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そら模様  作者: アル
2/10

二輪〈クッキー〉

 


「……うーん、何か違うなぁ」


 ふわふわした気持ちのまま帰宅した私は、放課後に飲んだ紅茶の味が忘れられずにいた。

 キッチンの戸棚を見るとそれらしいティーパックはあったものの、お世辞にも美味しいとは言えない。マグカップを使った事が悪かったのか。それとも沸騰したばかりのお湯を入れた事が悪かったのか。

 何がいけないのか分からなくて紅茶の作り方をスマホで調べていると、ふと気がついた。


「(そもそも、先生が使ってるのってティーパックじゃなくて茶葉!?)」


 そういえば、そんなことを言っていたような気がする。何のメーカーかも分からない市販のティーパックが、先生が選んだ本格的な茶葉の味に適うわけがない。

 家であの紅茶を飲みたいと思った事が間違いだった。


「仕方ない、ココア飲もう」


 冷蔵庫から牛乳を取り出し、小鍋に入れて火にかける。

 さっき使ったマグカップをサッと洗い、戸棚から出したココアの粉をスプーンですくって二杯入れた頃、鍋がフツフツと音を立て始めて程よく温まったことを知らせてくれる。

 カップに牛乳を注ぎながらかき混ぜて、最後にマシュマロを乗せて完成だ。


「……うん、おいしい!」


 先ほどの紅茶のこともあって、名誉挽回ができたような気分になる。甘みが口いっぱいに広がるのと同時に、満足感も増していくよう。

 体が欲している甘みとは違うことに、気付いていないふりをした。



  * * *



 翌朝の天気も、晴れ。

 昨日の余韻が残っているのか、私の心はまだ浮かれているようだ。足取りも、体ですら羽のように軽い。

 今日の全速力は、タイムを測ったら良い結果が出そうだ。


「とう、ちゃく!」


 自分の机に鞄を押し当て、私は大きく息を吐いた。

 私は朝に弱いから登校時間は常に走っているけれど、遅刻したのは昨日が初めてで毎回じゃない。

 そう、毎回じゃない。


「おはよう空本。今日は遅刻しなかったようだな」

「は、はい」


 なのに、朝日先生の表情が昨日よりも怖く見えるのは何故だろう。始まったホームルームの最中は、淡々と連絡事項を告げるいつもの先生だった。

 あの顔は私にだけ向けたものだったようで、思い返しても先生が不機嫌になるようなことは何もしていない。



  * * *



《――っていうことがあってね、どう思う?》

《人としてお礼ができてないからじゃないの》


 辛辣な一言が、スマホのバイブと共に送られてくる。

 ホームルームが終わって先生が教室を出た直後、私は机の陰でスマホのトークアプリを起動し、助けを求めた。

 相手は隣のクラスの友達、染谷茜。中学からの付き合いで、気心の知れた仲なせいか言葉に棘があるのはいつものことだけれど、濁さずにちゃんと伝えてくれる所が私は好きだ。


《お礼と言いますと?》

《甘いもの好きなら、そういうので返したら?》


 茜には、相手が朝日先生だということは伝えてある。先生の甘党をバカにしなかったし、そもそも教師に対して無関心だから、安心して相談できるのだ。


《そんなにお金持ってないから、ケーキとか無理》

《高いケーキ買えなんて言ってないでしょ。夕月の手作りクッキーとかどう?》

《え》


 心臓の鼓動が手に伝わるようで、一文字だけでも返すのがやっとだった。

 私が、あの朝日先生に手作りクッキーを渡すなんて……。重たい不安と少しの期待が胸の中で渦巻いている。

 茜の返事が来るより先にチャイムが鳴り、慌ててスマホをポケットに突っ込んだ。



  * * *



「そんなに作るのが嫌?」

「そうじゃないけど……」


 放課後、思ったが吉日と言わんばかりの茜にスーパーへ連れてこられた。

 私は小麦粉コーナーで早くも挫折感を味わうことになってしまった。思ったより種類がある上に、何が違うのかも分からない。


「私なんかが作って渡すとか変じゃない? まともに話したのは昨日が初めてだし」

「これからも仲良くしたいんでしょ?」

「それは……えっと……」

「あれっきり進展ありません、じゃ話にならないから良いきっかけだと思うけど」

「だって、まずいって言われたらショック大きいよ」


 朝日先生のことだ、言いかねない。むしろ、捨てられる可能性もある。


