第3話 お風呂場の誓い
帝都西方―――、
魔導国への遠征を終えたヴィレッサは、早々にヴァーヌ湖城砦へと帰還した。
親衛隊のみを率いて、『一騎当千』を使い、本隊よりも数日早い帰国となった。
「お姉ちゃん!」
城砦に着くなり、ルヴィスが駆け寄ってきた。
ヴィレッサもすぐに黒馬から降りて、小さな体を抱きとめる。
「ん……ただいま、ルヴィス」
「あ、そうだね。おかえりなさい」
体を離して、ルヴィスが柔らかく頬を緩める。
ヴィレッサも同じく。緊張を解いて、子供らしい笑みを向け合った。
あまり皇女としては誉められた態度ではない。けれど周囲の騎士たちも、仲の良い双子を微笑ましく見守っていた。
だが二人ともに、幼い顔に疲労の色が滲んでいた。
ルヴィスの方は気苦労だろう。いまは喜びで瞳に涙も滲んでいるが、その目元には隈も浮かんでいる。
ヴィレッサにしても遠征の疲れがある。加えて、魔導国首都からここまで、満足な休みも取らずに馬を走らせてきたのだ。屈強な騎士でも悲鳴を上げるほどの強行軍なのに、幼い体が耐えられたのは気力で支えていたからだ。
もしもいまベッドを用意されたら、ヴィレッサはすぐに眠り込んでしまう。
けれどその前に、確かめなくてはならない事柄がある。
ヴィレッサは表情を引き締めると、あらためてルヴィスと向き合った。
「……何があった?」
真剣な声で問う。
大急ぎで帰還したのは、ルヴィスからの伝令があったからだ。この城砦が無事だったのには安堵できたが、まだ不安は胸に渦巻いている。
どうやら帝都で何かがあったらしいとは聞かされていたが―――。
「連絡が取れなくなった、っていうのは聞いてるよね?」
ルヴィスも真面目な顔になると、声を低くして語り出した。
このヴァーヌ湖城砦では、帝都と定期的に魔導通信で遣り取りをしている。平時ならば数日に一度、異常無しと告げるだけだが、残念ながらいまの帝国は不安定な状況が続いている。
なので、連絡は毎日欠かさずに取り合っていた。
とりわけ北方征伐に関しては、ルヴィスもずっと気に掛けていたのだ。
「シャロン先生たちは、北方での戦いを無事に終わらせたみたい。圧勝で、レミディアの十二騎士も二人討ち取ったって」
「圧勝……ってのは良かったけど、レミディアの? 奴等が関わってたのか?」
「あ、それも話してなかったね」
北方貴族とレミディア国との関わりは、ルヴィスにも詳しく伝わっていないらしい。まだ調べがついていない部分もあるのだろう。
ともあれ、北方征伐を終えた帝国軍は、ハイメンダール領内にあった飛翔船も鹵獲、戦後処理も済ませて帝都へ帰還しようとしていた。そこまでは、ルヴィスも報せを聞いて安堵していたのだ。
だが、その連絡が唐突に途絶えてしまった。
「帝都で何かあったんだな。よし、あたしが行って確かめて……」
「ま、待って! まだ話は途中なんだから!」
身を翻して駆け出そうとしたヴィレッサだが、ルヴィスに引き止められる。赤いフード部分を掴まれて、首を絞められる形になってしまった。
軽く咳き込みながら、渋い顔をして振り返る。
「多分、戦いになってるんだと思う。帝都が囲まれる形で。対転移結界みたいに、魔導通信を防ぐ魔術装置もあるんだって」
「だったら尚更、応援に行った方が……」
「だから待って。落ち着いて。帝都なら『断傲剣』も使えるんだよ?」
言われて、ヴィレッサは口元を捻じ曲げる。
帝国そのものを守る『断傲剣』の力は、ヴィレッサもよく承知している。実際に戦ったのだし、打ち破ったとはいえ、状況次第では敗北も有り得ただろう。
魔導士を含めた、正しく歴戦の戦士を十万以上も召喚できる。
その力があれば、たとえレミディア全軍が襲ってきても蹴散らせるはずだ。
「いま、周辺の領主貴族の人達とも協力して情報を集めてるの。帝都に近い人もいるから、もうじきなにか報せが来ると思う」
「だけど、いままで詳しく分かってなかったんだろ?」
「それはそうだけど……お姉ちゃんだって疲れてるでしょう?」
問い返されて、むぅ、とヴィレッサは黙り込んだ。
疲労が溜まっているのは自覚している。援軍として向かうにしても、いま動かせるのは親衛隊一千騎くらいだ。そちらも強行軍で疲弊している。
これ以上の無理をすれば、帝都へ辿り着く前に倒れてしまうかも知れない。
「……分かった。一日だけ休む」
「うん、そうして。御飯とお風呂の用意もしてあるから」
