第4話 帝都包囲網
北方征伐を終えた帝国軍は、しばしの休息を挟んで帰路へとついた。ハイメンダールに同調していた者は討たれ、中立だった者もディアムントへの恭順を示して、戦後処理は滞りなく進められた。
レミディアの飛翔船を鹵獲できたのも大きい。研究が進めば、いずれは帝国を守る大きな戦力となるだろう。
勝利を掲げて帰還する兵の足取りは軽い。被害も極めて少なかったのだから当然だろう。行軍は順調に進んだ。
波乱とともに即位した新皇帝ディアムントだが、もはやその地位を脅かす者はいない。そう思われた。
ただ、ひとつだけ懸念もあった。
「では、未だに墜としたのは一隻のみということか」
芳しくない報告に、ディアムントは頬杖をつきながら訊ね返した。
帝都へと帰還する征伐軍は、街道沿いで野営を行っていた。ディアムントも天幕に入り、一息を吐いたところだった。
そんな折、伝令がもたらしたのは、帝国領内を荒らす飛翔船に関する報告だ。
稀少な天馬騎士や対空戦闘が可能な魔術師を選抜し、精兵の討伐部隊を組んで対処に当たらせていた。しかし戦果は期待したほどに上がっていない。
「申し訳ございませぬ。我らも全力を尽くしたのですが……」
「帝国領は広い。やはり神出鬼没という点が厄介か」
「はい。それもございますが、一隻目を仕留めた後、奴等も警戒したようでして。出現する回数も減っております」
ふむ、とディアムントは思案する。
今回の報告では、魔導通信による言伝だけでなく、討伐部隊の者が直接に訪れていた。任務が滞っていることへの謝罪もあるのだろうが、新たな方策も求めているのだろう。
しかし、飛翔船による襲撃が減ったというのは悪くない。
一定の示威効果はあったということだ。
「難しい任務なのは理解している。其方らを責めはせぬ」
「はっ、寛大な御沙汰に感謝致します」
「我らが帝都へ戻った後、新たに討伐部隊も増やそう。しかしそれまでは其方らに奮戦してもらう」
他に打てる手も無い以上、現状維持が最善と言える。
討伐部隊としても、叱責を受けないだけで満足なのだろう。伝令兵は恭しく一礼すると静かに退出した。
「いっそ、レミディア本国へ攻め入るのも手なのだがな……」
ディアムントは呟いたが、己の言葉を打ち消すように苦笑した。
さすがに無茶がすぎる。
我が娘の性格が伝染したか、と。
戦を恐れるディアムントではないが、無用な戦乱は民を疲弊させるだけだと承知している。いまはまず国内の安定こそが求められているのだ。
皇帝の座を継いだ以上、安穏とした生活とは無縁だろう。
けれど一時の平穏くらいは享受できるはず。
書類仕事は苦手だが、帝都へ戻れば―――。
「―――失礼します」
ぼんやりとした思索は、天幕の外から投げられた声に中断させられた。
新たに入ってきた伝令兵の顔をディアムントは覚えていた。いつも定時に、帝都との魔導通信による報告を持ってくる者だ。
そういえばもうこんな時間か、とディアムントは表情を引き締める。
家族の顔を思い出して、少々気が緩んでいたらしい。
「異常はないか?」
だから、そんな問いを発してしまった。
注意を向けていれば、伝令兵が蒼ざめた顔をしているのにも気づけただろう。
「……御報告いたします。帝都との連絡が取れません」
「なに……?」
「繰り返し通信は試みております。ですが、万が一の事態も考えられます。どうか斥候を放つ許可を」
「許す」
ディアムントの決断は早かった。
たかが連絡が取れないだけ、などと油断はしない。帝都が軍勢によって取り囲まれ、通信が阻害されている可能性もあるのだ。もう数日で帝都まで帰還できる距離だが、情報把握の遅れが命取りにもなりかねない。
もしも通信用魔導具の故障であるならば、後で安堵すればいいだけの話だ。
「騎兵小隊を組み、すぐにでも出立させよ」
控えていた別の兵士に命じて外へと向かわせる。緩んだ気持ちは完全に消え失せてしまった。
「他の兵にも、警戒を厳とするよう伝えよ。帝都へ帰還するまで隙を作るなと」
「はっ、直ちに伝令を回します」
駆けていく兵士の足音を聞きながら、ディアムントは眉間の皺をなぞる。
少々、警戒のし過ぎかも知れないとは思う。
けれどどうにも不穏な予感が拭い去れない。
天幕へと吹き込んでくる風は、やけに湿っていて肌を不快にさせた。
◇ ◇ ◇
帝都上空―――、
八隻の飛翔船が、堅固な城壁に守られた街を見下ろしている。
地上では、レミディア軍およそ八万が帝都を囲んでいる。通信や転移術に対する妨害装置も、飛翔船に積み込んだおかげで素早く動かせた。
八万もの軍勢が動けば、都市へ奇襲を掛けるのは難しい。まず飛翔船で国境を越えたとしても、兵士を駐留させる場所が必要だった。
その点は、事前に暗躍していた教会が役に立った。