『よくこんなものを、私に食べさせようと思ったな。原産国から見直してこい』


 ……ありえる。

 けれど、だからと言って国産の小麦粉からちゃんとしたクッキーを作れる自信もない。


「あぁ、もう……どうしよう」

「夕月、これにしたら?」

「え、これ!?」


 手渡された物を見て、目が丸くなる。

 茜の顔は、近年稀に見る満面の笑みだった。



  * * *



「……ハァ」


 最近は晴れの日が続く。日差しも温かい。

 私の手汗も絶好調。背中に冷や汗が伝ってる感覚もある。呼吸も微かに乱れて、酸素濃度が私の周りだけ低いんじゃないかと思うくらいだ。


「今日はこれまで」


 朝日先生の低い声を合図に、みんなが帰り支度を始める。

 私は準備を終えている鞄を握りしめ、教室から出て行く先生の後ろ姿を見送った。


「(行かなきゃ、行かないと、今、今…!)」


 意を決した私は座っている椅子を倒す勢いで立ち上がり、既に見えなくなった背中を追いかけ、数学準備室まで来てしまった。

 ピッチリ閉められた扉の奥で、朝日先生と別の先生が話している声がする。二人きりでないなら、まだ話しやすい。

 安心して扉をノックし、静かに開いた。


「失礼します。あの、朝日先生……」

「おや、いらっしゃい。では、わしもこれから生徒達と楽しく勉強会してきますか」


 別のクラスを担当している定年間近の男の先生が、数枚のプリント用紙を手に隣の教室へと入って行った。

 立ち話をしていたらしい朝日先生と、ただ立ちすくむしかできない私が取り残されて妙に思い空気が流れていたけれど、先生が椅子を引いて早々に雰囲気を壊してくれた。


「何の用だ、空本。連絡事項で分からないことでもあったか」

「い、いえ。そういうわけじゃ、ないです」


 眉間に力が入っていないせいか、教室で見るよりも優しい表情だ。

 昨日の今頃も同じような顔をしていたことを思い出し、少し胸が高鳴った。


「これを、渡したくて……」

「何だそれは」

「クッキーです、一応」


 鞄から取り出した手作りクッキーを、汗のにじんだ手で恐る恐る差し出す。

 先生は一瞬目を見開いたけれど、ためらいなく受け取ってくれたことに言いようのない達成感を覚えて、私は先生に気づかれないよう息をつく。


「見ないパッケージだな。どこかの店の新作か?」

「あ、それは手作りなんで、袋は私が選びました」


 よくバレンタインで大活躍する半透明の袋。カジュアルな柄で、茶色の紙袋のようなデザインに筆記体の文章が所々施してある。

 とにかく、子供っぽくないオシャレな包装を選んだつもりだ。


「……手作りだと?」

「はい。でもクッキーミックスを使ったんで、味に自信はないんですけど」

「ほう、手作りか」


 その声に、ビクッと肩が震える。

 先生の眉間にシワが寄っているのを見て、思わず恐怖を感じた。


「め、迷惑なら、捨ててください! 私はただ、この前の紅茶のお礼がしたかっただけなので、そのことだけでも伝えられればいいですから!」


 失礼しましたと捨て台詞を残し、私は準備室から逃げ出した。

 途中で知らない先生から廊下を走るなと注意を受けながらも、感情を振り払いたくて走り続ける。

 校門を出た所で急いでスマホを取り出して茜にトークを飛ばすと、息を整えている間に電話がかかってきた。


『もしもし、どうしたの』

「渡した、けど……怖い顔された」

『……そっか』

「やっぱり、迷惑だったかな? ちゃんと小麦粉から作った方が良かったかな?」

『夕月』


 茜の真剣な声音に、震える声を押し殺してグッと口を噤む。


『私が簡単なの勧めたから、ごめん。あの先生なら、気持ちだけでも喜んでくれると思って』

「お菓子作りは得意じゃないから、失敗せずにできて私は良かったよ。でも、先生は嫌だったのかな。私、もう先生に会えない……」

『落ち着きなよ、まだふられたわけじゃないでしょ』


 その一言で、私の心の中が全部溶かされたように涙になって溢れた。

 本当は、違う反応を期待していたんです、先生。ワガママを言うなら、嬉しそうな顔を見てみたかったし、照れた顔でもいいから初めての表情を見たかったんです。

 朝日先生、あの甘さが恋しいよ……。


 

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