親衛隊の人たちも、とヴィレッサの背後へ手を振ってみせる。
そんなルヴィスに、騎士たちは敬礼を返しつつ笑顔と歓声で応えた。
ルヴィスの人望に感心しながら、ヴィレッサは解散を命じる。数名の護衛のみを残して、騎士たちは一礼すると散っていった。
「ルヴィスも、ちゃんと休むんだぞ?」
「お姉ちゃんと一緒にね」
柔らかく目を細めて、ルヴィスは姉の手を取って歩き出す。
ヴィレッサも穏やかに頷くと素直に従った。
一年中氷に囲まれているヴァーヌ湖城砦だが、なにも寒さが歓迎されている訳ではない。むしろ寒々しい環境にあるからこそ、温かさが求められる。
そんな城砦では、温かな食事と風呂は最高の贅沢とされている。
兵舎にも共同の大きな浴室が設けられていて、特別な日には、風呂に浸かりながら酒を飲むことも許される。帰還した親衛隊員たちも、上級兵士用の浴室で大いに盛り上がっているところだろう。
ヴィレッサも温かい湯で疲れを落としていた。
城主専用の浴室で、ルヴィスと一緒に。
「それじゃあ、ロナさんの仇でもあったんだ。酷いことする人だね」
「ん……仇は討ってあげたけど、やっぱり悔しそうにしてた」
ぼんやりと語りながら、ヴィレッサは目蓋を伏せた。頭から零れ落ちた泡が目に入りそうだったからだ。
しゃかしゃかと、ルヴィスが髪を洗ってくれている。
柔らかな指先の感触が心地良い。
「マーヤさんも一緒なら、きっと大丈夫だよ。後から帰ってくるんでしょ?」
「そうだね。だけどまた、ゆっくり話す時間も作りたいな」
思えば、随分と忙しなく動いてばかりな気がする。
それに戦いばかりだ。そちらは魔導銃を握った時点で覚悟していたけれど、少しくらいは休みたいとも思う。
そして、悲しいとも。
目蓋を伏せると、ウルムス村での暮らしが随分と懐かしく感じられた。
「お湯、流すね」
「ん……」
頭から温かな湯がかけられる。
濡れて垂れた金髪をしばらく指先で弄んでから、また石鹸を泡立てた。
今度は互いに背中を洗い合う。
「レイアちゃんも、幸せになれるよね?」
「大丈夫。ちゃんと笑ってたし、プルトたちも、あの婆さんもいるし」
「元気なお婆ちゃんだったよね。それに、大きなスライムかあ。ちょっと見てみたいかも」
「ゼリーみたいで美味しそうだった」
「ぜりぃ?」
なんでもない、とヴィレッサは頭を振る。
ルヴィスも深くは追求せずに、石鹸を泡立てる作業に戻る。柔らかな布を滑らせて、丁寧に背中を洗ってくれた。
ふと、ヴィレッサの二の腕が掴まれる。
ふにふにと、感触を確かめるみたいに、ルヴィスが揉んできた。
「えっと、くすぐったい」
「お姉ちゃん、少し筋肉ついたね」
「ん……でも、ムキムキにはなってないよ?」
自分でも確かめようと突ついてみる。
やっぱり、ふにふにとしている。
もうちょっと鍛えたいと思うくらい、幼い体は頼りない。
きっとこれからも戦いは続くのだから―――。
「っ、わぁっ!?」
いきなり、お湯が掛けられた。
ルヴィスが桶を持って、バシャバシャと追撃を掛けてくる。
「ほら、ちゃんと洗い流さないと」
「だからって……ああ、もう!」
ヴィレッサも反撃して、お湯を掛け合う。
お湯なので痛くもないし冷たくもない。でも、ちょっとムキになってしまう。
そうしてひとしきり遊んでから、二人は揃って湯船に浸かった。
温かな感触に全身が包まれる。
はふぅ、と思わず息を漏らしてしまう。
「ん~……蕩けそう」
「あ、もう! 沈んじゃダメだってば」
ヴィレッサは半分抱きつく形になって、ルヴィスに支えられた。
身体の疲れも、心の軋みも、綺麗に溶け落ちていくようだった。
緩みきった姉の表情を眺めながら、ルヴィスもくすりと笑みを零す。
「寝るのは、御飯食べてからだよ?」
「ん……大丈夫……たぶん……」
「ちっとも大丈夫には見えないんだけど」
文句を言いながらも、ルヴィスは姉を突き放そうとはしない。
ゆったりと湯船に足を伸ばして、心地良い時間に目を細めていた。
そうして姉の頭を撫でながら、ぽつりと呟く。
「でも、本当に大丈夫だよね」
ヴィレッサは答えない。
だけど、小さく頷くように頭が揺れた。
「私達はずっと一緒だもん。戦う力はなくても、何があっても、私がお姉ちゃんを支えていくんだから」
微かに頭を揺らすヴィレッサは、もう寝息を立てている。
ルヴィスは困惑混じりの笑みを零しながら、柔らかな体を抱きとめていた。