帝国の領主貴族に取り入り、弱味も握って、人目につかない土地を用意させた。帝都南西にある丘陵地帯だが、ちょうど人の寄り付かない谷間があったのだ。国を裏切るのを渋っていたその貴族も、積極的な行動をする必要はなく、見て見ぬフリをするだけということで納得した。
それでも行軍途中で発見される可能性は高かった。
予定進路上では、事前に飛翔船部隊による攻撃と略奪を行って、人の目を避けられるよう謀っていた。
「却って、目立つかとも思ったんだけど……運がよかったのかな」
飛翔船の甲板上で吹きつける風に目を細めながら、フェリシアは呟いた。
その表情には気弱そうな陰が差している。綺麗な黒髪は丁寧に切り揃えられて、顔立ちも整っていて、静かな部屋で本でも読んでいるのが似合いそうな少女だ。
けれど近衛十二騎士の二位という肩書きを持つ。
加えて、いまは帝国侵攻軍総指揮官の任にも就いていた。
フェリシアはまだ十代だが、大小合わせれば、その年齢以上の戦場に立った経験がある。貴族としての家柄は大したものではないが、実力と実績によって大軍を任されていた。
十二騎士の地位も、先代との決闘によって奪い取ったものだ。
魔導遺物『殲滅輪』、そして『血染め』のフェリシアの名は、レミディア国内で知れ渡っている。
「周辺への偵察は進んでいますか?」
「はっ、異常は報告されておりません。帝国兵の慌てぶりから察するに、通信すら飛ばせていないかと思われます」
「そうですね。飛翔船での奇襲は完璧でしたね」
でも油断はできないかな、とフェリシアは首を捻る。
帝国軍の主力が北方へ向かったのは確認している。その隙に帝都を陥落させられるのが望ましいが、容易くはいかないだろう。
真っ向から帝国軍と戦う事態も想定されている。
フェリシア以外にも十二騎士は加わっているし、帰還を急いで疲弊した帝国軍が相手ならば、優位に戦えるはずだ。
恐らくは、そうなるだろう。
帝都東側に布陣したレミディア軍本隊と、北から来る帝国軍で決戦が行われる。
大量の血が流れる戦場を想像して、フェリシアは手首にはめている銀色の腕輪をそっと撫でた。
「降伏してくれるのが、一番なんですけどね」
「なにを弱気なことを!」
背後に控えていた騎士の一人が苛立たしげに声を上げた。宰相ギルアードから付けられた憲兵隊を束ねている男だ。
軍規の監視を務めとしている憲兵とはいえ、些細なことにまで目くじらを立てて絡んでくる。フェリシアへの嫌がらせが目的ではないかと疑ってしまうほどだ。
「帝国の者どもなど皆殺しにするべきなのです! 将たるフェリシア殿が消極的では、兵の士気も下がりますぞ!」
「はぁ、そうですか」
「なんなのです、その態度は!? 物を知らない下級貴族の出身だから、などという言い訳は通用しませぬぞ。だいたい―――」
フェリシアは溜め息を零しつつ、煩わしい声を無視した。
別の兵士を呼んで指示を出す。
「偵察が終わり次第、まずは飛翔船部隊で攻撃します。そのように通達を」
「なりませぬ! お待ちを!」
また憲兵隊長が口を挟む。
フェリシアは手首にはめた腕輪を撫でながら、喧しい声の方へ振り向いた。
「攻撃準備が整ったなら、聖都へ連絡を入れるべきです」
「えっと、どうしてですか?」
「ギルアード様に確認をいただくべきだからです。フェリシア殿は所詮、下級貴族上がりの前線指揮官にしか過ぎません。此度の戦では間違いがあってはいけないのですから、ここは是非ギルアード様の命令を待って―――」
「―――うるさい」
フェリシアが冷ややかに告げると同時に、鮮血が舞い散った。
憲兵隊長の身体が斬り刻まれ、無数の肉塊となって弾け飛ぶ。彼だけではない。その場にいた十名ほどの憲兵も、同じように一瞬にして死を迎えていた。
きっと自分が死んだことにも気づいていなかっただろう。
甲板に転がった憲兵隊長の顔は、得意気な嘲笑を浮かべたままだった。
あまりにも唐突に振り撒かれた死に、他の兵士も愕然とするばかりだ。その惨劇をフェリシアが作り出したのは明らかであり、憲兵に剣を向けただけでも大罪なのだが、糾弾できる者など一人としていない。
静まり返った場にそぐわぬ、軽やかな声が投げられる。
「あの、早く伝令に向かってくれませんか?」
「え……あ、は、はっ、攻撃準備ですね、了解しました!」
駆けていく兵士を見送ると、フェリシアはあらためて帝都を見下ろした。
さすがに帝国兵は対応が早く、城壁上でも大勢の兵士が守りを固めている。まともにぶつかれば、数で上回っているだけでは苦戦を強いられるだろう。
フェリシアだけでも、一呼吸の内に千人は殺せる自信があるが―――。
「……本当に、降伏してくれないかなぁ」
気弱な呟きを漏らしながら、自身の頬を撫で、その指先をぺろりと舐める。
先程浴びた返り血が、白い肌を赤く濡らしていた。
フェリシアさんは十七歳くらいです。
幼女=正義なこの作品ですが、さてどうなりますかねえ。




