第9話 帝都攻防、鮮血の幼女
黒馬を疾走させながら舌打ちを漏らす。
ヴィレッサが帝都へ辿り着いた時、すでに南側城壁が崩れ落ちていた。
だからといって引き返す選択肢は無い。
むしろ突進する速度を上げると、強く魔導銃を握り締めた。
詳しい状況は分からないが、まだ完全に落城していない以上、無駄な戦いにはならないはずだ。助けられる命も、勝利の可能性だってきっと残されている。
そのために、ヴィレッサは駆けつけてきたのだから。
「姫様、まずは南側の援護をすべきかと」
「分かってる。第二案で行くぞ」
親衛隊長であるゼグードとしては、皇女殿下の安全を第一に考えたいところだろう。けれど撤退すべきだとは言わなかった。言っても無駄だと分かっているのか、あるいはヴィレッサの思考に毒されてきたのかも知れない。
いずれにせよ、突撃という選択に変わりはなかったが―――。
「帝都に入って、一休みするってのも悪くねえ」
「姫様が入城なされば、それだけで奴等は逃げ出すかも知れませぬな」
「はっ、そういう戦いの終わらせ方もアリだな」
三日月型に口元を吊り上げながら、ヴィレッサは素早く指示を出した。
第一案では、帝都周囲を大回りして、敵本陣を背後から急襲するつもりだった。さすがに敵陣を突き破るには手勢が少ない。なので、砲撃形態で一撃を加えた後、そのまま離脱するという作戦だ。
しかし帝都城壁が破られて危地にある以上、もはや時間の掛かる作戦は取れない。幸い、まだ南側のレミディア軍は手薄なので、小勢でも蹴散らせそうだった。
ヴィレッサの背後に従うのは騎兵百名あまり。
少なすぎる気もするが、その分だけ小回りが利く。後の作戦のためにも、人数を絞る必要があった。
「南側に群がる敵を一掃する。砲撃形態!」
『了解。充填に入ります』
変形した魔導銃を構えつつ、鐙を強く踏んで足を固定する。
だが―――、
充填を始めたところで、上空から幾つかの影が迫ってきた。
『マスター、上方より敵が来ます』
「あれは……『殲滅輪』か! 姫様を御守りしろ!」
回転する円刃が襲ってくる。
鋭利な刃の輝きを睨みながらも、ヴィレッサは引き金を弾いた。
急いだために魔力の充填は不十分だ。けれど敵に脅威を覚えさせるには充分すぎる破壊力が発揮される。
放たれた砲撃は、城壁に迫る敵陣の横腹を食い破った。巨大な爆発が広がって、数千の命をまとめて葬り去る。
レミディア軍からは悲鳴と怒号、混乱しきった声が上がった。
そして城壁上の帝国軍からは、一拍の静寂を置いて歓声が沸き起こる。
味方の声には応えたいヴィレッサだったが、残念ながら、手を振り返すほどの余裕はなかった。
「っ……!」
爆発が治まった直後、数十枚の円刃が騎兵部隊に襲い掛かってきた。撒き散らされた衝撃で動きは乱れていたが、その刃の鋭さは失われていない。
親衛騎士は馬の速度を落とさぬまま、障壁を張り、剣を振るって対抗する。
だが数名が腕を斬られ、身体を深く抉られ、血を吐きながら落馬していった。
ヴィレッサの眼前にも円刃は迫っていた。ゼグードが突き出した槍に数枚が叩き落とされたが、残りは器用に空中で旋回する。幼い身体を切り刻もうと狙ってくる。
咄嗟に掲げた魔導銃と、鋭利な刃がぶつかり合った。
甲高い音を立て、火花を散らし、弾かれた刃は空中へと戻っていく。
『マスター、あの魔導遺物は危険です』
「ああ……おまえが傷ついたのは、初めてじゃねえか?」
ほんの小さな傷ではあるが、銃身が斬られて欠けていた。
『機能障害はありません。ですが、流体魔鋼の補充には時間が掛かります』
「気をつけるぜ。出来れば、一気に魔導士本人を叩きたいが……」
魔導銃を拡散形態へと変形させると、空中へ向けて撃ち放った。
再襲撃を行おうとしていた円刃は、すぐに反応して散らばる。しかし無数に広がる魔弾は回避しきれず、まとめて叩き落されていった。
「一旦、動きを止めればなんとかなるな。他に反応はあるか?」
『近くには確認できません。警戒を続けます』
「よし。あとは……目の前の奴等を蹴散らすぜ!」
