している気さえする。
「うう……まあ、いいわ。一から説明するわよ……たしかに昨日は、あんまり具体的なこと、話さなかったしね」
ソファに座り直して、いい? と前置きする。
「まずは確認するわね。貴志、あなたが絶縁された理由、なんだったかしら?」
「ふむ? それは中間テストの成績が悪かったから、だな。怜一郎からはそう聞いた」
「オーケー。そうよね? てことは、よ」
ぴっと人差し指を立ててみせる。
「どうすれば絶縁を解消できるか。答えは簡単。その理由がなくなればいい。つまり次のテストでいい点取ればいいのよ。そうでしょ?」
「ん。なるほど……そういえば昨日そんなことを言っていたな……だが」
「だが?」
「その時も思ったんだが、やはり、一度決定されたことが、その程度のことで覆るとも思えん」
ずいぶんとまともな返事が返ってきて、円は目をまるくした。
――マトモなことも言えるんだ!
こほん、と咳払い。
「ええ……そうね。たしかに、昨日の時点ではわたしも可能性は低いと思っていたわ。それこそ学年でトップにでもならないとダメかなって思ってたけど」
とソファから腰を浮かして、身を乗り出す。
「今朝、あの男……怜一郎。あなたの弟に会って、確信したわ。ひとつ、確実なことがある」
「……む?」
一語一語を噛みしめるようにして、告げる。
「あいつに、勝てばいい」
貴志はぽかんとした表情を浮かべている。
「彼って、弟ってことは、あなたより年上ってことはないでしょう? 今朝会った彼は高等部の学生服を着ていた。なら、わたしたちと同じ、一年生。当然、同じテストを受けるわよね」
だから、それは対等な勝負だ。
成績の悪かった貴志の代わりに鳳凰院の跡継ぎとなった怜一郎。けれどその怜一郎より貴志のほうが成績が良かったら?
絶縁されるのは怜一郎のほうだろう。当然、そうなれば再び貴志が正統な跡継ぎに返り咲く。
「どう? ようはあいつよりあんたのほうが優秀だって、証明できればいいの」
一番になるより簡単よ、と円は微笑んでみせた。
「ふむ。なるほどな。たしかにそれならば、復縁も可能かもしれん」
「でしょ?」
「しかしマドカよ。その理屈でいえば、オレは一番にならなければならんぞ? 学内に限らず、な」
何気なく放たれた貴志の言葉に笑顔が凍りつく。
「……え?」
「どうぞぉ、これをご覧くださいぃ」
「ひっ」
突然、すぐ隣にサダメが出現した。
枯れ木のような手で、A4サイズの紙を渡してくる。
「ちょ、またですか、サダメさん……やっぱりさっきまでいませんでしたよね!? って、これは?」
渡された紙に目を落とすと、『全国模試』の文字が目に飛びこんできた。
順位表のようだ。
円の名前も載っている。
「ち……ちょっと、このわたしの上の夏目怜一郎って名前、ひょっとして……」
サァー……っと自分の顔から血の気が引くのがわかった。
「そういうことだ」
貴志の言葉にくらりとなる。
「ち、ちなみに」
「ん?」
「いまさらだけど、あんたの成績って……?」
「……フン。自慢じゃないがオレは勉強が嫌いでな。赤点以外取ったことがない」
開いた口が塞がらないとはこのことか。
「ほ――ほんとに自慢じゃないし! ていうか! 義務教育だから中学はいいとして、よくそれでここに入学できたわね!」
「フフフ、マドカよ。裏口入学という言葉を知らんのか?」
「そーゆうことかぁ!」
「言っておくが『第一』の生徒はほとんどがそれだぞ?」
「……く、腐ってる」
通りで『セレブ棟』の生徒の成績は公開されないはずである。
あいつら、誤魔化してやがった。
金か。
けっきょく、金の力か。
そうなると『一般棟』が作られた理由もなんとなくわかってくる。
腐敗した『セレブ棟』の代わりに、そちらへ偏差値高い生徒を集めることで、名門を装ったというわけだ。
ひとつ、どうでもいい謎が解けた。
……ほんとどうでもいい。
「っ」
唇を噛む。
考えが、甘かった。
自分がみっちり教えれば、なんとかなるかもしれない。
いやなんとかしてみせる……なんて、思っていたけれど。
甘い甘い。
越えないといけないハードルは、想像の遙かに上。
自分の身長よりも高かった。
勝てるわけがない。
「はは……」
弱々しい笑い声が自分の口から出た。
……終わった……
どうしよう。これから。
……決まってる、じゃない。
方針変更だ。
怜一郎をオトすしかない。
一度フラれ、今朝もぞんざいに扱われたけれど、やり方はまだある。
そうだ。絶望するにはまだ早い。
……だっていうのに。なんでこんな……
視界が滲む。
「……あ、あれ?」
わたし……なに泣いて……
と――
ぽすっと頭の上に手を乗せられて、目を見開く。
「……あ」
貴志の手だった。
「マドカよ。なにを呆けている? まさか、諦めたわけじゃないだろうな?」
目の前の男がなにを言っているのか、本気でわからなかった。
「……なに言って、そんなの、だって」
無理だ。
でなければ、不可能だ。
先ほどその事実を突きつけてきたのは、そちらではないか。
けれど貴志はそんな円の考えを馬鹿にするように、唇の端をつり上げた。
不敵に笑う。
「オレを――誰だと思っている?」
親指を自分の胸に当てて、あまりにも自信ありげ。
だから。
「え、も、もしかして実は勉強できたり?」
思わず期待して、そう聞いていた。
「いいや。過去にそんな事実はない」
首を振られた。
「…………」
「だがな。このオレを誰だと思っている?」
そして、力強く胸を張って貴志――鳳凰院貴志は、言った。
「オレは、やればできるのだ!」
「…………っ」
……ああ。
馬鹿だ。
馬鹿がいる。
「……はは、くっは、あはははははははははははははははははははははははははははっ」
円は腹を押さえて思いっきり爆笑していた。
「あははははははははははははははははははははっ」
立っていられなくて、床の上を転げ回る。
「ん、む? どうしたマドカ」
「あははははははははははははははははははははっ」
「なんだ、腹か? 腹が痛いのか? トイレなら、」
「あははははははははははははははははははははっ」
「だ、大丈夫なのか……?」
「あははははははははははははははははははははっ」
貴志がなにか言ってくるのがいちいちおもしろい。
なんかオタオタしてるしっ。
「サ、サダメ! これはいったいどういう症状だ? 説明しろ!」
……や、やめ、笑い死ぬっ。
「あははははははははははははははははははははっ」
~
「はぁ……ぜぃ、ぜぃ……し、死ぬかと思った……」
ソファになんとか這い上がる。
一生分くらい笑ったかもしれない。
「お、収まったか? いったいどうしたというのだ、マドカ」
「っ、ぷ。ちょっ、やめてよ、またわたしを笑わせたいの?」
「む?」
ふーっと大きく息を吐いて、顔をあげた。
目じりに溜まった涙を指先ですくい取って、ぴっとはじき飛ばす。
「いいわ。わかったわよ、貴志。やればできる? ふふっ、じゃあせいぜい、やってもらおうじゃない」
――覚悟なさい!




