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そら模様  作者: アル
10/10

十輪〈りんご飴〉




 遠くの方で、人々の賑わう声がする。

 普段ならば煩わしさを感じて舌打ちの一つでもしてみせるのに、今日はそんな気も起きない。する必要性を感じていない、とも言えるが。


 日が暮れて橙色に染まる西の空に、青色が差し始めている。

 美しい明暗に目を奪われていると、パタパタと下駄の音が聞こえてきた。


「お、お待たせしました!」


 ぼんやりと景色を眺めていた私の視界に、華やかな柄の浴衣が入ってきた。

 見上げていた空の色とは対照的な、空本の赤い頬。その口元には笑みが浮かんでいる。


 ……そう、私は空本と祭りへ行くことにした。


『空本は夏期講習に休まず参加していた。それくらいの頼みは聞いてやろう』


 誘われた時、そう返してしまっていたのだ。

 吐いた言葉を戻すことはできず、それに対してこんなにも後悔したことはない。何故あんなことを言ってしまったのかと、考えずにはいられなかった。だが……。


「先生、浴衣着てみたんですけど、どうですか?」

「そうだな……見慣れんな」

「えー。なんですか、それ。確かにそうですけど」


 水色の生地に淡い紅色の花が散りばめられた浴衣の袖を持ち、私の答えに不満そうな声を漏らしつつも、目を細めて微笑んでいる。長い髪を器用に結い上げるかんざしの飾りが、細く白い首の横で揺れていた。

 私自身、空本の浴衣姿は悪くないと思っているが……。簡単に口にできないのは、空本に期待を持たせることを避けるためか、教師が生徒にかける言葉ではないせいか。それとも、単純に言いづらかっただけなのか。