先程の砲撃によって、レミディア軍は大混乱に陥っている。騎兵部隊に向けて槍を構える兵士もいたが、ばらばらの動きでは脅威にも成り得ない。
加えて、『一騎当千』によって守られた騎馬は並の武器など跳ね返す。
そもそも、槍先を掠らせるつもりもなかった。
「死にたくなけりゃ、死んだフリでもしてやがれ!」
優しく降伏を促してやってから、拡散形態の引き金を弾く。
放たれた魔弾は、空中で文字通り拡散し、無数の死をばら撒いた。槍を構えようとしていた兵士たちは、まとめて穿たれ、吹き飛ばされて、無惨な屍を晒す。
そこへさらに、馬蹄による蹂躙が行われる。
僅か百騎とはいえ、一歩ごとに死を振り撒く集団が駆け抜けていくのだ。帝都に攻め入る寸前だったことも忘れて、レミディアの兵士は我先にと逃げ惑った。
「あのデカブツも片付ける。爺さん、潰されんなよ!」
「姫様こそ、どうか無茶はなさいませぬよう」
「はっ、ちょっと木登りするようなもんだ」
軽く笑みを返すと、ヴィレッサは空中へと黒馬を駆けさせた。
城壁ほどの高さのあるゴーレムは、すでにこちらへ拳を向けようとしていた。けれどその動きは鈍い。攻城兵器としては優秀かも知れないが、騎馬に対するには遅すぎる。
ましてやヴィレッサにとっては、その巨体は良い的でしかない。
『事前の情報通り、背部から繋がる『鞭』を貫けば機能は停止するはずです』
「だったら、コイツの出番だな」
長い銃身を備えた狙撃形態へと、魔導銃を変形させる。その間にも巨大ゴーレムは拳を振り下ろしてきたが、空中を駆ける黒馬には掠りもしなかった。
一気に頭頂部まで駆け上がると、ヴィレッサは銃口を下へ向ける。
巨体の頭から、股下へと、一直線に魔弾で撃ち貫いた。
単純に穴を開けただけではない。内部に衝撃も撒き散らしていったのだ。
「粗大ゴミも、しっかり持ち帰らせねえとな」
内部で束ねられていた『傀儡裂鞭』を破壊されて、ゴーレムは停止する。
その背中を駆け下りつつ、黒馬に蹴らせると、巨体はレミディア軍の頭上へと倒れていった。
呪詛にも似た悲鳴と、肉や骨が潰れる音が耳に当たる。
ヴィレッサは振り返りもせず、そのまま空中を駆けた。地上からは親衛騎士たちも、ゼグードを先頭に崩れた城壁の間を抜けてくる。
『マスター、ディアムント様を発見しました。交戦中のようです』
「ん……なんだよ、皇帝のくせに無茶してやがるのか?」
『……御自分に対する皮肉ですか?』
「うっせえ。それよりも場所は……あそこか!」
炎に包まれた街の一角で、魔力光が明滅していた。剣戟の音も響いてくる。
また距離はあるが、拳を振るう敵魔導士の姿は捉えられた。
「あの男……見覚えがねえか?」
『肯定。バルツァール城砦で遭遇しております。『崩甲拳』のバワードと名乗っていました』
「ああ。最初に出てきた奴か」
まあどうでもいいか―――、
思考を切り替え、狙撃形態の照準を定める。
その途端、まだ遠方にいるバワードが振り向いた。襲い掛かる帝国兵の剣を避けつつ、はっきりとヴィレッサを見据える。
「な、に―――」
ヴィレッサは戸惑いを覚えながらも引き金を弾いた。
だが同時に、バワードも横に跳んでいた。
一瞬前までバワードがいた場所を、魔弾は通過する。肉塊を生産するはずだったが、地面を抉って石礫を散らしただけだった。
「とんでもなく勘のいい野郎だな! ディード!」
『了解。この戦場では、速射形態が最適です』
ヴィレッサが頷くと、二丁に分かれた魔導銃を構えなおした。
眼下には平民の住む家々が並んでいる。その屋根に隠れながら、壁を壊しながら、バワードはヴィレッサとの距離を詰めようと迫ってきていた。
もっとも、住宅の屋根程度では魔弾を防げはしない。
姿が見えないのも問題にならない。すでに生体反応は捉えていた。
続け様に速射形態の引き金を弾く。だが、避けられる。
期待した断末摩の悲鳴は上がらず、代わりに笑い声が投げられた。
「ははっ、バルツァール以来だな! 探してたぜ!」
「そいつはご苦労だったな。勝手に地獄まで探しに行きやがれ」
言い返す間にも、ヴィレッサは黒馬を駆けさせながら、眼下へと魔弾を放っている。しかしやはり当たらない。
捉えきれないほどの速度ではない。強化術を施した騎士程度ならば逃がさないくらいには、ヴィレッサの技量も上がっている。
バワードの動きは、魔弾が放たれる瞬間を先読みしているかのようだった。
「っ、どんだけ勘がいいんだよ! テメエはニュータイプか!」
「はははっ、楽しいぜ! ビリビリ感じる! 相変わらず凄え殺気だ」
「ただの変態野郎かよ!」
罵声と舌打ちを落としながら、ヴィレッサは戦場を移そうとした。
こういう手合いには拡散形態が向いている。けれど周囲には帝国兵もいるため、位置取りを考える必要があった。
手綱を引き、馬首を巡らせる。
だが攻撃が緩んだ瞬間、眼下から破壊音が響いた。
住居の屋根に穴が開き、その破片が無数の弾丸と化してヴィレッサを襲った。
「っ……!」
不意を打たれたとはいえ、さしたる攻撃ではない。その程度の打撃ならば『赤狼之加護』で無力化できる。
しかし、目眩ましと足止めの効果はあった。
一瞬の隙を突いて、跳躍したバワードが距離を詰める。
「はぁっ、ようやく殴れるぜ!」
「ナメてんじゃねえ!」
手が届くほどの距離で睨み合う。けれどそれは一瞬のこと。
バワードが拳を振り抜くよりも早く、ヴィレッサは引き金を弾いていた。
左手は頭、右手は胴体を狙って。
だがそれすらも躱される。
バワードは空中で身を捻ると、素早く腕を伸ばして、二丁の魔導銃を掴み止めた。銃身を握り潰そうかという程に力を込めてくる。
ほんの微かに、頑強な銃身が軋む音を立てた。
「これでもう、コイツは撃てねえな。今度は俺の番だぜ」
勝利を確信したのか、バワードはにんまりと口元を吊り上げる。
確かに、がっしりと握られた魔導銃は、ヴィレッサの力でも振り解けそうにない。下手をすれば、このまま握り潰されそうでもある。
両手を塞がれているのはバワードも同様だが、蹴りのひとつでも出せれば、子供相手に格闘戦で負けるなど有り得ないだろう。
まだ空中にあることを考慮に入れても、明らかにバワードが優位―――、
傍目にはそう見えたかも知れない。
けれどヴィレッサは、呆れとともに吐き捨てた。
「いつ、”あたしたち”が、接近戦が苦手だと決まった?」
「……あ゛?」
バワードの声が濁る。
その言葉尻に、奇怪な音が混じった。
ビギリ、と。
同時にバワードの体が揺らぐ。魔導銃を握っていた手も開き、ずり落ちた。
何故なら―――その腕が、肘から捻じ曲げられていたから。
真っ赤な外套から伸びた四本の帯が、触手のようにバワードの手足に絡みついていた。『赤狼之加護』から伸びる帯は自在に動く。人間の大人程度の力しか発揮できないが、人体を壊すには充分な力だ。
『関節技の知識はありましたが、習熟するには苦労させられました』
平淡な口調を漏らす間にも、ディードは的確に赤い帯を操っていく。肘、手首、膝など、人体の継ぎ目を次々と破壊していく。
容赦なく、徹底的に。あるいは機械的に。
折られた骨が肉を突き破り、鮮血が舞い散った。
血を吸った外套は、さらに悦ぶように帯を伸ばし、バワードの首へ絡みつく。
「あ゛、がっ……なん、で……ざづい゛が……」
「殺意が感じられなかったって? んなこたぁ、地獄で考えな」
『幸か不幸か、私は人間とは違いますから』
『赤狼之加護』の制御は、元よりディードに任せている。だから野生的な勘を持つバワードにも、殺意を感じさせなかった。
だが、そんなことを丁寧に教えてやる義理もない。
自由になった魔導銃をあらためて構えると、ヴィレッサは引き金を弾く。
同時に、バワードの首は背中まで捻じ曲げられている。放たれた魔弾は、その後頭部を撃ち抜いて砕き散らした。
「はっ……」
地面へと落ちる凄惨な死体を見下ろして、ヴィレッサは眉を顰めた。
敵戦力のひとつを潰したのは良いのだが―――。
「さすがに、ちっとやり過ぎたか?」
『確実に敵を葬っただけです。問題ありません』
冷淡な声に、ヴィレッサは苦笑を零しつつ頷く。
黒馬の手綱を握りなおすと、次の戦場へと駆け出した。