 空本の姿も、この状況も、本気で「悪くない」と感じていることを認めたくないせいかもしれない。

 とにかく、気分が落ち着かない。


「……あ! いたいた、夕月ちゃん!」


 近付いてくる円明の楽しげな声に、空本の眉根が僅かに動いた。その様子があからさまで、思わず笑ってしまいそうになる。円明も大変そうだな、と。


「夕月ちゃん、超かわいい! 俺も浴衣にすれば良かった~! ……そういや、茜ちゃんは?」

「来たらお金使っちゃうから、控えたいんだって」

「ただ来るのが面倒だっただけじゃねぇの? まぁ、人が多くなる前に行こうぜ」


 屋台の立ち並ぶ通りに出ると、より一層賑わいを見せていた。

 白熱灯に照らされた屋台はどこも繁盛しているらしく、人の列が絶えない。

 これは、年甲斐もなく胸が躍ってしまう。


 人の頭が途切れることなく流れているのを見ていたとき、とある屋台の文字が目に止まった。

 射的、か。

 雛壇に整列している景品は子供向けの物ばかりだったが、小学生の頃は友人とこぞって誰が一番多く獲れるか勝負したものだ。

 懐かしい記憶と共に、胸が疼くような感覚を味わう。子供に混ざって大人も楽しんでいるところを見ると、今日くらいはあの頃に戻ってもいいだろうかと考えてしまう。


「先生、私は焼きそば買ってきます」

「ああ、そうか。では、神社の石段の上で落ち合おう」

「先生も屋台で何かするんですか?」

「少しだけ、な」


 このタイミングで空本と別行動になるのは好都合。射的が楽しみで思わず口角が上がってしまったが、今の笑い方は子供のようだっただろうか。

 屋台の人波をかき分けながら進む空本をしばし見送り、私は射的の屋台を目指した。

 テーブルに並べられた銃のレバーを引く感覚を思い出しながら歩いていると、見覚えのある姿をいくつか発見した。


「ああっ! クソッ!!」

「惜しかったな~」

「もう諦めたら?」

「いや、絶対何か獲ってやる!」


 担当クラスの男子生徒が三人、屋台の前で盛り上がっている。だいぶ張り切っているようだし、助言くらい聞くだろう。

 私が歩み寄ると、銃口に弾を押し込んでいるところだった。その動作に違和感を覚え、生徒の名を呼ぶ前に思っていた言葉が口をついて出た。


「弾を込める前にレバーを引くんだ」

「はぁ? ……って、朝日じゃん!? 何でここにいるんだよ!」

「レバーを引いてから弾を込めろ。空気圧で飛ばす銃だ、その方がよく飛ぶ」


 呼び捨てにしたことは、今は多めに見てやろう。それよりも、今は射的に集中したい。

 生徒は私の視線を気にしながら渋々レバーを引き、弾を込める。テーブルの上に身を乗り出し、できるだけ景品に近いところから狙いを定め……。

 数秒後、小気味良い発砲音がして、手前の方にあったドロップの缶が倒れた。


「おぉ!! すげぇ!」

「さっきより真っ直ぐ飛んでたな」


 半信半疑だった生徒達が驚いている。

 その様子を目の当たりにした私も、生徒達の良い反応に喜びを感じ、少し誇らしくもあった。


「もしかして、朝日って射的……上手いの?」

「自慢するほど上手いわけではないが、昔はよくやっていたな」

「マジか! なぁ、俺とどっちが多く獲れるか勝負しようぜ!」


 弾が当たってよほど嬉しかったのか、生徒は今まで見せたことのない笑顔で私に銃を差し出している。

 断る理由もなく、むしろやる気のあった私は生徒の銃を受け取り、口角をわずかに上げて見せた。


「私に勝てると思っているのか?」

「負けたら次はこいつらが相手だから」

「おいおい、聞いてないぞ」

「おもしろそうだから、やってやるか~」


 店主に金を払い、生徒と並んで銃に弾を込める。

 身長差がある分だけ私が有利だからと、ハンデとしてどの景品を狙うかを生徒に決められた。やはり、重く倒れにくそうな人形や菓子箱を選ばれたが、重心の位置などを見極めて二発以内で落としていく。


 悔しそうな生徒達を横目に優越感を抱くのは、大人げないながらも心地良い。そして何よりも、こうして楽しんでいる状況に胸が熱くなる。

 学校一の嫌われ者だと言われていた私が、こんな風に生徒と遊んでいる未来など誰が予想しただろうか。自分自身ですら考えもせず、願うことさえしなかったというのに。

 私は教師一年目の時点で、生徒との友好的な交流を諦めていた。そんな私に一筋の光が射し込んだのは、紛れもなく空本のおかげだ。

 私のこれまでの人生において、彼女との出会いこそ転機だった。


 雨上がりの湿った春風が吹いていたあの日、空本が遅刻せず登校していれば、思いつきで反省文など書かせなければ、スマホの操作法を知っていれば、紅茶を飲もうと思わなければ、今日という日はない。

 まさに闇夜に浮かぶ月の光のような、淡く儚げでありながらも確かに私を照らしてくれていた。

 感謝という言葉だけでは表すことができない温かな想いを、空本に伝えたい。


「強すぎだろ……。こんな特技持ってるとか、なんなんだよ」

「あーあ、遊びすぎて腹減ったわ」

「じゃあまたな。朝日センセ」

「ああ。あまり遅くなるなよ」


 満足げな顔で、生徒達はいくつかの景品を手に人混みへと消えていった。

 三対一での勝負は同点。

 そこそこ金をつぎ込んで獲得した商品も数知れず、持ち帰ることもできないため、ほとんどの商品は店に残すことにした。物に代える必要もないほど、充実した貴重な時間を過ごせたのだから。


「騒がせて申し訳ない。あとのお客のことも考えず熱中してしまいました」

「いや、いいんだよ! 兄さん達が白熱してくれたおかげで、いい宣伝になった」

「そうですか。お役に立てたようで良かったです。こちらをいただけますか」

「本当なら全部あんたらのだよ! 好きなのを持っていきな!」


 店主から熊のぬいぐるみを一つもらい、待ち合わせ場所の神社へと向かった。

 ぬいぐるみを選んだのは、空本に渡すためだ。柔らかい毛の手触りを楽しみながら、空本の顔を思い浮かべる。

 これを渡せば喜んでくれるだろうか。子供扱いしないでほしいと言いながらも、きっと受け取ってくれるはずだ。

 少しでも、私の感謝の気持ちが伝わればいい。


「……ん、りんご飴か」


 道すがら見つけたりんご飴の屋台は、ピークを終えた様子で店番の女性がぼんやりと人波を眺めていた。

 商品も残り少なく、まばらに配置された飴が白熱灯を反射して輝いている。美しいなと柄にもなく思いながら、ほぼ無意識に財布を取り出していた。

 空本はきっと、りんご飴も好きだろう。喜ぶ顔が目に浮かび、頬が緩んだ。


 ぬいぐるみと飴、それらを持つ私を見て笑う者はいない。各々が目の前の賑わいに夢中で、誰一人として私を見ていない。祭りに乗じて堂々と歩けるのは気分が良い。

 もうじき花火が始まるためか人通りは少なく、神社までの道はすんなりと歩けた。石段に座る人影に既視感を覚え、声をかけようと近付く。

 私の背後で花火が上がったとき、その二人の姿が明々と浮かび上がった。目の当たりにした私の足が止まる。


 私は、何もかもを忘れて楽しんでいたらしい。祭りの空気と懐かしい感覚に呑まれ、自分が二十八歳であることを忘れていた。

 胸の内にある宝箱に、引き出したあの頃の思い出と、今日という日をしまい込んでふたを閉めた。

 堅く、堅く、堅く……ーー。




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